レキオ島唄アッチャー

69年目の「慰霊の日」

 沖縄は6月23日、69年目の「慰霊の日」を迎えた。朝から、平和祈念公園や「魂魄の塔」をはじめ、沖縄各地の慰霊碑には、多くの人々が訪れて、慰霊と平和の誓いを新たにした。わが家は、今年は家でテレビ中継を見ながら、正午からの黙とうをした。
 
 終戦記念日はいつなのか?
 6月23日は、第32軍の牛島司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘が終わったとされ、慰霊の日としている。といっても、6月23日が沖縄戦の終結の日とはならない。まだ、各地と離島で、山やガマに隠れて抵抗を続ける日本軍と住民がたくさんいた。だから、8月15日の天皇の玉音放送と終戦の事実も知らないままだ。
 米軍の捕虜になった住民は、各地の収容所にいたが、日本軍の降伏を通訳から聞かされたという。自宅でラジオを聞ける状態ではない。
              魂魄の塔
         沖縄戦の犠牲者を祀る魂魄の塔
 8月15日の終戦記念日は、沖縄ではいまひとつピンとこない。というか、この日に追悼行事はあまりない。
 沖縄戦の公式の終了は、1945年9月7日である。日本の降伏調印にともなって、沖縄本島を含む南西諸島の日本軍代表3人が、越来(ゴエク)村森根(現沖縄市)で、降伏文書に調印した。この日を沖縄戦終結の日とすべきという人もいる。
 悲惨なのは、終戦も知らされず、なおもガマや山などに逃げ隠れたり、日本軍に虐殺された人たちもいたことだ。
 南城市玉城糸数のアブチラガマでは、避難民百余人と傷病兵7人が米兵の呼び掛けに応じて壕を出たのは、8月22日だった。3月24日にガマに避難した糸数集落の住民は、なんと5ヶ月ぶりに太陽の光を浴びたという。ここでも、住民虐殺事件が起きている。
 久米島では、島に配属された海軍通信隊(鹿山隊、40人)が住民をスパイ視して殺害する事件が相次いだ。8月15日以降も、住民に投降を呼びかけた仲村渠(ナカンダカリ)明勇さんと妻、子どもの3人が浜辺の小屋で刺殺され放火された。朝鮮出身の谷川昇さんの一家7人にスパイ容疑をかけて、子どもの手を引き、乳飲み子を背負って逃げる妻や娘2人、昇さんを殺害した。狂気の沙汰である。こうした虐殺の責任者の鹿山兵曹長は、平然と生き延びて、降伏調印の場に現れたという。
 日本政府の無条件降伏である終戦記念日は、沖縄にとっては、米軍の横暴な占領と支配のスタートを意味する。9月7日の降伏文書調印によって、沖縄、奄美は日本本土から切り離され、米軍の直接統治のもとに置かれたからだ。
 危険な基地として住民が閉鎖を求める宜野湾市の普天間飛行場も、占領のもとで建設が進められた。米兵のよる女性への暴行も、沖縄戦の初期のころから多発した。8月には、玉城村(現南城市)や金武村(現在町)などで、家族と食料を探していた女性が複数の米兵に山中に連れ込まれ暴行されるなどの事件が起きた。
 沖縄の終戦とは、米軍基地と米兵による新たな重圧と危険の始まりであった。
 
戦後は終わらない
 沖縄は、終戦から69年がたっても、まだ収集されない遺骨が埋まっており、不発弾は約2050トンも残されている。しかも、米軍基地は日本全体の74%が沖縄に集中した現状は変わらない。それどころか、オスプレイの配備や辺野古への新基地建設など基地は強化されてきているのが現実だ。戦後は終わらない。
 集団的自衛権の行使という平和憲法の実質改悪が行われれば、日本は文字通り「戦争できる国」に変貌し、アメリカの戦争に加担することなる。そうなれば、沖縄が真っ先にその出撃拠点とされるだろう。
 戦後は終わらないばかりか、新たな戦争への道に沖縄が結び付けられることになる。県民の平和への願いを踏みにじるこんな道は、絶対に許されない。米軍基地も自衛隊基地もない平和な島でこそ、沖縄の未来がある。
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