レキオ島唄アッチャー

サンゴの白化深刻

 海水温が高いことで沖縄のサンゴの白化現象が深刻になっている。環境省那覇自然環境事務所が7月下旬から8月中旬にかけて、石垣島と西表島の間にあるサンゴ礁「石西礁湖」で調査したところ、調査した35か所で9割近くのサンゴが白化していることがわかったという(「琉球新報」28日付)。
 石西礁湖では、水温が6月から白化の危険が高まる30度を超える高温が続いている。
 サンゴの中で、高温やストレスに弱いサンゴの一種、ミドリイシに加え、ストレスに強いハマサンゴも一部白化している。すでに1割近くは死んでいる可能性があるという。
 サンゴの白化現象がなぜ起きるのか。
 「サンゴ自体は動物ですが、褐虫藻と呼ばれる藻類を体内に共生させ、その光合成生産物に依存して生きています。サンゴの白化は、環境ストレスにより褐虫藻の光合成系が損傷され、サンゴが褐虫藻を放出することにより起こります。このとき、サンゴの白い骨格が透けて見え、白くなるため白化と呼ばれます。環境が回復すれば褐虫藻を再び獲得してサンゴは健全な状態に戻りますが、環境が回復せず白化が長く続くとサンゴは死んでしまいます。」(地球環境研究センターHP) 
 
 海水の高温が続くのは、今年は台風が沖縄には来ないためらしい。台風が来ると海水をかき混ぜてくれるので、海水温が下がる。でも、今年は一度、台湾に抜けた台風があっただけ。今回の台風10号は、これまでの台風の針路とは真逆で、北から南下してきたが、大東島の南で停滞したけれど、Uターンしてまた北東に進んでいる。
 台風が直撃するのは勘弁してほしいが、まったく来ないとなると、サンゴ白化や水不足も心配になる。これも琉球弧に住む者にとっての宿命だろうか。
 
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オリオン工場直近のビールは美味い

 名護市の出雲殿ビアホールで飲むビールは美味い。そのように誘われて、ライブでご一緒するみなさんの車に便乗させてもらって初めて出雲殿に出かけた。というのも、いつもライブを見に行っているMrジョークマンことふーみさんが、こちらで週2回ライブをしているからだ。木曜日はフォークユニット「F&Y」で出演している。
 名護湾で見る夕陽が美しい。
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 出雲殿は結婚式場だが、今年7月からビアホールをはじめた。すでにビアホールに行った人たちから、異口同音に、「名護で飲む生ビールは味が違う。美味しい」と聞いていた。というのも、オリオンビールは、名護に工場があり、出雲殿は工場からもすぐ近くにある。ビールは輸送で揺らさない工場近くで飲むのが美味しいと聞いていた。
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  さっそく、オリオンドラフトビールを飲んだ。さすがに噂通り美味い。ビールを飲む事には熱心だったが、うかつにも写真を撮り忘れた。この写真は、7月にツレが行った時のものである。
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 ビールは、オリオンドラフトの他、アサヒスーパードライ、オリオンの麦職人、夏一番の4種類が自由に飲める。オリオンビールはアサヒビールと提携しているので、沖縄のアサヒはオリオンの工場で作っている。4種類すべて飲んでみた。なるほど、少し味わいが異なる。
 不思議なことに、最後に飲んだ発泡酒の麦職人が最も味わいがあった。那覇ハーリーや10月のオリオンビアパラダイスでも麦職人は生で飲んでいるが、こちらで飲む方が味わいがある。なんと私の口では、オリオンドラフト、アサヒスーパードライよりも美味しく感じた。なぜだろう。もしかして、生ビールの樽をつけ間違えて、麦職人のサーバーから出るビールは実はドラフトビールだった、ということはないだろうか。真面目に考えたがいくらなんでもそんな間違いはないだろう。
 それにしても、飲み放題、食べ放題、ライブ付きで前売り3000円というのは格安でありがたい。
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 ライブでは、Mrジョークマンは、フォークから洋楽ナンバー、島唄までバラエティーに富んだ演奏で楽しませてくれた。とくに、普段あまり演奏していない曲目がけっこうあり、聴きごたえがあった。
 ライブは、アリスナンバーなどノリのよい曲目になると、ダンシングで盛り上がった。
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 この日は、F&Y、ふーみさんを応援するKさんの誕生日前日なので、ふーみさんからbirthdayケーキがプレゼントされた。もう一人の熱烈ファンであるNさんも今月誕生日だったので、二人にお仲間から花束が贈呈された。サプライズのプレゼントにお二人も嬉しそう。
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 美味しいビールに、懐かしい音楽のライブは何よりの楽しみである。ライブが終わったとの記念撮影はみんなの笑顔が素敵である。  
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アルテで「夏花」を歌う

 アルテミュージックファクトリーが20日夜、開かれた。前夜に続く連夜の音楽会となった。今月のテーマは「卵」。会場の「アルテ・ウォーバAホール」の名前が、ポルトガル語で「芸術の卵」という意味だそうで、ライブ会場の意味と通じている。とはいえ、このテーマでの選曲にはみなさん苦労していたようだ。
 エントリーが多かったので、簡略に紹介する。
 恒例の南亭こったいの落語は「王子の狐」。狐と人間の騙し合いのようなお話だった。
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 東明さんは前夜に続き、ピアノソロで「エーデルワイス」「てぃんさぐぬ花」など演奏した。新しい曲に挑戦をつづけていることに感心する。
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 越智さんは、ツレのピアノ伴奏で「帰れソレントへ」をトランペットで演奏した。
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 比嘉さんは、ギター弾き語り。いつもながら味わいのある歌声だ。
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 ツレのピアノ弾き語りとタカさんのエレキギターによるコラボは「天城越え」。前夜のピアノ演奏会では、エレキの音量が少し弱かったけれど、今回はエレキがカッコよく鳴り響き、ツレの伸びのある歌声と合せて、聴きごたえある演奏だったのではないか。
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 私は、八重山民謡の「夏花」を歌った。卵のテーマだと「鷲ぬ鳥節」がピッタリだが、1月に演奏済みなので、やめた。「夏花」はもう今月しか歌えない。来月のテーマは「秋」なので。
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 この曲は、石垣島白保で歌われたそうで、木綿花の真っ白な美しさや木綿花に込めた願いなど歌われている。前夜の音楽会で途中で高音が出なくなったので、調弦を通常より1度下げて歌ってみた。なんとか歌い切れてホッとした。
 新田さんは、「BZ」のコピーバンドをやっていてベースを担当しているそうだ。BZの曲のCDに合わせベース部分を弾いた。こういうベースソロ演奏は初めて聞いた。
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 ふーみさんのフルート、小嶺さんのギター、りえさんのボーカルによる「bossa部」は、「メディテーション」を演奏した。楽しいボサノバだった。
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ツレはピアノソロでショパンの「ロマンス」を演奏した。ピアノ協奏曲第1番のエッセンスをピアノ用に編曲した曲だが、少しつまづいたところがあったが、着実に上達していることを感じさせた。
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 伊佐さんはギター弾き語りで「でごいち」を歌った。ファクトリーでは3回目だが、一番よい演奏だった。汽笛を表す笛を吹きながらの楽しい演奏だった。
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 清美さんは宇都宮さんのピアノ伴奏で「愛は不死鳥」を歌った。布施明が歌った曲だが、布施とはまた違った表現で聴かせる歌唱だった。
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 宇都宮さんは、ピアノソロでショパンのワルツを弾いた。彼のショパンは初めてだったが、多彩なレパートリーを持っている。さすがである。
 来月は「秋」がテーマ。民謡では何かありそうだ。秋は実りの季節。稲粟の豊作を願う曲は多いが、さて何にしようか。これから考えよう。
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充実したシニア世代のピアノ音楽会

 シニア世代のピアノ音楽会vol2が19日夜、アルテウォーバホールで開かれた。お盆明けとあって、前回出演した人も出れない人が3人いて、心配したが、新たな出演者もいてとても「充実した演奏会」(主宰者の越智さんの挨拶)となった。  写真だけアップする。
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 初めて参加されたKさん一家。お母さんのピアノ伴奏で娘さんがふルートで「アメイジンググレース」を演奏した。
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 同じく夫さんは、奥さんのピアノ伴奏で武満徹作曲「小さな空」を歌った。
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 ピアノで「荒城の月」など演奏した東明さん。
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 初参加で「星に願いを」など演奏したSさん。
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ツレは、司会進行をしながら、ピアノソロでは、シューマンの「初めての悲しみ」など合わせて4曲を演奏した。
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 Kさんはドビッシーの「アラベスク」、ブラームスの「間奏曲」を演奏した。
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 他の楽器とのコラボでは、ツレのピアノ弾き語り、タカさんのエレキで「天城越え」を演奏。
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 私はツレのピアノ伴奏で「芭蕉布」「黄金の花」を演奏した。順調に演奏できていたのに、2曲目の後半、サビの部分で急に高音が出なくなった。練習で声を張り上げ過ぎたのだろうか。こんなことは初めての体験。何が起きるかわからないのがライブである。
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 越智さんはツレのピアノ伴奏で「帰れソレントへ」などトランペットで演奏した。
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 ナナさんはピアノ弾き語りとソロで「田園」など2曲を演奏した。
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 新田さんは、ピアノ弾き語りで「世界に一つだけの花」を歌った。
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 クラッシックからポップス、演歌、民謡までみなさんのとても素敵で楽しい演奏に魅了された。

