レキオ島唄アッチャー

按司には二通りの意味がある、その3

  按司の名称の由来
 稲村賢敷氏は、さらに按司の名称のもともとの由来についても考察している。
<沖縄諸島住民の始祖が、悠久の昔、この島々に来て居住した時、同一血族の人々だけで部落を作って生活した、というよりも寧ろ一人の母性から生まれ、そして育てられた人々が、マキョ又はコダと称する同族部落を作って生活した、是等の部落の中では「イチフク(一腹)マク」と称する部落の名称も、今まで残っている所もある。是うした部落では始祖又は其の継承者は絶対的権力者であって生んで下さった始祖は、生命の主(ヌシ又はアルズ)という意味で、マキョの居住者は是の絶対者に対して「アルズ」則ち所有者又は主人という意味の名称で呼んだものと思われる。基督教徒が教祖キリストに対して「吾が主」と称するのと、略近い意味を持った言葉であって、「アルズ」は後に詰まって「アズ」と称するようになったが、是が氏族の始祖に対する按司(アズ)神という称号の始めの意味でもあると私は考えている。>

 稲村氏は、もともと按司(アズ)という言葉の意味は「アルズ」であって、同族部落マキョの始祖に対する名称として起こったものだと見る。
  しかし、その後の社会の発達の中で按司の意味、支配者の名称も変容するようになる。
 <後に13世紀の中頃、牧港附近に伊祖の「てだ」と称する勢力が起こった。この地方は早くから海外との交通が開けていて、金属器具も他の地方より早く伝来し、従って農耕社会の発達も早かった。この伊祖のてだの勢力も始めは同族部落の支配者として起こったものであろうと思うが、他の地方よりも早く農耕社会が発達したために、その勢力は強大となり、遂に近隣の諸部落をも兼併して大きくなった事と思われる。オモロ歌謡の中に、それを思せるものが2、3ある。
             伊祖城跡、うらそえナビから
                  伊祖城跡(「うらそえナビ」HPから)
 オモロ15巻ノ15
一、ゐそゐその、いしぐすく あまみきょの、たくだる、ぐすく、
又、ゐそゐその、かなぐすく、
 大意 伊祖の城は、アマミキョが造った勝れた城であるよ、という讃辞である。
 註 伊祖の城は牧港の南にある丘上にある城で、その南麓には浦添村伊祖の部落がある。城壁や後方にある物見台の築造に当っては、金属器具が使用された事は明らかで、伊祖のかなぐすくという名称も生じたものであろう。

 オモロ15巻ノ16
一、ゐそゐその、いしぐすく、 いよやに、おそて、ちょわれ
又、ゐそゐその、かなぐすく
 大意 伊祖の御城よ、弥々広く、長く支配して下さるようにとの意

 この「いよやに、おそて、ちょわれ」という言葉の意味は、血族部落の「主(アルズ)」が、その血族門中の者を率いる意味とは少し違うように思われる。この襲(おそ)いが次第に広く強くなって、浦襲(うらおそ)いとなり、百浦襲(ものうらおそ)いとなる。この「おそてちょわれ」という言葉には、血族部落の線を越えて、同一血族ではない近隣の多くの部落までも支配するようになった勢力が歌われているように思われる。

 然し是の伊祖の勢力に対しては「ゐそのてだ」と称していて、按司とは称しなかったのである。是は当時各地に血族の者だけの部落マキョが多く、その支配者は「アズ」と称していた為に、数個の血族部落を兼併して、広い地方に亘って領有していた支配者に対しては、アズの上のアズであって、是を「てだ」と称したものと思われる。この「てだ」の称号は太陽(日神)を意味し、太陽のように、広汎なる地方を支配する勢力に対する名称であって、血族部落の線を越えて他の血族をも兼併する支配者の意で、王に先行する称号である。後暫くすると各地に是の伊祖のてだと同じく、血族部落を兼併して広い地方を支配する勢力が数ヵ所に現れるようになり、「てだ(日神)」という称号は適当でないので、血族部落の支配者に対する按司という名称が、この新興勢力に対して通用するようになり、今帰仁按司、大里按司、勝連按司等の称号が称せられるようになったものであろうか。
         島添大里按司の墓、計画書
        島添大里按司の墓(南城市教育委員会「島添大里城跡保存管理計画書」から)
 則ち按司(アズ)という言葉の意味は「アルズ」であって、同族部落マキョの始祖に対する名称として起こったものであるが、後に古代史の末頃になって、金属器具の使用が次第に普及するようになり、農耕社会が発達するようになって、武力に依る支配者が各地方に現れるようになると、この新興勢力の支配者に対しても按司(アズ)という名称が使用されるようになったと私は解釈しているのである。>

  稲村氏は、農耕社会が発達するなかで、いくつかの「血族部落を兼併して広い地方を支配する勢力が数ヵ所に現れる」ようになり、「血族部落の支配者に対する按司という名称が、この新興勢力に対して通用する」ようになったとのべている。
按司の語源については、歴史家の比嘉春潮氏も同様の見解だという。
<比嘉春潮氏の著書「沖縄の歴史」にも、按司の語源は「アルズ」であるという事が述べられている。私もこの説に同意する。
 そして是の名称の起源に就いては、古代血族部落マキョの始祖に対して、マキョの総ての物が所有者であるという意味で、アルズ、又はウプアルズと称した事が始めであり、詰まってアズ、又はアズ神と称するようになり、中世以後武力を以て城廓を築き、住民を支配するようになって権力者に対しても、絶対的支配者の意味で按司という名称が使用されたものであろうと思われる。>

  稲村氏は、著書の最後のところで、按司の語源と変容について、次のようにまとめてのべている。
 <沖縄のマキョと称する血族の集団社会、それは私が本書に於いて沖縄島の各地に亘って調査した結果について述べたように狩猟、漁猟の自然の恩恵に依って生活していた社会であって、血族の宗家を中心として血族部落をつくり、其の宗家の継承者は根神(ネガミ)と称してマキョの始祖の母権を継承して絶対的の権威を以てマキョを指導していた。この根神のことを「ウプアルズ」又詰まって「アズ(按司)」と称したのであるが、マキョの後期になって新興勢力として、血族関係とは別の生産器具又は武力を有する勢力が興ってマキョを兼併して次第に強大なる勢力をつくるようになって、血族部落の根神に対する称号であったアズ(按司)という名称も、次第にこの新興勢力の首領に対する名称として使用されるようになり、原義の意味は次第に忘れられて、この第二次的の名称として固定して、アヂ(按司)といえば領主の事であるとして名称の意味が固定したように考えられる(『沖縄の古代部落マキョの研究』)。>

 稲村氏の見解について、他の歴史家の評価がどうなのかは知らないが、この見解によって、琉球の歴史の上での按司の由来と意味、その役割、領主ではない場合にもその名称使われることの説明としてとても説得力があると思う。

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