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レキオ島唄アッチャー

ツレのショパン演奏に拍手

 ピティナ・ピアノ・ステップが25日、南城市のシュガーホールで開かれた。
 県外からピアノの先生たちが4人沖縄に来て、演奏を聞き、アドバイスをしてく
れるまたとない機会である。
 ピアノを習っている子どもから大人まで、101組が出演して、日頃の練習の成果
を発表した。
    
DSC_56661.jpg
 ツレは、ショパンの「ロマンス」を演奏した。この曲は、愛猫が亡くなった時に
ずっと弾いていて、悲しみを慰め癒してくれた大切な曲。その後も朝一番に弾く曲
になっている。
 前日から思わぬアクシデントがあり心配したが、とても思いのこもった演奏で、
聞きに来てくれた方からは「感動しましたよ」と言っていただいた。本人も「100
%満点な演奏」と満足できたようだ。
    

 シュガーホールのような大きなコンサートホールでスタインウェイを弾いて、
本番で満足できる演奏ができたのはなによりの嬉しさである。これも、先生の
ご指導とそれを会得する熱心な練習があってこそである。
 スマホで撮った動画がなぜかピンボケになっているのが返す返すも残念で
ある。


















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シェーバー本体より替え刃が高いとは!

 愛用のシェーバーの外刃が壊れたので、替え刃を買いに家電量販店に行った。
 ドイツの有名メーカー製のシェーバーである。剃り具合がよくて、30年来買い
替えを繰り返し、3台目を使っていた。こちらはまだ、使い始めて2年過ぎたところ
だった。このメーカー製では、安価な方だった。
 量販店で探すと、私の機種にあった替え刃がない。止むを得ず、新都心の量販
店に行った。やっと機種にあった替え刃を見つけた。ところが値段をみてビックリ。
本体価格よりも高いのだ。「こんなことってあるの!」。思わず独り言を言った。
 これまでは、本体は10年以上使っても平気で、替え刃を何回も変えて使ってき
た。替え刃が本体より高いという問題はなかった。
 このメーカーの替え刃は他と比べてもちょっと高い感じがする。それにしても
本体価格より替え刃が高いというのは今回が初めてだ。
 まあ、シェーバーの替え刃は、プリンターのインクと似て、本体価格は安くして
替え刃やインクで儲ける商法のようだ。
 替え刃を買う値段で、新しいシェーバーが買えるので、結局、日本メーカーの
新しいシェーバーを買って帰った。
  それにしても、替え刃が本体より高い逆転現象には、いまだに納得がいかない。
替え刃以外の本体は十分機能して使えるのに、替え刃が本体より高いため、ゴミ
扱いになるのも忍びない。本体は安くして部品で儲ける商法の生み出す不合理
である。
 

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「あやぐ節」の不思議、その2

 「あやぐ節」の歌詞の紹介の続きである。
4、沖縄いもらば 沖縄の主 落平(うてぃんだ)の水に あみさますなよ 我んたが
 香ぬ 美童匂の 落てがすゆら
 (沖縄に帰られたら(行かれれば)沖縄の旦那様 落平の水で浴びないで下さい 
 私の匂い、愛しい匂いを何時までも持っていて、他の人に移さないで下さい)
 これは宮古からまだ船出する前に、本島に行っても私の匂いを落とさないで、
と願う女性の気持ちが歌われている。由絃会教本は「沖縄いもらば」を「沖縄
に帰られたら」と訳しているので、男性は沖縄本島からやってきたことになる。
宮古島在住なら「沖縄に行かれれば」となるだろう。落平とは湧水で知られており、
昔は対岸の那覇から水桶を積んだ伝馬船が来て、飲み水を汲んで運んでいたそ
うだ。
 <宮古島から本島に旅していけば、浮気をしないか心配だったのだろう。「落平
の水」にかけて、「私の匂いを落とさないで、浮気しないで」と諭したのではないだ
ろうか。(島袋盛敏、翁長俊郎著『標音評釈琉歌全集』)>
       IMG_6189 (2)

