レキオ島唄アッチャー

国境の島・監督が行き届かない面もあった

 監督が行き届かなかった面もあった
 与那国島で、八重山の他の地域と異なるのは、遠海にあるため飢餓や異国船の漂着に対処できるように、食糧の備蓄を求めていることである。
 『翁長親方八重山島規模帳』には次のような記述がある。
 「与那国島は海を遠く隔てているので、貯穀などして飢餓あるいは領内に異国船や他国の船が漂着した時など差支えのないよう取り計らわなくてはならず、以前から仰せ渡されていることでもある」
ところが、備蓄を命じても思い通りにはいかない現実がある。
 
 「しかし百姓らはこの思慮がなく、穀物に余裕があれば、貯えのつもりもなく、ただ食いつくすというが良くない。詰役人らは十分に気を付け、無益な出費はもちろん、日常の消費もずいぶん倹約し、穀物・諸品ともなるべく貯え置き、異常な事態が発生しても差し支えのないよう、取り締まりを厳重に申し渡すこと」
 「無益な出費」を止め「倹約」するよう命じても、「貯え置き」ができないのは、百姓の「思慮がない」まま「ただ食いつくす」からだろうか。それよりも、未納が多いことに示されている通り、重税で貧しい暮らしを強いられていて、貯えに回すような余裕がなかった、というのが主要な原因ではないだろうか。
 
 『与那国島―町史第三巻~歴史編~』の北條芳隆著「与那国のあけぼの」は、「与那国島民に対して徹底した徴税は控えた可能性が高いとみるべき」であるとしている。また「この島への漂流船に対する救済を怠らないよう相応の食糧備蓄」のために「むしろ領海・領域の保全に重点が置かれたものであった可能性すらある」と指摘している。
 すでにのべたように、与那国島が国境の島だから、「領域保全」のため百姓たちへの徹底した徴税を控えたという解釈については、私的には別の立場をとりたい。
 与那国島で「上納は出来高による」といった解釈で上納しないとか、未上納が増加するといった事態となったのは、徹底した徴税を控えたからではなく、与那国島が遠く隔てた離島で、監督が行き届かないことに主な原因があるのではないだろうか。それは『規模帳』でも認めていることだ。王府が「徹底した徴税を控えた」のか、「徴税は徹底したいが行き届かなかった」のかでは、大きな相違がある。
 
 北條氏は、村詰めの役人が石垣島まで渡海して詳細な経過報告をさせるように、と指示するに留まった」と見る。経過報告だけすれば、現実には未納の取り立てをしないというような、いい加減な対策で終わったとはとても思えない。それでは、王府から八重山まで検使が派遣され、監督を行い、対策を布達する意味がない。
 すでに、八重山全体の上納不足と借金滞納などへの対処方針は再三にわたり明確にされている。一人ひとり個別に不足高など詳しく記して、本人と面接して照合し、その結果を申し出るよう厳重な取り締まりを命じているということは、個別に徹底した徴税を行い、その結果まで報告を求めていることの表れではないだろうか。
                      
 動画は、与那国島に派遣された役人と現地妻との別れの悲哀を歌った名曲「与那国ションカネー」(歌は大工哲弘)
 
 実際に、「当時の村番所は税の取り立てと百姓を呼び出して苛める所であった」。与那国島の古老たちは、1885年ごろの納税の有り様をこのように語っていた(池間栄三著『与那国の歴史』)。百姓一人ひとりを厳しく追及した様子がうかがえる。
 ただ、それでもなお、上納不足や借金の滞納が増加するといった現実が解消されるわけではない。そこには、不作、凶作であっても定められた年貢の上納を命じる人頭税の本質がある。もう一面では、遠隔の地として、監督が行き届かないという行政面での脆弱さも依然として解消されない現実があったのではないだろうか。
 
 『翁長親方八重山規模帳』には、行政の不手際について、次のような記述もある。
 「与那国島の詰役が交代する時、引継ぎする前任者は年貢・諸納物の取納にかかわらず、そのため後任の役人は着任後間もなく上納物の段取りがわからず、指示が届きかね、人によっては上納物が不足しても前任者の不手際の故にし、そのままにする者もあった」。役人交代の際の引き継ぎの不手際と無責任さが上納物不足を生み出していたことがうかがえる。
 そこで前任・後任の役人が立会い上納物の収支の照合をするように改めた。しかし、これだと、帰る時期が遅れ、年越しも珍しくない。このため後任者が赴任すれば諸上納物の収受予定を引き継ぎ、両者が田畑を見分し、米粟の位つけをすれば、前役も逗留する必要はなく、早く帰帆しても差し支えないということになった。
 上納米の扱いをめぐって面白いのは、役人の目を盗んで上納を誤魔化すこともあったことだ。役人の中でも、一族の威光で能力があまりなくても派遣されていた者がいた。番所の小使い役で計算に明るい者がいると上納米の計算を誤魔化されていたこともあったという。
  
 また、稲刈りが終わると、上納用として、乾燥した稲束を積み重ね、シラ(稲倉)を作った。稲倉を作る日に、村の世話役達は現場の屋内に立会いの役人を招じて、山海の珍味を供し、女を侍らして大いに歓待しながら、屋外では、斤量を誤魔化して、未納者がないように工夫していた(池間栄三著『与那国の歴史』から)。
監督が行き届かないとか行政の不手際に加え、役人の目を盗んで上納を誤魔化すという抜け目のないやり方も横行していたことがうかがえる。
 監督が徹底しないことにかんして、与那国島は、遠海の地であり「順繰り交代」のため「役人としてふさわしくない者」「高齢の者」が就任するという問題もあったという。これでは、監督指導はいっそう行き届かなくなるだろう。
 与那国島の役人体制について、後からもう一度くわしく検討したい。
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