レキオ島唄アッチャー

今帰仁の今泊を歩く、その1

今帰仁の今泊を歩く
 
フクギ並木が美しい

 今帰仁村の世界遺産、今帰仁城跡のふもとにあたる海沿いの集落が今泊(イマドマリ)である。今帰仁城跡にはたびたび行ったが、今泊集落は一度も入らないままだった。
今泊の集落に入ると、集落は格子状に家々が立ち並び、細い路地が伸びている。
 昔ながらの古民家とコンクリート造りの家が混在しているが、家の周りにぐるりとフクギ(福木)が取り巻いている。高さが7、8㍍くらいはあるだろう。
なかには高さ十数㍍、幹の周囲2㍍の大木もあるそうだ。戸数300を超える今泊の屋敷全体ではその数は、万近くに達するという。集落全体を包み込んでいるようだ。
フクギ並木と言えば、本部町の備瀬(ビセ)集落が有名だが、今泊も負けないほどの並木が残る。
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 この集落は、東シナ海に面していて、海からの北風は強そうだ。これだけの高さがあり、常緑の並木で屋敷をかこっていれば、寒い北風も、台風の被害も相当防げる。夏は、木陰をつくるので涼しいはずだ。
 『今泊誌』によれば、福木は、防風、防潮、防火林として重宝がられた。年中緑葉を茂らせ、集落全体の気温を和らげ、空気を清浄し、鳥類を招く役割もある。
 木の雌株には黄色く熟した果実ができるが、こうもりの好物。樹皮は古くから、織物の黄色の染料を採る材料として利用された。
 沖縄戦のさいは、米軍によってすっかり焼き払われたが、大部分が不死鳥のように生きのびた。用材に事欠いた当時、いくらか切り倒し、家屋の建築資材に利用した。 
すでにフクギのない家も見られるが、依然として今泊は「フクギの里」であることにかわりはない。

マーウイ(馬追い)を楽しんだ馬場跡
今泊の集落の中央部を東西に大きな道路「プゥミチ(大道)」が伸びている。集落内は、細い路地が縦横に走っているが、ここだけはけた違いに広い。
「マーウイ(馬追い)」とも呼ばれ、もともとは馬場として住民になじまれてきた。馬場跡は、幅は8―11㍍、長さは250㍍ほどあるだろうか。沖縄はかつて、琉球競馬(ンマハラセー)が盛んだった。競馬にしては少し短くないか、との疑問が出る。だが、走りの速さを競うのではなく、走りの美しさを競う琉球競馬なら、これくらいの長さがあれば十分だったのだろう。
琉球競馬は、小柄な沖縄在来馬が、スピードではなく、走る足並みの美しさを競った。馬具に華麗な装飾を施し、それも加点の対象だった。世界でも類を見ない美技を競う自のスタイルだ。琉球王朝の時代から戦前まで300年にわたり、受け継がれていた。県内各地に馬場があった。その数は150を超えていた。
 梅崎春光著『消えた琉球競馬』に詳しく書かれている。琉球競馬についてはすでにブログで書いたので、そちらを参考にしてほしい。
今泊の馬場の歴史は古い。1710年に、琉球王府で名高い政治家、「蔡温(サイオン)が山原(ヤンバル)を巡回した時、親泊(現在は今泊)の馬場を詠んだ漢詩「戯馬台即興(親泊にて)」がある。310年以上前の今泊の馬うい(馬場)と競馬を楽しむ人々の姿が、眼前に浮かび上がってくるようよう漢詩だ。それは別途、紹介する。
今泊の大道は集落の真っただ中に位置しており、住民のさまざまな行事にも欠かせない役割を果たしてきた。戦前のアブシバレー(畦払い)と呼ばれる雑草を刈り害虫を払う行事、昔から集落に伝わる豊年祭の舞台ともなった。

フパルシの老巨木
馬場跡の中央部に公民館があり、その前にフパルシの老巨木がある。県指定の天然記念物である。和名はコバテイシ、沖縄では通称クファデサーと呼ばれる。高さ18㍍、胸高周囲4・5㍍ある。樹齢は推定300~400年ともいわれるだけあって、巨木の胴体はもう空洞化してきている。横に伸びた枝を支えるために、電柱のような支え柱が3本立てられている。
「字民とフパルシ」という説明坂がある。
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 戦前は現存するフパルシの根元に接してもう一本のフパルシがあった。現存するものを「ミー(雌)フパルシ」、もう一本を「ウー(雄)フパルシ」と呼んでいた。フパルシとその周辺は、子どもたちの格好の遊び場だった。
夏から秋にかけて、たくさんの実がなった。その実は甘酸っぱい味がするし、中の種子は落花生のような香りがあるようで、子どもたちは競ってその実を求めた。
 この老大木は、集落のど真ん中に根を張り、枝を伸ばし、幾世代もの子どもたちのよい遊び相手になり、集落の重要行事の舞台背景をなして、その存在を誇ってきたという。この集落のシンボルのような存在なんだろう。 
 古来名木として
「親泊のくふぁでさや 枝持ちの美らしさや わやくみの妻の 身持ち美らしさや」
と歌われ、以前はこの樹の下で豊年踊りや競馬が行われ、また、区民の習合の場になってきました、と記されている。
 

 「豊年口説」の歌碑
 巨木のそばに歌碑がある。「豊年口説(クドゥチ)抜粋」だという。
 馬場跡は、今泊で大きな行事、豊年祭の会場となっている。伝統を持つ今泊の豊年祭は、5年に一度、旧暦8月に行われているが、「豊年口説」は舞台の一番初めて演じられる祝儀舞踊「長者の大主」の中で歌われる曲だという。
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原文は抜粋でもあるし、読みにくい。大意を紹介する。
 「北山城(今帰仁城)の御ひざ元のめでたい所、そこは、常盤なる松の木が緑を湛え、鷺と烏が巣を作っている。そして四方の畑には一杯作物が実っている。人も鳥もおおらかに暮らしている…」
歌意は、ネット「沖縄の古典文学(琉歌編)」(引用文献は「沖縄文学碑めぐり」垣花武信・東江八十郎著)から紹介した。
  
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コメント


無事に移動されたようですね。
今まで使っていたブログに愛着があったでしょうが、
ここでまた新たな自分の歴史をつくって下さい
2014-02-27 Thu 11:10 | URL | ピースオレンジ [ 編集 ]
 ピースオレンジさん。コメントありがとうございました。
慣れ親しんだブログの引っ越しは、当初はやり方がまったく違うのでけっこう苦労しました。
無事にスタートできたので、なによりです。これからも、よければ遠慮なくコメントください。


2014-02-28 Fri 01:09 | URL | レキオアキアキ [ 編集 ]

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