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八重山民謡の先師たち

八重山民謡の先師たち

 八重山古典民謡の伝統の継承と発展に功績のあった6人の先師を顕彰する公演が那覇市民会館であった。当日の公演はどれも素晴らしい歌三線と踊りであった。
 当日、立派な冊子が配られた。八重山民謡については、初心者なので、先師とされる方々の経歴と業績を知ることができた。いくつか興味深いことがあった。
 
 先師のトップに上げられるのが、大浜安伴氏である。八重山古典民謡に魅せられ、その伝承と研究に心血を注いだ。「不滅の金字塔」とされるのが、『声楽譜附八重山古典民謡工工四』の上梓である。先人たちが明治の中期から手掛けてきた工工四(楽譜)の編纂事業を継承、不備を一掃し、大胆、積極的に改革した「八重山古典民謡の工工四が演奏と完全に一致した初の教本」(糸洌長良)と評された。すぐれた実演家、指導者でもあった。多くの門弟を育成し、「八重山古典民謡保存会」は、安伴氏を頂点として結成された。
 「いわれのない誹謗・中傷を受けながらも信念を貫き、八重山古典民謡史に不滅の金字塔を打ち建てた」(「先師顕彰公演」冊子)。
 
 ここで「いわれのない誹謗・中傷」とされる問題については、別途後から触れたい。
 顕彰される6人の先師とは、安伴氏のほかその妻で、優れた「歌姫」だった大浜みねさん、安伴の最大の理解者・支援者だった糸洌長良氏、安伴の音楽活動を推奨し支援した森田孫栄氏、安伴門下で那覇支部初代支部長に就任した並里吉昭氏、安伴の忠実な継承者だった通事安京氏である。
 冊子は、各氏の業績を紹介しているが、通事氏の項で少し興味深い記述があった。「安伴は自らの心血を注いで教本=工工四を出版したにもかかわらず、門弟たちが師匠と向き合うことなく工工四に頼ろうとする安易な学習姿勢を許さなかった」。
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                   先師顕彰公演の冊子から
 通常は、心血を注いだ教本ができれば、その教本を基本に学ぼうとするのは当然のことではないかと思いがちだ。それは西洋音楽的な感覚である。八重山民謡や本島民謡の場合はまったく事情が異なる。
 「伝統歌謡の神髄を習得するには、師匠と弟子が向き合い師匠の姿勢・表情・声・口形・運指等に全神経を集中すべきだと安伴は強調した」という。
 確かに、教本が完成したからといって、それだけを頼みに練習するのであれば、師匠に学びにくる必要はない。自宅で練習すればよい。でも、それでは決して神髄を会得できない。教本はあくまで三線と声楽のスタンダードな音程を示しているにすぎない。「伝統歌謡の神髄」が教本ですべて理解できるわけではない。歌三線の場合、「師匠の姿勢・表情・声・口形・運指」などを通して、微妙な表現や奥深い味わいは、伝わるものだ。
 
 通事氏は、「ここでも安伴師匠の指導方針をひたすら厳守し、工工四には目もくれず門弟が稽古場に工工四を持ち込むことを潔しとしなかった」。
 とくに、八重山民謡の場合、「八重山古典民謡の生命線」とも呼ばれる石垣語特有の「中舌音(ナカジタオン)」の存在がある。「い段音」と「う段音」の中間音であり、「い段」の口形で「う段」の音を出すと中舌音になるという。これが、きちんと発音できてこそ、八重山古典民謡の世界が表現できる。
 ところが、説明を受けても、なかなか発音できない。先生の口形、発音を直接見て学ばなければ、絶対に習得できない。通事氏は「ごく自然に発音出来る稀有な存在」だったという。

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