レキオ島唄アッチャー

悲劇を生んだ八重山の移民政策

 八重山の開拓移住政策

  黒島の強制移住と「つぃんだら節」について紹介したついでに、琉球王府時代の八重山全体の「寄人(ヨセピト)」と呼ばれた開拓移住と新村建設について、『八重山歴史』から紹介する。同名の著書は八重山歴史編集委員会編と喜舎場永珣著があり、「寄人制度」については同文が掲載されている。牧野清著『新八重山歴史』は、前掲書をベースにしながら、その後の研究を踏まえた叙述になっているので、それも併せて紹介したい。
 
 寄人制度
  琉球政庁では尚敬王の黄金時代に入って享保13年(1728)古今独歩の大政治家と仰がれる具志頭親方蔡温(サイオン)が国相になった。   
                   八重山絵図
  国政を総理するのに、羽地王子向象賢(コウショウケン)の建てた基礎の上に40年の長い間、琉球の林政・農務・土木・治水・教育・文化・商工業などに経綸の才をふるって積年の疲弊を挽回して琉球の立直しを断行した人である。
とりわけ蔡温は南島の宝庫である八重山開拓に着眼して精魂を打ちこんだ。その目的方法は寄人(移民のことで寄百姓ともいう)政策を行って広大な良田地帯に新村を建てて稲作に主点をおいて生産を増強させ米貢の完納を期し引いて首里王庁の財政を豊かにするためであった。
⑴外国船の監視や遭難船漂流船の救助介抱上に便利な地所を撰んだ。
⑵過剰人口の調整のため
⑶杣山(国有林の造林保護育成や木材の搬出に便利を得るため)
⑷在番・頭や諸役人の部落巡視上の便宜を計るために適当な距離を見計らって新村をたてた。(当時は宿次といって籠・乗馬旅行した。各村は次の村までの籠かきや馬の世話をする責任があった)
⑸遠い農耕地への往還の無駄を省いて農耕地中心主義の移民をした。
⑹各部落には正男女の台帳ができていてその員数もやゝ一定していたのである。これは人頭税の割賦上一定していたのである。これは人頭税の割賦上必要であったので万一各村とともに、疫病のために死亡した時、人口の多い村から強制移住をしてその「補充策」を断行して来たのである。
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          外国船の到来など監視した竹富島の遠見台跡(クスクムイ=小城盛)

  「寄人(移民)に対する特典として
1、宅地、住家、田畑を無償で給与し、住家は政府が建築して与えたこと
2、衣服調整費や食料として、米一人一日五合あての割合で、三ヶ月分四斗五升を給与
3、五ケ年間は、免税した
4、農具(鋤、鍬、鎌、ヒラ・ヘラ=金偏に平=、斧、山刀)等を給与
5、鋤牛1頭に乗馬1頭給与
6、帰村や住居の自由は、絶対に許されなかった
  蔡温は、正徳元年(1711)から、宝暦2年(1752)に至る42年間にわたって、以上のような目的と移民の特典で、八重山の大開拓事業に着手し、新村を建設し、表面的には、村民からの請願の形式を取ってあるが、実は中央政府からの命によって、強制的移住を断行したのである。
                    
 当時の実況を謡った崎山節の一節に
「たんでとうど美御前とうど主ぬ前。許しやひり肝ちやひり主ぬ前。我心、胆心あらぬす。
 天ぬ御意、御主の御声やりばど。許すくと肝ちやくとならぬす。
天ぬ雨めまぬ粒やりばど。 笠ば取り蓑は着し、ばんさり。
泣く〱(くり返し)とゆむ〱(くり返し)別げられ」とある。
この歌の意は「乞い願わくば琉球国王様よ、村の御役人様よマラリア地方への移住はどうぞ免じて下さい。これは私一人の考えではない。たゞの出来心ではない。琉球国王様の御命令であり、御上の御意志である。私勝手に許すことは絶対にならない。天から降ってくる雨粒であったならば笠をかぶり、蓑を着けても防ぐことは出来るが、御主加那志前(ウシュガナシーメー)の御命令ばかりは、絶対的である。泣く〱(くり返し)と、いや〱(くり返し)ながらマラリア地帯の崎山へ別れて行く」の意である。これで見ても村民からの請願は、ほんの一部であって、ほんとうは首里王庁の計画案での命令であったことが、このありのまゝの心を謡った民謡によってもうなづける。

  当時の寄人(移民)を分村する時は、役人は目をつぶって部落の道路を境界線として、この道から、これだけは移民組だという絶対の一言で事がすすんだとの事である。
  いまなお分村した各島や部落では「道切り」の分村の痕跡が残されている。
  蔡温の八重山開拓事業である移民と新村の建設政策は、島津氏の附属国である琉球での政治家として、その手腕には敬服すべきものがある。
 島津氏の搾取誅求に対する琉球の窮状を打開するためには、八重山を開拓して、米貢たる八重山の稲作の生産増加に精神を打ち込んで、人頭税の完納と中央政府の財政を豊富にする必要に迫られていた。

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