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「親見世日記」を読む。唐船の鉄砲稽古

 琉球から中国へ向けて唐船(とうしん)が出港することになれば、武器を使った訓練を行った。渡海の途上で海賊に襲われる危険があったからだ。渡唐船に乗り組む要員は、海賊に襲われれば、みんなが防御のために闘わなければならない。そのために、渡唐船に乗る要員を対象として、武器の訓練は重要な任務だった。大砲、鉄砲は薩摩から借りた。 
            唐船
           琉球から中国に渡った「唐船」を再現した船(読谷村)

 8月26日付けでは、鉄砲稽古を行うことが記されている。
 
一、渡唐役者の鉄砲稽古が行われるので、四つ時分(午前10時頃)に問役(注・親見世の下級役職。出入港する船舶に関する業務を担当)の仲里筑登之(ちくどぅん)を通じて御与力の取り次ぎで御奉行へ御連絡した。御横目と御附之衆に対しては仲里筑登之が直接御連絡して、御奉行様を始め、御横目と御附之衆がお出でになった。御物城(注・おものぐすく。親見世の次官格)の崎山筑登之親雲上、筆者(注・書記官)の長浜筑登之親雲上、親見世筆者の我那覇、里主、問役の仲里筑登之、若筆者3人が出向いて旧例に従い勤めた。
一、出仕番詰めは筆者の賀手納筑登之親雲上が務めた。
 鉄砲稽古をする際は、薩摩の御奉行に連絡して、薩摩の役人らが立ち会ったことがわかる

 8月27日付けは「渡唐人数の鉄砲稽古が行われるので大和横目(親見世の下級役人。那覇士族が就任した)の今帰仁筑登之親雲上、問役の伊波筑登之が出勤した。この時、御奉行は来られなかったので、役人(里主・御物城)と筆者は出勤しなかった」と記す。
 同28日付けは「渡唐衆の鉄砲稽古は昨日と同様に行った」との記述がある。

注・筑登之(ちくどぅん)は、琉球の身分制度のもとで、一般身分の士で主に下級官吏の役職に就いた。これに対し、里之主(さとぬし)は、大名(貴族にあたる)の按司(あじ)・親方(うぇーかた)系で要職に従事した。
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