レキオ島唄アッチャー

王府時代の那覇の史跡を歩く、天使館

 天使館(てんしかん)跡

 親見世の北東側に天使館があった。
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 琉球王国時代、中国が派遣した冊封使(天使)のための施設・宿舎。一般に館屋(くゎんや)と称した。創建年代は不明だが、16世紀前半には確認される。冊封使の渡来は三山時代(琉球は北山、中山、南山の3国に分立していた)から1866年まで都合23回を数えた。正・副使以下400~500人が夏から冬の約半年間滞在。崇元寺で故国王を弔い(諭祭)、首里城で新国王を冊封した。国王一世一代の大行事であった。
 1719年に来琉した冊封副使の徐葆光(じょほこう)は『中山伝信録』(原田禹雄訳注)で、天使館について次のように記している。
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 屋敷はみな中国風である。外柵がめぐらされ、柵の内に東西に門と、それぞれ四楹(えい、柱のこと)の房とがある。旗竿の上には、「冊封」の黄旗がかかげられ、これが二つ。八角の鼓楼が左右二カ所。大門の内側にはそれぞれ六楹の役房が東西にある。儀門の上には「天沢門」(天使の恩沢の意)の三字の額がかけられている。前明の万暦年間(明代の1601年来琉)に、使臣の夏子陽が書いたものだが、消えてしまった。私たちが、その上に補書した。大堂の前庭は広さは数畝。陪臣はここで礼をおこなう。
 徐葆光によれば、天使館のそばには、経理事務所があって7つの司にわけられていた。
 「館務司(宿当)」は庶務担当、「承応所(用聞)」は施設管理および調度の担当、「掌牲所(平等)」は羊、豚、鶏、家鴨の供給などの担当、「供応所(百次)」は酒、米、野菜の供給などの担当、「理宴司(振舞)」は七宴(王府が冊封使をもてなす7回の宴会)の担当、「書簡司(墨当)」は諸帖のやりとりなどの担当、「評価司(評価)」は唐人持渡品の価格を評定し、それに応じて買い上げ支払いなどを担当する。それぞれ役人、要員が配置されていた。

 冊封使が滞在する時の他は、通常その一部が砂糖座(さとうざ)として用いられ、砂糖の収納・薩摩への送り出し、砂糖樽の製造が行われた。
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                 旧那覇市役所

 沖縄県設置の後、1896年には那覇区役所(後に市役所)となり、1917年には新庁舎を建てていたが、沖縄戦の前哨となる1944年10月10日の大空襲で破壊された。
 現在、東町郵便局の隣の那覇地域産業保健センターの一角に案内板が建っている。


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