5、宮古から 船出ち 渡地の前の浜に すいぐはいくまち
(宮古から船を出して 渡地の前の浜に直ぐに着くほど、順風で平穏な船旅である)
 5番の歌詞の理解もいろいろな解釈がある。この解説では、平穏な船旅のことだ
と解釈している。通常は「宮古から船を出して 渡地の前の浜に すぐ走り込ませた」
と解説されることが多いのではないか。
渡地に走り込んで来ると、そこには…渡地小女郎波枕(遊女)たちが待ち受けてい
る。それで船頭衆は渡地に向かうときは元気が出て、他の方向に行くときよりも倍の
力を出して、舟足を急がせるのであった。そして海の男達は手荒く小女郎たちを愛撫
するのであった(『標音評釈琉歌全集』)>
 かなれ露骨な表現で、船が渡地に急ぐ意味を評釈している。ただし、歌詞には、遊
郭、遊女のことは出てこない。
 留意する必要があるのは、この渡地には宮古蔵と呼ばれる施設があったことであ
る。宮古蔵とは「宮古、八重山の貢物をつかさどった機関」。貢布、特産品の貢物を
扱った。「王府の各機関に納入するさいの窓口業務的な性格の機関であったよう
だ」。また、「貢使の宿館的な機能ももっていたらしい」(『沖縄大百科事典』)。
                  明治初年の那覇 
 宮古から本島に向かう船といえば、貢納物の運搬が重要な任務の一つだった
はずだ。まずは宮古蔵に貢布や特産品の貢物を納入することが優先するだろう。
宮古蔵が宿館的な役割もあれば、必ずしも遊郭に急ぐという意味とは限らない。
 この曲の一貫したテーマが、宮古島の女性が船出する男性への思いを歌って
いることからみれば、5番だけ、男性が遊郭に行きたいので船を急がせたという
意味では歌全体の整合性がないことになる。
 由絃会の工工四(楽譜)集の旧版では、「宮古から 船出ち…」が4番になり、
「沖縄いもらば…」が5番にあった。
 でも、「沖縄いもらば」は、宮古島から船出する前の場面を歌った歌詞である。
「宮古から 船出ち」の歌詞は、船が那覇に着く情景が描かれている。そうなれば、
やはり「沖縄いもらば…」が先になるという判断があって、新版では入れ替えたの
ではないだろうか。

6、鳴かぬ烏の 声聞きば 生まれぬ先からの 縁がやたら
(鳴かないカラスの声を聞いたので あなたとは生まれる前からの縁があったの
でしょうか)
 女性と男性が深い縁で結ばれた仲であることが歌われている。
 かつて、歌詞の誤った解釈や曲全体について理解が不足していたので、歌詞に
ちぐはぐな印象があった。だが、こうして見てくると宮古島から船出する男性に対
する女性の深い愛情が歌われていて、歌全体にそのテーマが貫かれていること
がわかる。この曲を歌う時にも、これまでよりも気持ちを込めて歌えそうだ。



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「あやぐ節」の不思議、その1

  「あやぐ節」 の不思議
 この曲は、宮古島の伝統歌謡の「あやぐ」(「美しい言葉」の意味)を題名として
いて、宮古の歌かと思うと、宮古の工工四(楽譜)には掲載されていない。主に
沖縄本島で歌われている。歌詞を見ると、一つ一つの歌詞の意味は理解できる
が、全体の構成とその意味について、いまいちよく分からないところがあった。先
日、民謡仲間のTさんと話している時、「由絃会の歌詞集の古いものと新しいも
のを比べると、4番と5番んの歌詞の順序が入れ替わっているのはなぜだろうか」
と議論になった。順序を変えた理由を推察してみると、この曲の構成と意味につ
いて理解が深まった。知っている人は知っているだろうが、知らない人は知らない
ことではないかと思い、現在の理解の到達点を記しておきたい。
 この曲がちょっとややこしいのは、歌の舞台や基本的な構成、歌詞の解釈につ
いて、研究者によって様々な解釈があることだ。たとえば、仲宗根幸市氏は<「あ
やぐ節」は宮古から旅してきた船乗りと遊女との問答歌(『琉球列島島うた紀行 
三集沖縄本島周辺離島那覇・南部』)>とのべている。つまり、歌の舞台は那覇
であり、宮古の船乗りと那覇の遊女との関係を描いた歌だと理解している。


 沖縄民謡を解説しているサイト「たるーの島唄まじめな研究」は次のように解説
している。
 <「沖縄ぬ主」つまり沖縄から来た役人または船員の男性と、宮古島の「みやら
び」(娘)たちとの熱い恋の思いを歌ったものである。>
 ここでは、歌の舞台は宮古島であり、沖縄から来た男性と宮古の女性の恋とい
う理解である。宮古島を舞台とした場合でも、男性も宮古島の船乗りや役人で、
宮古の女性と恋仲にあるという見方もあるだろう。

 私も当初、仲宗根氏の解説も読み、この曲の最初に、薩摩藩の在番奉行所を意
味する「仮屋」が出てくるし、他に那覇の地名も登場するので、沖縄本島を舞台と
する曲だと勘違いをしていた。
でもT氏との共通の理解は、歌の舞台は宮古島であり、宮古から船旅に出る男性
と女性の恋歌ということである。しかも、男性を思う女性の立場から歌われている。
 この男性が、宮古島在住者で用務があって那覇に行くのか、沖縄本島から宮古
に来た男性が那覇に帰るのかで歌詞の理解が変わってくる。歌詞と歌意の紹介は、
由絃会の教本によるが、この教本は、2番では「沖縄では短い滞在で帰って来て下
さい」と願いながら、4番では「沖縄に帰っても」とのべ、本島からやって来た男性の
ように表現している。矛盾する解釈ではなかろうか。
    
 「あやぐ節」の歌詞を改めて紹介する。
1,道の美らさや 仮屋の前 あやぐの美らさや 宮古のあやぐ (囃子は省略)
 (道が美しいのは仮屋の前 歌の美しいのは宮古のあやぐである)
 1番はあくまで宮古のあやぐの美しさを仮屋の前の道の美しさと対比して強調し
ているだけであり、あくまで主役は宮古のあやぐである。
2,手拭の長さや なぎ長さ 庭に植てるガジマル木の 葉の長さ
(沖縄での滞在は手拭の長さでは長すぎる せめて庭のガジュマル木の葉のよう
に、短い滞在で帰って来てください)
 この2番の歌詞は、文言だけ見ると意味が分かりにくい。だが、この解説のように
意訳すれば船出する男性への女性の思いが表されている。
3、うばが家と ばんたが宿と 隣やれば 今日も見り 明日も見り かなし里よ
(あなたの家と私の家が 隣同士であれば 毎日逢うことができるのに 愛しい人よ)
 3番は、男性の家と女性の家が隣同士ならよいのに、ということは、互いの家は
離れていることが前提となっている。
仲宗根説のように、宮古から那覇に来た舟乗りと遊女の仲を歌っていると見るなら、
3番の歌詞の意味が分からない。宮古島を舞台と見れば、歌詞の意味が理解しや
すい。
 次の4番と5番の歌詞が、由絃会の工工四(楽譜)の旧版と新版で入れ替わって
いる。


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シニアピアノ音楽会で「やいま」を歌う


 シニアピアノ音楽会vol13が17日夜開かれた。、丸3年を迎えた今回は、
初めて参加する方や、前に一度見に来たり、出たことがある方が多く、多
彩な顔ぶれによる充実した音楽会になった。
    13回
  私は、ツレのピアノ伴奏で「やいま」を歌三線で歌った。
 石垣島を離れて12年、故郷を偲ぶ曲である。
    やいま2 
   「いい曲だから譜面が欲しい」という方があり、工工四(楽譜)をコピーして
お渡しした。これを五線譜に直して演奏してみたいとのことだ。いつか、その
方のピアノかギターによる「やいま」を聞いてみたい。

 ツレはピアノソロで、ショパンのワルツ7番嬰ハ短調とバッハのインベンショ
ン1番ハ長調を演奏した。
    DSC_5651.jpg
  みなさん、この3カ月ごとの音楽会に向けて努力されており、それぞれに味
わいのある演奏だった。
 


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獲得形質も遺伝する?

 NHKテレビで「シリーズ人体Ⅱ遺伝子第2集 ❝DNAスイッチ❞が運命を変え
る」(2019.5.11)を見た。 日頃、遺伝子などには極めて弱いのであまり関心はな
かった。でも見ていて、ちょっとひっかかったのは「親のDNAスイッチは一代限り
引き継がれないものとされていたが、それが覆された」という内容になっていた
からだ。
 「DNAスイッチ(エピジェネティクス)」とはなにか。「命の設計図と言われる遺伝
子には、いわばスイッチがあり、オンとオフを切り替えれば、その働きをがらりと変
えられる」とのこと。「すでに、がん治療の最前線では、そのスイッチを薬でコント
ロールする治療が可能に。そして、肥満などの体質を決める遺伝子から、記憶や
音楽などの能力に関わる遺伝子まで、全てスイッチがあり、コントロールできる可
能性が浮かび上がってきました。さらに、精子をトレーニングして、生まれくる我が
子へ優れたDNAスイッチを受け継ごうという研究まで始まっています」(NHKの番
組紹介から)。
 
 北極圏のある村では、メタボで心筋梗塞になる人が多い。その祖父の代に大豊
作だった。食べすぎると子や孫が普通に食べても肥る。DNAスイッチが変化し受
け継がれた。DNAスイッチがリセットされてない。

 「親が経験によって獲得した性質や体質が次の世代に遺伝することがあると分
かった」という。
 沖縄でも、親が肥っていると、子どもも肥ると言われるそうだ。これは、親の食生
活が影響して子どもも肥るのだろうと思っていたが、それだけではないらしい。
 ノーベル賞学者の山中伸弥氏は「「生死のDNAスイッチはいったんニュートラル
になるとされてきたが、その一部は残る可能性が示唆されている」と解説していた。
ただし、山中氏は「大胆な仮説」とのべていた。
 他にも、マウス実験により恐怖の体験が遺伝することを実証されたという。
 宇宙飛行士の兄弟がいて、弟だけ宇宙に滞在して変化を見たところ、宇宙に340
日いると9000以上のDNAスイッチが変化した。宇宙での環境の変化に対応して適
応できるように変化している。「DNAスイッチは未知の環境にもすばやく適応し生き
抜くために備わった仕組みなのです」とのこと。
 山中伸弥氏のメモは「「長い時間をかけて環境に適応する『進化』 短期間の環
境の変化を乗り越える『DNAスイッチ』→その組み合わせで人類は生き延びてきた
」と解説していた。
 
 これまで、「獲得形質は遺伝しない」ということが定説とされ、私も科学に詳しい
知人からそのように聞かされてきた。ただ、獲得形質がまったく遺伝しないという
ことには少し疑問をもっていた。戦後の急速な身長の伸びや時代によって顔の形
まで変化する事実は、食生活や生活習慣の変化などだけで説明できるのか、モヤ
モヤ感が残っていた。

 改めて調べて見ると、この番組で取り上げたような「親が経験によって獲得した性
質や体質が次の世代に遺伝することがある」という研究結果が発表されている。
 京都大学の西田栄介 生命科学研究科教授、岸本沙耶 同博士課程学生、宇野雅
晴 同特定研究員らの研究グループは、親世代に低用量ストレスを与えることで獲
得されるホルミシス効果(ストレス耐性の上昇や寿命の延長)が、数世代にわたって
子孫へと受け継がれることを発見しました(2017年1月9日午後7時に英国の学術誌
「Nature Communications」にオンライン掲載)。
 以下、研究の概要である。
 <生物学では長らく、後天的に獲得した形質は遺伝しないと考えられていました。
ところが近年になって、その通説を覆すような事象がいくつか報告されるようになり
ました。例えば、高カロリー食により肥満になった父ラットから生まれた娘ラットが、
通常食で育ったにもかかわらず糖尿病の症状を示すという報告が挙げられます。
このように、親が生育した環境によって子供の表現型が変化を受ける可能性が示
唆されているものの、それがどのようなメカニズムで生じるのかについてはほとんど
明らかではありません。
            獲得形質は遺伝 
                 同研究の概要から

 そこで本研究グループは、親から子へと受け継がれる生存優位性に着目し、寿命
・老化研究に広く用いられるモデル生物である線虫C. elegansを実験対象として、獲
得形質の継承メカニズムの解明に迫りました。
 その結果、親世代において、成虫になるまでの発生過程で低容量のさまざまなスト
レスを与えて育てると種々のストレス耐性が上昇すること、さらにその耐性上昇はス
トレスを与えずに育てた子世代や孫世代にも受け継がれることを見出しました。加え
て、オス親のみにストレスを与える場合にも、その子世代の線虫でストレス耐性上昇
や寿命の延長といった効果がみられることが明らかになりました。このことは、核内
でのエピジェネティックな変化が、獲得形質の継承に関わっていることを示唆してい
ます。>
 獲得形質の遺伝は、19世紀にラマルクの進化説で主張されたが、それは否定され
てきた。今後の研究の発展が望まれる。


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今帰仁勢力に騎馬軍団の影響か、その7

 攀安知アラン騎馬兵団の後裔か
 上間篤氏の見解に戻る。さまざまな角度から検討した上で、次のように結論づ
けている。
 <これまでの考察の結果、中世今帰仁勢力ゆかりの出土史料及びその文物は、
元朝末期の江南地方で歴史の間に葬り去られたアラン騎馬兵団との繋がりを証
左・傍証する色合いに満ちていることが判明した。かかる考察結果を基に演繹す
るならば、中世今帰仁勢力を束ねた領袖琴安知は、元朝末期の混乱期に江南地
方で消息を絶った拜住(注・元軍の南宋計略の際、軍功に輝いた武将の4世代目
の領袖)指揮下のアラン兵団を出自とする落人集団の後裔にあたる人物であった
と判断される。…千代金丸の氏素性に言及すれば、それは、攀安知とその配下の
中核軍団が、常々軍神として崇め奉っていたアラン刀であったと解釈される。(「撃
安知とその家臣団の氏素性を探る」)>
 
 長い歴史の中で、中国大陸や朝鮮半島から琉球弧の島々に渡ってきた人たちが
いたことは様々な伝承、資料でもうかがえるが、西域出自の騎馬軍団が渡来した
可能性については、考えたことがなかった。
 今帰仁城跡出土の文物にこれら騎馬軍団の視点から光を当てた上間氏の考察
はとても新鮮だった。元朝治下の江南地方にアラン騎馬兵団ら駐屯し、元朝崩壊
とともに落人集団となったことも、寡聞にして知らなかった。難を逃れるために海を
渡って琉球にやってきたこともあり得ることである。
        056_2019021423040266f.jpg 
               今帰仁城跡
 ただ、西域出自の騎馬軍団にかかわりのある文物が発掘されたからといって、必
ずしもそれを持った人々が渡来してきたとは限らない。今帰仁城跡からは、13世紀
末から14世紀初頭頃の中国製の陶磁器が見つかっているように、帕尼芝、珉、攀
安知らが北山王となる「それ以前から海外との交流や権力の集中化、そして築城
が何期かに分けて行われている」(『今帰仁の歴史―なきじん研究vol.3』)とされる。
 元朝は1279年に南宋を滅ぼしたが、1368年には元朝も崩壊し、明の支配となった。
今帰仁勢力は、明以前の元朝の時代からすでに交易を行なっていたことになる。
明代になってから、帕尼芝6回、珉1回、攀安知11回の進貢が記録されており、旺
盛な交易を行なっていた。
 発掘品の中にある西域出自の騎馬軍団とのかかわりがあるかもしれない文物も、
交易を通じて輸入されただけであるかもしれない。
 
 上間氏も、「通底する要素が認められる」「近似性が指摘される」「西域趣味との
関わりを彷彿とさせる」などとして、慎重に断定的な表現は避けている。
 江南地方に駐屯していたアラン騎馬兵団の一部が、海を渡って今帰仁に来たとし
ても、それが攀安知となったとも限らない。帕尼芝が北山王となったのは1322年とさ
れるが、最初の明への進貢は1383年であり、実際はもっと後の時代ではないかとも
みられる。元の滅亡が1368年なので、アラン騎馬兵団の一部が逃れて来たとすれば、
帕尼芝の時代ということになる。帕尼芝と攀安知は、血縁関係にあるとされる。攀安
知の明への最初の進貢は、1396年である。帕尼芝、(播)、珉は琉球人で、攀安知
けがアラン騎馬兵団ゆかりの人物ということがありうるだろうか。渡来した騎馬兵団
の人たちは、北山王の配下となり、その庇護のもとにとどまっていたのかもしれない。
 その過程でさまざまな武具、生活用具、遊具など持ち込み、文化、宗教、呪術にか
かわることも伝えて、影響を及ぼしたことは十分にありうることではないかと思う。
 上間氏の提起した問題が、今後さらに研究が発展することを期待したい。 
    終り              文責・沢村昭洋      


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危険な交差点の信号改善を

 先だって夕方のテレビで、交通事故の多いワースト交差点として、よく通ってい
る交差点が取り上げられていた。事故の多い原因を指摘していたが、大事な点が
抜けているのではないかと感じていた。
 この交差点とは、国道329号線バイパスの仲井真方面から上間方面に行ったとこ
ろにある津嘉山バイパス入口の三叉路である。その右折の際に対向車との衝突事
故が多いという。ここは、右折信号がなくて、時差式信号である。時差式では、右折
の「⇒」が示されない。右折信号があれば、かなれ事故は減るはずである。そのよう
に思って「琉球新報」に投稿した。
 2019年5月13日付で掲載されたのでアップしておきたい。
   
交差点信号
   これを投降した直後に、滋賀県で対向車を確認もせず右折して乗用車が衝突事
故を起こし衝突された車が保育園児、保育士の集団に突っ込み2人死亡、多数の
負傷者を出す重大な事故が起きた。T字交差点の右折での事故は意外に多い。滋
賀の場合は、信号に関係なく、対向車の確認もしないで右折するという初歩的で重
大な危険運転の結果であるが、同じT字交差点の衝突事故の防止という意味では、
タイムリーな投稿となったかもしれない。


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アルテで「十七八節」を歌う

 
 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが11日夜開かれた。今回のテ
ーマは「好」。このテーマだとたくさん選択できる曲がある。今回は飛び入りも
あり、20組近くが演奏した。
 越智さんはトランペットで、ツレのピアノとコラボして「ラブユー東京~雪国」
を演奏した。
   
DSC_5626.jpg 
 三線仲間のTさんは、「ナークニ」を演奏した。味わいのある歌だった。
 私は歌三線で「十七八節」を演奏した。この歌は、男女掛け合いで歌う。
 17、8歳頃は夕暮を待つ、夜が暮れれば自由に遊べると歌い出す。二人は待ち
合わせの約束をしている。彼女も遊び好き、彼も遊び好き、夢の浮世を語りあって
遊ぼうと歌う。
   
