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比嘉加津夫氏の平敷屋朝敏論、その1

 比嘉加津夫氏の平敷屋朝敏論


 組踊「手水の縁」の作者で政治犯として処刑された平敷屋朝敏(ヘシキヤチョウビン)について、わがブログで取り上げてきた。拙著「琉球の悲劇の文学者 平敷屋朝敏覚書」では、「手水の縁」の作者は朝敏ではないという論説にたいして、素人なりの自分の考えを述べてみた。その際、関係する資料にいくつか目を通したが、「比嘉加津夫文庫」に収録されている「平敷屋朝敏(上、下)」「玉城朝薫・平敷屋朝敏ノート」(同文庫16,17,18)は残念ながら読んでいなかった。最近、やっとお目にかかって読んでみると、私の問題意識とかなれ共通する考察を早くからされていたことを知った。
 比嘉氏の著作から、私流に関心のあるところを、勝手な抜書きで紹介する。

比嘉氏の著作で注目したのは、朝敏の作品の内容を分析し、その作品世界の発展を時代とのかかわりを含めて評論していることである。
 朝敏の初期の作品「若草物語」は、大阪の住吉を舞台とした貧しい武士と遊女・若草の悲恋の物語である。近松門左衛門の心中物を思わせる主題である。「苔の下」は、琉歌の二大女流歌人である、遊女・よしやつると仲里按司(アジ)をモデルとした悲恋の物語である。
 次の「萬歳」は、安里の按司の息子・白太郎は勝連の浜川殿の真鍋樽金を一目見て恋に落ちるが、すでに地頭の息子に嫁ぐ身。二人が浜辺で死のうとする時、神の化身が現れて二人はめでたく結ばれる。
  この後「手水の縁」へと続く。波平村の山戸(ヤマト)が玉津(タマシン)と出会い、手水を汲んでもらった縁で結ばれる。しかし、親の認めない恋は許されず、玉津が処刑にされそうになるが、山戸の命がけの訴えが通じて二人は結ばれるという物語である。
                     朝敏の瀬長島の歌碑
               組踊「手水の縁」の舞台となった瀬長島に建つ朝敏の歌碑

 いかなる制度も愛や恋を縛れない
 
比嘉氏は、次のようにのべている。
 とげられぬ「思い」を抱き、それにうちひしがれてついに自死する「若草物語」や「苔の下」の流れから切れて朝敏は、ひたむきな思いは死後の世界ではなく、この世で結ばれなければならないという思いをこめるかのようにして「萬歳」をものにした。…
 「若草物語」や「苔の下」では、制度の厚い壁にねじふせられ、そのまま破局に向かっていくという形で物語世界は展開された。…
 「萬歳」では…制度の壁は厚く、一人の人の「思い」や「力」ではどうにも動かしえないはずのものとして存在していた。そのため…「神」の力に依拠し、制度の壁をおしのけるという方法へと向かわざるを得なかったのである。…
 だが「手水の縁」では、あの世とか「神」といったものを媒介にすることなく、二人は「思い」をこの世で実現していく。…
「いかなる天竺の鬼立ちの御門も 恋の道やれば開きどしゆる」(どんな天竺の鬼といえども、命をかけた若い男女の恋の道はとどめられない、という意味)というふうに、いかなる制度も愛や恋を縛ることはできないという信念を垂直に伸ばしていったのが「萬歳」であり「手水の縁」であったのである。…
 平敷屋朝敏は、ある時期を区切って「萬歳」や「手水の縁」の世界、つまり深い<愛>を蔵したものは現実世界で結ばれなければならないし、またそれは可能だという思いを持つに至った。ここに至る意識過程、意識の変様というものも朝敏を他の表現者とわけているところである。…
比嘉氏が「制度の壁」と呼んでいるのは、王府時代の封建的な「社会体制」と呼んでもよいのではないか。

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