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元が来襲した瑠求は沖縄か、その2

 瑠求の近くには黒潮が流れる
 汪楫は、「中山沿革志序」のなかで、琉球は『隋書』でも『宋史』でもみな琉求という。『元史』になると瑠求という、とのべており、瑠求とは自分が冊封使として派遣された琉球(沖縄)であることを認識した上で記述している。
『中山世譜』の記述は、『中山沿革志』の記述とよく似ており、蔡温が元の襲来についても、この史料をもとに加筆、修正した可能性がある。また『中山沿革志』は、『宋史』や『元史』をもとにして記述したのではないだろうか。
 『元史』外夷列伝には、元が軍を派遣した瑠求は、台湾か沖縄かを見る上で手がかりとなる重要な記述がある。 
 それは、瑠求のあたりに黒潮が流れていることを強調していることである。『元史』外夷列伝の冒頭部分を意訳する。
 <瑠求は南海の東にある。 漳、泉、興、福四州の境界である澎湖の島々は、瑠求と相対する。 天気がよければ煙のようにかすかに見え、何千里も離れています。 西と南の海岸は水であり、澎湖は徐々に低くなり、瑠求の近くに落漈(黒潮)がある、落ち込んだ水は戻ってこない。 西岸の漁船が澎湖の下で、台風が襲い、漂流し黒潮に流されると、百に一つも帰って来ない。 瑠求は,外国で最も小さく危険な者である。>
 注・「澎湖の島々は、瑠求と相対する」については後から検討する。

 原田禹雄氏は、現代語訳『汪楫 使琉球雑録』の訳注で次のように指摘している。
 <中国人は黒潮を「黒溝」とも「落漈」といって非常に恐れた。『元史』外国列伝に「瑠求のあたりに落漈があり、台風で落漈に漂流すると百に一も帰れない」とあって、歴代の天使もおそれていた。…閩の海と、琉球の海の境(つまり郊)に、黒水溝があり、滄溟とも東溟ともいう、というのが中国人の考えであったようだ。>
 黒潮のことを冊封使は「郊」とも呼んでいた。
 「夕暮れ、郊(溝と書かれることもある)を過ぎた。風と波が激しくなった」(『汪楫 使琉球雑録』)。この「郊」は「都城の外」「国境」「はずれ」の意味がある(原田禹雄氏の訳注)。つまり黒潮は、中国の海と琉球の海の境界と見ていたことを示している。
 黒潮はフィリピンの東沖から台湾の東沖を進み、台湾与那国島の間を抜けて東シナ海を北上する。中国から琉球諸島に渡るには、必ず黒潮を越えなければならない。だが、中国と台湾の間に黒潮は流れていない。「瑠求」が台湾であれば、黒潮は関係がないのではないだろうか。

 ちなみに、から国王認証のため琉球に來る冊封使は、福建省の福州を出て、台湾の側を通り、尖閣諸島、久米島、慶良間島の島影を目印に沖縄にやって来たという。
 黒潮あたりで波が風が激しくなった時、冊封使はどのような対策をしたのだろうか。
 「生きた豚と羊を1匹づつ(犠牲として海へ)投げ入れ、5斗の米粥をそそぎこんで、紙錢を焚いた。船では、鉦をならし、太鼓をうち、軍人たちは武装して、抜身の刀をかまえ、舷(ふなばた)から(海を)のぞきこみ、敵をふせぐかまえをした。これを長時間おこない、やっと(風と波は)やんだ。…供物をさかんにしたことと、武備に威厳があったことの二つで、救われたのだということである」(『汪楫 使琉球雑録』)。
    「屋久島の気象・気候」から
        黒潮の流れ(「屋久島の気象・気候」のサイトから)

 黒水溝は台湾海峡も流れていた
 ブログで一度アップした「元が来襲した瑠求は沖縄だった」では、黒潮は台湾海峡を流れていないことを根拠にして、『元史』外国列伝の瑠求は「台湾ではありえない」と結論づけていた。これにたいして、「黒水溝はもともと台湾海峽のが先に有名になり、汪楫から以後は台湾以東の黒水溝が注目されるやうになりました。元朝の黒潮の記述を以て沖繩來寇の根據とするのは無理です」というコメントをいただいた。
 黒水溝が台湾海峡を流れていたことはまったく認識していないままブログにアップしていたので、再アップに際してこの結論部分は削除した。
 
 その後、台湾海峡の黒水溝について資料を読んでみた。とりあえず現段階の認識を書いておきたい。
 ここで台湾海峡とはどういう海峡であるのかを見ておきたい。
 <海底地形はすこぶる不規則である。海峡の水深は深くなく、半分の水域の深度は50m以内である。西側は比較的浅く、中部と北部とは比較的深く、東南部が最深となる。海底はいくつかの地域で海面より上に現れ、澎湖諸島のような島や浅瀬を形成している。海峡の南北両端にはそれぞれ1本の水道があり、深海に通じている。(ウィキペディア)>

 台湾海峡は「黒水溝」と呼ばれ、多くの移民が台湾海峡を横断していて海難にあった。台風に遭遇すると、漂流して漈(みぎわ、海底の裂けて深くなったところ。)に落ち、黒水溝の危険を知ったという。「落漈」(黒水溝)とも呼ばれていた。
 台湾海峡が「黒水溝」と呼ばれるのはやはり海の色は黒く、流れは早いという。
 海峡の場合、それほど深い海でなくても、気象条件が悪い場合は、海難事故が起きる。
 中国側で「黒水溝」という場合、台湾海峡の黒水溝と、東シナ海を北上する黒潮の二カ所あることになる。
 <黒水溝は、歴史的に帝国と、その属国である琉球王国との境界線です。 黒水溝は古称で、現在は「中琉海溝」や「琉球海溝」と呼び、南シナ海溝(Nansei-Shoto Trench),琉球海槽 (Okinawa Trough)とも呼ばれています。‎
‎また、古代書に登場する黒水溝の多くは、台湾海峡を流れる台湾暖流を指しています。 台湾暖流は、北から南へ台湾海峡を流れ、暖流の海は暗い色で、したがって、黒水溝と呼ばれています。 流速が速いので、海峡の両側の海上交通に一定の障害がある。 だから、古代は台湾に航海するのに黒水溝を恐れた。‎(中国語ウィキペディアから、)>
 台湾海峡の黒水溝は、黒潮ではないことは当然である。
 

 
     
              
 
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コメント

黑水溝はもともと臺灣海峽のが先に有名になり、汪楫から以後は臺灣以東の黑水溝が注目されるやうになりました。元朝の黑潮の記述を以て沖繩來寇の根據とするのは無理です。
2021-03-20 Sat 07:50 | URL | いしゐのぞむ [ 編集 ]
いしゐのぞむさん。
コメントありがとうございました。
台湾海峡も黒水溝と呼ばれたことを教えていただき感謝です。
 「黒水溝」という場合、台湾海峡のことと沖縄との間の黒潮のことを指す場合と両方あるとは、複雑ですね。
 このことについて、勉強していきたいと思います。 
 
2021-03-20 Sat 10:14 | URL | 沢村昭洋 [ 編集 ]

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