レキオ島唄アッチャー

笹森儀助もあきれるずさんな行政

 ずさんな未納の扱い
 笹森儀助は、与那国島に1893年(明治26)8月1日―3日滞在した。『南嶋探験』を見ると、その際、与那国島詰の地方役人、与人(ユンチュ)の崎山用英にも、貢租などの未納の実情を問いただしている。崎山は、質問に答えて次のようにのべている。 
  「現在公費未納調は正確の帳記なし。5年以前に遡り取調んとすれは、数十日を要せされは成り難しと。本件と現在貯蓄は只喃〻(ナンナン)其不能を陳謝するのみ」

  現在公費の未納について正確な記帳がない。5年前にさかのぼり調べるのに数十日かかるとは、ビックリだ。
  笹森は「按するに該嶋与人30余人の村吏を率ひて、一方には未納公売の騒きを醸しなから、其調たる2日間にして答ふる能はす。僅に210戸の未納なれは、此属吏にして毎戸に臨査するも為し難きにあらす。実に緩慢驚き入りたる始末にあらすや」
 一方で未納者は、家財など公売にかけるという騒ぎを引き起こしながら、他方では未納について正確な記帳もない。わずかな戸数だから村吏を使って戸別に精査することもできるはずだ。「実に緩慢驚き入りたる始末」と呆れかえっている。

 駐在所の巡査にも、貢租・民費の未納を質問すると、次のように答えている。
 「貢税は貯穀等を以て立替納付する故、未納なるものは表面上に於て決して之れ有るなし。且つ該嶋の民費は、即ち公費なるにも拘はらす(他府県の地方税仝様ものなり)、確実の調は担任の番所にすら不整頓の極りなれは、所謂未納取立にして、何の誰は7俵ありと申渡すも、其実は7俵なるや3俵なるや納むる当人にして既に不分明に属し、唯命のまヽなり。豈(アニ)緩慢不紀律の甚(し)きならすや。余の村吏に面するや、出来得る丈けは、此辺取調差出されたしと談して帰宿せり」
 未納といっても、その実態はあきれるような「不整頓」によって命じられている。担当する番所でも、いいかげんな処理がされ、未納といっても実際は「7俵か3俵かわからない」、本人もわからないまま命じられているという。笹森儀助も「緩慢不紀律」が甚だしいと憤りをもって、村吏に正確な取り調べを求めている。
                    338.jpg

      女性たちが織らされた「八重山上布」
 
未納には家財売払い
 未納といっても、正確な記帳もないずさんは管理をしながら、取り立てには役人たちは容赦ない態度をとっている。
 駐在所で巡査に面会して聞くと、巡査は次のように答えた。
 「村吏の専横実に甚し。近日の事なり、急に役所の達と称し、5、6年以前よりの公費租税未納一時上納を命し、不足の分は家屋・牛馬・鍋釜・日用の器具に至る迄公売せんとの厳達あり。一時三十余名其難にかかり、民心囂々(ゴウゴウ)たり。故に僕、番所に至り、村吏に談し、其処置を中止し安堵せしめたり。駐在所設置以来、自然村吏も斟酌し人民は満足の様子なりと」
 
  5,6年前からの貢租公費の未納の上納を命じて、不足の分は家屋・牛馬・鍋釜・日用の器具まで公売にかけるという横暴な取り立てに出た。30数名がその対象とされた。人々の騒ぎを前に、村吏に会って「その処置を中止」させ、安心させたという。治安を任務とする巡査が見ても、民心を怒らせるほど、村吏の専横ぶりがひどかったのだ。
  明治25年(1892)頃でも、こんな専横がまかり通っていたのだ。
笹森の見聞には、明治中期であっても、人頭税や公費など重い課税と、それに王府役人のずさんな管理も加わり、多大な未納高が百姓にのしかかっていた現実がリアルに伝えられている。そのなかでも、百姓はただ泣き寝入りするのではなく、家屋など勝手に売り払うという乱暴な徴税に対しては「囂々」たる非難の声をあげ、中止させるというたくましさを見せていたことがわかる。
スポンサーサイト

八重山の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<役人の不正異聞、沖永良部島 | ホーム | 笹森儀助の見た与那国島の現実>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |