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彼氏を「里」と呼ぶ由来

彼氏を「里」と呼ぶ由来

沖縄民謡では、恋人の男性を「里(サトゥ)」と呼ぶ。「里」の前に「思」をつけて、彼氏への思いの深さを込めて「思里(ウミサトゥ)」と呼んだり、「里」の後ろに「前」を付けて「里前(サトゥメー)」、「思里前(ユミサトゥメー)」と呼ぶこともある。
  例えば、民謡の「かぬしゃまよー」は、男女が掛け合いで歌う。
男性が「♪遊び重ねたる 志情けの夜や 忘るなよ かぬしゃまよ」(遊び重ね、情けを交し合った夜だ 忘れるなよ 愛しい人よ)と唄えば、2番で女性は「♪里行逢て咲ちゃる 草花ややていん かなさしちたぼり」(貴方がいてこそ咲く草花ですから 可愛がってちょうだいね」)と応える。ちなみに、恋人の女性のことは「無蔵(ンゾウ)」という。これは後から説明する。
 男性が「♪咲ち美らさ 思無蔵(ウミンゾウ)よ 胸内にかざって いち迄ん かぬしゃまよ」(咲いて美しい 貴女よ 心の中に深く刻んでいるよ いつまでも 愛しい人よ)と唄えば、女性は「♪誠志情けぬ 里が真心や 変わて呉るな 思里前」(誠心誠意の情けの貴方の真心ですね 変わって下さるな 貴方よ)と応えるいう具合である。
「里」「思里前」3回出てくる。民謡の恋歌なら、ほとんどの曲で登場すると言って過言ではない。そのわりに、彼氏のことをなぜ「里」「里前」「思里」と呼ぶのか、はっきりとした説明を聞いたことがなかった。
 『伊波普猷全集第9巻』の「短歌発生論としての琉球短歌釈義」「性に関する南島の民謡」
を読んでいると、この疑問にこたえてくれる説明があった。
                  024[1]
山里ユキさんの歌う「遊び仲風」にも「里よ」と歌われる
 「性に関する南島の民謡」の説明を少し長くなるけれど引用する。
琉球語の「さとぬし」には、古くは領主の意義があつたが、後には分化して、里主(さとぬし)と里之子(さとのし)となり、前者は地頭家の総領で、定年に達したものゝ称となり、後者は地頭家の子弟で、定年に達した者の称となつた。だが、後には下男下女は勿論のこと,其の他の下々の連中が、この階級の者に対して、里之子と言つたばかりでなく、一般士族をもさう呼ぶようになつた。即ち元服前後の者には、「さとのし小(グワー)」又は「さとのし小前(グワーメー)」と呼び、定年に近くなったものには、「さとのし」又は「さとのしの前(メー)」と呼ぶやうになつた。そして近代になつて「さとのし」から「さと」という語が出来て、(1)お方、(2)お人、(3)あなた、(4)君、(5)殿御の義を生じたが、これは女が若い男若しくは愛人に対し用いる代名詞で、韻文にのみ用いられて、里の字が当てられている。語尾に「思(おめ)」をつけて、「思里(おめさと)」とする時もあれば、語尾に前をつけて里前(さとめ)とする事もある。
 由来、琉球の貴族の家には、其の采邑(注・しま)から年頃の娘たちが、宮仕に来たものだが、狭斜(注・きょうしゃ。遊里、色町)の地に出入りすることを禁ぜられていた貴族の子弟たちは、自然かうした娘たちと性的関係をつけた。彼女等は、前にもいつた通り、その主人の子弟を「さとのし」又は「さとのしの前」といったが、歌などで呼びかける場合には、之を略して「さと前」とし更に略して「さと」としたのが漸次流行して、一般に使用されるやうになつた。…
 200年前の女歌人ウンナ・ナビーの歌に、「恩納嶽彼方、里が生れ島、山もおしのけて、此方為さな」…とあるのを見ると、「さと」といふ語は、(風の下に歹)に田舎の方言にも這入つて、恋人の代名詞になつていたことが知れる。
 
 伊波によると、「里主」はもともと領主の意義があったという。「里の主」だから領主というのは、言葉の本来の意味から関連性がわかる。後に地頭家の総領を「里主」、地頭家の子弟を「里之子」と呼び、さらに、この階級の者や一般士族まで「里之子」と呼ぶようになったという。近代になって、「さとのし」から「さと」という言葉が出来て、恋人の代名詞になっていったという。
  「短歌発生論としての琉球短歌釈義」でももう少し簡略な説明がされている。
首里の貴族の家には、其の采邑(しま)から年頃の娘たちが、宮仕に来たのだが、狭斜(注・きょうしゃ。遊里、色町)の地に出入りすることを禁ぜられた貴族の子弟たちは、自然かうした女たちを自由にしたといはれている。小間使いたちは、若君たちを「さとぬし」又は「さとぬしの前」と呼んだものだが、彼女等の中にも、歌をよむ者がいて、其の愛人に対する代名詞を「さとぬし」としては長過ぎるので、之を略して「さと」と用いたところから、漸次流行して、歌言葉中に取入れられたやうに思はれる。
 「性に関する南島の民謡」は、さらに「里」などの表現が、宮古島、八重山でも使われたことを付記している。 
「思里」が宮古島に輸入されたことは、前のアヤゴでもわかるが「たうがね」というアヤゴには、「さと」も使われている。(略)
八重山の民謡にも、「さと」は「里と寝んぢゆる夜や」とか「里が事や忘らゝん」とかいつたやうに、二三現れているが、外に「袖振らば里之子(さとのし)沉(注・ちん)や伽羅の匂しようれ」」といふのが見えている。奄美大島の民謡には、「さと」の同義語の玉黄金が能く使はれているが、稀に、「しゆしられ」又は思里も見出される。「しゆしられ」は主しられで、そのしられは知られ即ち治者の義を有する語である。
 以上は、琉球の首都で発生した「里」という語が、歌謡を通じて、田舎及び離島に伝搬した状態を見たのであるが、「里」と「里前」とは、兎に角恋人の義に用いられていることがわかる。 だが「里之子」といふ語は、本来の義に用いられているやうに思はれる。
注・「ゐ」は「い」と表記した。

 彼女のことを「無蔵」(ンゾウ)と呼ぶのは、なぜなのだろうか。
これは前にも書いたが、「無蔵」とは、日本語の「無惨」からきている。無惨なことは「可哀そう」に転化し、さらに「可哀そう」が、「可愛い」に転化し、さらに沖縄では「可愛い」のは「彼女」だということで、彼女のことを「無蔵」と呼ぶようになったそうである。「無惨」がまるで無関係は「彼女」となったとは、言葉は面白いものである。
 ついでに、前にわがブログで、彼氏のことは「里」「里前」と言うのは、遊女が、好きな男のことを「里にいる彼」、つまり「里」と呼んだのではないだろうか、と私見を書いたことがある。伊波説によれば間違いなので、この際、訂正しておきたい。

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