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レキオ島唄アッチャー

緑茶で風邪の症状が治る? 不思議な体験

 先月、風邪をひいて、夜中に咳こんだ。病院で風邪薬をもらった。咳止めもある。でも、咳止めを飲んで咳がおさまったことは一度もない。私の風邪の症状の特徴は、やたら汗をかくこと。寒気があっても、すぐに嫌な汗が出る。夜寝ると、ビッショリと汗をかき、夜中に4回も5回もパジャマ代わりのTシャツを着替える。汗は、体温を調節しているというが、風邪の時に出る汗は、半端ない。とっても嫌なものである。
 ところが今回、出先で、濃い目の緑茶を飲んだところ、その夜、咳がピタリと止まった。おまけに、寝ても汗をあまりかかず、着替えもしなくてよかった。
 ネットで調べて見ると、緑茶はカテキンが含まれていて、殺菌作用があり、お茶でうがいをするとよいとのことだった。今回は、この緑茶を飲んでから、風邪自体も回復に向かった。風邪薬より、緑茶で風邪が治ったというのが実感だった。
 サークルで、この話しをすると、「私の父は80過ぎだが、毎日緑茶でうがいをして、そのまま飲んでいますよ。そのせいでしょうか、ほとんど風邪をひかないですね」とのことだった。やはり緑茶は多少の効果があるようだ。
 それからまだ1カ月もたたないうちに、病院に行った際、後ろで咳き込んでいる人がいた。気になっていたら、心配した通り、風邪の時と同様に、嫌な汗が出だした。寝ても1時間ごとに汗ビッショリになり、5回も着替えた。このままでは寝れないので、お茶を飲んでみようと思い、夜中に緑茶を入れて、うがいをして飲んでベッドに入った。すると、汗の出るのが抑えられ、着替えをせずに朝まで寝れた。
 翌日も夜、緑茶を飲んでから寝た。まだ少し汗が出るが、着替えは一回ですんだ。朝も起きた時、飲んでいる。なにか気分が良い。なんとか風邪にかからないでいけば有難い。
 緑茶の効能といっても、まだ断言はできない。たまたまの偶然もあるだろうし、そのときの身体の調子もあるだろう。でも、いまのところ、自分にとっては風邪には緑茶を飲むのが一番合っているようだ。不思議な体験である。
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八重山と宮古の民謡の交流、その6

 宮古の「とうがに兄」は同名異曲か
 八重山の「とーがにしぅざ節」と曲名が同じ宮古の「とうがに兄(スウザ)」のCDを聴いてみた。唄・三線、平良重信さんで「宮古民謡百曲集―初心者からの練習用(その5)」に入っていた。平良氏の歌っている歌詞は8番まであるが、1,2,4番を紹介する。
♪とおがにすうざがあらぱなぬ出会(イデア)まやよ ヤイヤヌ
 ヨーイマーヌー 出会まやよ ニノヨイサッサイ
♪むみや河底ぬやらぶが下んど出会まやよ (囃子は省略)
♪斧持ちいき金や持ちいきなぎかいらしよ

                  
    平良重信さんの「とうがに兄」(囃子は入っていない)
 『日本民謡大観 沖縄・奄美(宮古諸島篇)』にも「とーがに兄」の歌詞と訳文が掲載されている。平良氏が歌っている歌詞と一致する部分だけ訳文で紹介する。
♪唐金兄との最初の出会いは 出会いは(囃子は省略)
♪嶺川底のヤラブ木の下で出会った 出会った
♪手斧を持って行き 鉄を持って行き薙(な)ぎ下ろし 薙(な)ぎ下ろし

 八重山の「とーがにしぅざ節」とは、題名は同じであるが、歌詞を見る限り共通する内容はない。
 なによりも、CDで聴いてみると「とうがに兄」は、旋律やテンポとも八重山の「とーがにしぅざ節」とはまったく似ていない。というか、平良さんの唄を聞く限り、八重山の曲よりテンポが速く「クイチャー」のようである。もっとも代表的な「漲水のクイチャー」などと比べると少し遅いが、旋律はとってもよく似ている。囃子の「ヤイヤヌ」「ヨーイマーヌー」「ニノヨイサッサイ」はまったく同じである。
          
           国吉源次さんの「漲水のクイチャー」

 これはどう考えても、八重山に伝わった元の歌ではありえない。同名異曲だといわざるをえない。
 考えて見ると、宮古の人が八重山の人に民謡を伝授する場合は、やはり宮古の最も代表的な歌を選ぶのが自然な流れではないだろうか。とすればまずは「とうがにあやぐ」を歌って伝授したのではないだろうか。
 八重山の曲の元歌が宮古の「とうがに兄(スウザ)」ではなく、宮古の「とうがに(あやぐ)」であるとすれば、當山氏が指摘する通り八重山の「トーガニシゥザ節」は「とうがに(あやぐ)」の「なんと素晴らしいことよ、誉れ高いことよ」と褒め称えた曲名という解釈に納得がいくのではないだろうか。

 八重山と宮古の民謡の交流について、いくつかの曲と伝承について見てきた。
 私もこれまで、「変容する琉球民謡」と題して、八重山から沖縄本島の古典音楽、民謡への変化や八重山と宮古、八重山と奄美との民謡のかかわりなどに興味を持って私見を書いてきた。しかし、明らかに元歌があって、歌詞を変え、旋律も少しアレンジして、別の曲として歌われている曲は、その継承関係を指摘するのは意味があると思う。だが、旋律の一部が似ているというだけでは、民謡界ではたくさんあるので、類似曲として扱うのは無理な場合がある。
 
 新崎氏も次のように指摘している。
<双方の民謡はもともと源流は一つであったかも知れないが、長い年月と、その土地の地域性の趣好や生活習慣による相違で全く異なった民謡として形づくられたのであろう。…
 民謡の発生から開花までの歴史的過程を辿って見ても言えることで、それぞれの異なった生活環境や自然的条件からは、初めのうちは、如何に同じものを吸収したにしても長い期間の裡にはその土地の人々のニーズに合うように変化していくもので決して同質な文化は生まれてこないからである。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>
 
 八重山諸島や宮古諸島には、それぞれ素晴らしい民謡が歌い継がれている。お互いに影響しあった曲があることは確かだが、それぞれの島、地域で長い歴史の中で、人々に歌い継がれ、愛され、育まれて、それぞれの島々の色彩を帯び、そこに生きる人々の魂が宿っている。それぞれの民謡に高い価値があり、独自の魅力があると考える。それが民謡の本来の姿でもある。
 終わり



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八重山と宮古の民謡の交流、その5

 原曲は「とーがにあやぐ」か?
 八重山の「とーがにしぅざ節」をCDで初めて聴いてみた。「あれっ、これはよく
知っていて歌っている曲じゃないか」とすぐに思った。その旋律で歌が頭に浮か
んだのは、宮古の「とうがにあやぐ」(とうがに)だった。宮古を代表する名曲であ
る。宮古から伝授された歌が「とーがに兄」か「とーがにあやぐ」かは「判然としな
い」とされるが、私の聴いた印象からは旋律は「とうがにあやぐ」と驚くほどそっ
くりである。工工四(楽譜)で比較してみると、三線の譜面は、前奏から少し異な
るように見えるけれど、声楽の音程はほぼ同じ旋律の流れである。それに一つ
の歌謡の前半を歌うと、途中、短い間奏を入れ、後半を歌うというスタイルもそっ
くりである。元歌は「とうがにあやぐ」ではないかと直感した。

            
       
  
 改めて「とうがにあやぐ」について、少し触れておきたい。
 <宮古の人々から愛される「とうがにあやぐ」は、先人から今日に至るまで脈々
と人々の魂とともに継承され、宮古の代表的な 「あーぐ」として唄われ親しまれ
てきました。まさに宮古人魂(気質)を如実にあらわす唄であり、古くから祝宴の
席等では必ず唄われ、生気溢れる座開き唄としても定着している。
 また、この唄の歌詞の中にあるように「世の中を照らす太陽のごとく、国々、島々
の津々浦々まで照らし覆っておられる我が尊い御主の世は、根の生えた岩のよう
だ」と故郷の統治者の安泰を讃えた、宮古の人々の宇宙観、世界観を壮大なスケ
ールで表現した唄であり、宮古人として誇りとすべき文化遺産である。(「とうがに
あやぐ歌碑建立の趣旨」から)>
 
 いま宮古全域で歌われている歌詞の中から「御主が世」を紹介する。
 「大世(うぷゆー)照らし居す゜ まてぃだだき 国ぬ国々島ぬ島々 輝り上がり覆
(うす)いよ 我がやぐみ御主(うしゅ)が世や根岩(にびし)どうだらよ」
 (世の中を照らす太陽のごとく、国々、島々の津々浦々まで照らし覆っておられ
る我が尊い御主の世は、根の生えた岩のようだ)
 歌詞と歌意は「とうがにあやぐ歌碑建立の趣旨」から紹介した。
                    
 
 「とうがにあやぐ」の歌詞は数え切れないほどある。外間守善氏編著の『南島歌謡
大成(宮古篇)』には、宮古全体と狩俣、池間島で歌われている歌詞が掲載されて
いるが、83首に及ぶ。これらの歌詞を見るかぎり、八重山の「とーがにしぅざ節」と
似通った歌詞は見当たらない。八重山に伝授された当時、どのような歌詞で歌わ
れていたのかは不明である。八重山では独自に歌詞が作られたのだろう。


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歌三線、ピアノで「パーマ屋ゆんた」

 シニア世代のピアノ音楽会vol11が16日夜、アルテウォーバホールで開かれ、私も歌三線とツレのピアノとのコラボで「パーマ屋ゆんた」(BEGN)を歌った。
  この音楽会は、ピアノを愛好する人たちが年齢や演奏のレベルに関係なく、気楽に出演して演奏を楽しんでいる。
          DSC_4829.jpg
 ピアノと他の楽器との演奏は、私だけだった。

       
 今回は演奏のエントリーをしている人以外に、初めて音楽会を見にきてくれた方が何人もいらっしゃった。
 ツレは、シューマン「トロイメライ」、ショパンの「ノクターン」を演奏した。
       DSC_4828.jpg
   ピアノ音楽会は次回12回になるので、丸3年を迎える。
 演奏する方々にとってこの音楽会は励みになっているらしく、レベルが上がっているようだ。
 
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八重山と宮古の民謡の交流、その4

 宮古から八重山に伝わった「とーがにすざ」
 宮古の「トーガニ」が八重山に伝わり「とーがにすざ」として歌われている伝承
がある。
 <喜舎場永珣著『八重山民謡誌』によれば、その昔、宮古の役人から伝授され
た「宮古トーガニ」が八重山の土壌で洗練され、今では八重山民謡トーガニスザー
として定着しみんなから親しまれた歌になっている。このトーガニスザーも歌から
受ける感じは宮古的というよりむしろ、八重山的である(新崎善仁著『八重山民謡
の考察』)>
 八重山の「とーがにすざー節」は、手元にある八重山古典民謡工工四(楽譜)に
掲載されているが、まだ歌ったことも、聴いたこともなかった。

 次のような歌詞である。
 1、とーがにすぃざー 宮古ぬ美ら島からどぅ 出でぃだる とーがにすぃざーヤゥ
沖縄から八重山までぃん はやりたる とーがにすぃざーヤゥ
( トーガニシゥザ 宮古の美しい島から生まれで出たトーガニシゥザよ
  沖縄島から八重山までも評判になっているトーガニシゥザよ)
 2、一本松ぬヤゥ実るぃば落て 二本むや唐船ぬ柱なるとぅん
 うらが上にゆく肝持つぁでぬ 我やあらぬ
(一本の松の木の実が落ちて 二本の松の木が生えて生長し唐船の柱になっても
貴方に邪(よこしま)な 気持ちを抱くような私ではない)
 3、あねるがじまる木ざぎどぅ 髭ば下れ石ば抱ぎ ふどぅべーいくさ
 うらとぅ我とぅや うら抱ぎ我ぬ抱ぎふどぅべーいから
(あのようなガジュマルの木でさえも 気根を下ろし石を抱き生長していくのだ
 貴方と私とは互いに心ひとつに手を取り合って 愛を育んで行こうねえ)
 4、うらとぅばんとぅやヤゥ 天からどぅ夫婦なりで ふきゆい給れる
 後から見りゃん 前から見りゃん夫婦生りばし
(貴方と私とは天(神様)から夫婦になりなさいと 標結びを賜わった 後ろから見ても
 前から見ても天の配剤よろしく似合いの夫婦であるよ)
  歌詞は大浜安伴編著『声楽譜附八重山古典民謡工工四』、歌意は、當山善堂編
著『精選八重山古典民謡集(三)』による。
          
 この曲の題名について、當山氏は次のように解説している。
 <「トーガニ」は、宮古の抒情的歌謡の一形態。「シゥザ」は「シゥディルン(巣出
る・生まれる・孵化する→再生する・栄誉に浴する)」を語源とする語で、「羨ましい
なあ・いいなあ・めでたい」などの意(略)。宮古民謡に〈とーがに兄〉があり、その
歌との関連があるとすれば「シゥザ」を「兄」と解釈することも出来るが、ここでは
上記のように解釈したい。
以上の語意から、「トーガニシゥザ」は「トーガニ」という歌の、なんと素晴らしいこ
とよ、なんと誉れ高いことよ」というような解釈が成り立つ。よって、ここでは「シゥザ」
は「トーガニ」という宮古生まれの歌謡の様式を褒め称える尊敬接尾語と解釈した。
(當山善堂著「精選八重山古典民謡集」〈三〉)>
 
 確かに宮古島では「スザ」は「兄」という意味とされているが、八重山のこの曲は、
「シゥザ」を「兄」と解釈すると歌の意味がなんか通じない。當山氏の解釈が妥当の
ように思う。
 「とーがにしぅざ節」について、當山氏は次のように解説している。
 <この歌には、次のような伝承がある。すなわち、八重山民謡の〈あがろーざ節 〉
節が宮古に伝授されて〈東里真中〉となり、お返しに宮古民謡の〈とーがにしぅざ〉が
八重山に伝授されて〈とーがにしぅざ節〉になったという。その真偽のほどはさておき、
八重山民謡の〈とーがにしぅざ節〉と関連があると思われる宮古民謡には〈とーがに
兄(すぅざ)〉と〈とーがにあやぐ〉があるが、いずれなのかは判然としない。
 八重山歌謡の〈とーがにしぅざ節〉は、古い歌詞集には見当たらず八重山伝統歌謡
としての歴史は浅いが、歌い継がれる中で八重山の風土にしっかり根づき、近年は
「節歌」の仲間入りを果たし、ゆるぎない存在感を誇示している>

  この曲の歌詞を見ると、確かに一番の歌詞で「沖縄本島から八重山までも流行っ
ている」と歌われているので、宮古から八重山にも伝わり歌われていることがわかる。


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八重山と宮古の民謡の交流、その3

「八重山とうがに」と呼ぶ地区も


伊良部島では「とうがに」を「八重山とうがに」と呼ぶ地区があるらしい。

三隅治雄解説書『沖縄音楽総覧(宮古民俗芸能謡篇)』の中に、伊良部トー
ガニについて次のように記されているという。

<『…現行の「とうがに」を聞くと、その旋律が八重山地方の「とばらま」(省略)
に似ていて、それとの関連が一方に考えられます。

伊良部島の佐和田地方ではこの「とうがに」を「八重山とうがに」などと呼んで
いるそうです。』(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>


 三隅解説書でも、「とうがに」の旋律が「トゥバラーマ」と似ているとし、伊良部島
佐和田では「八重山とうがに」と呼ぶとのべている。なぜ「八重山とうがに」と呼ぶ
のだろうか。それだけでトゥバラーマと関係があるといえるのだろうか、不思議で
ある。

新崎氏は「これ等、伝承から推測する限り伊良部トーガニは八重山のトゥバラ
ーマと何等からの関連があるような気がしてならない」として、再度、喜舎場永珣
著『八重山民謡誌』に記載されている次のような伝承を紹介している。


 <○…この歌謡は、登野城村の故金城長保氏の祖先が黒島首里大屋子職時
代に、
公物宰領役として、上沖の際、宮古島八重干瀬で座礁、難破したところを
島民ならびに宮古蔵元に救けられ、手厚い介抱をうけたうえ、新造船を与えられ
て帰省したが、途中、ふたたび疾風にあい、西表島西南にある中神島(ナカノオ
ン)に漂着した。(中略)

○…(省略)この歌は今から167年前頃の作である事は推測される。この歌は
黒島首里大屋子が宮古に滞在中に、島の女と恋愛していたが、いよいよ別れの
際に即興詩となってあふれ出た歌だと伝えられる。それは囃子に「湧川の親ガマ
主」と宮古語を謡っているのでもわかる。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>

<これ等、双方の資料を総合してみると、先に述べた佐和田地方に伝わる「八
重山トーガニ」(伊良部トーガニ)は八重山のトゥバラーマとの関連が深く、おそらく、
黒島首里大屋子湧川氏が離別の際、その悲しみを即興で謡った歌、「昔トゥバラ
―マ」のメロディーが、その地方に流布し、それが何時しか、トーガニ風の発想で
現在歌われている「伊良部トーガニ」へ衣更えし発展していったのではないかと推
察される。(同書)>

新崎氏は、こうした伝承からすると、八重山のトゥバラーマは宮古から伝わった
という「亀川正東氏の随想『音楽異聞』の説は、むしろ、逆ではなかろうか」とのべ
ている。


           
      

喜舎場氏が採取した伝承を読むと、首里王府に出かけた際の八重山、宮古など
島人の交流や船の遭難、漂流で、滞在した際の交流などを通してお互いに民謡を
歌いあい、交換する機会がたびたびあったことがわかる。

ただし、黒島首里大屋子の湧川氏が、滞在中に恋仲となった女性との別れの悲
しみを歌った「昔トゥバラーマ」が流布したという伝承は、まだとても信じられない。

というのは、何よりも伊良部トーガニは、別れの悲しみを歌った曲ではないからだ。

伊良部トーガニは、宮古島にいる男性が伊良部島の愛する女性に逢いに行く内容
の曲である。歌詞では「伊良部島との間には休む瀬があればよいのに」「小さな舟
で瀬を渡り、水巣で舟を休めおいで下さい」「板戸は音高いので、音の鳴らないムシ
ロの戸を下ろして待っていて下さい」と歌っている。歌詞が時代とともに変化するの
は常識だが、この歌詞は、これだけ物語としてまとまっていて、他の歌詞から加工し
てできた歌の内容ではない。歌詞をすべて作り直して別の歌詞にした替え歌はある
が、この曲の場合は、旋律と歌詞がよくマッチしていて、とても替え歌とも思えない。

  「伊良部トーガニは即興的な叙情歌で、推定500600年前に伊良部島の歌の名
手トーガニ(唐金)が歌ったものとされ、後世の歌い手が編曲した」。「伊良部トーガ
ニまつり実行委員会」はホームページでこのように説明している。


 
島で干ばつが続いたため、唄の上手いトーガニが雨乞いの唄を習うために、八重
山へ赴き、帰りを待つ娘さんが生き神になったという伝説もあるそうだ(「美ら島物語
」HP「沖縄の島唄めぐり 恋ししまうたの風 第10回 伊良部トーガニ」)。
 八重山に雨乞いの歌を習いに行くという習慣があったとは、驚きである。とても興
味深い話である。
  

 追記
 大川恵良著『伊良部風土記』によれば、「伊良部トーガニ」(大川氏は「伊良部タオガ
ニアアゴ」と表記)について、次のように解説している。
<タオガニは、お祝いの座敷や酒座でよく歌われている。歌の主題は、自然、恋愛、
教育、協力、福祉、社会等に関する歌が多く、内容は一般に相手の気持や境遇を
洞察して、相手を喜ばしたり感激させたりする文句を即興的に表現する…旋律は装
飾音やレガートで構成されているので感傷的で悲愴な感を相手に与え、素朴な発声
の持ち味と相俟って聞く人をしてうっとりとさせる。封建政治の圧迫と差別を強いら
れ、
毎日の生活が苦労と忍従で過した住民の心からの叫びのように聞こえて感無
量である。>

  大川氏は、その歌詞として31首を掲載している。この解説と歌詞を見ると、「伊良
部トーガニ」が八重山の歌と関係があるのか否か、歌詞の面から対比してもあまり意
味がない。伊良部の島と住民の生活の中から生まれ、愛され、歌い継がれてきた民
謡であることがよくわかる。



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アルテで「パーマ屋ゆんた」を歌う

   毎月恒例のアルテミュージックファクトリーが10日夜開かれた。今月のテーマは「感」。みなさん、「感謝」「感情」「感性」など、「感」にかかわりのあるテーマで演奏された。
 今月も、自分に関わりのあるものだけを紹介する。
 越智さんは、トランペットで「フィーリング」を演奏。ツレがピアノでコラボした。
 
         DSC_4814.jpg
  私は、風邪をひいて前日まで出演を心配していたが、この日はとても気分がよくなり出かけた。
 ビギンが歌った「パーマ屋ゆんた」をツレのピアノ伴奏で歌ってみた。内地に進学や就職で旅立つ前、髪をカットしてもらいにきた娘さんに店のおかみさんが話しかける歌詞になっている。とても男性が作ったとは思えない細やかな感性にあふれる歌詞に感心して選んだ。本番になると上手くは歌えない。
 
    スナップショット 2 (2018-11-11 13-51)
 ツレは、ピアノ弾き語りで、カッチーニ作曲、平原綾香作詞の「アヴェマリア」を歌った。平原綾香の歌うクラシック曲にすっかりはまっているようだ。
 
           DSC_4819.jpg
   ピアノソロでは、シューマンの「トロイメライ」を演奏した。覚えたばかりとは思えない落ち着いた演奏だったのではないか。
  エントリーは多くはなかったが、久しぶりの方の演奏もあり、イタリアからの留学生の飛び入りもあり、楽しい演奏会だった。
            IMG_5753.jpg
 主宰者の越智さんいわく。「アルテ・ファクトリーもイタリアの方、韓国、中国からの方も見えて、最近は国際的になってきたのではないか」。
 出演者が多彩になると、音楽もバラエティーに富んで、いっそう楽しくなるのは嬉しいことだ。

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八重山と宮古の民謡の交流、その2

八重山と宮古の民謡を交換?

八重山と宮古の民謡の旋律の類似点について、新崎善仁氏は、喜舎場
永珣著『八重山民謡誌』に記載されている伝承を次のように紹介している。

「八重山の古老の伝承によると、那覇での公用がすむと、先島の人々は
集まって、各島の民謡を歌って慰安会を催した。そこで八重山民謡のアガ
ロウザ節を宮古人へ伝授したのに対して宮古からは、トゥガニゾーサーの
歌を交換的に口伝したという。」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)

首里王府に公用で出張した役人の慰安会で、八重山と宮古の民謡を交換
したという伝承は興味深い。
 私が通っている八重山民謡サークルの先生からも、「あがろうざ節を宮
古の人にあげて、宮古から別の曲をもらったらしいですよ」と聞いたこと
があった。この喜舎場氏の著作が根拠になっているのかもしれない。喜舎
場氏は、「あがろうざ」は、大宜味信智の作としている(『八重山民謡誌』
)。「おそらくユンタの子守歌を節歌へ改作したものであろう」(仲宗根
幸市編著『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)。つま
り大宜味氏のオリジナル曲ではなく、ユンタとして歌われていた曲を、三
線で演奏し歌えるように工工四(楽譜)に編曲したということだろう。

        

「あがろうざ」と「東里真中」は異名同曲

仲宗根氏は、八重山の「あがろうざ」と宮古島にある「東里真中」(あが
りざとぅんなか)という子守歌は「異名同曲」とする。次のように解説して
いる。

<「あがろうざ」とは石垣島では東の村里(登野城ではないか)とみられ
ている。

ところで、宮古に「東里真中」という子守歌があり、歌の内容、旋律も両
地の歌は似ている。八重山の人はおらが島がルーツといい、宮古では自分た
ちのところがルーツと主張している。歌詞に「とぅぬすく」が出てくるので、
八重山の人たちは「登野城」と解釈し、宮古の人たちは「己ぬ城」(自分の
屋敷内)と考えている。

どちらがルーツで古いかは未解明だが、八重山の歌は子守歌のユンタから
発展し節歌となって洗練され、宮古のあやぐは素朴でより情緒的な感じを受
ける。二つの歌とも抒情性豊かな美しい旋律が魅力である>

仲宗根氏は、ルーツについて判断せず、「どう関連しているかが究明の課
題となろう」とのべている。
        


            
 注目される「九年母木」の歌詞 
 どちらの曲がルーツであるのかを判断するのに、なにより重要なのは歌
詞に出てくる「九年母木(くにぶんぎ=ミカンの木)」だと思う。「あが
ろーざ節」では、「九年母木ぬ下なか 香さん木ぬ下なか 子守りゃ達ぬ
揃る寄てぃ」と歌う。「ミカンの木の下に守姉が集まっている」という歌
意である。それはたんなる
情景描写に過ぎない。歌全体の中でミカンの木は特にたいした意味を持た
ない。

 しかし、宮古の「東里真中」は異なる。次のような歌意である。

自分の庭にミカンの木を植える。ミカンの木が生長して、人の丈ほど
になり、花を咲かせ、実をつければ、守姉の仲間が集まって、ミカンの玉
を剥いて遊ぼう、私がお守りしてあげたら、ミカンの木のように、香り高
い木のように、島中、国中にとどろく偉い人になりなさいと歌う。

「守姉が自分の子守した子どもの成長、又は立身出世を願う心情を蜜柑
の木の植栽から成木期になるまで渾身を込めて栽培し育てた過程になぞら
えて歌われる子守歌」(真栄里孟編著『宮古古典民謡工工四』)。

 ミカンの木の成長と子どもの健やかな成長が重ね合わされており、ミカン
の木はこの曲のキーワードのような意味を持つ。ミカンの木を軸にして、
曲全体に論理的な一貫性がある。つまり、どこかの曲を元歌として、歌詞
を少し変えたり、継ぎ接ぎした曲ではありえない内容である。

以上の理由で、私は宮古の「東里真中」が元歌であると考える。ただし、
「東里真中」と「あがろーざ」は、歌詞は共通性があるけれど、演奏を聴
いても、前奏からまるで違うし、旋律を聴いてもあまり似た感じがしない。
不思議である。

両曲のどちらが元歌なのかは、もはやあまり意味がない。「あがろーざ
」は八重山民謡のなかでも、私は大好きな曲である。旋律も素晴らしいし、
子どもの健やかな成長と、学問をしっかり身につけて、立派な人になって
くださいと願う歌詞の表現は、「東里真中」を超えるものがあるのではな
いだろうか。





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八重山と宮古の民謡の交流、その1

 八重山諸島と宮古諸島は、いずれも民謡の宝庫である。味わいは少し異なる
が、それぞれ名曲があり、愛されている。
  八重山の名曲といえば「トゥパラーマ」がまず頭に浮かぶ。ところが、この曲は
宮古のアヤグに影響を受けたという話を聞いて少し驚いた。逆に八重山から宮
古島に伝わった民謡の伝承もある。宮古島と八重山の民謡はお互いにどのよう
に影響を及ぼしたのか、その伝承の事例を少しだけ探ってみた。

 

「トゥバラーマ」が宮古から伝わったという説の有力な根拠として、その趣旨が
かつて新聞記事で掲載されたことがある。新崎善仁著『八重山民謡の考察』(
19
92
年出版)の中で「トゥバラーマの歴史的原点」について考察した論考があり、
その中で紹介されている。

 「トゥバラーマ」は宮古から伝わった?

 新崎氏によれば、先年(掲載時期は不明)、「琉球新報」随想欄に、琉球大学教
授亀川正東氏の「音楽異聞」が掲載された。新崎氏の記憶によれば、次のように
記されていたという。

 「八重山民謡と言えば、今でこそ、琉球のティピカル(注・代表的)なものとして内
外にひろく宣伝され、愛唱されているが、その反面、宮古民謡はさほどかえりみら
れない状態である。しかし、厳密にいうと、八重山民謡の多くの曲の原形は、宮古
民謡にさかのぼり、その例えをトゥバラーマや、アガローザーに採って、前者は宮
古トゥガニー、後者は、アガリザトンナカをアレンジしたものである。」(新崎善仁著
『八重山民謡の考察』)

        
 この記事が掲載された当時、「八重山の民謡界に大きな波紋を投げかけ一時
騒がれたことがある。あれから、すでに
20年の歳月を経ていますが今もって、宮古
の民謡界の中には、その当時の説を鵜呑みにしておられる方がおられることは、
八重山民謡界の将来に悔いを遺すことにもなりかねないと思い、今一度、その歴
史的背景を明確にする必要があるのではないかと思う」(同書)。新崎氏はこう記
している。

 亀川氏が何を根拠にして、八重山の「トゥバラーマ」や「あがろうざ」が宮古民謡
をアレンジしたものと断定したのかは、残念ながら不明である。八重山民謡の中
に宮古民謡を採り入れた曲がいくつもあることは確かである。私もこのブログで、
「あがろうざ」や「でんさ節」は宮古民謡が原曲ではないかと推理したことがある。
ただ、「トゥバラーマ」の場合は、どうも宮古民謡の香りがあまりしないので、にわ
かに信じられない思いである。

 
 新崎氏は、亀山説に次のように異論を唱えている。

<若し、仮に「音楽異聞」のお説のとおり、八重山民謡の多くの曲の原形が、宮古
民謡をアレンジしたものであるならば、少なくとも、八重山民謡のどこかに宮古的
な香りと、持ち味が感じられなければならない。しかし、八重山民謡「トゥバラーマ」
や「あがろーざ」のメロディーや、曲想からは、微塵も宮古的なものは感じられない。
八重山民謡は、あくまでも八重山という豊かな自然と風土の中で醸し出された大
陸的な感じがする。

 民謡の発生から開花までの歴史的過程を辿ってみると、それぞれの異なった土
壌からは、決して同質な文化は育たない。しかるに、宮古民謡の原形は、あくまで
も、宮古の土壌が遺したアヤグが、その基本的な形であり、八重山民謡は、八重
山の風土の中で育ったアヨー、ユンタ、ジラバから発展している。

 このように、両民謡はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺
産であって、そのため、その価値は高く評価される。
         

次に、本題の伊良部トゥガニーについてふれてみよう。伊良部トゥガニーの旋律
を聞いてみると、確かに、部分的には、トゥバラーマに似ているところもあるが、しか
し、その旋律やリズムを分析検討してみると、前奏、間奏の部分は、むしろ、トゥバ
ラーマのメロディーよりも、デンサ節の旋律の部分に変化をつけ、ところどころに、
トゥバラーマのメロディーに似た旋律を採り入れた感がする。(新崎善仁著『八重山
民謡の考察』)>


 伊良部トーガニとトゥバラーマの旋律は、部分的には似ているところもあるが、全
体としては似ているとは見ていない。私の印象では、部分的にもあまり似た感じが
しない。

 両曲は、八重山と宮古を代表する名曲であり、新崎氏が指摘するように「両民謡
はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺産」であるということ
に共感する。


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