開かない冷凍室、ハンガーでなおす!2019-07-30 Tue 23:20
家の冷蔵庫の一番下にある冷凍室が引き出せなくなった。
ネットで解決方法を検索してみると、原因は詰め込みすぎて物が引っ掛かっているか、もしくは、氷がついて動かないかだという。 引っ掛かっている場合は、隙間からハンガーなどを差し込み引っ掛かりをなおす。氷ついている場合は、ドライヤーで温めて氷を溶かすという。 試してみる前に、メーカー(東芝)に電話した。応対者は買った家電量販店に電話し修理に来てもらってくれという。まだ買って2年だから6年の長期保証期間内である。 早速の電話すると、物が引っ掛かっている場合は、故障でないから有償になり、3000~4000円かかるという。 話が違うと思った。 だか、担当者は、少し隙間があるなら中で物が引っ掛かっているだろう、氷ついていればまったく隙間もないという。 だとすれば、隙間からハンガーを差し込み中の物を動かしてみて、それでもダメなら電話することにした。 なんとかわずかな隙間からハンガーを伸ばして差し込み、ぐるぐるかき回してみる。5分ほどやっていると、開いた!! 大きな冷凍室の中は、様々なパンでいっぱいだった。買いだめもほどほどにである。 ヤッバリ試してみるものだ。今回、 量販店で隙間があるなら氷ついているのでなく中で詰まっているはずと教えてくれたのがよいアドバイスになった。量販店にお礼の電話をした。 スポンサーサイト
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キジムナーを考える、番外編2019-07-28 Sun 10:23
玉城政美著『琉球歌謡論』を読んでいたら、次のような記述に出会った。 「木の精を押し退ける」 例えば神女が唱える「ウムイ」のなかに「木の精を押し退ける」という歌謡がある。 <家屋を新築するために伐り出した木材は、そのままではまだ自然状態であり、木の精が入っている。その活動を抑えるためには、それを払う儀礼が必要になる。呪言によって木の精を払うときに次のような言葉を用いる。 30 木の しーん うしのぐる 木の精を押し退ける 31 かねー しーん うしはれる 金の精を押し払う (『南島歌謡大成「沖縄篇上』ウムイ201 > 「木の精を祓う」 <《この家庭の中座の桁に鼓を下げておいて、たくさんの神女が神言を唱えたら、木の精を脱がしてください。》ここでは、鼓が、まだ柱に居残っている「木の精」を払い除ける機能を果たすための一助となっている。神女が唱える言葉とともに用いら 82 こん とのうちの 此の殿内の内の 83 まなかざの 真中座の 84 なかげたに 中桁に 85 よるや 夜は 86 なりぶ さげたてて 鳴り呼ぶを下げ立てて 87 いちの やじく 五のヤジクが 88 ななの やじく 七のヤジクが 89 うちそろうて 打ち揃って 90 いちくち 五口 91 ななくち 七口 92 あまんごと アマミ言を 93 よまびらば 誦みましたら 94 きいの せいん 木の精も 95 かねの せいん 金の精も 96 のがれ たぼれ 脱がして下さい (『南島歌謡大成「沖縄篇上」ウムイ105』> ここで歌われている「木の精」もやはり、キジムナーのことと考えてよいのだろう。ただし、ここでは「木の精が家の神」になるのではなく、木材に入っている木の精が「押し退ける」対象となっている。 一方では、木の精が「家の神」になるとされ、他方では、木の精の活動を抑えるため「押し退ける」という正反対のことが歌われている。これもキジムナーの両義的性格の反映だろうか。 |
テンプレートの変更2019-07-26 Fri 09:51
前に使っていた星空のテンプレートは気に入っていたが、ブログに表示される画面がおかしくなり、文字が枠内におさまらず、枠外に飛び出すことが多くなった。どうしても直せないので、一行の文字数を少なくしていたが、以前にアップしたものまで直しきれないので、やむなくテンプレートを変更した。
このため、アップした記事によっては、一行の文字数が長いものと短いものが混在することになった。ブログを見て下さる方々は、その事情をご理解していただければ幸いです。 |
「かにくばた」の異名同曲がいくつもある、「にんぐるまーと」2019-07-24 Wed 10:42
「にんぐるまーと」
さて、「高離節」「かにくばた」とソックリであるもう一つの曲、「にんぐるまーと」を見てみたい。これも、RBCの「民謡で今日拝なびら」で上原直彦氏が紹介するまで聞いたことがなかった。沖縄民謡のいくつか の工工四(楽譜)、歌詞集をめくってもほとんど紹介されていない。 上原氏は、「歌詞は即興で歌うのをよしとするので、歌う人によって歌詞が異なり、決まったものはない」と述べていた。唄者によっていろんな歌詞があるのだろう。 やっと歌詞が掲載された本を見つけた。滝原康盛編『沖縄の民謡』である。ここでは滝原氏の著作から紹介する。 1、打ち鳴らし鳴らしヨ 四ツ竹(ゆちだき)は ヘイサー スーリ 四ツ竹は鳴らし ハヤシ サーハラユイサー クラユイサーッサ ウショーニショーヌ ニングルマートゥ マトゥヨー シタリヌヨーンゾ (ハヤシは以下同じ) 鳴らす四ツ竹ぬ 音の秀(しゅ)らさ 2、若さ一時(ひととち)ぬ 通い路ぬ空や 暗(やみ)ぬさく坂(ひら)ん車とぅ原(ばる) 3、若さたるがきて 何時(いち)ん花むとな 思ゆらん風ぬ 吹かばちゃすが 滝原氏は『正調琉球民謡 八重山・宮古篇』にも同曲名、歌詞のこの曲を掲載し、この曲を「八重山・宮古」の民謡と分類している。 仲宗根幸市氏は、宮古の「かにくばた」が沖縄の「にんぐるまーと」と異名同曲。(『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)とのべ、やはり「にんぐるまーと」は沖縄本島の歌であるとしている。 上原直彦氏も沖縄本島で歌われる「遊び歌」であると断言している。
遊び歌で歌詞は即興で歌い、決まったものはないとすれば、この曲がもともとの古い元歌とは思えない。「高離節」か「かにくばた」が先にあって、そのテンポの良い前奏、旋律が遊び歌に向いている上、囃子がとても面白いので、歌詞を変えて「にんぐるまーと」として歌われるようになったのではないか。私の勝手な推測であるが、そんな気がする。 |
「かにくばた」の異名同曲がいくつもある、「高離節」2019-07-24 Wed 10:40
琉球古典音楽に「高離節」がある。RBCの「民謡で今日拝なびら」で
かすみ立つ山や 梅の花盛り 風にさそはれる匂のしほらしや 歌意 高離島(現在の宮城島)はものを教えてくれるところ もう十分解りま 霞がたつ山は梅の花が満開である 風に誘われて花の匂いが香しい
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「かにくばた」の異名同曲がいくつもある。宮古の「東川根盛加後」2019-07-24 Wed 10:39
宮古の「東川根盛加後」に似ている
ところが、ここで注目されるのは、与那国の「亀久畑節」は、奇妙なこ とにその歌詞が宮古島のもう一つ別の民謡と似ていることである。 仲宗根幸市氏によれば、娘が男性に「家まで送ってください」と誘い、 男性が「もう自分はここで帰る」といいつつ、女性の情熱と才知でついに、 女性の家まで送らされ、寝床まで誘われるとういうこの歌の後半は「宮古 民謡の『東川根盛加後(あがずかーにむずかぐす)』と一部内容が似てい る(『琉球列島島うた紀行 <第二集>八重山諸島 宮古諸島』)」という。
「71番まで歌詞のある長編のクイチャーあーぐ。東川根盛加後のクイ 「この長編のクイチャーあやぐの後編は、与那国の「かみんぐ畑ドゥン
「亀久畑節」の旋律は「東川根盛加後」とは似ていない。ということは、
1500年に、首里王府に反乱を起こした石垣島のオヤケアカハチを、宮古 1522年には、与那国島の首長だった鬼虎が首里王府に従わず、王府の命
これまでの検討を踏まえて、与那国の「亀久畑」と宮古の「かにくばた」 もしそうなれば、すでに異名同曲とされる宮古の「かにくばた」と本島 |
「かにくばた」の異名同曲がいくつもある。与那国の「亀久畑節」2019-07-24 Wed 10:24
与那国の「亀久畑節」 次に八重山古典民謡の「亀久畑節(かみくばたぶし)」を取り上げたい。 今回、「かにくばた」の類似曲として3曲が比較されていたが、もう一 「与那国島を発祥の地とする歌であるが、石垣風の歌い方では歌詞も旋
注・喜舎場本の歌意―亀久畑に田草取りに行って 南方の小高い所に 4、女童(みやらび)ば 愛しゃーすば 巻き来(きょー)り (女の子を、好きな娘を連れてきて) 5、片手しや 田草取り 此ぬ手しや 首抱き (片方の手では田草を取り もう一方の手では可愛い娘の首を抱き) 8、夜やなり 日や暮りてぃ あばとぁぬ (夜になり日が暮れてしまった なんと心細く怖いことよ) 9、くいてぃ迄 かたんぐや迄 我(ぱぬ)送り (クイティまで、カタングヤまで 私を送ってちょうだい) 10、貴女(んだ)ま行(ひ)り ばぬま行るん 女童 (貴女はもう帰りなさい、私ももう帰るから娘さん) 最後は喜舎場本から。 16、ンドゥティマディン ニザシキマディン バヌウグリ (戸口までも 寝座敷までお出でよと手を取って離さない 二人寝床で <若夏のある日、恋し合っている島仲村の男性と比川村の女性が二人 それはさておき、いつの間にか日が暮れあたりは薄暗くなってきた。 <カミクバタ=田んぼの地名で、「亀久畑」の字を当てる。地元本
喜舎場氏は、「昭和16年(1941)に亀久田の観光を試みたが、その周
<当時の風習として二人切りの田草取りはいたって稀れであったとこ 田畑での恋愛模様をおおらかに歌う曲想は、八重山古典民謡のとって 与那国のこの曲は、歌の旋律、流れは宮古民謡の「かにくばた」にかな 加えて、宮古の曲はとてもテンポが軽快であるが、与那国の曲はもっと といっても、与那国と宮古の両曲は、曲名は同じであり、歌の旋律も似
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「かにくばた」の異名同曲がいくつもある。宮古民謡の「かにくばた」2019-07-24 Wed 10:22
宮古民謡の「かにくばた」
この曲を初めて知ったのは、沖縄に移住してまだ間もない頃だった。宮 古島出身の唄者「Hirara(ひらら)」さんが歌っていた宮古の泡盛「菊之 露」のコマーシャルが、テレビでよく流れていた。日本人離れしたお顔立 ちの彼女が歌うこの曲は、とても沖縄民謡の感じがしなかった。工工四 (楽譜)を見て確かに宮古民謡だとわかった次第。 この曲は次のような意味がある。 「新しく村建をする為野原地から狩俣大浦に移動を余儀無くさせられた子 供達に対し親が開墾地の麦の様に勢いよく栄えよ家近くの豆の莢(さや) のように栄えに栄えよと励まし将来の幸福を祈念する歌である」(平良重 信著『解説付 宮古民謡集』)。 ![]() 宮古出身のHiraraさん(「真和志まつりで」) 解説では、「かにくばた」は「兼久畑」の漢字が当てられ、人名として いる。 歌詞と歌意の内容を紹介する。6番までは国吉源次版宮古民謡工工四か ら、7,8番は平良重信著『解説付 宮古民謡集』から。砂川国夫氏のブロ グ「宮古民謡解説集」も参考にさせていただいた。 