レキオ島唄アッチャー

「あがろーざ節」は宮古から伝わった

 「あがろーざ節」は宮古から伝わった

 八重山民謡の「あがろーざ節」は子守唄の名曲である。曲の題名は「東里(アガローザ)」という地名からきている。だが、その由来をめぐってはいろいろな見解がある。石垣島には東里という地名はないようだ。この曲の歌詞に登場する地名は、石垣市の中心地、登野城(トノシロ)である。東里は登野城の異称として使われている。だが、登野城のことを東里と呼ぶというのは聞いたことがない。
 この曲は、宮古民謡の「東里真中」とよく似ている。しかし、惜しくも亡くなられた仲宗根幸市氏は、「東里真中」と「あがろーざ節」は同名異曲であるとする見解である。
 八重山民謡の権威、喜舎場永珣氏は「鷲ぬ鳥」の作者である大宜味信智氏が、自分の村(大川村、現石垣市)の東の里、すなわち登野城村に伝承されていた子守唄から取材して作歌作曲したと伝わっている(『八重山民謡誌』)という。また、東里とは「自分の村の東の里」という見解は、とても苦しい説明だ。
 喜舎場氏は、この曲が宮古に伝わったという伝承があるともいう。
 私が入っている八重山民謡のサークルの先生は「あがろーざ節は宮古からきた歌だそうです」とおっしゃった。
 改めて「東里真中」の歌詞をよく読んでみた。これは明らかに、宮古民謡が元歌であると確信した。歌詞の内容を比較し分析してみたい。
                   美崎御獄
    石垣市登野城にある美崎御嶽。歌とは関係ない
 初めに「あがろーざ節」を紹介する。歌詞は長いので、少し抜粋して歌うのが通例である。
♪あがろーざぬんなかにヤウヤウイ 登野城(トゥヌスィク)ぬんなかにヤウハリヌクガナ
♪九年母(クニブ)木ば植べとぅーし 香さん木ばさしとぅーし ※ハヤシは同じ
♪九年母(クニブ)木ぬ下なか 香さん木ぬ下なか ※ハヤシは同じ
♪子守りや達ぬ揃る寄てぃ 抱ぎな達ぬゆらゆてぃ
♪腕ば痛み守りひゅうば かやば痛みだきひゅうば
♪大人ゆなりとーり 高人ゆなりとーり
♪墨書上手なりとーり 筆取るい上手なりとーり
♪沖縄旅受けおーり 美御前(ミョウマイ)旅受けおーり
 歌意は次の通り。
♪東里村の真ん中に 登野城の真ん中に
♪ミカンの木が植えてあり 香り高い木が差してあって
♪ミカンの木の下に 香り高い木の下に
♪子守達が寄り集まり 子を抱く娘たちが集まって
♪腕が痛むほど子守し 手首が痛むほど子守し
♪大人になりなさい 偉い人になりなさい
♪よく学問を学びなさい 勉強して立派な人になりなさい
♪沖縄本島への旅を受けなさい 首里王府への旅を受けなさい
 この歌詞は「子守が寄り集まり」の部分から後は、とてもよくわかる。お守りをする子どもの健やかな成長とよく学問をして立派な人になる、出世をすることを願った内容である。でも、問題は初めの歌詞である。「東里」が石垣の地名にないこと。歌の舞台が登野城なのに、大川から見て「東の里」というのは、あまり説得力がない。八重山民謡では、「ミカンの木、香り高い木」というように、対句がよく使われる。同じことを別の言葉で表現するのだ。でも登野城と東里は、同じ地域を指す地名とその異称ではない。
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              同じく美崎御嶽
 もう一つ、「ミカンの木が植えてあり」「ミカンの木の下に」の部分は、この曲を知って歌い始めた時から「なぜミカンの木が歌われるのだろうか」、とても違和感があった。全体の中で他の歌詞との関連性がないからだ。ただ、「ミカンの木の下に集まる」という情景として描かれているにすぎない。ミカンの木が木陰をつくっていて、そこに集まるのだろうか。でも、子守りたちが集うような樹木といえば、ミカンの木ではなく、ガジュマルやデイゴの木がふさわしい。ミカンは果実だから、庭や畑に植えられるのだ普通である。
 もし、かつて実際にミカンの木があったとしても、木と子どもの成長との間に、何の関係も見出せない。登野城、ミカン、子守りと続く歌詞に、論理的なつながりがない。この歌詞は、なんか継ぎ接ぎされた印象がある。これはどう考えても、元歌とは思えない。

