レキオ島唄アッチャー

美栄橋駅付近の史跡、「上り口説」に登場する美栄橋

 美栄(ミエ)橋
 民謡の「上り口説」(ヌブイクドゥチ)は、首里王府から薩摩(鹿児島県)に向かう旅の情景を歌った曲である。口説は、75語で歌われる軽快な大和的な曲調である。その3番目の歌詞に美栄橋が登場する。
 「♪美栄地(ミイヂ)高橋 打ち渡てぃ 袖を連にてぃ 諸人ぬ 往くも帰るも 中ぬ橋」
 琉球王府のこの時代、まだ島だった那覇には、海中道路である「長虹堤」を通って行った。崇元寺から「長虹堤」を進むとこの美栄橋を渡る。
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 歌詞には、首里を出発して、観音堂で航海安全を祈り、大道松原を通り、崇元寺前を過ぎて、長虹堤に入り、美栄橋を渡り、見送りの家族らも袖を連ねて、通り行く様子が歌われている。
 
 モノレール美栄橋のたもとに、「新修美栄橋碑」がある。案内板から紹介する。
 いにしえの那覇は「浮島」と呼ばれる島だったため、首里との交通は不便だった。
 そこで尚金福王は1452年、中国皇帝の使者である冊封使(サッポウシ)を迎えるにあたり、国相懐機(コクソウカイキ)に命じて、崇元寺前からイベガマ(現那覇市松山1丁目付近)に至る約1キロの「長虹堤」という海中道路を築かせた。「長虹堤」には3つの橋が架けられていたといわれ、美栄橋はその内の一つである。
 那覇が発展していくに従い、美栄橋は手狭になり、さらに上流からの土砂が橋の付近にたまって浅くなってしまった。そのため、川を浚え、橋を架け替えることになった。
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 1735年10月8日に着工、翌年2月6日に竣工した。その経緯を記してあるのがこの石碑である。工事に要した費用なども記され当時の経済状況を知ることができるという。
 その後、美栄橋は1892年に改修されたが、沖縄戦で破壊された。しかし、碑文だけは原型をとどめ、付近の民家に保管されていたものを現在地に移して保存している。
 沖縄には、このような史跡と石碑がたくさんあるけれど、沖縄戦でその多くが破壊されたなかで、美栄橋碑のように、碑文は原型を止めて保存されているのは珍しいのではないだろうか。

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