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レキオ島唄アッチャー

南島に現れる仮面、仮装の神々、川平のマユンガナシ

石垣島川平のマユンガナシ

石垣島の川平では、旧暦9月の節祭(5日間)の初日に、マユンガナシ(真世
加那志)と呼ばれる来訪神が出現する。節祭は豊年の予祝祭である。

<川平村の年中行事の中でも「節祭(シチィ)」は村の最も重大な行事である。
その節祭の中も「まやぬ神」(注・マユンガナシ)の行事は其の生命線ともいう
べきもの。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>。

「マユンガナシ」とはどのような神であるのか。

<川平のマユンガナシは、顔を手拭でかくし、クバ笠をかぶり、クバ蓑をまとい、
マヤ棒と呼ばれる六尺棒をたずさえて現われる。これまた来訪神の典型的な扮
装である。二神一組で各戸を訪問し、来年の豊穣を予祝し、家族の無病息災、
牛馬の繁盛を約していく。(外間守善著『南島文学論』)>

 

    

「マユンガナシ」はもともと、石垣島裏地区の農村“川平、仲筋、桴海、野底、伊
原間、平久保”の地域で行われていた。「明治
20年以降村村の人口の移動がは
げしかったので行事が中止となり消滅してしまった。現在は川平だけに残されて
いる行事である」(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』)。

 石垣島の村々に豊年をさずけ、生活の安定を与えるために来訪するニライの使
者は、真世ん加那志とニール人(ピトウ、注・アカマター神)の二つの神事がある。

 <ニール人は旧暦6月、穂刈(プーリイ、豊年祭)の二日目「来年の豊年予祝祭」
の夕暮に神の座敷、ナビンドーから出て、村に現われ家家を祝福してまわるが、
真世ん加那志は旧暦
7月、9月の戊・戌の日からはじまる節祭の夜遅く村の家家を
祝福してまわる。(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』)>

 

マユンガナシの由来伝送

川平地域の「マヤヌ神」(注・マユンガナシ)の由来伝承は、「上の村と下の村の
伝承」があり、必ずしも一致していないという。

<この「マヤヌ神」のことをまた「真世加那志(まゆんがなし)」とも尊称する。この
「真世加那志」は「まーゆんがなしー」とも言い、「マヤの世(ゆう)加那志」の転訛で
ある。マヤの国はニライカナイの思想と等しく、「ニーラン」の楽土即ち理想郷である。
そこから来訪される神のことで、「根来(ニーラン)」からの遠来神である。この「真世
(まーゆん)」は「マヤの世(ゆー)」の転訛で、「マヤ」から「マユ」になり、「マァ世
(ゆ)」に再転している。即ちニロー神のことを「大世持(うふゆむちい)」「広世持(ぴ
るゆむちい)」の神と言うのと全く同様に、この神は「真世持(まーゆむちい)」の神と
いう。これ等の「大世(うふゆう)」「広世(ぴるゆう)」「真世(まーゆう)」はすべて対語
となっている(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)。>

 

注目されるのは、「由来の伝来の中には『ニロー神』の由来伝承に何等か類似し
ているところもあり、研究を要する重要な問題である」と喜舎場氏は指摘しているこ
とである。

<ことにこの部落の「ニランタ大親神」(注・旧暦二月カタビの日に迎える)との関
係は特に重要であろう。この「ニランタ大親」は「ニライ」の国から来訪される神であ
ることから「ニランタ大親」と尊称しているが、私はこの「ニランタ大親」と「真世加那
志」とは同一神ではないかと考えている。これ等の神々は等しく遠来神であり、とも
にその祝詞を宣り終ってお帰りなるという行事の次第から考えると同類神である。
いずれにせよこれ等の神々は豊年を招く農業神であり、今日もなおその行事が盛
大に取り行われているのである(同書)。>


喜舎場氏は、すでに別の論考で次のように指摘していた。
 <この「ニランタ大親」のことを部落では「真世神」と尊称し、「まーゆーがん」と
か「まーゆんがなしい」などとうやまう。「マヤヌ神」はあくまでその別名である(同書)。>

ともに遠来神、農業神であり、「同一神」「同類神」ではないかという推察は興味深い。


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南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその3。禁止令

アカマタに王府から禁止令が出された

アカマタ祭祀に対して、首里王府は禁止令を出して抑圧しようとした。八重山
民謡の「赤また―節」の歌詞は、
アカマター・クロマターが訪れる島の豊年祭に
は、遊び楽しむのが昔からの古い習慣だから、どうぞ許してくださいと役人に懇
願する。さらにお許しだから、今年の豊年、来年の豊年を祈願して踊り遊ぼう。
これからも「心が変わらないで下さい」と懇願する内容である。

<このような「神遊び」ともいうべき神行事に対する禁止示達令は当時の首里
王庁から度々出されていた。ところが部落民達のその行事に対する執着は異常
なほどに強く、一向にその禁止令は利き目が無かった。勿論のこと部落民等の
嘆願があったことは当然であるが、もしこれを権力で弾圧すればするほど農耕
に逆効果をもたらし兼ねなかった。そこで首里政庁においても遂にこの八重山
諸島における「神遊び」を容認せざるを得なくなった。その時の古文書なども今
日のこっている。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

アカマタ―禁止令は、農民の歌い踊る楽しみを奪うだけではない。もし、豊年
の祈願の祭りができないために不作、凶作に見舞われれば、重い人頭税の納税
に困窮し、はては飢餓にも見舞われる恐れがある。農民が異常なほどこの行事
に執着したのは、そんな事情があるからだろう。

 

「ニールピトゥ」はニライ・カナイの人

アカマタ神は、「ニロー神」「ニール神」と呼ばれるのはなぜだろうか。そこには
どのような意味があるのだろうか。

<この「アカマター神」の名称もまた小浜島では「ニロー神」と呼ぶが、石垣地
方では「ニール神(ピトウ)」とよぶ。勿論全身草や蔓などで仮装して来訪する神
である。すなわち賓客(神)である。宮良村では「ニール神」または「ニーロ―神」
と尊称し、以前は今日のように「アカマター」などとは俗称しなかった。この「ニー
ルピトゥ」は「根の国」「底の国」の人の意で、沖縄本島地方における「ニライカナ
イ」の神を意味していよう。…

川平部落では旧暦「2月タカビ」の日に、「ニランタ大親」をスクジ御嶽で迎える
儀式がある。この儀式はこの
1年間風干の災害がなく、五穀豊穣であることを祈
願する儀式であるが、その際の祝詞の一節に、

「授けられるなら、天の大世をどうぞお恵み下さい。二ラン底・タラースクの世
をばお願いします。…」

という文句がある。この祝詞中の「天の大世」も「二ラン底世」も豊年太平の世
を意味する文句である。


 この「ニランタ大親」は、
2月タカビの日にこの島に来訪され、豊年の神として島
の守護神となられ、
9月の節祭(しいち)りの第5日目にまた「ニーランの国」へお
帰りになられるが、その別離にはそれこそ盛大な儀式が催される。この「ニランタ
大親」のことを部落では「真世神」と尊称し、「まーゆーがん」とか「まーゆんがな
しい」などとうやまう。「マヤヌ神」はあくまでその別名である。…

このように八重山地方においては、神が遠く(根の国)から来訪するという信仰
習俗がある。竹富島などの場合には、各戸を訪問するという形態はとらないが、
その他の「アカマター神」の神事や「マヤヌ神」の神事などでは、いずれも神がお
のれの身を粉飾し、各戸を訪問するという形態をとり、しかも豊年の神としての同
じような性格をもって訪れてくるのである。そこには何んらかの類似性があり、ま
たその名称上においても同様であるが、極めて興味深いものがある(喜舎場永
珣著『八重山民俗誌上』)。>


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ファンが主催するSSカンパニーライブ

 沖縄随一のGSバンド、SSカンパニーの熱烈ファンでつくる「糸満カラーズ」が主催するライブ「Comeback to風は南から SSカンパニーライブ第3弾」が4月22日夜、糸満市の「風は南から」で開かれた。しばらくSSライブには行っていないので、久しぶりにGSサウンドを楽しんだ。
 その模様がYouTubeにアップされているので、紹介する。
 ライブは、日曜日だったので、この時期、沖縄はお墓参りの「ウシーミー(清明)」シーズンで来れない人や予定していたけど折しもの雷雨で来れなくなった人もいたが、ライブはなぜかとても盛り上がった。

     

 リーダーの瀬底正真さん曰く。「今日は武道館ライブを思わせるような雰囲気だったね」。もちろん、武道館でSSがライブしたことはない。でも、そう感じるほどだったようだ。
 ライブハウス「風は南から」は、2016年3月で営業をやめたので、いまは「箱貸し」のライブハウスとなっている。以前は、毎月1回のSS定期ライブが開かれたけれど、いまはなくなった。でも「風南でライブを見たい」という人達の要望に応えて、「では自分たちでライブを開催しよう」と「糸満カラーズ」が主催してSSカンパニーライブを年2回開くようになり、今回が第3弾となる。「糸満カラーズ」のパワーには感心する。 
 糸満周辺のSSファンがかけつけた。動画を見ると、その雰囲気がよくわかる。次回は10月に予定しているそうである。
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南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその2。小浜島のニロー神

小浜島の「ニロー神」

小浜島では、アカマタ神を「ニロー」と呼んでいるそうだ。

<ニロー神は、その面を朱にそめてあるから赤マタ―(男神)、墨で塗ってあるから黒マター(女神)の別名でよばれている男女二神を云うのである。

島人は“ニロー”と、石垣地方では“ニール人”とよんでいる。竹富島の西海岸に南(パイ)の彼方(ナーラ)から豊年(稲、粟の穀物の種子)を積んだ船が着く所(霊地)をニーランと云って、霊地として信仰している。また、深い海、遠方のことをニーラスクとも八重山人は云っている。(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』))>

 

小浜村の由来伝承

西表島古見のアカマタ祭祀がなぜ小浜島に伝わったのだろうか。

<この島名の小浜は後世の当て字で、古くは「クンママ」と称していた。すなわち「クン」は「古見」(クン)の意で、「マ」は小さいことの愛称語である。最後のマが脱落して「クンマ」となり、「小古見」という意味である。… 

すなわち往昔、古見より分村移住したといわれるこの島の伝承はそのままその島名に名残りをとどめている。分村移住の際に村の秘密祭祀たる「アカマター神事」も勧請されたものと考えられるが、今はそのことを徴すべき文献が見当らない。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

 

宮良村のアカマタ神祭

石垣島宮良のアカマタ神祭は、小浜島から伝わったとされる。

<宮良部落における赤マター・黒マター(ニーロピト)の祭祀は、元来小浜島で行われていた行事であった。すなわち明和81771)年、八重山諸島を襲った大津波は宮良部落を流失せしめ、ほとんど無人の部落に等しいまでにこの村を荒廃せしめた。そこで蔵元政庁は新しくこの村を再建すべく小浜島から村分(ふんばき)を行い、強制移民を断行した。その際小浜島から移住した人々が赤マタ―祭祀をこの新村に伝播せしめたのであった(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』))。>

 

宮良では、次のような由来伝承がある。

<往昔、中山王府へ貢物納入のため役人等の舟子としてお供を命じられた145人が、暴風に遭い、南蛮の島に漂着した。鬼面をかぶって踊る集団の様子を見て、付近の農作物が立派に稔っているので豊作の神だと思い、この鬼面を盗み取り、島を脱出した。(要約)

この鬼面の神のことを「ニーロー神(ぴと)」と尊称し、決して「アカマター・クロマター」などとは呼ばない。「ニーロー」または「ニールー」とは、底の知れざる穴の意で、この神は底の知れざる深い穴から出現される神、すなわちニライ・カナイの海の遙かなる国から来臨する神という意味である(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>。

南方から伝わったのか

アカマタは発祥の地、西表島の古見から小浜島へ、小浜から石垣島宮良に伝わったとされるのに、由来伝承は同じではないというのが面白い。

さて、アカマタ―祭祀は、もともとどこから伝わったのだろうか。どこか南方系の要素がありそうに思う。喜舎場永珣氏は、次のように指摘している。

<このアカマタ―祭祀の神謡及びその他の八重山古謡等を研究して行く限りにおいては、南方地方との関係がすこぶる濃いように思われる。現にその神事に唄われている歌の節々には「トゥ」(唐)とか「マナバン」(真南蛮)とか「アンナン」(安南)とか、あるいはまた「ハイヌシィマ」(南の島々)などという南方地方の名称が明確に出てくる事実や宮良、小浜などの由来伝承及びその神事そのものの持つ特異性などを考えたとき、外来の習俗のようにも考えられてならない。(『八重山民俗誌上』)>


 その根拠として、喜舎場氏は神事の際の神謡二首を参考としてあげている。

(其の一)古見村の赤マターユンタ (訳文だけ)

