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レキオ島唄アッチャー

ウチナーンチュ魂の宿る教訓歌。移民小唄

 「移民小唄」
 沖縄は、戦前から外国に移民としてたくさんの県民が渡って行った。南米、ハワ
イ、北米、南洋諸島など。世界にウチナーンチュが広がっている。移民の際の心
構えとして歌われた民謡もいくつもある。その一つが「移民小唄」である。作詞・作
曲は普久原朝喜氏である。
     
1、なれし故郷 沖縄の 想い出深き 那覇港 泣いて別れた両親(ふたおや)と
  八重の潮路を 押し渡り
2、海山越えて はるばると 来たる月日も 夢の間に も早一年 たちました
  油断するなよ ネー貴男
3、立てし志望の 一筋は 岩もつらぬく 覚悟あれ 金は世界の まわりもの
  かせぐ腕には 金ばかり
4、無理なお金も 使わずに 貯めたお金は 国元の 故郷で祈る 両親に
 便り送金も 忘れるな
5、人に勝りて 働けよ 金倹貯蓄 心掛け 錦を重ねて 帰る時
 親の喜び 如何ばかり
  
 歌詞は共通語で書かれているのでわかりやすい。
  移民の人たちの多くは、見知らぬ土地で、開拓などで筆舌に尽くしがたい苦労をし
たといわれる。労苦が実り成功した人もいれば、病苦などさまざまな事情によって志
半ばで、倒れた人もいる。この歌には、夢を抱いて世界に広がった沖縄移民の人た
ちの共通の思いが込められているのだろう。


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ウチナーンチュ魂の宿る教訓歌。黄金の花

 「黄金の花」
 次は、ネーネーズが歌ってヒットした「黄金の花」である。作詞は、「襟裳岬」
などで知られる岡本おさみ氏である。県外出身者であり、歌詞のテーマも外国人労
働者を念頭に置いたものだというので、沖縄の教訓歌とは言えないかもしれない。
ただ、作曲は、知名定男氏であり、歌っているのも沖縄の女性グループなので、
沖縄島唄の中に数えてよい。歌詞の内容から、沖縄から大和に働きに出ている人た
ちのことを歌っていると思っている人もいる。県民にとても愛されている曲なので、
教訓歌の一つとして扱いたい。岡本おさみ作詞 知名定男作曲
        
1、黄金の花が咲くという 噂で夢を描いたの 家族を故郷 故郷に 置いて泣き泣き 
 出てきたの 素朴で純情な人達よ きれいな目をした人たちよ
 黄金でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る
2、楽しく仕事をしてますか 寿司や納豆食べてますか 病気のお金はありますか
 悪い人には気をつけて 素朴で純情な人達よ ことばの違う人たちよ
 黄金で心を汚さないで 黄金の花はいつか散る
3、あなたの生まれたその国に どんな花が咲きますか 神が与えた宝物 
 それはお金じゃないはずよ 素朴で純情な人達よ 本当の花を咲かせてね
 黄金で心を捨てないで 黄金の花はいつか散る
 黄金で心を捨てないで 本当の花を咲かせてね
 
 歌詞の中でもとくに「寿司や納豆食べてますか 病気のお金はありますか 悪い
人には気をつけて 素朴で純情な人達よ」というあたりは、沖縄から就職や進学で
本土に出て行った人にも、当てはまり共感できるようだ。
 県民に愛されている歌の一つである。

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謝苅の眺めの良いそば屋

  ドライブで北谷方面に出かけたので、眺めが抜群という「謝苅そば」に立ち寄っ
た。謝苅(じゃーがる)は、民謡唄者が何人も出ていて、よく名前を聞くけれど、
まだ行ったことがなかったので一度行ってみたいと思っていた。
     謝苅そば2
 ちなみに謝苅の地名は、珍しい。「ジャーガルと呼ばれる泥炭岩からできた土壌
が地名の由来になっています。地質由来の地名は他に『真地(まーじ・那覇市)』な
どがあります」(週刊レキオ「島ネタCHOSA班」2015年1月15日付)」。
 地図で謝苅の地名を探すと出てこない。字の名ではなく、行政区として謝苅区と
なっている。
 
 国道53号線から右折して、曲がりくねった坂道を登っていくと店があった。この辺
りは高台になっている。店内に入ると、西側はカウンター席となって、眺望を楽しん
で食べられるようになっている。
 メニューにある謝苅そばを頼むと、肉はソーキと軟骨ソーキがのっていて、とって
もいいお味だった。
               謝苅そば
 目の前に広がっていたのは、米軍キャンプ桑江の米兵の住宅群だった。その向
こうには、基地返還のあと発展したアメリカンビレッジや商業施設とホテル、マンショ
ンのビルが並ぶ。
 しかし、眼前のキャンプ桑江に加え、その南側はキャンプ瑞慶覧があり、国道沿
いの広大な平地は米軍基地に占領されたままだ。広い基地に比べて謝苅の民家
は山手に密集している。その光景を眺めていて思ったのは、戦前は農地と集落が
あっただろう、米軍の基地建設で住民は追われて、山側に住むしかなかったので
はないかということ。
 <戦前までの北谷は農村として栄え、特に字北谷を中心とした玉代勢、伝道の
北谷三箇」にまたがる水田は、「北谷ターブックヮ」と呼ばれ、県下の三大美田の
一つに数えられていました。(北谷町HP)>
 やはり立派な水田地帯だったのだ。
           米軍キャンプ桑江

 <第二次世界大戦末期の昭和20年4月、米軍が北谷海岸から上陸したため、村
民は北部の宜野座や金武に避難を余儀なくされた。戦後は村全体が米軍の占領
地となり、村民は帰る場を失ってしまう。昭和21年10月にようやく桃原地域の一部
に居住が許され、その後、居住許可地域が嘉手納、謝苅と次第に拡大されたので、
村民も次々に戻ってきた。しかし、静かな田園風景は跡形も無く消え、代わりに米
軍の兵舎や施設が建設されていた。村の中心部が米軍のキャンプ桑江、瑞慶覧
に接収されただけでは無く、嘉手納飛行場が大幅に拡張されたため村は南北に完
全に二分されてしまった。当時は交通機関も発達しておらず、行政に大きな支障を
きたしたので、村民の約7割が戻った昭和23年嘉手納地域が分村し、嘉手納村が
誕生した。(太田 真仁著「北谷町の米軍基地と跡開発」)>

 沖縄戦で避難を余儀なくされた住民が、居住許可で出ても戻ってみると、村の中
心部は米軍に接収され、兵舎、施設が建設されていたという。水田地帯だった北谷、
玉代勢、伝道の人たちは謝苅に移住するしかなかったらしい。
 この眺めのなかに、北谷の沖縄戦と戦後の歴史が刻まれていることを痛感した。


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魅惑のヒスイカズラ

  幻想的な色彩で魅了するヒスイカズラが咲きだしたと聞いたので、何度か見た
ことがある南城市垣花を訪れてみた。
      53919179_2164000677045892_8631399559190282240_n.jpg 
  垣花の集落に入って行くと、小さな広場があり、ガジュマルの樹があるお宅
の庭に咲いている。前はお庭につくられた棚からたくさん花のツルが降りてい
た。今年は、塀の外の通路の上に棚が作られていて、通路にお花が無数に降り
て、「ヒスイカズラのトンネル」のようである。
 ヒスイカズラは、他の花々にはない独特の色合いで何度見ても美しい。
 思わずツレがツーショットで自撮りした。
         54354268_2164001143712512_5354239834741276672_n.jpg 
    お庭にも外の路上にもたくさんの花を咲かせているこのヒスイカズラだが、
確か一本の根から伸びているらしい。5年前に訪れた時、この家のご主人がい
らっしゃって、教えていただいたことがある。下はその時の写真である。

                  IMG_5208_201903212223209bb.jpg
 すべてこの一本から伸びている。すごい生命力である。下の写真もそのとき
お庭で撮った時のものである。
         IMG_5205.jpg
   
 
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ウチナーンチュ魂の宿る教訓歌。意見あやぐ

「意見あやぐ」
 次は口説ではないが、「意見」の名がつく「意見あやぐ」である。「意見」とは「教え」
「教訓」と同じような意味である。
 この曲は、「風狂の歌人」と称された唄者の嘉手苅林昌さんのお母さん、嘉手苅
ウシさんが昔から沖縄に伝わる教訓をまとめた歌詞を、林昌さんらがあやぐの調
子にのせて歌ったという。

1、うゆす世間ぬ産し子ぬ達 銭金儲きてぃ 荒地にさん事 細しく使みそり
 荒地にしーねー 泉ぬ水んひなゆるたみし
 (すべて世間に生まれた子どもたちは お金を儲けては無駄遣いしないよう
 慎ましく使いなさい 無駄遣いすると泉の水でさえ少なくなるものであるぞ)
2、たとぅいわじかぬ銭やてぃん 一日に一厘貯みてぃん百日五貫 チリん積むれ
 山ふどぅ重なてぃ大福なゆさ
 (たとえ僅かのお金であっても一日に一厘=50文=貯めれば百日で五貫になる
 チリも積もれば山ほど重なって大きな福になるよ)
3、油断とぅ貧乏やけー隣い 働ち男とぅうぇーきぬ神や腹ぬ兄弟ど 
 稼ぐに追いつく貧乏ぬ神や世間にねーやびらん
 (油断と貧乏はすぐ隣 働き者と金持ちの神は同じ腹の兄弟だぞ 
 稼ぐに追いつく貧乏の神は世間に居ません)
4、産し子ぬ栄いや村栄い 村々里々栄てぃ行かわどぅ国ん栄る 
 家庭円満和睦にそーてぃ う栄いみそり
 (わが子の栄えは村の栄だ 村々里々が栄えていってこそはじめて国も栄える
 家庭円満仲良くしてお栄なさい)
5、銭やくぬ世ぬまわり物 玉黄金産し子や御天ぬ授き物 やくとぅ人ぬ達うぇーき
 貧乏や坂ぬ下り上い
 (お金はこの世に回り物 大切なわが子は天からの授かりもの だから皆さん金
 持ちと貧乏は坂の下り上りのようなもの)
               
 お金の大切さや無駄遣いを戒め、子ども大切に家庭円満を説いている。とくに「油
断と貧乏はすぐ隣 働き者と金持ちの神は同じ腹の兄弟だぞ」という表現はとてもユ
ニークで面白い。
 「『意見あやぐ』は、嘉手苅の原点を感じることのできる歌のひとつでもある」(「沖縄
LOVEWeb」備瀬 善勝)


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楽しかった在沖高知県民の会新年会

 在沖高知県民の会新年会が17日夜開かれた。今回は、県民の会で出会った2人が
婚約を発表するというサプライズがあり、おめでたい新年会となった。
   昨年2月に初めて県民の会の集りに参加して、今回は2回目。高知生まれではない
妻も初めて参加した。 
 前回は8人の出席だったが、今回は親子が2組あり、東京や高知在住の方もいらっ
しゃり、16人と大幅に増えて賑やかな新年会となった。
        53926468_2160135644099062_5324039145134227456_n.jpg 
 婚約した2人には、花束が贈られてみなさんが心から祝福した。県民の会がご縁で婚
約なんて、同県人として望外の喜である。
 主宰者からの要請で、三線を持参していたので、歌三線でお祝いの「かたみ節」
「オジー自慢のオリオンビール」を歌い、「ニービチ(結婚)サビタンアリ乾杯!」
と婚約を祝った。

  
             2019高知県民の会新年会
 
 高知の県民愛唱歌ともなっている「南国土佐を後にして」も演奏し、みなさんで
歌ってもらった。(上の写真は、参加者のFacebookからお借りした。)
 私が最年長でみなさんまだお若い方が多い。沖縄が大好きな方々だ。
 故郷からは遠いこの南の島で、高知出身者が集り、懐かしい故郷の話ができるのも
県民の会のHさんはじめ中心メンバー方たちの努力のおかげである。感謝。
 
 
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ブログの見苦しさについてのお詫び

 わがブログが2月末くらいから、テンプレートがおかしくなり、文字がブログの
枠内におさまらず、枠からからはみ出すようになった。原因が不明でなおらない。
ところが気まぐれで、正常に戻ったりまたはみ出したりを繰り返している。最近
アップするものは、どちらでも対応できるように、一行の文字数を制限しているの
で、正常の画面で見られている。でも、過去にアップした記事は、しばしば枠から
はみ出して、とても見苦しいことが起きている。過去の記事はあまりにも数が多い
ので、もはやすべてを手直しすることは出来ない。お見苦しいことになるがご容赦
願いたい。
 テンプレートを変更すれば防げるようだが、現在のテンプレートに愛着があり、
まだこのまま使っていきたいので、ご理解ください。

 もう一つ、過去にアップした写真が、いつの間にかアップした写真とは異なる、
まったく無関係の別の写真に入れ替わるという現象が起きている。一つ一つの写真
にしっかりタイトルを入れていれば防げたが、単純な番号でしか表示されていない
写真については、同じ番号の別の写真に入れ替わるという問題が起きていた。それ
も最近、検索していて気が付いた。これは、入れ替わりが判明したものから順次、
元の写真に戻す作業をしているところである。ただし、これもアップした写真がと
ても多いのですべてを点検するのには時間がかかる。こちらも大変見苦しいことに
なっているけれど、どうかご容赦願いたい。
 2019.3.16 レキオ島唄アッチャー管理人















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ウチナーンチュ魂の宿る教訓歌。放蕩口説

「放蕩口説」
 次は「放蕩口説」である。こちらは、「小浜守栄が人生を述懐して作った放蕩口説」
といわれている。守栄氏は戦後、民謡の歌手、創作者として活躍し、嘉手苅林昌と
は名コンビぶりを発揮した。
 作詞 小浜守栄  

1、銭と命(ぬち)や右左 昔語いゆ知りなぎな 人の心の あさましや
 (お金と命とは車の両輪の如く、昔から語り継がれて知ってはいるが、
 人間の心というものは実にあさましいものである)
2、うりほどかなさる 親兄弟(うやちょうでー)に 友人(どぅし)ぬ意見ぬん
 他人事(ゆすぐとぅ)に 花の香りに 浮かされて
 (とても可愛がられた親兄弟、友達の言う事も聞かず、女にうつつを抜かし)
3、親の譲りの財産ぬん 我が儘じままに 使はてて 遊び楽しみ するうちに
 (親譲り財産も、自由勝手に使い果たし、遊び楽しんでいるうちに)
4、老いて六十の坂くれば 顔や頭に雪かみて 涙流ちよて 働らちん
 (年老いて人生の下り坂に来れば、顔にはしわ、頭は白髪になってから
 涙を流して働いても後の祭り)
5、元の姿に戻らりみ 楽しで後のこの苦しや 今ど知ゆる 我が仕様(しざま)
 (もう元の姿に戻れない、遊び楽しんだ後の苦しみは、今になって分かる自分の
 仕業である)
6、やくと世間の産子の達(なしぐゎぬちゃ) 親の寄せ事(ゆしぐとぅ)そむくなよ
 くくりて渡りよ この世間(しけ)や
 (だから世間の子供達よ、親の言い付けには背いてはいけない 世の中を心して
 渡りなさい)
        
 若きとき親兄弟の忠告も聞かず遊び回り、財産も使い果たして後悔する歌詞になっ
ている。ただ、守栄の評伝(大城学著『沖縄新民謡の系譜』)を読むと、「温厚な人柄
で、派手に立ち振る舞うこともせず…正義感が強く人望のあつい人」だった。「民謡
一筋で生計を立ててはどうか、との声もあったが、9人の子ども(二男七女)を育てる
ために、軍作業をやめるわけにはいかなかった。しかも、収入のいい夜勤をしていた。
夜勤あけの日に、昼間の公演があれば一睡もせずに、舞台に立ってこともあ(った)」
という。評伝からはあまり放蕩したイメージは浮かんでこない。それでも、人生を述懐
して戒めの曲をつくったというのは、真面目な人柄だったのだろう。


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ウチナーンチュ魂の宿る教訓歌。意見口説

「意見口説」

 「十番口説」にとてもよく似た曲に「意見口説」がである。ただし奄美の島唄である。
 
 口説(くどぅき) 望(ぬず)むか 読(ゆ)でぃうぇせら 吾んが 口説きや
うむぃ さまし しさい ながらく 読でぃ うぇせら
1、先ずや 一番や 命ありぃ命ぬ ありばどぅ
 何事む 思うてぃ 居ること なてぃいきゅうり
2、二番や 侍(さむ)れぬ 大元(だいむとぅ)や手習い学問を
 良く習うて 親に孝行 めでぃになる
3、三番 百姓ぬ大元や折り節(うりせつ) 物(むん)作り 遅り(うくり)らんごん
 朝夕(あさんゆ)油断さんご 働きよ
4、四番や 家(やぁー)むち かん寄(よ)しゅてぃ 夫(おと)良し 妻(とぅじ)良(ゆ)し 
 和談(わだん)しちゅうてぃ いけんぬ やりくり さんぐとぅに
5、五番や 大世間(うーせけん)ぬ 人見れば 侍(さむれ)も
 百姓(ひゃくしょう)も ぎもいらぬ 誠付きよす 面白さ
6、六番 銭金(じんかね) 集めとぅてぃ 金ぐぁぬありばどぅ 何事(なにぐとぅ)む
  思てぃ居る如 なてぃいきゅり
7、七番や 七十(しちじゅう)ぬ 歳(とぅし)なりば 物事様々 
 思(うむ)ぃ詰めぃて 楽よん好むが 面白さ
8、八番 八十ぬ 歳(とぅし)なりば 八月(はちぐぁつ)八日 とかけて 
 升(よね)ぬ お祝いするばかり
9、九番や 九十(くんじゅ)ぬ 歳なりば くぁまーが ひきまーが
 ひきつれて ひゃくせ おごりゅんが 面白さ
10、十番 じゅうごうぬ だれびとや 昔神が世か 話なし
 居たんか居らんかぬ 話無し
 まずは とぅてんに 意見口説 老いても若さも 聞てぃ 見しょれ
 朝夕 忘らんよう かみしもー
        
 「意見(十番)口説」(「奄美シマウタ研究会」ブログ)とされており、やはり「十番口
説」の別名のようだ。歌詞を見ると、些細な言葉使いの差異はあるが、ほとんど同
じである。奄美と沖縄のどちらの曲が古いのかは分からないが、島づたいに伝わ
ったのだろう。


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アルテで「別れの煙」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが9日夜開かれた。今月のテ
ーマは卒業シーズンなので「卒」。エントリーは20組あり、ギター、ピアノ、ウ
クレレ弾き語りから、歌三線、鍵盤ハーモニカ、アカペラ独唱、洋楽替え歌バージ
ョンなど多彩な演奏で盛り上がった。
                 IMG_5904.jpg
 例によって、私たちに関係するものだけをアップする。越智さんはトランペット
で「贈る言葉」を演奏し、ツレがピアノでコラボした。 
     贈る言葉(2019-03-9) (2) 
 
   私は民謡の「別れの煙」を演奏した。沖縄で戦前、戦後すぐの時代には中学、
高校を卒業して本土に進学や就職する子どもが船で旅たつ際、山原など北部の親
は、名護城に登り、松葉を焚いて白い煙をあげて、沖を航行する船を見送ったと
いう。その情景をうたっている。子どもの旅立ちは嬉しくもあり寂しくもある。
そんな心境が描かれている。

      DSC_5258.jpg 
 ツレはピアノ弾き語りでは、いきものがかりの「YELL」、ピアノソロでは、ショ
パンの「ワルツ7番嬰ハ短調」を演奏した。難しい曲だけれど、美しい音色で弾けた
のではないか。
     DSC_5265.jpg
 
 楽しくもあり充実した演奏会だった。来月のテーマは「弾」である。
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