 
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旧盆といえばやっぱりエイサー

 今年は旧盆が早く、月遅れのお盆と一部重なり、15日がウンケー、16日が「ナカヌヒ」、17日が「ウークイ」となる。
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 旧盆といえば、エイサーの道ジュネーが楽しみ。わが家の地域は今年も「ナカヌヒ」に古蔵青年会が回って来た。例年だと、道路上で踊るのだが、今年は近くの県営国場団地の駐車場で演舞した。
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 民謡を奏でる地謡(ジウテー)は、昨年は少なかったけれど、今年は3人が車上で元気に「かたみ節」から「唐船ドーイ」まで数曲を演奏した。
 ちょうど西の空に陽が沈む時間で、夕陽をバックにした勇壮なエイサーはカッコイイ。この団地だけでなく、付近の親子連れなどたくさんの人たちが集まって来た。
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 女性たちの「イナグモーイ」は、いつ見ても可愛い踊りだ。
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 道化役の「チョンダラー」は、子どもたちに大人気。お菓子を配ってくれるのでなおさらだ。
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 わが家も大和式仏壇があるので、ツレ手作りのオードブル、三枚肉の煮物、果物などそろえ、お供えしてウトートーした。
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異様なほど盛り上がったビアドーム

 夏といえば、ビアガーデンが楽しい。ホテル・日航グランドキャッスル那覇が今年7月から「ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城」に経営が代わってから2度目のビアドームに出かけた。
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 フォークユニット「F&Y」は7月に続いて、8月はこの日が出演日だった。前回も満席だったが、この日も2人のライブ常連のみなさんを始めたくさんのお客さんが詰めかけ満席で、異様なほどの盛り上がりとなった。
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 お馴染みのフォークナンバーをはじめ、ノリのよいアリスメドレーになると、ダンシングはもとより舞台に駆け上がる人たちも出てくる。

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 なかでも、グループで来ていた着物姿の女性が舞台で踊るのには、ビックリ。
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 子どもを肩車して舞台に出てくるお父さんもいる。でも子どもはなんだか楽しそうではない。
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 肩車は子どもだけでなく、若者たちも担ぎ上げる。もう結婚式の余興のようなノリである。
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 中には南こうせつのファンだという中学生がいて、こうせつのサインの入ったふーみさんのギターに興味を示し、ふーみさんと記念撮影。
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 毎週金曜日開催のビアドームだが、F&Y出演のときだけ満席になるという。フォークをはじめ、洋楽から昭和歌謡まで、30分で2回の予定時間を大幅超過しても演奏して楽しませてくれる二人のライブは、大好評のようだ。集客の貢献度も大きい。今年はこれで最後かと思うと残念である。
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大城按司墓と大城城跡をめぐる(10)、子孫だった儀間真常

 若按司の子孫だった儀間真常
 大城按司真武の子孫に「琉球の産業の父」と呼ばれる儀間真常(ぎま しんじょうがいる。
 儀間真常について、家譜から要約して紹介する。
六世 真常 儀間親方
 万暦21年(西1593年)に父真命の家督を継いで真和地間切儀間村の地頭職に任ぜられた。
万暦24年(西1596年)押明冨勢頭(おしあけとみせどう、首里城々門の守備を担当する勢頭部の巳の日番の一つである押明冨という組の頭役のこと)となった。
 万暦33年乙巳(きのとみ、西1605年、49才)に野國総管が中国から鉢植えの蕃薯(はんすいも)を持ち帰ってきてあった。真常はこの事を聞き知って苗を分けてもらい、且つその栽培方法を教えてもらった。そのとき野國総管が言うには「葛を輪に曲げて、それを地面に埋めて植え適当な時期が来たとき葛を持ち上げて、薯を掘り出して用いるべきである」と。
                   儀間真常の墓
                      儀間真常の墓
 真常がこのような方法で栽培を研究すること7,8年に及んだ頃大飢饉がやってきた。
そこで真常は、「この薯を国中に拡めて五穀の補いにすると良いであろう。そうしたら、どこの国の宝がこれに勝るものがあろうか」と思った。そこで、これを国中に拡めるための栽培を更に続けること数年にして葛を切って見ると、その條(つる、蔓)は数尺にも伸び、不思議にも原野(畑)に広く生い繁っていた。
 (野國総管が中国から薯を持ってきた時から)15年程経った頃、真常の努力で薯は広く国中に拡まって充分にその役割を果たしていた。このことは、何とかして人々を飢餓の苦しみから救ってやりたいという真常の願力(ぐわんりき)のしからしめるところなのである。
 
