南島に現れる仮面、仮装の神々、川平のマユンガナシ2018-04-30 Mon 20:54
石垣島川平のマユンガナシ 石垣島の川平では、旧暦9月の節祭(5日間)の初日に、マユンガナシ(真世 <川平村の年中行事の中でも「節祭(シチィ)」は村の最も重大な行事である。 「マユンガナシ」とはどのような神であるのか。 <川平のマユンガナシは、顔を手拭でかくし、クバ笠をかぶり、クバ蓑をまとい、 「マユンガナシ」はもともと、石垣島裏地区の農村“川平、仲筋、桴海、野底、伊 石垣島の村々に豊年をさずけ、生活の安定を与えるために来訪するニライの使 <ニール人は旧暦6月、穂刈(プーリイ、豊年祭)の二日目「来年の豊年予祝祭」 マユンガナシの由来伝送 川平地域の「マヤヌ神」(注・マユンガナシ)の由来伝承は、「上の村と下の村の <この「マヤヌ神」のことをまた「真世加那志(まゆんがなし)」とも尊称する。この 注目されるのは、「由来の伝来の中には『ニロー神』の由来伝承に何等か類似し <ことにこの部落の「ニランタ大親神」(注・旧暦二月カタビの日に迎える)との関
ともに遠来神、農業神であり、「同一神」「同類神」ではないかという推察は興味深い。 スポンサーサイト
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南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその3。禁止令2018-04-25 Wed 09:51
アカマタに王府から禁止令が出された アカマタ祭祀に対して、首里王府は禁止令を出して抑圧しようとした。八重山 <このような「神遊び」ともいうべき神行事に対する禁止示達令は当時の首里 アカマタ―禁止令は、農民の歌い踊る楽しみを奪うだけではない。もし、豊年 「ニールピトゥ」はニライ・カナイの人 アカマタ神は、「ニロー神」「ニール神」と呼ばれるのはなぜだろうか。そこには <この「アカマター神」の名称もまた小浜島では「ニロー神」と呼ぶが、石垣地 川平部落では旧暦「2月タカビ」の日に、「ニランタ大親」をスクジ御嶽で迎える 「授けられるなら、天の大世をどうぞお恵み下さい。二ラン底・タラースクの世 という文句がある。この祝詞中の「天の大世」も「二ラン底世」も豊年太平の世
このように八重山地方においては、神が遠く(根の国)から来訪するという信仰 |
ファンが主催するSSカンパニーライブ2018-04-23 Mon 12:50
沖縄随一のGSバンド、SSカンパニーの熱烈ファンでつくる「糸満カラーズ」が主催するライブ「Comeback to風は南から SSカンパニーライブ第3弾」が4月22日夜、糸満市の「風は南から」で開かれた。しばらくSSライブには行っていないので、久しぶりにGSサウンドを楽しんだ。
その模様がYouTubeにアップされているので、紹介する。 ライブは、日曜日だったので、この時期、沖縄はお墓参りの「ウシーミー(清明)」シーズンで来れない人や予定していたけど折しもの雷雨で来れなくなった人もいたが、ライブはなぜかとても盛り上がった。 リーダーの瀬底正真さん曰く。「今日は武道館ライブを思わせるような雰囲気だったね」。もちろん、武道館でSSがライブしたことはない。でも、そう感じるほどだったようだ。 ライブハウス「風は南から」は、2016年3月で営業をやめたので、いまは「箱貸し」のライブハウスとなっている。以前は、毎月1回のSS定期ライブが開かれたけれど、いまはなくなった。でも「風南でライブを見たい」という人達の要望に応えて、「では自分たちでライブを開催しよう」と「糸満カラーズ」が主催してSSカンパニーライブを年2回開くようになり、今回が第3弾となる。「糸満カラーズ」のパワーには感心する。 糸満周辺のSSファンがかけつけた。動画を見ると、その雰囲気がよくわかる。次回は10月に予定しているそうである。 |
南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその2。小浜島のニロー神2018-04-22 Sun 09:51
小浜島の「ニロー神」 小浜島では、アカマタ神を「ニロー」と呼んでいるそうだ。 <ニロー神は、その面を朱にそめてあるから赤マタ―(男神)、墨で塗ってあるから黒マター(女神)の別名でよばれている男女二神を云うのである。 島人は“ニロー”と、石垣地方では“ニール人”とよんでいる。竹富島の西海岸に南(パイ)の彼方(ナーラ)から豊年(稲、粟の穀物の種子)を積んだ船が着く所(霊地)をニーランと云って、霊地として信仰している。また、深い海、遠方のことをニーラスクとも八重山人は云っている。(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』))> 小浜村の由来伝承 <この島名の小浜は後世の当て字で、古くは「クンママ」と称していた。すなわち「クン」は「古見」(クン)の意で、「マ」は小さいことの愛称語である。最後のマが脱落して「クンマ」となり、「小古見」という意味である。… すなわち往昔、古見より分村移住したといわれるこの島の伝承はそのままその島名に名残りをとどめている。分村移住の際に村の秘密祭祀たる「アカマター神事」も勧請されたものと考えられるが、今はそのことを徴すべき文献が見当らない。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)> 宮良村のアカマタ神祭 <宮良部落における赤マター・黒マター(ニーロピト)の祭祀は、元来小浜島で行われていた行事であった。すなわち明和8(1771)年、八重山諸島を襲った大津波は宮良部落を流失せしめ、ほとんど無人の部落に等しいまでにこの村を荒廃せしめた。そこで蔵元政庁は新しくこの村を再建すべく小浜島から村分(ふんばき)を行い、強制移民を断行した。その際小浜島から移住した人々が赤マタ―祭祀をこの新村に伝播せしめたのであった(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』))。> 宮良では、次のような由来伝承がある。 この鬼面の神のことを「ニーロー神(ぴと)」と尊称し、決して「アカマター・クロマター」などとは呼ばない。「ニーロー」または「ニールー」とは、底の知れざる穴の意で、この神は底の知れざる深い穴から出現される神、すなわちニライ・カナイの海の遙かなる国から来臨する神という意味である(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>。 南方から伝わったのか アカマタは発祥の地、西表島の古見から小浜島へ、小浜から石垣島宮良に伝わったとされるのに、由来伝承は同じではないというのが面白い。 さて、アカマタ―祭祀は、もともとどこから伝わったのだろうか。どこか南方系の要素がありそうに思う。喜舎場永珣氏は、次のように指摘している。 <このアカマタ―祭祀の神謡及びその他の八重山古謡等を研究して行く限りにおいては、南方地方との関係がすこぶる濃いように思われる。現にその神事に唄われている歌の節々には「トゥ」(唐)とか「マナバン」(真南蛮)とか「アンナン」(安南)とか、あるいはまた「ハイヌシィマ」(南の島々)などという南方地方の名称が明確に出てくる事実や宮良、小浜などの由来伝承及びその神事そのものの持つ特異性などを考えたとき、外来の習俗のようにも考えられてならない。(『八重山民俗誌上』)>
