レキオ島唄アッチャー

那覇の織物事情(下)

 織物の産地、小禄・垣花・泊
 那覇の織物事情の続きである。『那覇市史資料編第2巻中の7 那覇の民俗』から紹介する。
1900年(明治33)に琉球織物組合が設立されると、内地の織物の技術導入がひんぱんになり、織物を専業とする地域、小禄、垣花、泊など分業の形で反物が生産された。
 小禄では、主に金城(現在の田原)が織物の中心地で、6軒のスミヤー(染め屋あるいは紺屋)があった。
垣花には、現在の桟橋あたりに染め屋があった。
 泊の染め屋は58号線添いに多かった。
 この3地域は、全工程を一貫して女性の手でやる内職的な織物が次第に合理化され、分業化して、男性の下拵えによって、女性は各家庭にて出機をやり、一反に対する織賃をもらうという方法に変わっていった。そのころから織機も地機(ジバタ)から高機(タカバタ)へ移っていった。
 近代化されていった地域もあるが、依然として、母親から伝授した古い伝統技術によって、家族のものや、徳別誂えのチーユーを、やはり母親からゆずり受けた地機で織っていた。地機は戦争直前まで、かなり使用されていた。
 普通一般に行われている工程の特徴は、藍染めをスミヤー(染め屋あるいは紺屋)に出す以外は、すべてみずからの手でやったということである。
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                    地機(石垣市立八重山博物館)

 泊の織物事情
 織物産地のうち、泊の織物について,『泊誌』から紹介する。
 泊の織物の起源は、はっきりしないが琉球王府時代からあったと考えられる。
 泊でも織物は、従来の各家庭だけで生産されていた
 1901年(明治34年)に那覇区織物業組合が結成され、検査制度を実施して新販路の開拓をはかるようになったため、次第に工場経営化されるようになった。
 1908年(明治41)、国吉染織工場が設立され、職人数13名を数えた。那覇市唯一の織物工場であった。
 昭和の初期では、泊織物工場があり、織機(タカバタ)が20台くらい、主に絹壁上布が織られた。(注・絹壁上布とは、凸凹のある壁糸と呼ばれる糸で織った絣織物)。その他、町端に真栄城工場があり、織機10台くらいを設備していた。各家庭でも織機を備え、主に木綿カスリを生産した。
 当時、泊の全生産高は月600~700反くらいで、市内でも垣花と並んで有名な織物の産地であった。
 泊の各家庭はほとんど高ハタ(高機)を備えていたが、嫁入り道具とされていたのではないか。工場で賃金は1日30~50銭しかもらえないが、自家で製作すると約1円の手間はあった。しかし、原料購入資金がないので、工場に雇われる人も多かった。各家庭で生産された反物は行商人が買い上げ、検査の上、本土に移出された。
 琉球織物には、絹上布、麻上布、芭蕉布、毛糸織、木綿織など各種類があった。最も多量に生産されるのが、絣織物(全琉の90%くらい)だった。
 泊の織物に関連して、大正から昭和にかけて染屋15世帯、絵図師25名くらいもいたという。
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                      これは「久米島紬」(久米島紬の里ユイマール館)
 民謡では「三村踊り節」で次のように歌われる。
 「♪小禄、豊見城、垣花三村 三村ぬアン小(グヮー)達が 揃とうてぃ 布織い話 あやまみぐなよ 元かんじゅんど」
 「小禄、豊見城、垣花の3つの村の 女性たちが揃って 布織の話をしている 布の模様を間違えるなよ 元がとれず損するぞ」
 この歌は、布織、製塩、遊女、魚売り、酒造りで共通する3つの村の女性や青年がそれぞれの物産と仕事の話をしている情景が歌われている。『那覇市史 那覇の民俗』では、小禄、泊、垣花という那覇市内の産地が紹介されているが、「三村踊り節」では、布織の産地として泊に変わって豊見城が入っている。
 この曲を歌っていると、各地の特産品が改めて分かって、とても面白い。

 もう一度、『那覇市史資料編第2巻中の7 那覇の民俗』から紹介する。
 沖縄の織物が発達した大きな原因は、染料植物に恵まれ、古くから天然染料が使用できたことにある。
 身分によって衣服の色、文様に違いがあった。 
 1600年以後の琉球王府が衣服の文様や色を、身分階級によって指定したため、明治時代になって、階級制度が廃止されたにもかかわらず、その名残は戦争直前まで続いた。
 元那覇地域のイエーキンチュ(金持)が、首里の士族階級の着る色や柄を織って着ると、ユカッチュフーナーシ(士族のまねごとをして)といって、うしろ指をさされたという。
 藍染めや白地は庶民の色、その他の色物は王族や、士族の着用するものであった。一般大衆に馴染み深いものは、藍染めであり、藍はカリーナムン(縁起物)といって階級の上下なく、万人に愛されたという。

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