1、かにくばたよ 抱きみいぶす 乙女小(ブナリヤガマ) (かにくばたとは美人の女性のこと 抱いて見たい女性) ヤイサースウーリヌ乙女小 (ハヤシ)サーハラユイサ クラユイサーサ ウッショーシショーヌ ニングルマトゥマトゥヨー (ハヤシは以下省略) 2、あらすぬ麦だきよ むとういかぎ 乙女小 (良い土地に実る麦のように すごく良い嫁になるだろう) ヤイサースウーリヌ乙女小 3、野原土地ぬ豆だきよ 家近(ヤッカ)ふぬサヤぬ如(ニヤ)ん (その土地に実る豆のように 家の近くの土地に実る豆のように) ヤイサースウーリヌサヤぬ如ん 4、後ゆかよ 行末(スウラ)ゆか吾等(バンタ)がむてい (ゆくゆくは大変幸せになるのは 私達である) ヤイサースウーリヌ吾等がむてい 5、女子(ブナリャウワ)うばよかぐうんな乗(ヌウ)し 大浦(ウプラ) んかい (女の子が産まれたらかごに乗せて 大浦村あたりまで遊びに連れて行 きたい) ヤイサースウーリヌ大浦んかい 6、男子(ビキリャウワ)ばよ 建馬(タティンマ)乗し 狩俣(カズマタ) んかい (男の子が産まれたら素晴らしい馬に乗せて 狩俣村あたりに連れて行 きたい) ヤイサースウーリヌ狩俣んかい 7、夜なびすういばが母(ンマ)よ 夜詰(ユヅミ)すうい生しやるうや (夜中まで添いうた私の母よ 夜詰めで添うた生みの親よ) ヤイサースウーリヌ生まれるなしゃやるが 8、男子(ビキリヤウォ)ぬよ 夜ぱでや酒ど飲む (男の子の 夜出歩きしたら 酒を飲む) ヤイサースウーリヌ酒ど飲む この曲の解釈を巡っては、解説者によって多少理解の違いがある。 国吉源次版「かにくばた」(兼久畑)の解説は、<「かにくばた」とは女 性の名である。絶世の美女であったらしく、彼女と一緒になることができ れば、家庭隆盛、幸せになるだろうと願う男心を歌っている。>とのべて いる。上原直彦氏もほぼこれと同様な解釈をしていた。 ここには、平良重信氏が述べたような、開拓地に移住させられる子ども たちの様子はまったく見られない。 宮古民謡の唄者であり、ブログで宮古民謡の解説集を書いている砂川国 夫氏は、次のように解釈している。 <宮古の新しい地への開拓の為に強制的に移動させられた子供達に対し てその子たちの親達が別れの寂しさを感じながらも新しい地で頑張って 道 を切り開いて言って欲しいと願いを込めて出来たといわれています。 この 歌が出来た当時は子供も立派な労働力として扱われていたので 新しい地を 開拓するのにふさわしい人材だったのでしょう。> ここには、「絶世の美女」だとか、女性との恋模様の要素はまったくない。 平良氏の解釈に近いのではないか。 在沖宮古民謡協会発行『宮古民謡工工四』の「かにくばた(其の一)」 (「兼久畑(其の二)」もある)の解説も、平良重信本とほぼ同じ内容である。 宮古島のネーネーズの歌う「かにくばた」。アカペラで歌っている 『琉球列島島うた紀行』を書いた仲宗根幸市氏は、「かにくばた」は、 別名「にんぐるま」と呼ばれているとして、次のように解釈している。 <開墾地の繁栄を祈願する親心と、ユーモラスな男女の交換歌(クイチ ャー)。別名「にんぐるま」ともいう。軽快な旋律は集団演舞に向き、特 に囃子が面白い。沖縄の「にんぐるまーと」と異名同曲。歌の囃子に「ニ ングルマート」とうたわれることから名付けられているようだ(『琉球列 島島うた紀行 <第二集>八重山諸島 宮古諸島』)>。 私見をのべるほどの見識はないけれど、国吉氏の解説のような美女の憧 れる男心を歌っただけの曲とは思えない。確かに最初の歌詞で、「かにく ばたよ 抱きみいぶす」と歌い、「抱いてみたい女性」と出てくるので、 恋模様の曲かと錯覚しやすい。それに囃子でも「にんぐるま」が印象的に 繰り返されるので余計にそんな感じになる。 だが、そもそも「かにくばた」とは「兼久畑」とも書かれるように、女 性の名前らしくない。 「兼久」とは沖縄語では「海岸に近い砂地」(『「沖縄語辞』)という意 味がある。兼久の地名はとても多い、「前兼久」(恩納村)「大兼久」 (大宜味村)などもある。それに「畑」までついているのでなおさら女性 の名前らしくない。寡聞にして女性の名前でこんな名前は聞いたことがない。 それに、次回に取り上げる八重山民謡の「亀久畑(かみくばた)節」は、 宮古民謡の「かにくばた」とは「亀久」か「兼久」の違いはあるが、曲名 でみればほぼ同じと見てよい。八重山民謡の「亀久畑」は、与那国島の地 名である。 仮に人名だとしても、歌の歌詞全体を見ると、平良氏や砂川氏らがのべ ているような、開拓地に移住する子どもたちへの親の願いが込められた曲 という解釈に共感を覚える。 とくに、意味が分かりにくい最後の7,8番の歌詞について砂川氏は次の ように解釈している。 7、夜なびすいがばが母よ夜詰みすうい生しゃやるが (夜中まで添い寝してくれた私の母よ 移住する前の日まで夜通し 付き添ってくれた生みの母よ) ユイサースゥリーヌ生まれるなしゃやるが 8、男子(びきりゃうぉ)よ 夜ぱずでぃや酒どぅ飲む (男の子は 夜外に出れば酒を飲む そうじゃないと強制的に 移住させられた気持ちが発散出来ない) ユイサースゥリーヌ酒どぅ飲む 「宮古の悲しい歴史が垣間見える曲です。 でも、曲調はアップテンポでまるで新天地での期待が感じられる様な曲 調です」(ブログ「宮古民謡解説集」)。 この砂川氏の解説に魅かれるものがある。 砂川氏によれば、「宮古民謡の三線の旋律は琉球古典音楽がベース」だ とのこと。 <古くからある宮古民謡は楽器を使わず無伴奏のアカペラで歌い継がれて きました。宮古民謡に三線の演奏が加わったのは1950年代頃と言われ、 長い歴史の中ではつい最近の話です。…三線の伴奏を初めて作ったのは、 古堅宗雄、友利明令、平良恵清の3人の共作によるものでした。 古堅宗雄は鍛冶屋を営みながら琉球古典音楽を学んでおり、…伴奏をつ けるにあたり、琉球古典を参考に要素を随所に取り入れて作り上げていっ たそうです(ブログ「砂川国夫宮古民謡解説集」)>。 砂川さんの指摘のように、宮古民謡が三線で演奏されるようになったの は戦後のことだとすれば、「かにくばた」の特徴あるうたもち(前奏)は もともとあったのではなく、三線で弾くようになってからつけられたのか。 沖縄本島の異名同曲と見られる「高離節」は、琉球古典音楽として三線で 演奏されて歌われていたのだろうから、「高離節」が影響を与えたのか。 それとも、宮古の「かにくばた」が三線なしのアカペラで古くから歌わ れていて、それが本島で三線演奏用に整えられ、その旋律に「高離節」の 琉歌をのせて歌うようになり、それが宮古に反作用し、前奏のついた三線 曲として「かにくばた」となったのだろうか。 いずれにしても本島と宮古島の文化的な相互作用のなかで異名同曲が生 れたのだろう。 |
「カニクバタ」は異名同曲がいくつもある2019-07-24 Wed 10:14
「にんぐるまーと」は、沖縄本島で歌われる「遊び歌」で、歌詞は即 「にんぐる」は、日本語の「ねんごろ(懇ろ)」からきていると思われ
伊江島の歌「ましゅんく節」でも「ヨーテ なにんぐるにんぐるにんぐ 与那国島を代表する名曲「ドゥナンスンカニ」でも、「なんたはままでぃ
次に、「にんぐるまーと」を嘉手苅林昌さんの歌う50年ほど前のレコー 「民謡で今日拝なびら」2017年12月27日放送 上原氏は、「どちらが先なのか詮議できないが、メロディは沖縄的(沖縄本 島的)、琉球旋法である」と言う。民謡のはやり歌は、宮古と沖縄本島は交流 があるから「ごっちゃになったのだろう」とものべていた。 注・琉球旋法 ラジオ番組では最後に、松田弘一さんの歌う「高離節」を流した。こちら 上原氏は触れなかったが、実は八重山古典民謡にも宮古の「かにくばた」 |