(其の一)古見村の赤マターユンタ (訳文だけ) 千尋も万尋もある 遠い遙かな海の彼方の 安南国から 渡って来られた 「白マター・赤マター」の神様… どうか来年こそは豊作の世に 来夏こそは尚稔りある年に お恵み下さいませ (其の二)小浜・宮良・新城下地島などの各村で唄われている歌(訳文) 唐旅を転々と渡ること四旅 真南蛮旅を転々と渡ること三度 やっと七旅を重ね重ねて ついに八重山島にやって来た この神謡でみるかぎり、やはり外来の習俗のようだ。 |
南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその12018-04-19 Thu 13:36
八重山のアカマタ・クロマタ 西表島の古見、小浜島、新城島の上地島、下地島、石垣島の宮良では、旧 古見村の由来伝承 西表島古見のアカマタ・クロマタ由来について、『八重山島諸記帳』にも記載がある。 <「島中奇妙」によると、昔からの伝承を次のように蔵元(今の郡役所に類す) 上代古見島三離嶽(チヤーリオン)に猛貌の御神、身に草木の葉をまとい、 古見のアカマタ―祭祀をめぐっては、上記の伝承とは別の伝承もあり、二つの 其の1、神人が「三離御嶽(みちやーりおん)」の神前まで現れた時には、その 其の2、古見の南部落に住む夫婦には子どもがいなくて御嶽(注・おん、拝所) |
アルテで「イサヘイヨ―節」を歌う2018-04-15 Sun 22:02
毎月恒例「アルテ・ミュージック・ファクトリー」が14日夜開かれた。今回のテーマは、「眩」(げん、まぶしい、くらむ)。この文字が出てくる音楽はあまり聞かない。もちろん沖縄民謡では絶無。だから、出演されたみなさんは、太陽や星、輝くなどの字がついた曲を演奏した。
今回は147回を数えた。7月には150回の節目のファクトリーになるようだ。 みなさん頑張って充実した演奏をされたが、私とツレにかかわるものを中心に書いておきたい 越智さんは、トランペットで「銀色の道」「昴」の2曲を演奏し、ツレがピアノでコラボした。 ![]() 私は「イサヘイヨ―節」を歌った。津堅島の民謡だという。この曲は、続けてチラシとして「デンサー節」の替え歌を歌う。太陽が出てくるから選曲した。男女の恋歌である。 ![]() 歌詞は、「あなたのお家はどこですか」「道の十字路のユウナの木の下ですよ」「私の家と隣なら今日も明日もいっしょに語り合えるのに」と歌う。次の「デンサー節」は、逢引の情景である。「鶏が鳴いて、なぜ急いで帰ろうとするの、夜が明けて太陽が上がってから帰ればいいでしょう」「鶏の鳴き声が響けば、やがて夜が明ける、他人の目に触れないように急いで戻らなければ」。こんな風な会話が歌になっている。 いつも三線を弾く姿勢が悪いので、今回はそこに気を付けて歌ってみた。 ツレは、ピアノ弾き語りで、中孝介の「花」を歌った。森山直太朗の作曲だが、その歌詞がとても気に入ったからだそうだ。 ![]() ピアノソロでは、ブラームスの「ワルツ変イ長調」を演奏した。 ギターリストの古波津さんが指導する「東浜レディースギターサークル」も出演。「ブーベの恋人」など3曲を演奏した。結成1年目とは思えない演奏だった。 ![]() エントリーが終わった後も、久しぶり参加のドラマ―とピアノのジャズ演奏やピアノ連弾など、聴きごたえある演奏があり楽しいファクトリーだった。 |
デイゴ鮮やか2018-04-15 Sun 11:31
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南島に現れる仮面、仮装の神々。波照間島のムシャーマ2018-04-10 Tue 13:32
波照間島のムシャーマ