 次に宮古民謡の「東里真中(アカズザトゥンナカ)」の歌詞を紹介する。歌詞はいろいろあるようだが、手元にある工工四(楽譜)から拾ってみた。
♪東里真中んよ ホーニャホーイ  已ぬ城(ドゥヌグシク) サーユイサ 
真中んよ ウチュラヨー
♪八尋(ヤピル)みゃや耕作(パギャ)すぅみよ 十尋(トゥズユ)みゃや耕作すぅみよ
 ※ハヤシは同じ
♪八尋みゃぬ真中んよ 十尋みゃぬ真中んよ
♪蜜柑木(フニリャギ)や植生(イビワ)しよ 香(カバ)しゃ木や差し生しよ
♪人(ピトゥ)が丈なりうりばよ 他人(ユスゥ)が丈なりうりばよ
♪花(パナ)や咲きうりばよ 実(ナズ)や実なりうりばよ
♪我等(パンタ)同志(ジャ)な集(ウグナ)りよ 守姉(ムズアニ)同志な集りよ
♪蜜柑玉剥(フリリャタマン)き遊(アス)ばよ 香ばしゃ玉剥き遊ばよ
♪吾(パン)が守(ムリ)ぶどぅわさばよ 姉が釘抱きわさばよ
♪島(スマ)うすい照(テイ)りぁがりよ 国うそい輝(テイ)りぁがりよ
 注・宮古言葉は独特であり、表記が難しい。「東里(アカズザトゥ)」を始め、歌詞の中で「ズ」として表記したのはすべて「スに小さな○」がつく。そんな文字はないので、やむをえず「ズ」と書いた。この発音がまた難しい。発音できない。
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         石垣島のオヤケアカハチの乱を討つ首里王府軍を先導した宮古島の仲宗根豊見親の墓。民謡とは関係ない。
  歌意は次の通り
♪東里の真ん中によ 私の屋敷の真ん中によ
♪八尋の庭を耕してよ 十尋の庭を耕してよ
♪八尋の庭の真ん中によ 十尋の庭の真ん中によ
♪ミカンの木を植えてよ 香り高い木を差してよ
♪人の丈になればよ 大人の丈になればよ
♪花が咲いておればよ 実に実がなっておればよ
♪私たち仲間が集まってよ 守姉仲間が集まってよ
♪ミカンの玉を剥いて遊ぼう 香り高い玉を剥いて遊ぼう
♪私がお守りをして大きくなったらよ 守姉が抱いて大きくなったらよ
♪島を治めるような立派な人になりなさい 国を治めるような人になりなさい
 両方の歌詞を比較すると、明らかに似ている。「東里」「ミカンの木、香ばしゃ木」「守姉と子守り」という歌の重要な要素が共通している。ということは、まったく無関係にできた曲が、たまたま似た内容の歌詞になった、ということは考えられない。
 これは同名異曲ではないと思う。とすれば、両曲は明らかにどちらかが元歌で、どちらかが元歌を編曲し歌詞を改変して歌われるようになったということになる。
 歌詞を見れば、明らかに八重山ではなく、宮古民謡が元歌だと思う。その理由はいくつかある。
 まず、宮古島市には、市役所にも近い場所に「東里」という地名があること。交差点にも表示されている。「已ぬ城(ドゥヌグシク)」とは、地名ではなく、「私の屋敷」という意味である。だから、同じ場所を対句で言い換えて表現しているのではない。宮古から歌が伝わったとき、「已ぬ城」は発音が登野城と似ているため、それが転じて「登野城」とされたのではないだろうか。これはまったくの推測である。
 なにより重要なのは「ミカンの木」である。自分の庭にミカンの木を植える。ミカンの木が生長して、人の丈ほどになり、花を咲かせ、実をつければ、守姉の仲間が集まって、ミカンの玉を剥いて遊ぼう、守りする子どもが大きくなれば、立派な人になりなさいと歌う。
 ここでは、ミカンの木の生長と子どもの健やかな成長が重ね合わされている。「あがろーざ節」のように、ミカンの木はたんなる情景描写ではない。この曲のキーワードのような意味を持つ。
ミカンの木を軸にして、曲全体に論理的な一貫性がある。つまり、どこかの曲を元歌として少し変えたり、継ぎ接ぎした歌詞ではないということだ。
 以上の点から見て、「東里真中」が石垣島に伝わり「あがろーざ節」として、歌われるようになったというのが私の推論である。
 ただし、子守唄として、どちらの曲がよいのか、というのはまったく別問題である。どちらが元歌であるのかどうかは、マニアックな関心に過ぎない。私的に好きなのは「あがろーざ節」である。
 宮古民謡の「東里真中」は、三線は弾けても、歌がまだ歌えない。まだ歌えないから、味わいがあまり感じられない。歌が歌えるようになればまた変わるだろう。
 「あがろーざ節」は、上手に歌うのはとても難しいが、とても味わいがある。八重山民謡でも、多くの人に愛されている名曲である。
 子どもが立派に育ってほしいという願いは切々と伝わる。八重山を含め沖縄では、子守りをした守姉とお守りをしてもらった子どもとは、一生を通じて深いつながりをもつという。子どもと守姉との絆も感じられる。これからも長く歌い続けられていくだろう。

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