ファクトリー「178節」
 ちょっとドキッとするのは、彼女が心変わりして私をすそにすれば刀歯にかけて恨
みをはらすと歌うところ。女性は、彼の刀の鞘は二つはないでしょう、夫を二人持つ
ことはないよ、とかわし、今日は別れてまた明日遊ぼうと歌う。
 琉球では士族も刀は差さなかったので、なぜ「刀歯にかけて」と歌うのか、少し疑
問がわく。でもここは史実は度外視して、「心変わりしないでほしい」という心情を表
現した例え話と理解しておきたい。

 ツレはピアノ弾き語りで「ノクターン~カンパニュラの恋」を歌った。
 ピアノソロでは、ショパン「ロマンス」とバッハの「インベンション1番ハ長調」を
演奏した。「ロマンス」はとても表情豊かな演奏だったのではないか。
    
DSC_5637.jpg 
   来月のテーマは「冷」。暑くなってくるかららしい。民謡では、沖縄は雪は降らない
のに、「庭には雪が降っている」という歌詞の曲がある。これから考えることにしよう。
 


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今帰仁勢力に騎馬軍団の影響か、その6

 攀安知は渡来系武人の風貌?
 ここで改めて攀安知(はんあんち)について触れておく。
攀安知は、「資性はなはだ剛毅にして、武勇は絶倫であった。常に中山国を討っ
て天下をにぎろうとの野望をいだいていたが、武力をたのんで善政をしかなかっ
たため、一族の名護、羽地、国頭など、近隣の諸按司からきらわれ(た)」(『今帰
仁村史』)という。
 羽地按司が、山北王(攀安知)は兵馬をととのえて中山を討伐しようとしている
と告げた。尚巴志は浦添、越来、読谷山、名護、羽地、国頭の各按司に命じて大
兵を率いて攻撃させ、山北は大敗した(『蔡鐸本中山世譜』から)。
 

 攀安知には「渡来系武人」の風貌を連想させるものがあるという。
 <『中山世譜』が伝える琴安知像にも、日本古来の武士像とは一線を画す、渡来
系武人の風貌を連想させるものがあって面白い。この史書には、撃安知が武芸絶
倫の人であったと記されている。またこの人物の最後の振る舞いに言及した段に
おいては、彼が千代金丸を振りかざして霊石に十字を切刻したことや、自刎(注・
じふん)して果てたことなどが記されている。因みに自刎とは、鋭利な刃物で自ら
の頚動脈を切断して命を絶つことをいい、切腹とは一線を画す自殺行為を指す。
(「撃安知とその家臣団の氏素性を探る」)>
 攀安知の最後を「切腹」とした解説もあるが、『中山世譜』は「刀をぬいて盤石
を切り、自刎して」と明確に記している。
 確かに、霊石に十字を刻んだり、首を切り自害する行為は、日本や琉球の武
士らしくない。 
          060_20190214230404d8a.jpg 
                     今帰仁城跡の城壁
 攀安知の名前の由来は
 攀安知の名前も少し風変りである。「攀」の文字を音写表記すると、<トルコ・
モンゴル語起源の王を意味する「ハン」に通底する要素が認められる>。その下
の「安知」の呼名の響きは、<弓の達人を意味するモンゴル語起源の「アンチ」に
比定されておかしくない特徴が感知される>。上間篤氏はこのように解釈してい
る(『中世の今帰仁とその勢力の風貌』)。


 歴史家の伊敷賢氏は、<攀安知は「ハンアンチ」と読んでいるが、本来は「播
王の王子」のことなので、「播按司」(ハンアンジ)と書いた方が良いと思う>との
べている。播王とは、怕尼芝の世子で伊江王子播(ハン)のこと。怕尼芝の在位
年数が69年とあまりにも長すぎるので、初代と二代珉王との間に一代あり、帕
尼芝亡き後、播が王を継ぎ数年して高齢のため王位を譲り珉(ビン)王が継いだ
と見ている。珉王は病気のため急死した。そのとき、伊江播王の妾・伊江播加奈
志の王子攀安知が珉王の王子を退け、王位を奪ったという(伊敷賢著『琉球王
国の真実―琉球三山時代の謎を解く』)。


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