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レキオ島唄アッチャー

上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その3

 万次郎、摩文仁間切番所で取り調べを受ける、荷物には本や地図、ピストルも

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 上陸した小渡浜で万次郎、伝蔵、五右衛門の3名は、浜に集まった小渡
の村人たちから、温かいふかしイモをごちそうされました。万次郎たちは、
親切な村人たちのもてなしに感謝の気持ちで胸がいっぱいになったといい
ます。また、万次郎たちは、持ってきた牛肉やコーヒーを火に掛け、その場
で食して見せました。

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  万次郎たちの持物はすべて、摩文仁間切番所(米須集落内)の役人によって
没収され、番所に運ばれました。荷物には、航海術書、数学書、ジョージ・ワシン
トン伝記、地図、八分儀、コンパス、ピストルなどがありました。取り調べをした役
人たちにとっては、見たことのない品物ばかりでした。

 また、役人からご飯とお箸を渡され、3人とも上手に使いこなしたことから、日本
人であることが認められました。 

  万次郎、宿道を歩き翁長村の高安家へ「いちゃりばちょーでー」精神に触れる

 

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  万次郎たちは、取り調べ後に那覇へ護送されることになっていましたが、摩文仁
間切から真壁、高嶺、兼城、豊見城間切の宿道を歩き向かいましたが、那覇でイ
ギリス人宣教師ベッテルハイムに会うことを心配した薩摩藩と琉球王府の役人は
、「豊見城間切に戻せ」との伝令を出し、豊見城間切翁長村へ戻り、親雲上(ペー
チン)の高安家(屋号:徳門)で幽閉されました。

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  万次郎たちは、半年間に及ぶ捕らわれの身ではありましたが、村の綱引きや毛
あしびー(注:若者が夜、野原で歌い踊り遊ぶ)に参加するなど、村人たちと自由
に交流することができました。また、かつて琉球の進貢船が遭難した際、土佐藩
の人たちに助けられたことがありました。琉球国王は、土佐藩の人たちへの恩返
しとして、万次郎たちへの手厚い保護のほか、豚、鳥、魚、泡盛、衣服などを贈り
ました。

 万次郎たちは、多くの人たちの「いちゃりばちょーでー」(注・一度出会えば兄弟
)精神に触れることができました。


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在沖縄高知県民の会新年会に初参加

 沖縄に在住する高知県人でつくる在沖縄高知県民の会から、新年会へのお誘いがあり、24日、初めて参加した。
 場所は、那覇市久茂地の「おでんおふくろ」。那覇市内はじめ中部や糸満からの参加を含め8人が集った。

              高知県民の会新年会、おでんおふくろ
   沖縄に来た時期は、私より早い人もいれば、遅い人もいる。高知の出身地も東は安芸から西は旧大方までさまざまだった。
 初めてお会いする方々ばかりだが、同郷ということから話しはすぐに盛り上がる。
 ジョン万次郎上陸記念碑の建立に尽力された糸満市在住の和田達雄さんも参加し、記念碑の写真や万次郎についての資料を持参して紹介された。みなさん「記念碑を見に行きたい」と異口同音におっしゃっていた。
      高知県民の会新年会
           
 郷里には、まったく帰っていないので、懐かしい思いで一杯だった。
 写真は「在沖高知県民の会」Facebookから勝手に拝借した。呼びかけてくれたハリエコアイさんに感謝したい。
 


 
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上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その2

  万次郎、アメリカ本土に上陸、日本人留学生第1号の誕生

 

1843年、万次郎が救出されてから2年後、船はアメリカ最大の捕鯨基地、マサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港しました。万次郎は、日本人として初めてアメリカ本土に上陸しました。

 
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 万次郎の訪れたアメリカは、西部開拓の時代でした。ホイットフィールド船長は、ジョン・マンを我が子のように愛し、ふるさとのフェアヘーブンに連れ帰り、英語、数学、測量、航海術などの教育を受けさせました。ここに、日本人留学生第1号が誕生しました。


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 学校を卒業した万次郎は、捕鯨船フランクリン号に乗って7つの海を航海し、副船長にまでなりました。航海を経てニューベッドフォードに帰港した万次郎は、カリフォルニアで起こったゴールドラッシュのことを知りました。

1850年、万次郎は、日本へ帰国するための資金を得ようとサクラメントの金山に向かい、600ドルを稼ぐと、仲間のいるハワイへと向かいました。

 

+

 日本帰国へ第一歩、いざ琉球・小渡浜に上陸

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ハワイに到着した万次郎は、伝蔵、五右衛門らに帰国の決意を伝えました。また、「琉球の地に小舟にて渡れば便利なり」と考え、捕鯨ボートを購入し、アドベンチャラー号と名付けました。そして、上海へ向かう商船サラボイド号へ乗船しました。

 
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18501217日、サラボイド号は上海へ向けてハワイを出港しました。翌年185122日、北風が吹きみぞれが降る悪天候の中、万次郎たちは、糸満市喜屋武岬の沖合でアドベンチャラー号を降ろし、陸地を目指しました。深夜、海岸に着くと干潮だったため浜には行けず、仕方なく岩礁にいかりを下し、朝まで一眠りしました。朝になると、近くにいた釣り人の指示に従い、万次郎、伝蔵、五右衛門の3名は、小渡浜(古港口:フルンナトゥグチ)に上陸することができました。



