レキオ島唄アッチャー

小説化された「つぃんだら節」

  『遙かなるパイパティローマ』という小説を読んだ。沖縄語版は吉屋松金氏、日本語版は比嘉清氏の著名だが、比嘉は本名、吉屋はペンネーム。同一人物である。
  当初、書名から波照間島が舞台の小説かと思った。波照間島には「パイパティローマ」伝承があるからだ。波照間島よりさらに南に重税のない楽園あると信じられた島の名が「パイパティローマ」である。人頭税の重圧を逃れるため楽園の島をめざして波照間島から脱出したという。

  民謡に歌われた「島分け」の悲劇
  この本は読んでみると、波照間島ではなく、黒島から石垣島野底に強制移住された悲劇を歌った「つぃんだら節」を小説化したものだった。
  過酷な人頭税が課せられた八重山では、王府時代に再三、人口の多い黒島、竹富島など離島から石垣島、西表島などへの移住が行われた。石垣や西表は、島は大きいけれどマラリヤの有病地のため人口が少なく、財政難に悩む王府が島民を移住させ、開拓をさせる政策を進めた。集落の道路を境として住民を分け、強制移住を命じるため、「島分け」「村分け」と呼ばれた。その悲劇は幾多の八重山民謡として歌われている。
               image2321.jpg

  本書は、あくまで小説である。でも、移住をめぐる黒島の事情や住民と役人らの対応の描写は、当時の移住にいたる実相を知る上で参考になる点がある。
  とくに、個人的に関心があったことの一つは、八重山の古文書を読むと、島民の側から開拓移住の要望を出したという記録が何例もある。その一方で、強制移住による悲劇が生まれたことも、数々の伝承と八重山哀歌に反映されている。要望と強制というこの関係をどのように考えればよいのか、ということである。
  この作品には、この問題を作者らしい問題意識で書きこまれているのでとても興味深い。私的に関心のある個所を中心に、勝手に抜書き、要約してみた。

 干ばつで納税に苦しむ島民
  黒島は、陸部は珊瑚でできた小石が多く農作には適さない。広大な面積を誇る石垣島や西表島は周辺の小島より遙かに肥沃であるにも拘らず、人々は近付くのを恐れていた。(両島は)ごく一部を除けばそれらの山間部とその周辺部の清い水脈はヤキ蚊(マラリアを媒介)の繁殖地だったからである。古人は(ヤキ蚊のいない)痩せ小島を定住地として選択したのである。
  それでも石垣島の南部は恐る恐る開拓され周辺の小島に劣らない村落が形成されて久しかった。そして、島の北部にも開墾地が広げられていった。
                        408.jpg
         マラリアは沖縄戦でも多数の犠牲者を出した。写真は戦争マラリアの慰霊碑
  王府の三司官蔡温(サイオン)は広大で肥沃な割に人口が少ない石垣島や西表島に目を付けたのだった。仕明地と称される開墾地の拡大は百姓の出張耕作によって実現を見た。米作に不向きであった周辺の痩せ小島に住んでいた百姓達にとって仕明地での米の生産は魅力的であり、その限りでは増収を試みる首里との利害が一致したからである。
だが、百姓の移住を伴う新村建設計画は遅々として進んでいなかった。新村建設は分村と家族単位の強制移住で行われる為、百姓達がヤキの犠牲となり易い子供や老人を新村に移住させる事を恐れていたからである。
  野底も元々ヤキ蚊の多い地域であった。
  ある年、日照り続きで、税を完納できない、貢布により代納もできない。代納も完納もできないなら、家財没収とされる。滞納問題を起したら、分村(強制移住)の口実を与える。30年近く前に、保里村から鳩間へ悲惨な強制移住があった。減税の陳情は島分けの危険がある。
スポンサーサイト

八重山の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<小説化された「つぃんだら節」、減税の願い | ホーム | 歴史が刻まれた泊外人墓地>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |