レキオ島唄アッチャー

国境の島・酒造りや祭りを取り締まる

 酒造りや祭りを取り締まる
 与那国島では、石垣島から役人くるときは、米や酒を貯蔵する蔵に大量の物資があることを発見されないように舟に物資を積み込んで、西の洋上にこぎ出したという、伝承を紹介した。
この話を読んで、連想したのは、八重山での酒造りの取り締まりの厳しさである。
「八重山は焼酎を手広く造り、諸役人をはじめ百姓に至るまで軽い寄合の時も酒を出し馳走をし酒宴のようにしている。以前からいろいろ取り締まるように言ってあるが守られていないようだ」
 「米粟の初を祭るため、家々で神酒・酒・肴などをこしらえ呑み食いし、もてなしをするのは良くない」
 「仏前へ酒を供えること、僧侶へ酒を出すこと、僧侶が酒を造ることは従来から禁止してあるが乱れているようで良くない」。
 いろんな祭や祝いごとには、お酒はつきものだ。八重山では手広く焼酎を造っていたようだ。だが、王府は酒造りに神経をとがらしていた。役人や百姓が寄合の時に酒宴をすることをはじめお祭や仏前へのお供えに酒を出すことも取り締まりの対象とした。
 「常々風習を正しくし、すこしも無益な浪費をしないようにしなければならない。…
なおいっそう取り締まること」
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              石垣島新川の豊年祭
 このように厳しく対処することを求めている。米粟の初の祭は「今後はこのような出費がないように祭の儀式分だけ作ること」と戒めている。
ましてや、満月の夜、浜辺で男女が集い、遊ぶことはご法度だった。
 「8月15日の夜に、男女の縁のある同士が集まって神酒・肴・盛り合わせなどを作り、磯辺に行って楽しく遊ぶ所もある」。
 中秋の名月のさい、みんなが集まり、酒を酌み交わし、歌や踊りで遊ぶのは楽しいひと時だっただろう。しかし、「男女が混じり合い、風俗の乱れ、無益な手間なので、今後は止めること」と禁止させている。 
 以上は、1768年12月に首里王府から八重山に派遣された与世山親方が、行政状況を視察し、王府首脳に報告し今後の行政の規範とするため布達した『与世山親方八重山島規模帳』から紹介した。
 その後、八重山に派遣された翁長親方、富川親方の『規模帳』にも同様な取り締まりの報告が見られる。

 密造は刑罰の対象にされた
 役人の業務遂行上、必要と思われる文書を書き写し、取りまとめた『万書付集』を見ると、次のような醸造への厳しい取り締まりを命じている。
 「焼酎(泡盛)を手広く醸造しては、穀物の浪費は言うにおよばず、飲酒社会となる。これは風俗の妨げ、さらには島中の衰微のもとになり、かれこれ、その弊害は少なくない。しっかりと取り締まりをしなくてはならないことなので、これからは石垣四か村の奉公人(役務についている士族)・百姓が取り組んで、一か村に酒屋一軒ずつと定め、酒屋一か所に一龜(活字が出ないのでこの字を当てる)ずつとして、1、2年で酒屋を替えて醸造させ、監督するとともに、醸造の価格を附書のとおり取り締まること。」
 「つけたり。
 (酒の代金など省略)
一、焼酎を密造した者は、酒造道具を取り上げたうえ、10日間の寺入れを申し付けること。
一、各噯(アツカイ、治めること)役人ならびに惣横目(風俗・治安を監視する)・筆者(書記官)・内横目人・小横目人(百姓から選ばれ風俗取り締まりに当たる)たちが村々を分担して検分し、守らない者がいれば、すぐに申し出ること。もし黙認したことが露顕したならば、噯役人ならびに惣横目・筆者・内横目人は5日の寺入りに準じる科米、小横目人は右に準じて牢込めを申し付けるようにすること。
一、離島の村々は、一か村に酒屋一軒ずつ立て、各噯役人・筆者で前条のようなことを厳重に取り締まる。何か必要な時は、その理由を詳しく届けたうえで売り渡し、そのようにして年々醸造高をまとめ、在番・頭へ結果を申し出るようにすること。」 (翁長親方から在番・頭へ)
 このように、密造した者はもちろん、黙認していた役人を含めて、寺入りやそれに準ずる科米、牢込めといった刑罰を科している。

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