 万暦37年(西1609年)4月に我が琉球は薩摩の侵略するところとなってその支配下に置かれ、尚寧王が恭順の意をあらわすため薩摩へ上国なされたとき勢頭役(せどうやく、註・警護役)となりお供を申し上げた。…
 真常は帰国するとき薩摩から木綿の種子を持ってきてあった。都合の良いことに、日本の女で梅千代と実千代の二人(註・姉妹)が泉崎村に住んでいたので、真常はこの二人に木綿の大帯を織らしめ、その技術を地元の女たちに伝授せしめた。これが我が琉球における木綿布織造のはじまりである。…
 田地奉行に任ぜられ、受けた命令は「百姓を督励して米の収量を増やし、薩摩への仕上米(しのぼせまい、薩摩に納める貢租米)を完納させるようにせよ」ということで、毎年3回国中を巡って督励し、米の収量が増え、仕上米も完納でき、褒美を賜わった。
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                   儀間真常が請来した住吉神社
 尚豊王の時代(西1621年~1640年) この国には昔から甘蔗(註・さとうきび)は有ったけれども、砂糖の製法は知らなかった。
 そこで真常は、天啓葵亥(みずのとい)の年(西1623年)に進貢船が中国の閔(びん)に行くとき、儀間村の人を閔に派遣して砂糖の製法を習得せしめ、琉球ではじめて真常の家において砂糖を製造した。そして終にこの製法を国中に拡めた(註67才)。
天啓4年甲子(西1624年)正月15日に親方の位に昇進した。
 
 本年5月4日に爬龍船の競争が行なわれた(註・那覇港又は漫湖においてであろう)。その素晴らしさは昔から今に至るまで嘗て無かった程の壮観であったので、真常は前もって、この競争を国王にご覧に入れたいと思い、準備を整えて、謹んでお願い申し上げたところ、おききとどけになり、尚豊王は競争をご覧になられ、その上真常の家にお成りにあそばされた。…
 西1644年死亡した。88才であった。
 
 真常が請来した住吉神社  
 儀間真常が請来したといわれる住吉神社がある。儀間真常を顕彰する石碑が建てられている。そこには次のように記されている。
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                      儀間真常を顕彰する石碑
 「住吉神社は、往昔、儀間村の地頭で、甘藷の伝搬栽培法、木綿織および砂糖創製などで産業界の大恩人といわれている麻氏六世儀間真常公が、西暦1611年(慶長16年)に尚寧王の随員として薩摩から帰国のときに海上守護の神として請来し当初儀間村の自宅内に奉安尊崇した」

 石碑は、確かに「麻氏六世儀間真常」と記されている。先祖にあたる大城按司真武は「唐名は麻普蔚、童名を思武太といい、麻氏(名乗頭「真」)の元祖である」(「ウィキペディア」)。麻普蔚・大城按司真武の後裔、六世であることがわかる。
 
 大城按司墓を訪ねた時、そこから儀間真常にまでかかわりがあるとは予想もしなかった。歴史には、思いがけないつながりがあるものである。
 これまで東大里グスク跡は二度、訪れたが、かつて対抗関係にあった大城グスク跡には行ったことがなかった。今回、訪れて見て、南部にたくさんあるグスクの中でも、この大城グスクが南山の歴史とかかわって興味深い伝承のあるグスクであることがよくわかった。これまで無関係のように思われた史実や史跡がつながりを持っていたことに驚いた。
       終わり 2016年8月12日       文責・沢村昭洋              
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大城按司墓と大城城跡をめぐる(9)、垣花に移り住む

