レキオ島唄アッチャー

儀間真常ゆかりの住吉神社、その2

 住吉神社は境内の一番の奥にある。そばには「住吉神社並垣花各拝所復興記念碑」が建てられていて、由来が記されている。
                     IMG_6993.jpg

  記念碑には次のように記されている。
  住吉神社は、往昔、儀間村の地頭で、甘藷の伝搬栽培法、木綿織および砂糖創製などで産業界の大恩人といわれている麻氏六世儀間真常公が、西暦1611年(慶長16年)に尚寧王の随員として薩摩から帰国のときに海上守護の神として請来し当初儀間村の自宅内に奉安尊崇した。
  祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命の御三神である。
                       IMG_6994.jpg

  神社は村人達の尊崇もあって間もなく那覇港南岸の住吉森に社殿を造営し、爾来三百数十年にわたり垣花三町民および県民が尊崇して来たが、昭和20年初夏の沖縄戦において社殿は滅失し、米軍の港湾工事で境内は住吉森とともに海没した。戦後は垣花三町有志が山下町の東南の地に仮社殿を造営し尊崇して来たが、近年に至り腐朽甚だしくなり再建の運びにいたった。
  今ここに山下町西の殿の山中腹に良地を選び、工事費二千萬円也で昭和56年8月22日起工、翌昭和57年3月15日竣工、同時に垣花町内の各拝所の合同社殿も併せて造営した。住吉、垣花、山下の三町民ならびに県民の心の拠り所として尊崇し社殿復興落成を記念してその経緯を碑に刻銘し永く後世に伝承するものである  昭和57年壬戌3月15日
              IMG_6986.jpg
  儀間真常(ギマシンジョウ)は、1605年、野國總管が中国から持ち帰った甘藷をもらいうけ、栽培法を学び、沖縄各地に広めた。1609年に琉球が薩摩に侵略され、尚寧王が薩摩に連れられて行くさいに随行した。1611年、尚寧王の帰国のさい、請来した住吉神社の祭神、表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)は、海上の守護神、外交の神、和歌の神とされる(「大辞林」)。住吉神社は、全国に約6000あるそうだ。
儀間は、薩摩から木綿種を持ち帰り、木綿栽培と木綿織り広めた。1623年には、儀間村の者を中国に遣わし、砂糖の製法を学ばせ、黒糖づくりを広めた。産業の大恩人と呼ばれる所以である。
                  IMG_6974.jpg                  
            明治初期ごろの那覇港周辺。住吉、イビヌ前など地名が見える(市の案内板から)


  儀間真常は、野國總管、蔡温とともに、産業の大恩人として奥武山公園の世持神社に祀られている。儀間のお墓は、もともと住吉町にあったけれど、沖縄戦のあと米軍に接収されたため、首里崎山町に移転した。1993年に建て替えられ立派な墓と顕彰碑がある。
スポンサーサイト

史跡 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<「離島フェア2014」に行く | ホーム | 儀間真常ゆかりの住吉神社、その1>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |