レキオ島唄アッチャー

歴史が刻まれた泊外人墓地

 ウランダー墓と呼ばれた
 那覇市の泊港の北岸に、泊外人墓地がある。十字架の墓標が並び、お墓の形はさまざまだ。鉄扉の門は鍵がかかっていないので、立ち入りできる。
 門を入ってすぐ右手に、墓地の説明坂がある。
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 もともと中国人が葬られ「唐人墓」と呼ばれたが、19世紀に欧米人が葬られるようになり、「ウランダー墓」と呼ばれた。「ウランダー=オランダ」とは、欧米人の別称だった。説明坂から紹介する。
 
 ここは古くから22基の外国人のお墓があったので、「ウランダー墓」などとよばれていた。その内訳は、中国人(清人)6人、アメリカ人10人、イギリス人2人、フランス人・スウェーデン人各1人、不明2人となっている。このうち最も古いのは、中国人(漂流民)のもので墓碑から1718年(康熙57年)~1785年(乾隆50年)の年号が読みとれる。
 その後、欧米船の来航があいつぎ、1853年~1854年にかけて5度来航したペリー提督の従者や、1908年当時沖縄県立中学校の英語教師ヘンリー・アモアなど、この地で亡くなった外国人が葬られている。なかでも英国の水兵ウィリアム・ヘアーズの葬儀には、泊住民が惜しみなく協力した。それ故この地は、18世紀以降の沖縄の歴史とその人類愛を地上に印す記念すべき場所である。
  なお、この墓地は現在も利用されており、主に外国人が葬られている。その数300余基にのぼる。
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  お墓の形は実にさまざまである。墓の向きも東西南北まちまちだ。墓地の奥の方に、西洋式の墓碑のない古い墓がある。これが古い中国人のお墓だと聞く。
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  墓碑を見ていて、意外に思ったのは、県系人の名前、それも女性の名前が結構あることだ。アメリカ人と結婚して米国籍になっていて亡くなった女性だろうか。
 なかには、中国系の名前で顔写真を飾った「愛妻」の立派なお墓もあった。
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 圧倒的に多いのは欧米人である。
  那覇市観光課の「泊の地に眠る異国人たち」(泊外人墓地歴史案内実地概要)には次のような記述がある。
  18世紀末頃になると欧米諸国から琉球へ漂着する船が徐々に見られるようになり、1816年には「大琉球島探検航海記」を著したバジルホールの乗った船が寄港しております。また1846年に「波の上の眼鏡(ナンミンヌガンチョー)」と呼ばれた宣教師ベッテルハイム、1853年日本を開国させたペリーなど、19世紀の琉球には多くの異国人がやってきており、中には琉球の地で没し、泊外人墓地に葬られた者もおります。…
  このように泊外人墓地は中国、朝鮮、アメリカ、ロシア、フランス、イギリスなどを諸外国との交流の歴史の影で望郷の念をいだきながら、琉球の地を青山とした異国人が眠る場所です。
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  門から入り、まっすぐに伸びた道の先に、「ペルリ上陸之地」の碑が建てられている。
「琉球人の繁栄を祈り且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む」。これは1853年6月6日、琉球に来たペルリ提督の招宴席上の挨拶である。裏側は、英文の碑文になっている。
  ペリーの艦隊が琉球に来た時には、水兵が事件を起こしたことで知られる。
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  水兵ウィリアム・ボードがこっそり船を抜け出し、酒を飲み過ぎて酔っ払い、女性をレイプした。それを知った琉球人が石を投げ追ったところ、ボードは崖から落ちて死亡した。ペリーはボードを殺したとして6人の引渡しを要求した。王府は引き渡しには応じなかったが、八重山、宮古への流刑などの刑罰に処した。事件を起こしたボードはこの外人墓地に葬られた。他にもペリーの部下の墓もあるという。残念ながら見つけられなかった。興味のある方はブログ「若狭公民館つれづれ日記」に写真と解説があるので見てほしい。
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  墓地でもっとも多いのは、簡素な十字架だけの墓である。また、立派な墓碑のある墓でも、「VIETNAM」の文字がよく記されている。米海軍、陸軍、海兵隊の文字がよくある。
  「基地内に十字架の墓がたくさん並んでいるのは、ベトナム戦争に従軍して戦死したアメリカ軍人の墓です。故国アメリカではなく異郷の地、沖縄に葬られることを希望した者も多かったようです」(「泊の地に眠る異国人たち」)
 ここには、さまざまな歴史が刻まれている。
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