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美栄橋駅周辺の史跡、長虹堤

美栄橋駅周辺の史跡

 那覇市のモノレール美栄(ミエ)橋駅の周辺はいくつもの史跡がある。駅前の広場に史跡・旧跡の案内板が建てられている。いくつか見た史跡もあるが見ていないものもある。
                            
 海に架かった長虹堤
 美栄橋駅周辺の歴史は、琉球王国時代の「長虹堤(チョウコウテイ)」の築造に始まる。長虹堤は、1451年に築造された崇元寺(ソウゲンジ)からイベガマ(久茂地のチンマーサー)に至る長さ約1キロにおよぶ浮道(海中道路)のこと。美栄橋はこの道のほぼ中央に架けられた石橋である。
 注・チンマーサーとは、土や石を積みめぐらせ円形に盛り上げたところ。ガジュマルや赤木を植えてある。里程標と見られる。
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明治初期の長虹堤一帯(美栄橋駅周辺の史跡案内板から)

  長虹堤築造以来、昭和戦前期に至るまで首里・那覇の往来には主にこの道が利用された。また、築造により安里川から流れ出る土砂が河口に堆積して干潟が形成され、ここで製塩業が営まれた。近代に入ると、崇元寺橋付近には漆喰屋、瓦葺職人が集まり、美栄橋からチンマーサーにかけては線香屋が軒を並べ、鍛冶屋も数多くあった。現在でも、長虹堤跡の一部が残っているという。
  那覇は海に浮かぶ「浮島」であったため、長虹堤を築造する以前、中国皇帝の使者冊封使(サッポウシ)が来琉する際には、那覇から安里まで小船を並べて橋にしたという。
                  から1700古地図、県立図書館
1770年以前の海岸線(県立図書館貴重資料デジタル書庫から)

 1451年、国王尚金福(ショウキンプク)は、国相懐機(カイキ)に命じて、那覇・安里を結ぶ道を造らせた。懐機は、この工事は海が深く波が高いので、神の御加護が必要だと、祭壇を設け二夜三昼祈願した。その結果、水が引き海底が現れたので、人民を動員し、崇元寺橋からイベガマに至るまで、石橋七座を設け浮道を完成させたという。
1633年、来琉の冊封使杜三策の従客胡靖(コセイ)は、この浮道を「遠望すれば長虹のごとし」とうたい、それ以降「長虹堤」と称された。
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              戦前の長虹堤跡(美栄橋駅周辺の史跡案内板から)
 長虹堤は、1451年以降、明治期まで首里・那覇を結ぶ主要道であったが、1914年首里・那覇間を走る電車の開通(1933年廃止)や、1934年新県道(現国際通り)の開通により、主要道としての地位は低下した。さらに沖縄戦や戦後の都市開発により、現在ではかつての様子を知ることは出来ない。わずかに長虹堤跡の道が残されている。
 残されているという付近をめぐってみたが、案内板もないのでわからないままだ。

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