レキオ島唄アッチャー

SSカンパニーリーダーのbirthdayライブ

沖縄随一のGSバンド、SSカンパニーのリーダー、瀬底正真さんのbirthdayライブがあった。申年生まれなので、めでたく還暦を迎えられた。
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 還暦とは思えない若さあふれる歌声を聞かせてくれる。今回は、おりしもインフルエンザにかかり、やっと治ったばかりだった。
 birthdayを祝ってたくさんのファンが詰めかけ、狭い店内は満席だった。
 万全とはいえないなかで、お馴染みのGSナンバーを披露した。
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 第2部では、birthdayセレモニーがあり、ケーキ、花束、プレゼントが数々贈られた。
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 保育園の保育士さん一行7,8人も参加した。20,30代の方が多いのに、GSを楽しんでいたのには驚いた。幅広いファンがいる。
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  ライブは大盛り上がりで、熱気に包まれた。
 アンコールの「何もいえなくて、夏」では、ギターをまかせて歌を熱唱した。
 いつも驚くのは、レパートリーの曲目は、まったく楽譜、歌詞を見ないですべて暗記して歌うこと。素晴らしい。
 これからも、ますます元気でファンを楽しませてほしい。
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 先週はもう一つのライブもあった。糸満市の「風は南から」で、フォークユニット「F&Y」の定期ライブだった。
 実は、ふーみさんもインフルエンザにかかって、ようやく元気になったばかりだった。
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 ほんとうに風邪とインフルエンザがまん延している。ミュージシャンもお客商売なので、逃れられないのだろうか。
 ライブの常連さんも、風邪で休んでいる方が、何人もいた。でも、この日のF&Yライブは、初めてのお客さんらがたくさん来られて、こちらも満員。おじさんたちも踊り出して、大盛り上がりだった。
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 ライブは、懐かしい若き時代を思い起こさせてくれるし、若い世代と交流できるので、気分を若くしてくれる。私たちも、風邪が治ったおかげで、ライブも楽しめすようになったのが何よりである。
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八重山の織物・芭蕉布、その2

 身分に応じて定められた衣服
 同じ芭蕉布でも、身分によって違いがあったという。
「琉球王国では公の場で着る朝服(官服)、婚礼衣裳、喪服、神衣裳など にも芭蕉が利用されていた。身分によって使用する繊維の太さが違い、王族は幹の中心 部に近い上質で細く柔らかな繊維で織られた芭蕉布を着用していた」(県立博物館貴重資料デジタル書庫から「代表的な沖縄の織物 芭蕉布」)。

 八重山では、王府時代に身分に応じて着用する衣服の定めがあった。
一、頭は、冬は一二升(よみ)以下の木綿布、夏は一五升以下の苧布を着用し、緞子(どんす)以下の大帯・細帯・懸子はかまわない。
一、首里大屋子・惣横目は、冬は一一升(以下の木綿布、夏は一四升以下の苧布を着用し、緞子(どんす)以下の大帯・懸子はかまわない。細帯に絹布をもちいることは禁止する。 
一、与人(ゆんちゅ)以下奉公人の位衆ならびに蔵筆者・目差は、冬は一一升以下の木綿布、夏は一四升以下の苧布を着用すること(以下略)
 (『富川親方八重山島規模帳』、『石垣市史 民俗上』から)

              芭蕉布の歌碑
           大宜味村喜如嘉にある「芭蕉布」の歌碑。こちらは山之口獏の詩である。
 
 このように、王府時代には、身分に応じた細々とした服装の規定がなされていた。それに、百姓は、バソーキィン(芭蕉衣=ばしょうきぬ=。芭蕉の繊維で織った布。古くから織られ、広く利用された衣)二枚までという制限があったといわれている。
 明治時代になっても、そのような状態がみられたが、明治12年(1879)の廃藩置県以降は、服装の制限も自然に解消されていった。それでも、一般農民は、夏でも冬でもバソー(りゅうきゅうばしょう。糸芭蕉)で作った粗末な短い着物を着け(ママ)、裸足で農作業をし、生活をしていた。そのため、真冬に農民が畑に行く途中で、凍死寸前という状態に陥り大騒ぎになったこともあったといわれる(『登野城村の歴史と民俗』、『石垣市史 民俗上』から)

 身分によって厳格な差別をつけている。百姓は、芭蕉衣もわずか2枚という制限があり、明治になっても粗末な衣装で暮らしていたことがうかがえる。

 芭蕉の栽培をすすめた首里王府
 八重山でどのように芭蕉の栽培や芭蕉布の製作がすすめられたのか、改めて首里王府の史料から見ておきたい。
 八重山在番と首里王府との往復文書集『参遣状抜書』(下巻)には次の記述がある。
    覚
一、芭蕉苧
一、煮引苧
 芭蕉苧は、手広く栽培し、しっかりと船具の役に立てるよう、去る寅年(1746)に申し渡しておいたところ、このたび、試しにおくってきたので、上申したところ製法も相応し良かったとお考えになっている。いよいよ、これから流布させるよう、仰せ付けられた。このことを申し渡す。以上
 巳(1749)10月26日 浜川親雲上 末吉親方
 八重山島在
                    喜如嘉の芭蕉布
                        喜如嘉の芭蕉布
 芭蕉苧を手広く栽培し、衣服だけでなく荒縄など船具の用途でも使われていたことがわかる。

 『翁長親方八重山島規模帳』(1857年)には、次のような記述がある。
一、木綿花は御用布・御用物としてはもちろん、日常の衣類としても欠くことのできないもので、栽培には念を入れなくてはならず、以前からいろいろ言って来たが、収穫高が少なく、必要に迫られてから高値で買入れ入用に当て、穀物の消費も少なくないのは、あってはならないことである。以後は手広く作り立て、手入れも念を入りにし、公私の需要に差し支えのないよう取り締まること。
一、芭蕉苧ならびにシュロ・クロツグは、衣類や他船の縄具そのほか、島の生活になくてはならないものでありそれぞれ植樹については人数によって本数を定めていたが、植付けが少なくて品物が不足し、買って用を足している所もあるというが、いかがなものであろうか。今後は規則どおりに植付けさせ、それぞれ差し支えなく需要をみたすことができるよう取り締まること。
一、与那国島では、唐苧・藍・木綿花・芭蕉苧の栽培が少なく、御用布の調整や島用などに不自由しているというのは問題であろう。石原親雲上が御使者の時に仰せ渡されたとおり、それぞれ正頭(注・租税負担者)一人の坪数を決めて作らせ、毎年その結果を報告するように申し渡すこと。
 
 木綿花に続いて芭蕉苧の栽培を勧めようとしている。衣類や船具ほか、島の生活に不可欠であり、植付本数まで定めていたのに、植付が少なく品物が少ない実情にあることがわかる。
 なかでも与那国島は、栽培が少なく「御用布の調整や島用などに不自由している」として、一人一人の栽培坪数を決めて栽培させ、その結果を報告するように求めている。

 木綿花や芭蕉苧などの栽培を推進しても、必ずしも望ましい結果をもたらしてないのか、それから14年後の『富川親方八重山島規模帳』(1874年)でも、同様の指示を繰り返している。
一、木綿花は御用布・御用物ならびに衣類の織り調えにも欠くことのできないものなので、十分手広く栽培し「農務帳」のとおり手入れには念を入れ、公私の用の分を生産し、差し支えないようにするように指導すべきこと。
一、芭蕉苧ならびにシュロ・クロツグは、衣類ならびに縄具その他、島の生活になくてはならないものなので、「農務帳」のとおり栽培に念を入れ、それぞれ差し支えないようにするよう指示すべきこと、
一、与那国島では唐苧・藍・木綿花・芭蕉苧の栽培が少なく、御用布の織り調えや島用などに不自由しているというので、正頭一人の坪数を決めて栽培させ、毎年その結果を報告するように以前に仰せ渡したが、今もって不注意の様子という。どうかと思うので、必ず手入れかたがた指示をして作らせ、用いるものに差し支えないように指導を申し渡すべきこと。

 <糸芭蕉は沖縄の気候に適していたためよく育ち、沖縄各地で栽培され、織物用の糸として利用された。 戦前は喜如嘉(山原)、今帰仁、首里(煮綛芭蕉)、竹富島、小浜島、与那国島などの芭蕉に特徴がある。 芭蕉は着ごこちがよく王族から庶民まで幅広く着用されていた(県立博物館貴重資料デジタル書庫から「代表的な沖縄の織物 芭蕉布」)>
 

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奇妙な風邪体験

 今年初めて風邪をひいた。先週土曜日に医者に行った。先生は、漢方薬を処方してくれた。血行を良くし体を温めて風邪の症状を改善する効果がある。他は熱さまし、抗菌薬トローチ。総合感冒薬はなかった。
 先生にたずねてみた。「総合感冒薬は解熱剤も入っているので、かえって風邪を長引かせることがあると聞きますがどうなんですか?」。「そうですね。若い時は効果がありますが、歳をとった方はそういう面もありますね」という。
 これまで総合感冒薬が出ないと不安で、医者に「出してほしい」と頼んでいた。
 でも、風邪は薬で治すのではなく、暖かくし、休養をよくとり、自然治癒をはかるのが基本だという。
 昨年11月に風邪をひいたときは1週間寝た。それが普通になっている。1週間寝るのを覚悟していた。今回は漢方薬だけ飲んだが、昼間は暖かくして夜早く寝るだけで、症状があまり悪化しない。5日間でほぼ回復できた。
 実は、今回はツレが5年ぶりに先に風邪をひいて病院に行った。それが私にもうつったようだ。ツレは治りかけていたのがまたぶり返していたが、それも治った。夫婦で1週間風邪に悩まされた。なんとか互に回復してよかった。
 総合感冒薬を飲まないで風邪を治したのは初めてかも知れない。
 もう一つ、風邪が治りかけなのに、やたら体がだるい、気だるい。風邪の症状にしても、もう風邪は良くなってきているのに変だ。一応、ネットで調べてみると「休養と睡眠を十分とること」が強調されている。もうそれは十分やっている。なので、さらに次を読む。「床に膝を立てて座り、手の甲で足の甲をなで、ふくらはぎを刺激してあげるとよい場合がある」とあった。早速、試してみた。
 いやはや、やってみると、気だるさが薄らぐではないか。今朝は、気分もよくなった。
 今回の風邪はもともと軽い症状のものだったのかもしれない。
 沖縄ではインフルエンザが流行している。インフルエンザでなくてよかった。なんとも奇妙な風邪体験である。
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八重山の織物・芭蕉布、その1

八重山の織物・芭蕉布

 八重山の織物といえば、人頭税の時代は、織物の貢納で女性たちが苦労を強いられたことで知られる。八重山上布が有名だがそれだけでなく、木綿布や芭蕉布も織り、納めていた。沖縄県立芸大附属研究所の文化講座「八重山の歴史と文化」なかで、織物作家の新垣幸子さんの「八重山の織物」についての講座を聞くことができた。
 個人的に一番興味があったのは、芭蕉布についてである。沖縄民謡で人気のある「芭蕉布」は、その歌詞のなかに「上納ささげた芭蕉布」という文言がある。沖縄本島でも、喜如嘉(大宜味村)など有名な芭蕉布の産地があるけれど、王府の時代に芭蕉布がどこからどのように貢納されていたのか、よくわからなかった。

 上布の代納として芭蕉布を上納
 はじめに新垣さんの作成されたレジュメとお話しから、その一部を紹介する。
 糸芭蕉は南方貿易により1300年代から1400年代にかけて伝来し、その後各地に広まったと推測されている。高温多湿の沖縄で好まれ、国王をはじめ高官から庶民まで着用した。
 1699年、木綿花、木綿布と同じように、芭蕉苧(う、繊維)として上布の代納として上納された。
 1746年、文書に見る芭蕉布の織り始めは、黒島仁屋が芭蕉の製法を学び、島の女性たちに教えるが、まだ習得していない様子が見える。さらに3年を経ても見本の芭蕉布が首里王府に送られていないことが見える。芭蕉苧(衣類用)、煮引苧(船具用)などの製法はよかったことなどが見える。
 1874年、「富川親方八重山諸島農務帳」には、芭蕉の栽培、製紙の方法が記されているが、植付面積など厳しい定めはなく、重要な上布や木綿布織に支障がないよう、庶民の衣類と原料を納めるだけに止められている。
 他に1731年、石垣、古見、西表の3か所に芭蕉紙をすく紙漉所があった。
1903年、人頭税廃止を境に苧麻や綿花は下降気味に対して芭蕉苧はむしろ急激に増産している。

 ここでは、芭蕉布は高温多湿の沖縄に適した織物として好まれ、首里王府の高官から庶民まで着用したことや、八重山上布の代納として上納されたことが明らかにされている。
                 
薩摩に3000反納める
 戦前、5次に渡り沖縄調査を行い、資料を収集し、膨大な写真、ノート類を残した鎌倉芳太郎氏は、織工芸にも関心を持って八重山の芭蕉布についても記述している。
 「明初中国に通じた時の琉球の貢物中に生熱夏布の名があるが、これは芭蕉布のことで、熱夏布は練芭蕉布のことであろう」
「男子の王宮内の正装衣料は芭蕉布で、正従一品の按司部(御殿家)のものは青緑色、正従二品の三司官(殿内家)以下のものは黒色で、黒の朝衣を略して『黒ちょう』と呼んだ。この古式の礼装から考えると、芭蕉布こそは沖縄固有の織物で、往古から自然に発達してきたものであろう」
 「慶長の役後、尚寧王が島津家久に伴われて、鹿児島を発し駿府に到り家康に謁した時の献上物を見ると、琉球土産のものとしては太平布200端、蕉布100巻を献じている。更に江戸に到り将軍秀忠に謁した時にも、太平布200匹、蕉布100巻、また儲君(注・皇太子、世継ぎ?)に太平布100匹、蕉布50巻を献じている。太平布は宮古上布、蕉布は芭蕉布のことである」

