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沖縄の産業の恩人を祀った世持神社、その1

 那覇市の奥武山公園を歩いていると、「世持神社」の石碑が建ち、鳥居がある。何を祀っているのかよくわからないまま、石段を登っていった。赤い屋根の小さな社殿があるが、とくに説明する表示はない。商売繁盛の神だとか聞いていたが、実際には沖縄の産業の大恩人だと言われる野國總管(ノグニソウカン)と儀間真常(ギマシンジョウ)、それに首里王府の三司官として辣腕をふるった蔡温(サイオン)の3人を祀っている神社だった。
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  野國總管は、北谷間切(チャタンマギリ、いまの町村)の野國村に生まれ育った。進貢船の事務長格の「總管」として中国に渡り、1605年、甘藷を持ち帰り、多くの人々を飢饉から救った。儀間真常はその甘藷を貰い受け、栽培を琉球に広めた。甘藷は薩摩に伝わり、さらにサツマイモとして全国に広がった。儀間は、サトウキビの製糖技術を中国から導入し黒糖づくりの基礎をきずき、木綿織の普及にも力を尽した。
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 なぜ、野國、儀間氏らの神社が奥武山公園にあるのか。その由来について「野國總管甘蔗伝来400年祭実行委員会」発行『甘蔗と野國總管』「第2章 甘藷のきた道」(、嘉手納町ホームページ)で詳しく書かれていたので、要約して紹介する。
  1920(大正9)年、仏教連合会を中心に、野國總管と儀間真常を顕彰する「諸(藷?)蔗謝恩碑建設期成会」が結成され、記念碑建設のための寄付金を募集したが、そのときは実現をしなかった。
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  その後、沖縄砂糖同業組合が、創立20周年にあたる1934(昭和9)年にむけて、「砂糖の大恩人」である儀間真常の謝恩碑の建設が新たに計画される。
  1933年8月に結成された沖縄文化協会が、「沖縄の産業の恩人を祀るため神社をつくり、子々孫々までその恩恵がおよぶように」、儀間真常と野國總管の二人を祀る神社の建設計画を提案した。
 その後、沖縄砂糖同業組合と沖縄県農会の賛同をえて、神社の建設協議会が開催され、計画が具体的にすすめられるようになる。
  長くなるので、続きは次にしましょうね。 
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