千尋も万尋もある 遠い遙かな海の彼方の 安南国から 渡って来られた 「白マター・赤マター」の神様… どうか来年こそは豊作の世に 来夏こそは尚稔りある年に お恵み下さいませ

(其の二)小浜・宮良・新城下地島などの各村で唄われている歌(訳文)

唐旅を転々と渡ること四旅 真南蛮旅を転々と渡ること三度 やっと七旅を重ね重ねて ついに八重山島にやって来た

この神謡でみるかぎり、やはり外来の習俗のようだ。

 


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南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその1

八重山のアカマタ・クロマタ

西表島の古見、小浜島、新城島の上地島、下地島、石垣島の宮良では、旧
6月のプーリー(豊年祭)の時に、アカマタ・クロマタと呼ばれる草装、仮面神
が出現する。
 古見が発祥の地とされ、上記の地区に伝わっている。島によってアカ・クロ二
神だったり、親子の対からなる四神だったり、クロ・シロ・アカの三神だったりし
ている。

 「来訪行事を実施するのは地区住民のなかで資格を持つ者に限られている。
その他の者にはその一部しか公開されず秘祭」(ウィキペディア)とされており、
スマホ・写真・ビデオ撮影・録音禁止や口外も禁じられている。
 秘祭とされるアカマタ・クロマタは、実際にどのように行われるのか。小浜島
の模様を紹介したい。
<アカマタ・クロマタはナビンドー(鍋の底のような凹所)の森から突然現れる。
アカマタ・クロマタは最初に集落の総本家(トゥニムトゥ)である黒島家を訪れ、
さらに定められた数軒の家を回った後に、アカマタとクロマタのそれぞれの集団
に分かれて集落の各戸を回る。集団には太鼓や幟が伴い、回った先の家々で
歌を歌う。アカマタの幟には「天下泰平」、クロマタの幟には「五穀豊穣」と書かれ
ている。アカマタとクロマタは深夜にトゥニムトゥの黒島家で再び会い、集落の住
民に送られながらナビンドーの森へ帰る。

 アカマタ・クロマタは、体に蔓草をまといつけ、前額部に冠のようにクバの葉を
並べてさし、その横には両側に23本の線香が突き出る。目は青みを帯びた白
銀色で、口には口ひげが生えている。アカマタは赤く塗られた木刀、クロマタは
黒く塗られた木刀を携える(「ウィキペディア」)。>
 「豊年祭の初日は豊穣に対する感謝祭で、二日めからはあらたなる年の予祝
祭であるが、アカマタ・クロマタ神は、海の彼方のニーラスク(根の国・底の国)
から訪れ、稲の豊作をもたらす来訪神であると意識されている」(外間守善著『南
島文学論』)。

古見村の由来伝承

西表島古見のアカマタ・クロマタ由来について、『八重山島諸記帳』にも記載がある。

<「島中奇妙」によると、昔からの伝承を次のように蔵元(今の郡役所に類す)
の役人が記録してある。(記録の年代不詳)

上代古見島三離嶽(チヤーリオン)に猛貌の御神、身に草木の葉をまとい、

頭に稲穂を頂き、出現立時は豊年にして出現なく時は凶年なれば、所中の人、
世持神(ユムチカン)と名ずけて崇来候。終に、この神かつて出現なくして凶年相
続き候得ば豊年(ユガフ)の願として、人に彼の形をにせ供物を備ひ古見三村
より小舟を壱艇づつ賑に仕出し争はせ祭の規式と勤め候(宮良賢貞著『八重山
芸能と民俗』)。>

 

    

古見のアカマタ―祭祀をめぐっては、上記の伝承とは別の伝承もあり、二つの
由来伝承があるという。

其の1、神人が「三離御嶽(みちやーりおん)」の神前まで現れた時には、その
年は凶作になる。「ウセーヌ泊」まで現れた時には「中ぬ世」(普通の年)、村中ま
で神が出現したときには、豊年になったといわれる。ところが神は姿を現さなくな
った。村人はその神に擬した神を出現させると、豊作の世を迎えたので、毎年こ
の祭祀を行なうようになった。

其の2、古見の南部落に住む夫婦には子どもがいなくて御嶽(注・おん、拝所)
で神に祈願し続けた。とうとう男子が誕生したが成長すると毎夜出かけ、御嶽
で遊んでいたが行方不明になった。時々、御嶽に姿を現すと豊年になる。現れ
る場所が部落に近ければ豊年に、遠いほど「中ぬ世」となる。村人は其の子の
姿を形取った仮面扮装の神を出現させ、徘徊させるようになった。今でもアカマ
ター神には親神の他に子神も出現する。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』、
要約で紹介)

 古見の豊年祭の2日目には「黒マター(親と子)」赤マタ―(親と子)白マタ―
(親と子)の
6神が異様な姿を現すという。古見では親神と子神が出現するのは、
この二つの由来伝承が背景にあるようだ。

 秘祭で撮影禁止のため写真はない。    

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アルテで「イサヘイヨ―節」を歌う

 毎月恒例「アルテ・ミュージック・ファクトリー」が14日夜開かれた。今回のテーマは、「眩」(げん、まぶしい、くらむ)。この文字が出てくる音楽はあまり聞かない。もちろん沖縄民謡では絶無。だから、出演されたみなさんは、太陽や星、輝くなどの字がついた曲を演奏した。 
 今回は147回を数えた。7月には150回の節目のファクトリーになるようだ。
 みなさん頑張って充実した演奏をされたが、私とツレにかかわるものを中心に書いておきたい     
  越智さんは、トランペットで「銀色の道」「昴」の2曲を演奏し、ツレがピアノでコラボした。

    IMG_5471.jpg
  私は「イサヘイヨ―節」を歌った。津堅島の民謡だという。この曲は、続けてチラシとして「デンサー節」の替え歌を歌う。太陽が出てくるから選曲した。男女の恋歌である。

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   歌詞は、「あなたのお家はどこですか」「道の十字路のユウナの木の下ですよ」「私の家と隣なら今日も明日もいっしょに語り合えるのに」と歌う。次の「デンサー節」は、逢引の情景である。「鶏が鳴いて、なぜ急いで帰ろうとするの、夜が明けて太陽が上がってから帰ればいいでしょう」「鶏の鳴き声が響けば、やがて夜が明ける、他人の目に触れないように急いで戻らなければ」。こんな風な会話が歌になっている。
  いつも三線を弾く姿勢が悪いので、今回はそこに気を付けて歌ってみた。 

 ツレは、ピアノ弾き語りで、中孝介の「花」を歌った。森山直太朗の作曲だが、その歌詞がとても気に入ったからだそうだ。
    DSC_3188.jpg
 ピアノソロでは、ブラームスの「ワルツ変イ長調」を演奏した。
 
 ギターリストの古波津さんが指導する「東浜レディースギターサークル」も出演。「ブーベの恋人」など3曲を演奏した。結成1年目とは思えない演奏だった。
    IMG_5493.jpg
  エントリーが終わった後も、久しぶり参加のドラマ―とピアノのジャズ演奏やピアノ連弾など、聴きごたえある演奏があり楽しいファクトリーだった。


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デイゴ鮮やか

                        DSC_デイゴ  
   漫湖公園に散歩に出かけたら、デイゴが咲いていた。デイゴが咲く木は、葉っぱが少ない。
 公演にはたくさんデイゴの木があるけれど、咲いているのはまだ2本だった。
    
             DSC_deigo.jpg 

 今年は、デイゴがたくさん咲きそうな気がする。気になるのは台風のこと。デイゴがたくさん咲くのは嬉しいが、台風はあまり歓迎しない。昨年は、台風がまともに来なかったから、今年あたりは、沖縄本島にやって来るかも知れない。用心用心。

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南島に現れる仮面、仮装の神々。波照間島のムシャーマ

  波照間島のムシャーマ
 八重山の最南端、波照間島では、旧暦7月14日(旧暦のお盆)に、先祖を供
養し、豊作と安全を祈願しておこなわれるムシャーマと呼ばれる祭りがある。
 <先祖の供養のみならず、豊年や島人の安全を祈る行事になっていて、大旗
やミルク(弥勒)を先頭に仮装行列が行われ、舞踊「マミドーマ」や棒術など多様
な芸能が披露される(「やいまねっと」HP)>
 太鼓や棒、狂言、舞踊など多彩な芸能が奉納される。この日は、島を離れて
いる人々も帰郷して祭りに参加。波照間島が一年で一番賑やかになる日だという。
 先祖の供養、豊作祈願、島の平和幸福祈願のための祭りであるため、実に
多彩な行事と民俗芸能がくり広げられる。
「その祭りにも、異形、異装の仮面神が登場してくる。フサマラーであり、シシヌ
パーシ(獅子の囃子、獅子使い)である」(外間守善著『南島文学論』)。