八重山の最南端、波照間島では、旧暦7月14日(旧暦のお盆)に、先祖を供 養し、豊作と安全を祈願しておこなわれるムシャーマと呼ばれる祭りがある。 <先祖の供養のみならず、豊年や島人の安全を祈る行事になっていて、大旗 やミルク(弥勒)を先頭に仮装行列が行われ、舞踊「マミドーマ」や棒術など多様 な芸能が披露される(「やいまねっと」HP)> 太鼓や棒、狂言、舞踊など多彩な芸能が奉納される。この日は、島を離れて いる人々も帰郷して祭りに参加。波照間島が一年で一番賑やかになる日だという。 先祖の供養、豊作祈願、島の平和幸福祈願のための祭りであるため、実に 多彩な行事と民俗芸能がくり広げられる。 「その祭りにも、異形、異装の仮面神が登場してくる。フサマラーであり、シシヌ パーシ(獅子の囃子、獅子使い)である」(外間守善著『南島文学論』)。 フサマラーは、「雨乞いの神」の役目をもつ。「全身木の葉や草でおおい、木彫 りの面で顔をかくしている。いわゆる草装、仮面神で、村の中のフサマラ井戸か ら出現するのは、宮古島のパーントゥと似ている」(同書)。 シシヌパーシは、悪魔払い、厄払い、火鎮め役目をもつ神である。 「全身をツル草や木の葉でおおった草装神であり、真っ赤な面をつけた仮面 神で、杖をもっている。杖をもっていることで、遠方からやってきた来訪神である ことの一つのあかしをみせるわけである。 シシヌパーシのような異形な神は、八重山各地の豊年祭、結願、節(しつ)祭 などで、多少の変容をもちながら、さまざまに登場している」(同書)。 |
南島に現れる仮面、仮装の神々、宮古島のパーントゥ2018-04-07 Sat 15:02
南島に現れる仮面、仮装の神々
沖縄の離島には、祭祀の時に異様な仮面、仮装姿で現れる神々がいる。異形 の神々というのは、沖縄だけではない。鹿児島県のトカラ列島にもいるし、秋田 のナマハゲもその代表的な存在である。なぜ神々は異様な姿をしているのか、 そこにはどんな意味合いが込められているのだろうか。前からとても気になって いた。 外間守善著『南島文学論』を読んでいると「南島に現れる異形の神々」という 論考があった。沖縄各地には、次のような異形の神々が現れる。 宮古島のパーントゥ 沖縄でとくによく知られているのは、宮古島のパーントゥである。 <宮古島の島尻という村落に、パーントゥプナカと呼ばれる祭祀が伝えられて いる。祭りは、旧暦9月の最初の戊(つちのえ)の日から二日間、というのが原則 であるが、実際には9月の吉日を日取りして定めている。 パーントゥという語の語源は定かでないが、プナカと呼ばれる祭祀に登場する 異形、異装の仮面神をパーントゥといっている。プナカという語義もつまびらかで ないが、村の人たちは祭祀、祈願祭という意味で使っている。(外間守善著『南 島文学論』)> パーントゥは、全身にキャーンというツル草を巻きつけ、その上から異臭のする 黒泥土を塗り、頭上にはマータという厄除けのための草葉を結んでいる。右手に 仮面をもって顔をかくし、左手には杖をもっている。「村の人たちはこの異様なさま を旅姿だと考えており、異界からの来訪神として理解しているようである」(同書)。 ![]() 宮古島のパントゥ(文化庁報道発表資料から) 宮古島・島尻のパーント・プナハには、次のような伝説があるという。 <今から百数十年前、島尻元島の西海岸(クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの 仮面が、どこからともなく流れ着いた。その仮面は、鬼神の如く恐ろしい形相で、 村の人々は近よることすら出来なかった。ちょうどその日は、里をあげての祭り の日であって、聖なる杜の中でツカサ(注・神女)達のおどろきは大変であった。 はるかなる海の彼方からの神人の来訪だ。世持神の来訪だとばかり、その仮 面を取って「このパーントゥの仮面は、鬼の如き人、赤黒の神の仮面かと思い 信じて、このパーントゥの仮面、我が村の根所に来たるは、我が村の豊年のし るし也」と云い伝えている。(岡本恵昭著『宮古島の信仰と祭祀』)> 注・「世持」とは豊かな世を支えるという意味がある。 <村の二才(注・青年)、この鬼面をかぶり、身に草木のつる草(キャーン)を 巻きつけて、我れは、世持ちの神、我れは世持ちの大主とて、村中をかけ回る。 