レキオ島唄アッチャー

多良間島は八重山だった、その1

 多良間島は八重山だった

  多良間島は、宮古島と石垣島の中間にある。現在は、宮古郡多良間村となっていて、宮古島との関係が深い。民謡でも、名曲「多良間ションカネー」は、宮古民謡の中に含まれている。しかし、その昔、多良間島は八重山だった時代がある。

 与那国島と多良間島を交換 
「往年は多良間島は八重山の管轄で、与那国島は宮古の管轄であったが、首里王府では地理的に不合理として今から467年前の文亀のころ(1501-1503)両島の管轄を交換したと文献に記されている」
 「現在石垣島の平久保半島の平野の近くに多良間田とよばれる田圃がある。これは交換後に多良間人によって開拓されたものであると伝承されている」
喜舎場永珣著『八重山古謡(上)』では、このように記載されている。
 多良間島が八重山から宮古の管轄にされる直前、1500年には石垣島の豪族、オヤケアカハチが首里王府への朝貢を拒み、王府は約3000人の中山軍を派遣して討伐した。この時、宮古島の仲宗根豊見親の軍勢とともに、多良間島の土原豊見親(ンタバルトゥユーミャ)も参加したと伝えられる。
多良間島と与那国島の所属が交換されたのは、この反乱鎮圧の後になる。
 与那国島の宮古管轄は地理的に不合理だが、多良間島の八重山管轄は不合理とはいえない。なにしろ、多良間島と石垣島の間は、約35㌔㍍の距離だが、多良間島と宮古島の間は、約67㌔㍍もある。正確には、中間ではなく、宮古島よりは石垣島の方に近いからだ。
    tarama-map.gif
             地図と写真は、多良間村ホームページから
 島の最も高い地点(標高33㍍)に八重山遠見台があり、天気のより日には石垣島の平久保半島が見えるという。平久保半島は北東に長く伸びており、多良間島から石垣島で一番近い場所になる。
 多良間島といえば、国指定重要無形民俗文化財の「八月踊り」が有名だ。これを見る旅行会社のツアーは、だいたい那覇から石垣島に飛び、石垣から船で多良間島に行くコースだ。石垣島から行くのが便利なのだろう。


スポンサーサイト

八重山の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<多良間島は八重山だった。その2 | ホーム | 変容する琉球民謡、八重山から本島へ。終わりに>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |