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レキオ島唄アッチャー

キジムナーを考える、その6

 奄美のケンムン
 奄美ではケンムンが沖縄のキジムナーと多くの共通点を持っているという。
 赤嶺氏はここでも山との関わりをもつケンムンの性格に注目している。
 名越左源太が書いた『南島雑話』のケンムンの記事を引用する。
 水塊(カワタロ、山ワロ)好て相撲をとる。適々(たまたま)其形をみる人すくなし。
且(かつ)て人にあだをなさず。却(かえっ)て樵夫(きこり)に随(したがい)、木を負
て加勢すと云。必ず人家をみれば逃去。
 <ここにも、樵夫の手伝いをして木を運ぶケンムンの姿がある。ところで、この記
事には、ケンムンはかつては人間に好意的なことをしたが、現在(名越左源太がこ
の記事を書いた幕末)では人間に害を及ぼす存在になってしまったことが示唆され
ている(赤嶺政信著「キジムナーをめぐる若干の問題」)>。
     奄美のケンムン   
             奄美の「水蝹〔けんもん」

 福田晃氏によると、ケンムンの由来譚には四つのタイプあるとされ、その一つに、
次の説話がある。その要旨を紹介する。
 昔 、大工の棟梁がいたが独身だった。美人を見染めて求婚した。その条件として立
派な家を一日で建築してほしいという。困った男は藁人形を二千人作ってまじない
をして、息を吹きかけてみたら人間になった。一日で注文通りの家を完成し、二人は
夫婦になった。数年経て、妻が「自分はこの世の者ではない。天人である。人間である
あなたと暮らすことはできない」と言った。棟梁も「自分も人間ではないテンゴの神であ
る」と言った。二千人に息を吹きかけるとみんなケンムンになった。
 この由来譚では、ケンムンの起源は大工の家造りの手伝いをした藁人形にある。そ
れが、沖縄のキジムナーや宮古のマズムンが山から木を運び、家造りの手伝いをす
るというモチーフと「無関係であるはずはない」とのべている(同論文)。
      
 吉崎明彦氏も、奄美のケンムンと沖縄のキジムナーは共通性があると次のように
のべている。
 <ケンムンとキジムナーには少なからず共通する項目があるといえる。
まず、赤い髪を持つこと、子供の姿であること、人間に近い場所にいること、魚の目
玉が好物であるという木の精として扱われていること、そして、ケンムン火という火
を発することなどである。さらに、ケンムンに悪さをした人間が、ケンムンに目玉を抜
き取られたという話もある。これらを見るだけでも、ケンムンとキジムナーがかなり近
い関係にあることは容易に想像できよう>。
 ただし、「ケンムンにはキジムナーにはない確固とした由来譚と、キジムナー以上
に豊富なバリエーションの説話が存在している」ことに違いを見出している(「キジム
ナー― 説話と由来を巡る考察」)。
 それに、奄美のケンムンは、本土の河童に似たところがあるらしい。沖縄では、河
童の話は聞いたことがない。


 


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キジムナーを考える、その5


 宮古のキジムナー

 宮古島、奄美諸島にも同類の説話があるという。
 宮古にはキジムナーという言葉はないけれど、マズムン、マズムヌとかインガ
マヤラブ、インガマヤラウという妖怪がキジムナーに比定できるという。
 ここでは、三つの説話を紹介している。以下はその要旨である。
 伊良部の人がマズムン(魔物)と友だちになり海に漁に行くが、マズムンの住処
を焼く。 八重山に移り住んだマズムンに誘われ、八重山に行った男がみやげ箱
をもらい、帰る船の中で箱を開けると、マラリヤの菌が飛び来間島の人はみな死
んだ。
 この説話のモチーフは、キジムナ-譚でおなじみのものという。
 上野村新里の説話は、津波の後、知らずにマジムンの集まるところに村をつくっ
た。村人がマズムンのところへ行って、「家を建てる材木を運んできてれたら、ごち
そうをする」と言うと家の近くまで材木を運んだ。屋根にあがって鳥の鳴きまねをす
ると材木を置いて逃げていった。

 城辺町西中にも同様の事例がある。
 カタイラ・マーガ(人間)が家を建てようと、インガマ・ヤラブ(魔物)にヤラブの木を
切ってもらう。二、三日して「木も集まり、茅も苅っている」と言って、インガマ・ヤラブ
に家を造らせ、祝いのとき鶏のまねをすると逃げていった。
「このように、マズムンやインガマヤラブが沖縄本島地域のキジムナー同様に、材木
を運んだり、家造りを手伝ったりする存在であることが確認できる」(赤嶺政信著「キ
ジムナーをめぐる若干の問題」)。
 宮古島には、キジムナーはいないともいわれるが、赤嶺氏が指摘する通り、名称
が異なるだけで、マズムンやインガマヤラブはキジムナーと同様の存在であること
がわかる。

 吉崎明彦氏は、先に紹介した伊良部のマジムン譚について次のことを指摘している。
 <ここで注目しなければならないのは、人間がマジムンを裏切った結果、マラリヤ
などの病がもたらされるという、その共同体自体を壊滅に追い込むという非常にシビ
アな結末を迎えている点である。その他のキジムナー譚においては、キジムナーを
裏切った人間一人だけが犠牲になり、しかもそれは盲目になったり、財産を失ったり
という程度であった。八重山諸島では戦後までマラリアが風土病として猛威を振るっ
ており、数多くの人々の命を奪ってきた。それ故に疫病をもたらすのが悪霊であると
いう考えが出てきたと考えられる。
 マラリヤが身近な脅威として存在していたここの地域において、その災因として、
疫病をもたらすという「凶暴化したマジムン」を想定していることは注目すべき点で
(あ)ろう(「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」)>。


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キジムナーを考える、その4

 大宜味村の「ぶながやの里」宣言

 大宜味のぶながや譚が出たので、少し横道に入る。
 沖縄県大宜味村は、1998年、村制施行90周年記念事業の一環として「ぶながや」
による村おこしを企画しぶながやキャラクターを決定、「ぶながやの里大宜味村」
を宣言した。宣言の一部を引用する。
     
ぶながやの里宣言碑
     大宜味村HPから
 <私たちの大宜味村の森や川には、今ではここにしか生息しなくなった「ぶながや」
が棲んでいる。「ぶながや」は、平和と自然を愛し、森や川の恵みを巧みに利用し、
時折私たちにその姿を見せてくれる不思議な生き物である。第二次世界大戦以前
は、沖縄のほとんどの村々で暮らしていた「ぶながや」たちは、激しい戦禍と基地被
害、戦後復興の近代化に耐えきれず、かつてのふるさとを離れ、20世紀最後の安
住の地を求め、豊かな自然と人々の肝清らさにひかれ、大宜味村に命を永らえる
ようになったという、希少種族である。>

 ぶながやは、平和と自然を愛する生き物で、大宜味村に「安住の地」を求めて棲ん
でいるという。村は「ぶながや」たちと生きてきたことに誇りを持っている。
 ぶながやについて、次のような特徴づけがされている(大宜味村HPから)。
・大宜味にぶながやの物語があるのは文化が豊かだから。
・妖精が活躍できるのは、森や川、美しい海があって、自然が豊かであること。
・ぶながやは心優しい村民一人ひとりの中に存在している。
  (東京工業大学名誉教授 阿部統先生の基調講演から)

 ここでは、キジムナーが「一方では家に富をもたらし、他方では人間に残忍な仕返し
をする」という両義的な性格にはふれていない。村おこしのマスコット的な存在だか
ら当然のことではあるが。


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キジムナーを考える、その3

 現象を説明する手立てとしてキジムナー話
 キジムナーと仲良くなり、それとうまくつき合っている間はその家は富み栄える
が、キジムナーを追放した家は衰退するという説話は、「東北地方で伝えられて
いるザシキワラシと共通した性格を有する」という。
 そうした盛衰をたどった家が、現実に存在したとすれば、本当にキジムナーの仕
業といえるのだろうか。
 <現実に生じているプロセスは、ある家が成金になった、没落した、あるいはあ
る家に眼病の者が絶えなかった等の現象が先にあって、それを不思議に思った
周囲の人々が、それを説明する手立てとしてキジムナーの話を語り出したと理解
すべきはずである。(『キジムナー考』)>
 キジムナーを追放したから災いを招いたというよりも、不幸な現象が先にあって、
それを説明する手立てとしてキジムナー話が語られるようになったという。キジム
ナー話が成立する実際のプロセスは、その通りかもしれない。
 このような説明は、いまでも不幸に見舞われた時、「それは〇〇の祟りだ」という
話を聞くことがある。それは、やはり不幸が先にあってそれを説明する手立てとして
「祟り」話が生み出されたと見るのが合理的解釈だろう。
     ブナガヤ 大宜味村観光ナビ 

        ぶながや(「大宜味村観光ナビ」から)

 山から木を運ぶキジムナー
 本題に戻る。キジムナーの存在と性格を理解するうえで、重要なポイントとして、
山から材木を運び、あるいは家造りを手伝うというキジムナーの説話がある。
 大宜味村の二つの事例を要旨で紹介する。
 大宜味村謝名城のある家の主人は、ぶながやあ(キジムナーの呼名)が来ると食
ひ物をやってなつけた。ぶながやあは大力だから大きな木を擔(かつ)いで行って、
庭の真中に投げ出した。走るのが早く、その姿は人に見えなかった。しまいには、
ぶながやあと離れるのを望み、柱ごとに、まじなひに、タコをかけて置いたら逃げ
ていきその後来なくなった。(折口信夫)
 注・キジムナーの嫌いなものは、タコ、ニワトリ、熱い鍋蓋、屁。キジムナーと縁を
切るにはこれらのものを使うか、キジムナーの宿っている木を焼いたり、釘を打ち込
んだりすると良いという(参考・赤嶺論文)。

 大宜味間切高里村の主人がブナガ(木の精)と友人となり、毎晩訪ねて来た。優遇
してやったので、材木を運んだり、家や道具を作る手伝いをした。後にはブナガとの
交際がいやになった。手を切ろうと思って、タコを用意して投げつけた。ブナガは驚い
て逃げた。それからこの家を訪ねなかった(佐喜美興英)。
 山から材木を運ぶというキジムナーの話は、かなり古い時代からあったようで、『琉
球神道記』にも次の記載があるという。
 「又山神、時有テ出コト、國人間見ル也。希有トモセズ。國上ニシテ船板ヲ曳ニ。山険
阻ニシテ、人力儘ヌ。山神ヲ頼ム。即出デ、次郎・五郎卜云、両リノ小僕ヲ下知シテ曳
シム。両人棒ヲ以、材ヲ遣。」
  この話で、人間に依頼されて山から木を運び出す次郎・五郎と呼ばれる小僕(山
神)が、今日のキジムナーの系譜に連なるものであることは疑い得ないという(赤嶺政
信著「キジムナーをめぐる若干の問題」)。
 「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」の論考を発表している吉崎明彦氏も、キ
ジムナーは「山の神」であるという柳田国男の指摘を「重要な点を突いている」と注目
する。
 柳田は以下のようにのべていた。
 <沖縄ではきじむんというのが山の神であるが、人間と友達になって海に魚釣りに
行くことを好む、きじむんと同行して釣りをすると、特に多くの獲物があり、しかも彼は
ただ魚の眼だけを捕って、他は持って行かぬから、たいそうつがふがよいといふ話も
ありました(「キジムナーをめぐる若干の問題」)>。


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キジムナーを考える、その2

 なぜキジムナーを追放するのか
 キジムナーと仲良くなり、それとうまくつき合っている間はその家は富み栄えるが、
キジムナーを追放した家は何らかの災いを被り、衰退することになるという説話
がたくさんある。
 キジムナーと仲良くなり富み栄えていたのに、なぜ追放するのか。
 宜野湾間切新城村中泊の事例では、<キジムナーと仲良くして一緒に漁に行
き、その結果富を得た家が, キジムナーと縁を切ったために没落し、一方ではキ
ジムナーの移住先の家が金持ちになったということが語られている。佐喜美興英
の言葉を借りれば、キジムナ-はまさに「富を司る」存在なのである。(赤嶺政信
「キジムナーをめぐる若干の問題」)>

 この説話では、キジムナ-と絶縁するのは金持ちになったことを他人に妬まれ他
人がキジムナーの住処を焼いたことが契磯になっている。この種の話は、赤嶺氏
の知る限りはこの一例しかない。圧倒的に多いのは、本人が望んで絶縁するタイ
プであるという。
 絶縁する理由は、明確に語られることがないか、あるとしても「キジムナーとの
付き合いが煩わしくなったから」という程度のもの。それだけの理由で追放したと
いうのには、「どうも釈然としないものが残る」と赤嶺氏は言う。その上で、推論と
して「キジムナーのもつ両義的な性格と関係があるのだろう」という見通しをのべ
ている。
     
 キジムナーの両義的性格とは
 キジムナ-の両義性とはなにか。「一方では家に富をもたらす存在でありながら、
他方では、人間に非常に残忍な仕返しをする」ということである。
キジムナーが富をもたらしたり、逆に不幸をもたらすという両義的な性格は、どの
ようにして生み出されたのだろうか。赤嶺氏は次のようにのべている。
 <かつて人々は、自然の中で樹木と親しみ、自ら山に分け入って樹木を伐り出
し、それを家屋や船の資材として利用してきた。そのような時代が長きにわたって
続いてきたのであり、キジムナーの話は、そのような長きにわたる自然との緊張
関係の中から生み出されたものであっただろう。人々は自然の恵みに感謝しつつ、
一方ではその自然のもつ恐るべき側面に関しても常に自覚的であったはずで、そ
のことが、木の精やキジムナーに対する両義的観念を生みだし、支えてきたものと
思われる(『キジムナー考』)。>
 自然は、人々に恵みをもたらす一方で、恐るべき災いをもたらすこともある。そん
な「自然との緊張関係」のなかで、キジムナーの両義的観念が生れたのではない
かとみている。



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アルテで「アンマ形見の一番着物」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが8日夜開かれた。今回は、ツ
レがピアノでつながった方が何人も出てくれ、同じくツレがお誘いしていたコミュ
ニティFMのフォーク番組のパーソナリティーをしているМさんが初めて参加し
てくれて、内容豊かな音楽会となった。
          
DSC_5689.jpg 
  今回のテーマは「冷」だった。みなさん、冷たさが感じられる選曲で演奏した。
 Oさんは、トランペットで「津軽海峡冬景色」を演奏し、ツレがピアノでコラボ
した。
 三線仲間のTさんは、「泊り舟」という曲を演奏した。初めて聞く曲だが、 大濱信光
作詞、宮良長包作曲で、昔はよく歌われたそうだ。民謡ではないが、とても哀愁のあ
る曲だった。
 FMラジオに出ているМさんは、ギター弾き語りで「あの人の手紙」「神田川」
を歌った。また続けて出てほしい。
 私は、「アンマ形見の一番着物」を歌った。お母さんが昔、糸を紡ぎ織った藍染
の上等な着物。袖を広げると母の匂いが胸に染みる。真心こめておった情の着物は
美しい。買おうと思っても買えない。またとない形見の着物である。
 こんな内容の歌詞である。テーマとは関係ないが、「冷たい時は着物を着るでし
ょう」というこじつけで歌ってみた。

   
DSC_5694.jpg
 
 ツレは、ピアノソロでショパンの「ノクターン嬰ハ短調遺作」を演奏した。音色が
美しく情感のこもった演奏だった。
   
   
 YouTubeにアップされているので紹介する。

 
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キジムナーを考える、その1 

  
 沖縄のキジムナーといえば、「ガジュマルなどの古い大木に住む、いたずら好
きの子供の精霊」として知られる。大宜味村では「ぶながやー」と呼ばれている。
 体中が真っ赤な子、赤髪の子どもなどと言われる。魚が主食で、とくに魚の目
玉(左目)が大好きである。さまざまな伝承がある。「住家の古木を切ると、家畜
を全滅させたり海で船を沈めて溺死させる」「キジムナーと仲良くなった家は栄え
る、キジムナーに嫌われた家は滅びる」などなど。目撃談も多く、その存在を信じ
ている方もいる。
 最近、キジムナーについて真面目に研究した著作に出会った。それは、赤嶺政
信著『キジムナー考――木の精が家の神になる』、「キジムナーをめぐる若干の
問題」(沖縄県立図書館史料編集室紀要(19): 1-35)である。キジムナーについて、
これまで知らなかった知見と解明があり、とても学ばされた。
 
            笑っているキジムナー
                 笑っているキジムナー(「イラスト沖縄」から)
  キジムナーとは何者か
 まずはキジムナーの語源について。
<キジムンという語は、「木マジムン(注・魔物)」という語形から「マ」という音が
脱落したものだというのが折口(信夫)の見解ということになる。キジムンの語源
が「木に棲むマジムン」だとする折口説は、キジムンの性格からしても妥当性が
高いと思われる(『キジムナー考』)。>
キジムナーについて論考を発表している吉崎明彦氏も<そもそもキジムンの
「ムン」は、魔物、すなわち「マジムン」の「ムン」であり、その「ムン」は、酒井(注)
の言に従えば「人を病気にしたり、不幸に導いたり、死をもたらしたりする」、「暗
の霊魂」である(「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」)>とのべている。
注・酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』(第一書房)。

 『沖縄大百科事典』ではキジムナーについ以下のように解説している。
 <姿は赤面(アカジラー)、赤頭(アカガンター)、小童(グマワラビ)で、古い大樹
の穴に住み、行動・性質は①漁を好み、魚の左目を食い、蛸を嫌い、②松明を持
って海や山の端を歩く(キジムナー火)、③寝ている人の胸を押さえるなどの特徴
をもつ(渡嘉敷1983 833)。アカガンターとは、直訳すれば「赤い髪の毛」だが、今
風に言えば茶髪といった方が通りがいいであろう(『キジムナー考』)>。
 この解説では、赤嶺氏が考究するテーマは触れられていない。

 キジムナーは魚の片目(左目)だけを食べるという特徴について、柳田國男の
「片目の魚」という論文を紹介している。
 <片目の魚の伝説は、祭の際の神への供物として、ほかの魚と区別するため
に片目を潰した歴史的事実と関連するはずだというのである。>


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