キジムナーを考える。その102019-07-20 Sat 22:33
「木の精が家の神になる」
赤嶺政信氏は、八重山のキジムナーは建築儀礼において非常に重要な役割 を果たしていることが、キジムナーの性格を考える上で見過ごせない問題を持つ として、『キジイムナー考』では次のような見解を展開する。 それは、八重山の床の間で祀られる家の神は家屋の材料となった樹木の精 霊が転化したものであること、すなわち、「木の精が家の神になる」ということで ある。 八重山の家の神の変遷を見ると、次のような仮説を導き出すことができるという。 <八重山の床の間で祀られる家の神の正体は、両義的性格が馴化(注・じゅん か)された木や芽の精霊である。この家の神は中柱に宿るものであったが、家屋 の内部に床の間が設置されるようになったことを契機にして床の間の香炉をとお しても拝まれるようになった。…次の段階として、床の間の香炉と中柱の関係が 忘却される一方で、中柱に対する信仰は残存し、さらに、床の間の香炉で祀られ る神は、実態不明の家の神として拝まれるという現在のような状況を迎えること になった(『キジムナー考』)。> 注・馴化とは、生物が環境の変化に適応して生存していくこと ![]() 八重山を含む沖縄全体における木や芽の精霊に対する対処の仕方について整 理をすると、大別して、「木や芽の精霊を家屋に留め置く」と「家屋から退去させる」 という二つの類型に分けることができるという。 <本書の結論として、樹木霊が馴化されて家の神になるという仮説を提示したが、 実は日本本土の建築儀礼についての神野善治の議論が、筆者の仮説とほぼ同じ 結論に達しているのは興味深い事実である。… 「非常に祟りやすい樹木の精霊を家屋の守護神に転換する(祭り上げる)」という のは、本稿の用語でいえば、「非常に祟りやすい樹木の精霊を馴化して家の神に する」ことと同じであるのは明らかである(『キジムナー考』)。> 赤嶺氏は、樹木霊が馴化されて家の神になるという結論を導き出している。 この赤嶺氏の『キジムナー考』について、神野善治・武蔵野美術大学教授は、 以下のような感想をのべている。 <多様な性格が語られるなかで特筆されるのは、本書がキジムナーの本性が「木 の精」だとする指摘だ。ガジュマルなどの老木に住み、人間を助けて富を与える。特 に家を造るのを手伝って山から材木を運ぶ要素を取り上げ、人間が縁を切ると野山 に住んで悪さをする妖怪になると伝えている点に注目する。 本書の後半では、従来キジムナーに類する妖怪談がないとされていた八重山諸島 に同様の観念があったことが示される。それは家の新築時の儀式に「中柱」にしばら れ、まつられる「ユイピトゥガナシ(結人がなし)」などと呼ばれる木の精霊だ。具体的 には木の棒に茅(かや)を束ねただけのもの。家を造るには、樹木を切り倒して柱と し、刈ってきた茅で屋根をふく。いまだ野生の自然のまま危険な状態にある木や茅 の精霊をなだめ(馴(じゅん)化(か)して)まつられたのが、新築の「家の神」なのだと いうことを発見するのである。この例から逆に沖縄本島のキジムナーの性格が照射 される展開には、謎解きの醍醐味(だいごみ)を感じさせてくれる。(「琉球新報」2018 年12月2日付)> これまでキジムナーについてあまり詳しく調べたことはなかった。赤嶺氏によると、 キジムナーは山の神であり、材木を運び、家造りを手伝ったりするばかりか、八重山 では、床の間で祀られる家の神は家屋の材料となった樹木の精霊が転化したもので あるという。「木の精が家の神になる」というキジムナー論は、初めて知ることができた。 とても興味深い論考である。このキジムナーについての論考をより多くの人に知って いただければと思い、勝手に紹介した。 |