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上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その1

ジョン万次郎が琉球にその第一歩を記した場所、糸満市大渡海岸に万次郎
上陸之碑が建立された。記念碑は、六角形の台座の上に万次郎の銅像が立っ
ている。台座は六角の各面には、万次郎の足跡を描いた絵図入り説明板が取
り付けられている。説明板は、万次郎の足跡、功績が簡潔に記されており、万
次郎に関心のある方々に是非、見ていただきたい。県内に数ある記念碑の中
でも、銅像と台座の絵図の美しさ、内容の充実ぶりは、第一級の碑であると思
う。機会があれば、大渡海岸を訪れてこの記念碑を直接見ていただきたい。

記念碑の紹介の前に、万次郎の上陸に至る経過を簡略に示した説明板があ
るので、まずはこちらから紹介する。

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万次郎アドベンチャラー号で琉球・小渡浜に上陸

 万次郎はハワイに到着後、帰国に際しサクラメントで得た資金で捕鯨ボートを
購入し、アドベンチャラー号(
adventurer)と名付けました。アドベンチャラー号は、
長さ約8メートル、幅約1・8メートルで、帆1本、オール2本が備えられていました。

 また、万次郎の帰国に協力したハワイのデーモン牧師は、自らが発行する新
聞・フレンド紙において、「彼が故国への帰還に無事成功すれば、日本と外国と
の国交樹立に大いに貢献するであろう。日本人と英国人、そしてアメリカ人との
間の意思疎通をもたらす優秀な通訳になることは間違いない。ジョン・マンのアド
ベンチャラー号の成功を祈る。」と記されています。


  ここから後は、台座の各面を順序に沿って紹介する。 
  万次郎、足摺岬沖で嵐に遭い漂流、太平洋の孤島で捕鯨船に救助される

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   万次郎は、中ノ浜(高知県土佐清水市)で生まれました。
1841年、漁師になっ
14歳の万次郎は、宇佐浦からはえ縄漁に出ました。この舟には、船頭の筆之
丞(後に伝蔵と改名)、重助、五右衛門の3兄弟と、寅右衛門、そして万次郎の5
人が乗り込みました。ところが、漁に出て3日後に足摺岬沖で嵐に遭い、漂流し
ました。その後、太平洋の孤島・鳥島に漂着しました。そこで過酷な無人島生活
を送り、
143日後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号によって救助されました。

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 ジョン・ハラウンド号のウイリアム・
H・ホイットフィールド船長は、5人を安全なハワ
イへと連れて行きました。旺盛な好奇心と前向きな行動力で船長に認められた万
次郎は、4人の仲間をハワイに残し、1人アメリカへ渡る決心をしました。また、そ
のころに「ジョン・マン」という愛称が付けられたといわれています。



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ジョン万次郎上陸記念碑が披露される

 糸満市大渡海岸にジョン万次郎上陸之地の記念碑(銅像)が建立され、
2月18日、お披露目式が盛大に行われた。

 漁船で漂流しアメリカの捕鯨船で救助された万次郎が、10年ぶりの帰
国のため、上陸の地に選んだのが琉球の摩文仁間切(いまの町村)の大渡
海岸。1851年2月2日(旧暦1月3日)に上陸した。18日は、上陸
した日と同じ旧暦正月3日にあたる。

 万次郎が上陸した日は小雨まじりの寒い日だったが、この日は青空が広
がり暑いくらいだった。

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   万次郎が上陸した小渡浜の上に当る展望の良い場所に記念碑は建立された。
 式典に先立ち、小渡浜では、万次郎が上陸した際、飲んだであろうコー
ヒーが振る舞われ、思わず167年前の万次郎の姿を思い浮かべた。

 披露目式には、高知をはじめ県外からも多数来沖され、200人を超え
る人たちが参加した。

  大渡海岸は、沖縄戦の激戦地、摩文仁の丘の西側にあたるので、最初に
1分間の黙とうをささげて式典が始まった。
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 ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会会長でもある上原昭糸満市長が、
住民が期成会をつくり、沖縄ジョン万次郎会とも協力して記念碑ができた
ことに感謝し、銅像をこれから南部観光の拠点の一つとしたいと述べた。

                    
   来賓の万次郎直系子孫5代目の中濱京さんが、日本最初のアメリカ文化、
デモクラシーはボートに乗ってこの摩文仁にやってきた、万次郎と先祖も
天国から喜んで見ているだろうと挨拶した。
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 万次郎の出身地、高知県土佐清水市の磯脇堂三副市長は、万次郎が土佐
の維新の志士に影響をあたえた、小渡浜から日本の近代化が始まったとそ
の意義を述べた。

 関係者によって記念碑の除幕が行われた。
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 銅像は、右手で指をさし、左手には2冊の本を抱えた万次郎が、郷里の
土佐の方向に向かって立っている。六角形の台座には万次郎の足跡が美し
いカラーの絵図とともにで紹介されている。青空の下、見事な記念碑・銅
像が姿を現すとひときわ大きな拍手がわきあがった。
             
 
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 アトラクションで、地元の米須小学校6年生が勇壮なエイサーの演舞
を行い盛り上げた。

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 建立期成会では、高知県出身で糸満市在住の和田達雄さんが、期成会
の結成の立ち上げからかかわり、銅像や台座の絵図も提案して採用され
るなど情熱を注いでこられた。万次郎と同郷の者として、尽力された和
田さんと糸満市民に深く感謝したい。

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   次回から、銅像の台座を詳しく紹介したい。


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ピアノとのコラボで「童神」を歌う

  アルテ・シニア世代のピアノ音楽会vol.8が16日夜開かれた。
 この日は夜は雨模様になり、少し参加者は少なかったが、みなさん楽しんでピアノをひかれていた。
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  ツレは、ピアノソロで「ベネチアのゴンドラ」を演奏した。とて も聞きごたえのある演奏だったのではないか。

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   私は歌三線で「童神」をツレのピアノ伴奏で歌った。このピアノ音楽会では久しぶりの演奏だった。前日から急に練習した割にはあまりミスなくて歌えたようだ。
                       童神 (2018-02-17 21-50) (3)  
   ツレは、ピアノ弾き語りで「愛の讃歌」(美川憲一版)を歌った。声がよく出ていて好評だった。
 この音楽会も8回目となり、すっかり定着した。みなさんこの音楽会で日頃の練習の成果を披露できることにとても喜びを感じているようだ。
 

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那覇市内でもカンヒザクラ見頃

 那覇市内でもカンヒザクラが見頃を迎えている。与儀公園に出かけた。
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    与儀公園は、市内のど真ん中にあり、そばには県立図書館、知事公舎もある。
 公園内を流れる川の両側が桜並木になっている。
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 ここの桜は比較的大きな樹が揃っているので、見ごたえがある。
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  沖縄は毎日、寒い日が続くが、この寒さももうすぐ峠を越すのではないか。

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 ピンクの鮮やかな桜を見ているとそんな気がする。


 

 

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アルテで「夫婦船」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが10日夜開かれた。今月のテーマは「愛」。音楽では「愛」を歌う曲はとても多いので、みなさんテーマにそった曲目を演奏された。

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 今回も、自分達にかかわることだけを書いておきたい。
 越智さんがトランペットで「愛燦燦」を演奏し、ツレがピアノで伴奏した。
 私は沖縄民謡「夫婦船(ミートブニ)」を演奏した。夫婦の愛情を歌っているのでテーマに合っているだろう。
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 「世間は果てしない船路のようなもの、夫婦以外に頼るものはない」「夫は帆柱 妻は船体 どんな困難があってもいっしょだよ」というような意味の歌詞である。歌はなんとか歌えたが三線はなぜか何回か音が抜けた。

 ツレは、ピアノ弾き語りで「かりゆし58」のヒット曲「アンマー」をうたい、ピアノ独奏でメンデルスゾーン無言歌「ベネチアのゴンドラ」を演奏した。
   DSC_2719.jpg  
  みなさんから「よい演奏だった」と好評だった。日頃の練習が実を結んだのだろう。
 3月のテーマは「金」(きん、ゴールド)。すぐに曲目は決まった。少し早いテンポの曲なので、音が抜けないように練習あるのみだ。
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ジョン万次郎上陸之地記念碑、2月18日披露へ

 ジョン万次郎が1851年、琉球に上陸したことを記念する等身大の銅像・記念碑が糸満市大渡海岸に建立され、2月18日に披露されることに なった。 
  NPO法人ジョン万次郎上陸記念碑建立期成会会長の上原昭糸満市長が30日、明らかにした。

              ジョン万次郎上陸之地記念碑、銅像 (2)  
   完成予想図は、糸満市の記念碑の基本計画から使わせていただいた 
  市の「基本計画」を見ると、万次郎の功績を後世に伝える、子どもたちの夢を育む、新たな観光資源としていくことを整備の方針としている。
   銅像は約1㍍80㌢ある。台座は六角柱とし、万次郎の代表的なシーンを6つの面に説明図と絵図を並べて、万次郎の歴史的な功績をわかりやすく紹介するそうだ。
   
 銅像と六角図は、期成会で熱心に活動してきた高知県出身の和田達雄さんの提案作品だという。  
 これまで大渡海岸は万次郎の上陸地といっても、何も説明するものがなかった。記念碑を見れば、万次郎の功績が誰にも理解されるだろう。素晴らしい 銅像・記念碑である。
       
 費用は約2600万円で一括交付金を活用したという。万次郎が上陸した旧暦1月3日にあたる2月18日に現地で披露目式を行い、当日は、万次郎の出身地、高知県の土佐清水市長はじめ県外からの関係者も来られる。万次郎の直系子孫5代目の中濱京さんも参列される予定だという。
 是非、多くの県民と沖縄を訪れる観光客もこの記念碑を見ていただきたい。

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