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沖永良部島の歴史スケッチ

 沖永良部島は、奄美諸島の一つといっても、与論島に次いで沖縄に近いこともあり、そこには独特の歴史がある。先田光演氏著『沖永良部島の歴史』から、読書ノート的に、関心のあるカ所を抜書き的に紹介する。都合で文章は多少、手を加えた。
 
「グスク時代」
島の歴史は1万年前から始まっている。縄文時代、弥生時代に類似した擬弥生時代をへて、7,8世紀には村落ごとに血縁を中心に集落が形成されたマキョ時代となる。
各地域ごとに勢力を拡大し、いくつかのマキョを支配する豪族「アジ」が生まれた。各地に「グスク」と呼ばれる館や小さな石積みの砦を築いた。豪族が互いに勢力を争った。グスク時代と呼ばれる。島が後の「世の主」によって統一されるまで、数百年間は、アジが互いに争いを繰り返したと考えられる。  
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                  沖縄の北山の居城だった今帰仁城跡

 沖縄の勢力が島を支配
沖縄本島のアジの勢力が沖永良部島の支配に乗り出した。14世紀に今帰仁城を本拠とする北山王国が地方行政官となって島を治めた。いくつかの伝説があるが、その一つによれば、北山王の二男・真松千代(マチジョ)が島を治めるため琉球から渡って来た。「世の主」といわれた。
                 
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                「世の主」の墓
 琉球の古謡集『おもろさうし』には、沖永良部島についての「おもろ」が12首収録されている。そのなかに次の「おもろ」がある。
「えらぶ世の主の お船 橋 しょわちへ えらぶ しまなちぇる」
歌意は「永良部世の主が 船を使って橋のようにして 永良部を領地にした」。島の世の主が、ひんぱんに琉球との間を往来し、橋をかけたように数多くの船を使って、沖永良部島を支配していたことがわかる。 

琉球が尚巴志が北山、南山を滅ぼし中山国が琉球を統一した。1416年、北山が滅びると、沖永良部島の世の主は、妻子共に切腹したと伝えられる。
 
 その後は、琉球王国が約200年間にわたりこの島を支配した。琉球は「大親子(オオヤコ)」と呼ばれる役職者を直接派遣して統治させた。この地方役人が「三島大親子・首里の主」だとみられる。首里の大親子が徳之島の大親子も兼ねたようである。
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