レキオ島唄アッチャー

比嘉加津夫氏の平敷屋朝敏論、その2

理不尽な抑圧に立ち向かう

 比嘉加津夫氏の平敷屋朝敏論の紹介は続く。
  自由な恋愛は、それ自体が制度を越えようとし、理不尽な抑圧に対して反抗的に向かっていくものであり、統治者にとっては抑圧や抑制の対象とならざるを得ないのである。…
 「手水の縁」で朝敏は、閉塞した時代の緊迫性と自分の中で燃えたぎる心性の開放性を交差させたのである。…
「若草物語」や「萬歳」が<愛>ためにいのちを捨てる覚悟性で覆われているとすれば「手水の縁」は、<愛>のために制度をないがしろにする覚悟性が全面を覆っているといえる。もし朝敏が「文学」から「政治」の方向に意識を変容させていったとするなら、やはり現実世界を拒否して死の世界に向かっていった意識から現実世界でこそ抵抗していくという意識に、つまり<自死>から<生>の意識に変容していったことと重なっているはずだ。…
 朝敏が、愛の問題に執着したということは、これがより人間的で、より根源的なことがらであり、しかも時代性に深く密着していた問題だったからであろう。…

                     平敷屋朝敏の歌碑
                 うるま市平敷屋にある朝敏の歌碑

 朝敏を特異な表現者にしているのは、制度とか現実規範、現実観念といったものより、人間個々の内奥に宿る観念の方が大事なのだという思想の側にたっているというそのことによってなのではないか。…
 作品世界がすでに作者の未来を無意識のうちかこってしまっているのである。平敷屋朝敏は「国家の御難題」をたくらんだ悪逆悪道の族として処刑にふされた表現者だが、そのような死にざまを、作品世界がすでにかこっているのだ。 
 
 以上のように、比嘉氏は朝敏のその作品世界の内容と相互の連関を分析することによって、「手水の縁」がそれ以前の朝敏の作品と密接なつながりがあり、前の作品群の土壌の上に花開いた文学作品であることを明らかにしている。
また、「<愛>を蔵したものは現実世界で結ばれなければならない」こと、「自由な恋愛は、それ自体が制度を越えようとし、理不尽な抑圧に対して反抗的に向かっていくもの」であり、「現実世界でこそ抵抗していくという意識に」変容していったことを強調している。
そして、自由な恋愛を抑圧する封建的な社会体制の壁を乗り越えて、愛を成就さえるという文学的な達成は、他の文学者とは一線を画する「稀有な表現者」であることを解明している。
 「手水の縁」で描き出された作品世界が、のちに国家反逆の罪で処刑されるという未來の悲劇をはらんでいたこと、つまり文学作品と現実世界での政治行動が内的な連関があることを明らかにしたことは、「手水の縁」の作者論争でも重要な意味を持っている。
  比嘉氏はさらに、朝敏の文学観の飛躍の背景に「貧家記」体験があることを次のように述べている。     
                   朝敏の歌碑文
                     朝敏の碑文

(朝敏の作品世界の発展について)
 何が一体起きたのか。私はそれは「貧家記」体験(注・罪を受け首里から遠い領地の平敷屋に追いやられた)を持ったためというふうに原因は求められるのではないかと思っているのだ。…「貧家記」体験は、朝敏に、より現実意識を強いたはずだということである。どちらかというと感性や感受で現実世界に接していた朝敏が、いやおうなく現実世界に向かわざるを得なかったというのが「貧家記」体験であったのではないか。…

 私も、朝敏が滞在した平敷屋を訪れたことがある。そこには、朝敏のもとで農民の水不足を解消するため用水池が掘られ、その土を盛りつけて造ったと伝えられるタキノー(小高い丘)があった。朝敏を偲ぶ歌碑と碑が建てられている。
「朝敏は、薩摩支配下における苦難の時代に、士族という自らの自分におごることなく、農民を始めとした弱い立場の人たちに暖かい眼差を向けることの出来た、沖縄近世随一の文学者でありました」
碑文にはこのように記されている。
 「貧家記」にみるような農民との交わりやさまざまな労苦の体験を通じて、封建的な社会の現実と対峙する姿勢が養われたのかもしれない。
 
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