 垣花に移り住む
 家譜で見ると、大城城から脱出した若按司「真宗」は、玉城間切の垣花へ逃れ、那覇港の南岸の儀間村へと移り住み、その付近を玉城の垣花と同じ垣花と称したという。玉城の垣花といえば、有名な井泉、垣花樋川(ヒージャー)や垣花城跡があり、何度か行った。那覇市の垣花もすぐ近くである。でも垣花の地名にこんな歴史と由来があったとは、大城城跡を訪ねるまで知らなかった。
家譜はこの後、次のようなことを記している。
 三世真福 儀間平良親雲上(ぎまてえらぺえちん)、四世真孟 儀間親雲上、五世真命 儀間親雲上は、中国への進貢のさい、官舎役(進貢船を宰領し、物資買い付け役を兼務する)、使者として閔(中国福建省)に行った。儀間平良をはじめ地頭職にも任ぜられた。
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                    垣花樋川
 親雲上は親方の次の位階であり、儀間家は通常一か村を領有する脇地頭だった。当時、親雲上のほとんどが首里に居住して不在地主と同じだった。麻氏儀間家は、2世から8世まで二百数十年間、領地の垣花の儀間村に住み、領民との間に特別な親和感が育った。
 領地に住んでいたが故に、旱魃や台風のたびに飢餓にあえぐ領民の苦労をその目で見、肌で感じ、何とかしてこの惨めさから逃れさせる方法はないものかと考えることが長年続いたのであろう。そのことが六世真常をして、藷をひろめ、木綿布を創り、黒糖を造る意欲の原動力となったに違いない。「『麻姓家譜』中の用語解説」は要旨、このように解説している。
 この家譜を見る限り、前に紹介した伊敷賢氏がのべた二世真宗の「息子の平良親方と孫の儀間子は難を避けて慶良間島へ逃げた」という記述は見られない。 
                    1700年頃の那覇(那覇市歴史博物館)
                     1700年頃の那覇(那覇市歴史博物館)                    
 ただし、『麻氏家譜』によると、「三世真福が生れた年が1451(景泰2)年で、二世真宗が亡くなった1416(応永23)年の35年後に生れたことになっており、何らかの理由で二代ほど欠落していると考えられる。大城子の子の平良親方の子には、平良掟親雲上など9名の男子がいたといわれ、儀間真福はその次の世代ではないかと考えらえる」(伊敷賢著『琉球王国の真実~琉球三山戦国時代の謎を解く』)。つまり、系図上、二代ほど書かれざる欠落があるのではないか、と伊敷氏は見ている。
 それにしても、真宗が生れたのは、家譜では1411年(応永18)である。亡くなったのはわずか5歳となる。読谷に『麻氏 大城若按司真宗之墓』の石碑があるそうだが、尚巴志の北山攻めに従軍するには早すぎる。もし5歳で死亡していれば、その子どもはいなかったことになるだろう。なお疑問が残る。

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八重瀬町のヌヌマチガマを見る

 野戦病院だった「ヌヌマチガマ」
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 八重瀬町新城にあるヌヌマチガマにはじめて行ってみた。ガマの入口付近は、「戦争遺跡公園」として整備され、「世界恒久平和を祈念する」と刻まれた立派な碑が建っている。
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 ガマを訪れた県外の生徒たちが、置いて行った平和を祈念する小石が並べられていた。
 ガマ全長約500mの洞窟で、西側(病院あれ施設側)は「ヌヌマチガマ」、東側は「ガラビガマ」と呼ばれている。
 ガマについての白梅同窓会による解説文を刻んだ石碑が建っている。
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  以下、説明文から要約する。
 沖縄戦で八重瀬町(旧東風平村、旧具志頭村)では、当時の人口の5割近い約7500人の住民が亡くなった。日本軍は当初、米軍の上陸地点を八重瀬町南部の港川と予想していたため、港川海岸を囲むように日本軍の陣地が配備され、港川海岸に近いこの周辺も使用された。
 富盛の八重瀬岳にあった第24師団(山部隊)「第一野戦病院の本部壕」で増加する負傷兵を収容できなくなったため、「東風平分院」とヌヌモチガマが「新城分院」として開設された。
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 このガマには、軍医・看護婦・衛生兵と、補助看護婦として第一野戦病院に配属されていた沖縄県立第2高等女学校の学徒隊(戦後の呼称「白梅学徒隊」)から5人が派遣され、炊き出し、包帯の洗浄などで地元の住民や女子青年も動員された。
 ヌヌモチガマには、手術台・病室・二段ベッド等が設置されていたが、負傷兵が増加するのに伴い、藁を敷いた地面にも寝かされるようになり、多い時には1000人を超えたと言われている。戦況の悪化により食事のおにぎりも1日2回から1回になり、薬品も包帯材料も不足して十分な治療を行うことができなくなった。
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 1945年6月3日東風平分院とこのヌヌモチガマ(新城分院)は閉鎖され、翌4日には、第24師団第一野戦病院も閉鎖された。病院の閉鎖にともない身動きのできない重傷兵は、衛生兵によって毒薬の青酸カリを投与されたり、銃剣などで「処置」(殺害)された。その数は約500人とも言われている。
 ヌヌモチガマ、ガラビガマは病院壕としてだけではなく、住民たちの避難壕としても利用されたのかは不明だが、沖縄戦では、行き場を失った多くの住民たちの命を守ったのは、このようなガマであった。
 白梅学徒隊は6月4日に病院長の解散命令を受け、鉄の暴風と形容されている地上戦を彷徨し56人中22人が戦没している。
 

 ヌヌマチガマの名前の由来ははっきりしないそうだ。「ヌヌ」とは通常、ウチナーグチ(沖縄語)で「布」のことを意味するので、布に関する由来があるのだろうか。
 
 ヌヌマチガマはいま少しややこしい問題がおきている。
八重瀬町が昨年6月、戦跡「ヌヌマチガマ」の指定管理と入壕受け付けを特定のNPO団体に委託した。このため、これまでガマを案内していたNPO法人沖縄鍾乳洞協会(山内平三郎理事長)=同町=は、別の民有地に地主を許可を得て新たに入り口を設けて独自に案内を始めている。
 ガマを訪れた日は、沖縄鍾乳洞協会が修学旅行生をガマに案内することになっていて、それに同行させていただき、ガマの内部を見ることができた。
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 ガマの入口には、戦争で使われた手榴弾や銃弾の穴が開いたヘルメットをはじめ数々の戦争遺品が置かれている。
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 畑の中にポッカリと開いたガマの入口は、通常は危ないので蓋をしている。入り口から木製の階段を下ると、鍾乳洞の大きな空間が広がっている。
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 戦後、ゴミ捨て場にされていた。沖縄鍾乳洞協会の人たちがみずから片づけ、階段も整備したそうだ。
 
 ライトを消すと真っ暗闇で、昼も夜もわからない状態になる。学徒隊の女子学生たちは、夜中でも負傷兵のうめき声に起こされ、傷口のウジ虫をとり、手当てする。ベッドもなしに寝かされた負傷兵と負傷兵の間に隙間を見つけて仮眠をとったという。
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 「毎日、兵隊の手や足が切断され、その手足を捨てに行った」という証言を聞いたこともある。
 ふたたびこのような惨禍を繰り返してはならないという思いを新たにする。 

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奥武島のイカの天日干し

 家にいても暑いので、ドライブに出かけた。行先は、南城市の奥武島。本島と橋でつながる離島。漁業が盛んな島である。
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 漁港では、夏の風物詩、トビイカの天日干しがされていた。沖縄は、魚の干物がない。作らないし、食べない。ここのイカの天日干しは、沖縄に来て私が見た唯一の干物づくりである。
 漁港の一角に有刺鉄線が張り巡らされたところが、イカの干し場。すでに白いイカが朝日を浴びていた。有刺鉄線といえば、基地につきもので、マイナスイメージしかない。でもこちらは、刺の部分にイカをひっかければ吊るせるので、とても便利で有用な使い方である。
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 すぐそばでは、夏休み中の子どもたちがおじい、オバアと一緒に水揚げされたばかりの新鮮なイカを丁寧に洗い、皮はぎをしていた。仕上がれば、有刺鉄線に干していくだろう。
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 イカは、強い日差しで約1日半ほど干されたら、島の店先に並ぶそうだ。「一夜干し」のイカは、あぶってマヨネーズを付けて食べると美味しいという。
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 漁港そばのお魚直売所を見ると、「スク」(アイゴの稚魚)がたくさん並んでいた。スクは旧暦6月1日と7月1日の前後数日間だけ獲れるので、漁民から「海からのボーナス」とも呼ばれる。8月1日は旧暦6月29日だった。
 スクは、塩漬けにして、島豆腐に載せて食べると美味しい。売っているのは量が多くて、買ってもとても食べきれないのであきらめた。
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