レキオ島唄アッチャー

小説化された『ちぃんだら節」、陳情を逆手に

  陳情を逆手に取った強制移住
   小説『遙かなるパイパティローマ』の続きである。
  豊年祭が終わった秋のある日、蔵元から2人の役人が黒島番所に遣って来た。黒島の百姓から陳情のあった減税のついての許可書を交付する為であった。減税は喜ばしいが、説明を聞いた長老達は首を傾げた。蔵元側から仕明地への島民の移住の件については説明がなかったからである。
   
  享保17年(1732)9月26日、番所において首里王府からの特別な認可指令が下されるとのことで、黒島村の士族や組頭達及び女頭(ブナジィ、女性の下級役職)達が番所に集合した。蔵元から派遣されたのは首里大屋子(シュリオオヤコ、村番所に置かれた役職)金嶺と大筆者の内原の二人だった。番所与人(ユンチュ、村長格)が口を開いた。立札の表題は「野底村の新設と黒島村の分村について」だった。
  「昨年の夏、日照りで減作が見込まれた時、番所は黒島三村の代表者から陳情を受けたのであるが、首里王府が陳情通り昨年の減税を了承し実施した事は周知の通りである。だが、その減税は黒島からの移住により仕明地に新村を建設する事と引き替えに実施されるべきものである事は各村の各長老達と相談済みであった。これを踏まえ、今般は黒島からの仕明地への移住計画について首里王府からの認可指令を伝える。この計画をたてるに当たっては多くの人々の労力と長い時間が費やされた。認可指令内容は幸いにして八重山の振興に熱心な王府の蔡温親方と彼の配下で農業政策の専門家でもある金城筑登之子親雲上(チクドゥンペーチン)和最が私共現地の意見を踏まえながら綿密に検討されたものである。認可指令には当然ながら従うべきものであり、又、異議を挟む事は出来ないものである」
  
  首里大屋子が書状を開いて認可指令の内容を口上した。
  黒島村の東側およそ1班から3班迄の村人約429人は享保17年10月中に新村野底村に移住する事。移民には現村における一世帯当たり一戸の家屋敷、田畑、鋤牛一頭及び馬一頭を無償で与える事。又、向こう5年間は男女を問わず免税とする事。更に向こう3ヶ月は一人当り5合宛の割合で食米を支給する事。役人と士族及びその家族は移住の対象でない事。
  村の長老が手を挙げた。「移住は強制によらず、希望者を募ったらどうかと提案したのだが、どのような訳があって異なってきたのですか」
  「百姓の自由な移住・移転は認められておらないのが基本である事は承知の通りだ。移民に限って百姓の自由意志に任せるという事は慣行と抵触する故、今回の移民についても王府の決定に基づくものとした」と首里大屋子。  
「最近、3班(移住組)の乙女と4班(残留組)の青年が婚約しました。移住が実施される事になればこの二人は裂かれる事になりますが、特別に配慮することはできませんか」と百姓頭が手を挙げた。
  「そのような事を認めると移住を希望しない者が虚偽の申し出を行ない移住を免れる方便としないとも限らない。…百姓の言い分を聴きながら逐一、修正を加えるような類のものではない」
                   野底岳
                    悲しい伝説を秘めた野底岳

   マーペと母ナサマ、女頭ピテマらと金盛は、番所に訴えに出向いた。金盛は「この乙女と私は小さい頃から睦まじく過ごした仲なのです。どうか、彼女を黒島に残してください。でなければ、私も野底に行かせてください」、ピテマは「この娘と男は恋仲であり婚約を致しました。二人を引き裂かないでください」。与人も、二人のために村の人達が心配して動いている様を目の当りにして、思い直して蔵元に行くことにした。
  蔵元では、例外措置は一切認めないようにとの厳命を首里から受けているとの一点張りだった。
 
  小説では、移民の第一陣が出発する日、輸送のため停泊していた公用船を黒島村の男女7人が奪い、南の楽園パイパティローマに行こうとするが、失敗する。
  マーペは金盛と引き裂かれて、母に手を引かれ船は出航する。
  マーペは野底岳の頂上に登った。岩に登れば金盛のいる黒島が見えるかもしれない。「もう一度、黒島へ、金盛の所へ行きたい」と岩の上で、草履を脱ぎ、両手を拡げた。
 小説は、金盛がマーペに逢うため黒島を来るが、草叢の上に横たわるマーペの姿を見て後を追う。金盛が出発した朝、マーペに帰島許可が出されたということで終わる。

スポンサーサイト

八重山の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<RBCラジオ「あの時君は若かった」800回記念パーティー | ホーム | 小説化された「つぃんだら節」、減税の願い>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |