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美化された「軍師官兵衛」

美化された「軍師官兵衛」

 NHK大河ドラマの「軍師官兵衛」を面白く見ている。ただ、最近見た「追い込まれる官兵衛」などは、どうも官兵衛が美化されているのではないか、と気にかかった。
 九州・豊前で本領安堵の約束を破られた宇都宮鎮房(シズフサ)が一揆を起す。官兵衛の息子・長政は敵を侮り、城井谷(キイダニ)を攻め、敗北する。官兵衛は宇都宮家と和睦し共存を図った。秀吉は鎮房の帰参を許さず、討伐を厳命する。隣国に出陣していた官兵衛の留守に長政は、鎮房を中津城に誘い出し謀殺する。官兵衛もやむなく、鎮房の嫡男・朝房を手に掛ける。こんなあらすじだった。

 手元にある安藤英男著『史伝黒田如水』を読むと、事情は大分違うようだ。同書から抜書きしてみた。
 如水(官兵衛)は、豊前の一揆を平定した1588年7月、秀吉に鎮房の処置について指示を仰ぐ。「鎮房はひそかに討伐するように。その方法は、そなたにまかせる」と内命を受けた。
 検地を命ぜられ翌年3月、肥後に出張するにあたって、長政に「わしが肥後に出かけたら、留守のあいだに宇都宮鎮房が、挨拶と称して出かけて来るに違いない。そうしたら、城内に導き入れ、謀をもって謀殺するように。なお、人質の朝房は、肥後に連れて行く。これはわしが処分する」と、申しふくめた。
 如水が出かけると、はたして4月18日、鎮房は従士(カチ)200余名を率い、新年の挨拶と称して、中津城下へやって来た。さっそく討ち取る手はずを定め、鎮房を城内に招き入れた。三宝(お盆に台がついたもの)に肴をのせて鎮房の前まで行くと、三宝を投げつけ、これが合図で、斬りつけた。従士たちも家臣が皆殺しにした。
  
 長政は、軍勢を発して城井谷を攻め、鎮房の居館を焼き払い、鎮房の父を捕え殺した。鎮房誅殺の注進が如水のもとに届くと、如水は加藤清正に告げて、清正の兵士たちに朝房の旅館を襲撃させ、朝房を自刃せしめた。
 「けだし宇都宮鎮房を誘殺した一件は、如水の生涯において、もっとも残忍な出来ごとであった」「(鎮房は)如水にとっても、獅子身中の虫である。そこで、秀吉の威光のためにも、また、国内騒擾の根を断つためにも、鎮房を亡ぼすよりほかに仕方がなかった。しかしながら、この一件は黒田家でも、よほど寝ざめがわるかったらしく、後に中津城内に鎮房を祀る社を建てている」
 「なお、この一件は黒田側の史料では、鎮房が如水の留守をねらって、勝手に出て来たといっているが、実際には、長政が賀春の宴にかこつけて、鎮房を招いたのかもしれない。寝ざめがわるかったのは、このためでもあろう」
 
 安藤氏は、史伝を書くにあたって「逸話をふんだんに取り入れて描いてみた」、如水ほど逸話の多い武将は稀であるが、「そこには必ず依るところの文献があり、勝手な想像やフィクションは交えていない」と述べている。
 大河ドラマは、史実通りではなく、フィクションを交えて人物像を造形する。主人公の実像に迫るというより、英雄化したくなるのだろう。ただ、主人公の負の側面を含めて描いてこそ、人間像の深みが出る。その意味で、安藤氏の史伝で描かれた官兵衛の方が、戦国武将としてのリアリティがあることは確かである。
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