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那覇の織物事情(上)

那覇の織物事情

 王府時代の織物は、八重山や宮古島、久米島は人頭税、年貢として貢納を義務付けられ、女性たちがとても苦労したことが、民謡にも歌われ、史書でも詳しく書かれている。しかし、沖縄本島でも各地に伝統ある織物があるわりに、民謡で歌われた曲が少ない。代表的なのは「芭蕉布」だけれど、1960年代に作られた新しい曲だ。王府時代の織物について、不勉強もあって、よくわからないところがある。
『那覇市史資料編第2巻中の7 那覇の民俗』を読んでいると、那覇の織物について、少し記述があったので、以下かいつまんで紹介する。
                   かすりの里
                       南風原の「琉球かすりの里」
 自家用の布は家庭で織る
 沖縄の織物は、以前は原材料をみずから作り、織物の全工程をそれぞれの家庭内で行ない、おおかた自家用の布を織っていた。
 首里は、織物の種類が数多いが、繊維つくりから一貫作業でやっていた点で、第一に上げられるのが、芭蕉布である。
首里は、旧貴族、士族の広い屋敷の家が多く、屋敷内に芭蕉布が栽培されていた。働き手のある家庭はみずから芭蕉の伐採をやるが、手不足の家庭は、専門の「ウーヒチャー」(伐採、皮はぎ、アクだき、表皮の不純物の取り除きまでやる人)に頼んだ。
 城間ツルさんの場合、城間家は芭蕉を紡ぐ専属の人がいて、あまり上手でない人には外皮、上手な人には中皮と、それぞれよりわけをして紡いでもらい、一番芯に近い中ウーだけは、お母さんがみずから糸を紡いで、最高の自家用を織ったという。
 絹も首里では、たいていの家で自家用のために少量ずつ養蚕をやっていた。
家の裏座や座敷の一間を利用しての養蚕で、繭ができあがると、約10日以内に鍋に湯をたっぷり沸かし、繭を煮る。ユウナの葉の裏で繭の表面をなでつけると、糸口がついてくる。その細い糸を20本くらいずつ木枠に巻くザグリに巻き込んでいく。生糸に撚りかけして、夏物の絹上布を織ったり、白生地を織って、型付をさせたりした。
 女のたしなみとして、誰もが、ごく普通に機織りを行っていた。それらは、大方、家族の着るものの他に、上手な織り手は、他人のチーユー(個人の徳別誂え)も頼まれたという。

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