パーントゥ神の来訪は、この由来をもって、この島尻に伝来せしものである。 パーントゥの仮面を信仰したところが、たまたま豊穣の年を迎えたので、毎年 の如く、旧暦9月にこの祭事を行なうようになったという。(岡本恵昭著『宮古島 の信仰と祭祀』)> 岡本氏によれば、新築の家の壁や病人の額にドロをつけることは、古くからの 伝統ではないらしい。次のように指摘している。 「訪ずれるパーントゥ神は、村の新築した家屋に厄払いと、予祝の霊性(セジ)づ けを与える来訪神特有の呪術をする。家の壁などや、病人のひたいにドロをつけ ていくもので、近ごろからの民俗現象である(『宮古島の信仰と祭祀』)。」 興味深いのは、八重山諸島の赤マタ、黒マタの祭祀と共通するところがあるこ とである。 「行動のすべては秘儀の中にあり、…頭上の後部に、ススキの穂先を三又に 結んでたらすように立てておくのは、一説では八重山の稲穂の三すじを背に立 てた赤マタ、黒マタの仮面神、来訪神(ニライの神)に相似たところがある。(同書)」 岡本氏はこのようにのべている。パーントゥの始まりが「島尻元島の西海岸 (クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの仮面が、どこからともなく流れ着いた」ことと あわせて考えると、八重山の秘祭となんらかの関係があるのだろうか。赤マタ、 黒マタについては後から見ることにする。 宮古島のパーントゥは、強烈な異臭のする泥土を、住民や新築の家にも泥を つけて回ることで知られる。どんな綺麗な衣服を着ていようと容赦しない。子ども が泣き叫んでも手加減しない。人々は、泥をつけられると解っていて、寄り集ま って来る。それは、泥をつけてもらうことによって、厄払いになると信じているからだ。 パーントゥ祭の目的は、「村の厄払いをし、村の平和と村人の幸福をもたらす ことにあると考えられており、仮面神は、村人に祝福を授ける役目を背負って出 現するわけである」(外間守善著『南島文学論』)。 最近では、奇祭として県外にも知られているから観光客もやって来る。当然、 観光客であろうと、泥つけから免れない。泥をつけられてから、衣服の泥と臭い に困惑して、苦情を言う人がいるという。でも、それはこの祭りの本来の姿である。 だから、祭りを見に行く人は、それなりの覚悟を持っていく必要があるだろう。 そもそも、こういう伝統ある祭祀は、興味本位の観光の対象にはしないほうがよい のかもしれない。 |
「底」の字がつく民謡の不思議、その11。ニライカナイ2018-04-04 Wed 23:05
仲松弥秀氏は、続けて次のようにのべている。 <恐らく古代人は次のように想定している。 ニライ・カナイにおいて祖先神達は、ニライ・カナイの神と、その下に居る神々の住家と同じように、親兄弟、友人は勿論、他の人々も一緒になって、村々の人が一つ家に住んでいるような村をつくって生活しているのだ、と。 その神々や祖先神のつくっている村に対する観念語が、即ちニルヤ・カナヤであって、「ニライヌ家(のや)」の変化と考えられる。 次に村とは神々の村落であって、現実世界ではグスク、即ちスクと言われているが、ニライ・カナイではニライヌスク、即ちニイルスク、ニラスクと言われている。(『神と村』)> 沖縄の村落社会は、「村落民は等しく神(祖霊)の子である。したがって村落は個の集合体ではなくして、村落そのものが一家」(『神と村』)だったという。 「グスク」は祖先の共同葬所だった グスクについては、「聖域説」、「防御集落説」、按司の「居城説」など識者によって見解が異なるけれども、各地のグスクを見ても、そこに葬所や御嶽があり、いまでも住民の大事な御願の場所となっていることに変わりはない。 これまで「底」のつく民謡から始まって地名の由来など諸氏の見解を見てきた。 終わり 文責・沢村昭洋 |