レキオ島唄アッチャー

美栄橋駅周辺の史跡、泊塩田跡

 泊塩田之跡碑
 
 モノレール美栄(ミエ)橋駅から歩いて2,3分のところに前島中公園がある。公園の奥に「泊塩田之跡碑」が建てられている。
 琉球王府の時代、前島のこの付近は潟原(カラバル、干潟)が広がり、製塩が行われていたという。いまは、公園の回りはビルが立ち並び、干潟だったことや製塩をしのばせるものはない。この碑だけが、かつて先人たちがマース(塩)つくりに汗を流した地であることを物語っている。
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             前島中公園
 泊の製塩については、興味があった。たまたま、美栄橋駅付近の史跡・旧跡の案内板を見ていると、潟原と塩田跡のことが紹介されていたので驚いた。塩田はもっと西方の現在の海岸よりに近い場所か思い込んでいたので、現在では内陸にあたる美栄橋付近まで塩田があったとは予想外だった。
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 泊塩田之跡碑の碑文は、簡略に次のように伝えている。
  「300有余年の沖縄製塩史日本復帰と共に終る。祖先の偉業をしのびこの碑を建立す」
 1972年(昭和47年)5月15日、泊製塩業者の子孫、前島青年代表、とまり会役員が建立者として名を連ねる。
 沖縄の日本復帰がなぜ、沖縄製塩史の終焉なのか。それは次のような事情がある。
 沖縄の本土復帰に伴い日本政府の政策上、塩の製造は廃止された。米軍統治下で塩の専売法がなかった沖縄にも、塩の専売法が適用されることになった。泡瀬(沖縄市)、与根(豊見城市)、泊(那覇市)など県内各地にあった塩田はすべて廃業せざるを得なかった。それまで約300年もの間、沖縄で造り続けられてきた「島の真塩(シママース)」はことごとくその姿を消すこととなった。
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                かつて塩田のあった前島(現在の前島中公園周辺)
 1997年に塩の専売制が終わり、2005年には完全自由化され、現在海水100%からの製塩・販売も自由になったという。
 以上は「日本ソルトコーディネーター協会」HPから紹介した。

 泊塩田については、後日、別にブログにアップする。
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