                   
                    

 フサマラーは、「雨乞いの神」の役目をもつ。「全身木の葉や草でおおい、木彫
りの面で顔をかくしている。いわゆる草装、仮面神で、村の中のフサマラ井戸か
ら出現するのは、宮古島のパーントゥと似ている」(同書)。
 シシヌパーシは、悪魔払い、厄払い、火鎮め役目をもつ神である。
 「全身をツル草や木の葉でおおった草装神であり、真っ赤な面をつけた仮面
神で、杖をもっている。杖をもっていることで、遠方からやってきた来訪神である
ことの一つのあかしをみせるわけである。
 シシヌパーシのような異形な神は、八重山各地の豊年祭、結願、節(しつ)祭
などで、多少の変容をもちながら、さまざまに登場している」(同書)。


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南島に現れる仮面、仮装の神々、宮古島のパーントゥ

 南島に現れる仮面、仮装の神々

 沖縄の離島には、祭祀の時に異様な仮面、仮装姿で現れる神々がいる。異形
の神々というのは、沖縄だけではない。鹿児島県のトカラ列島にもいるし、秋田
のナマハゲもその代表的な存在である。なぜ神々は異様な姿をしているのか、
そこにはどんな意味合いが込められているのだろうか。前からとても気になって
いた。
 外間守善著『南島文学論』を読んでいると「南島に現れる異形の神々」という
論考があった。沖縄各地には、次のような異形の神々が現れる。

 宮古島のパーントゥ
 沖縄でとくによく知られているのは、宮古島のパーントゥである。
 <宮古島の島尻という村落に、パーントゥプナカと呼ばれる祭祀が伝えられて
いる。祭りは、旧暦9月の最初の戊(つちのえ)の日から二日間、というのが原則
であるが、実際には9月の吉日を日取りして定めている。
 パーントゥという語の語源は定かでないが、プナカと呼ばれる祭祀に登場する
異形、異装の仮面神をパーントゥといっている。プナカという語義もつまびらかで
ないが、村の人たちは祭祀、祈願祭という意味で使っている。(外間守善著『南
島文学論』)>
 パーントゥは、全身にキャーンというツル草を巻きつけ、その上から異臭のする
黒泥土を塗り、頭上にはマータという厄除けのための草葉を結んでいる。右手に
仮面をもって顔をかくし、左手には杖をもっている。「村の人たちはこの異様なさま
を旅姿だと考えており、異界からの来訪神として理解しているようである」(同書)。

             宮古島パーントゥ、文化庁
             宮古島のパントゥ(文化庁報道発表資料から)

    宮古島・島尻のパーント・プナハには、次のような伝説があるという。
 <今から百数十年前、島尻元島の西海岸(クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの
仮面が、どこからともなく流れ着いた。その仮面は、鬼神の如く恐ろしい形相で、
村の人々は近よることすら出来なかった。ちょうどその日は、里をあげての祭り
の日であって、聖なる杜の中でツカサ(注・神女)達のおどろきは大変であった。
はるかなる海の彼方からの神人の来訪だ。世持神の来訪だとばかり、その仮
面を取って「このパーントゥの仮面は、鬼の如き人、赤黒の神の仮面かと思い
信じて、このパーントゥの仮面、我が村の根所に来たるは、我が村の豊年のし
るし也」と云い伝えている。(岡本恵昭著『宮古島の信仰と祭祀』)>
 注・「世持」とは豊かな世を支えるという意味がある。

 <村の二才(注・青年)、この鬼面をかぶり、身に草木のつる草(キャーン)を
巻きつけて、我れは、世持ちの神、我れは世持ちの大主とて、村中をかけ回る。
パーントゥ神の来訪は、この由来をもって、この島尻に伝来せしものである。
パーントゥの仮面を信仰したところが、たまたま豊穣の年を迎えたので、毎年
の如く、旧暦9月にこの祭事を行なうようになったという。(岡本恵昭著『宮古島
の信仰と祭祀』)>
           
 
   岡本氏によれば、新築の家の壁や病人の額にドロをつけることは、古くからの
伝統ではないらしい。次のように指摘している。
「訪ずれるパーントゥ神は、村の新築した家屋に厄払いと、予祝の霊性(セジ)づ
けを与える来訪神特有の呪術をする。家の壁などや、病人のひたいにドロをつけ
ていくもので、近ごろからの民俗現象である(『宮古島の信仰と祭祀』)。」
 興味深いのは、八重山諸島の赤マタ、黒マタの祭祀と共通するところがあるこ
とである。
 「行動のすべては秘儀の中にあり、…頭上の後部に、ススキの穂先を三又に
結んでたらすように立てておくのは、一説では八重山の稲穂の三すじを背に立
てた赤マタ、黒マタの仮面神、来訪神(ニライの神)に相似たところがある。(同書)」
 岡本氏はこのようにのべている。パーントゥの始まりが「島尻元島の西海岸
(クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの仮面が、どこからともなく流れ着いた」ことと
あわせて考えると、八重山の秘祭となんらかの関係があるのだろうか。赤マタ、
黒マタについては後から見ることにする。

 宮古島のパーントゥは、強烈な異臭のする泥土を、住民や新築の家にも泥を
つけて回ることで知られる。どんな綺麗な衣服を着ていようと容赦しない。子ども
が泣き叫んでも手加減しない。人々は、泥をつけられると解っていて、寄り集ま
って来る。それは、泥をつけてもらうことによって、厄払いになると信じているからだ。
 パーントゥ祭の目的は、「村の厄払いをし、村の平和と村人の幸福をもたらす
ことにあると考えられており、仮面神は、村人に祝福を授ける役目を背負って出
現するわけである」(外間守善著『南島文学論』)。
 最近では、奇祭として県外にも知られているから観光客もやって来る。当然、
観光客であろうと、泥つけから免れない。泥をつけられてから、衣服の泥と臭い
に困惑して、苦情を言う人がいるという。でも、それはこの祭りの本来の姿である。
だから、祭りを見に行く人は、それなりの覚悟を持っていく必要があるだろう。
そもそも、こういう伝統ある祭祀は、興味本位の観光の対象にはしないほうがよい
のかもしれない。


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「底」の字がつく民謡の不思議、その11。ニライカナイ

仲松弥秀氏は、続けて次のようにのべている。

<恐らく古代人は次のように想定している。

ニライ・カナイにおいて祖先神達は、ニライ・カナイの神と、その下に居る神々の住家と同じように、親兄弟、友人は勿論、他の人々も一緒になって、村々の人が一つ家に住んでいるような村をつくって生活しているのだ、と。

その神々や祖先神のつくっている村に対する観念語が、即ちニルヤ・カナヤであって、「ニライヌ家(のや)」の変化と考えられる。

次に村とは神々の村落であって、現実世界ではグスク、即ちスクと言われているが、ニライ・カナイではニライヌスク、即ちニイルスク、ニラスクと言われている。(『神と村』)

沖縄の村落社会は、「村落民は等しく神(祖霊)の子である。したがって村落は個の集合体ではなくして、村落そのものが一家」(『神と村』)だったという。

「グスク」は祖先の共同葬所だった

 
仲松氏は、「グスク(スク)」について、「グスク即ち城」という見方を排して、奄美から八重山までグスクを踏査した結果、ほとんどは「古代祖先達の共同葬所(風葬所)だった場所」であるとし、次のようにのべている。<グスクは神の居所の意があると思われる。「死んだ人は神と成る」という古代信仰からするならば、祖先達の葬処や墓がウガン(拝み)となり、その森が御嶽となることは自然の成り行きであろう。…グスクのほとんどは御嶽になっている。(『神と村』)> 


       宇江城跡 (2)
            久米島の宇江城跡  
 

グスクについては、「聖域説」、「防御集落説」、按司の「居城説」など識者によって見解が異なるけれども、各地のグスクを見ても、そこに葬所や御嶽があり、いまでも住民の大事な御願の場所となっていることに変わりはない。

これまで「底」のつく民謡から始まって地名の由来など諸氏の見解を見てきた。
改めて<「スク(底・城)」の意味は「遥かに遠い所」であり、遠い所、すなわち祖神たちのやってきた海の彼方である。そこは沖縄人の古代信仰であるニライ(根の国)とも重なっている>という意味を深くかみしめたいと思った。

終わり        文責・沢村昭洋


 

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