 慶長16年=1611年の「琉球国知行目録」に、次の記述がある。
 「琉球国諸島ヨリ毎年可ㇾ被ニ相納一物数ノ目録
 芭蕉布、3000反、上布6000反、下布壱万反(略)
 これで見ると、当時の琉球国全体の経済上、芭蕉布、上布、下布の占める比率は極めて大き(い)」
 「芭蕉布は人頭税貢納布ではなかったので、余り記録が伝わっていない。しかし一国統制経済の機構による政治が行われていたので、その指導についても手ぬかりがあろう筈がない」として、咸豊7年(1857年)の『八重山島農務帳』に「芭蕉植付様之事」の記述があることを紹介している(『沖縄文化の遺宝』の「宮古島、八重山島の芭蕉布と麻織物の歴史」)。

 ここでは、芭蕉布が王府の正装衣料として用いられたことや、薩摩支配下で芭蕉布が3000反も貢納品として送られたことが明らかにされている。

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伝説のライブになるか「懐かしのGSNight」

 沖縄随一のGSバンド「SSカンパニー」が、中城村にある家具店「中城モール」で「懐かしのGSNight」と題してライブを行った。
当初はカフェで行う予定だったが、チケットは完売し、会場が狭くなったということで、4階の物置スペースの特設会場で行われた。

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 中城モールは初めて行った。こちらの家具店は、ビーチ沿いにある。店の前のビーチに人魚の像があることで有名だ。
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クジラの壁画が目印になっているので、とても目立つ。
 それにしても、なぜ家具店でGSライブなのか、不思議。それに、チケット完売でまた不思議。中城はよほどGSファンが多いのだろうか。
 店に着くと、開店午後6時前なのに、もうお客さんが詰めかけ、行列ができている。沖縄は行列はあまりしないところ。メジャーな人気歌手、グループではなく、SSカンパニーライブでこんな行列ができるなんて、かつてないことかも。
 
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 ライブは、フォークユニットF&Yでお馴染みのふーみさんが音響を担当していた。歌うだけでなく、音響にも詳しい。でもこの日は風邪なのかマスク姿で、少し辛そう。あとから病院でインフルエンザと診断されたそうだ。
 広い会場は180人満席で、ライブは最初から踊りが飛び出し盛り上がる。とってもダンスの上手な人たちがたくさんいる。さすが中部である。ドラムソロでも踊るのなんて初めて見た。
 その模様がYouTubeでアップされているので、紹介する。こちらを見ればもう説明は不要。
             
 最後に女性社長さんが登壇してご挨拶をした。また5月にはライブをすることが決まっているという。
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アルテで「かんさんどー」を歌う

 毎月恒例のアルテミュージックファクトリーが13日夜、開かれた。今月のテーマは「土」。ちょっと音楽的にはテーマに合う曲が少ないので、みなさん少し、選曲に苦労されたようだが、19組がエントリーし、新しい出演者もいて、終わったのは11時を過ぎていた。
 写真が多くなるので、抜粋してアップしたい。
 徳門さんは、今回、小さなウクレレで民謡の名曲「汗水節」を弾きながら歌った。園さんが三線でサポートした。いろんな楽器に挑戦する姿勢には感心する。
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 大阪から沖縄に来ていてファクトリーのことを教えてもらって出演した、大本さん。三線も弾くらしいが、胴の部分が空洞となった奇妙なギターで、「長い夜」を歌った。クラリネットでサポートした方は福島からの避難者だという。
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越智さんはツレのピアノ伴奏で、トランペットによる「北の国から」を演奏した。
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 カーペンターズは、民謡の「島々美しゃ」など演奏した。
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 私は「かなさんどー」を演奏した。曲名は「愛おしく思っているよ」という意味。歌詞に花が出てくるのでテーマの土とこじつけた。それより、ツレが2月28日、誕生日なのでお祝いとして贈った。
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 歌詞は最後に、「美しい花もやがて散るけれど、二人で咲かせた花だから、どんな嵐があっても、愛し合っていこうね」と歌う。そして「忘れないでね。あなたのことをいつも愛おしく思っているよ」というフレーズが繰り返される。
 あまり大きなミスはなくなんとか歌い終えた。
 恒例の南亭こったいの落語は、演目の前にウチナー小噺でも笑わせた。
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 カオル&タカは「陽だまり」というオリジナル曲を演奏した。曲作りに熱意を注ぐ創作欲に感心する。
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 ツレはピアノ弾き語りで「花は咲く」を歌った。この曲は、初めは本人はあまり乗り気でなかったが、「演奏と歌ともに良いので、是非演奏した方がよい」とお勧めした。「とってもよい声でよかったですよ」と好評だった。 
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 アルテギターサークルは「トップ・オブ・ザ・ワールド」をナナさんのボーカルを入れて合奏した。楽しい演奏だった。
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 ナナさんは、ピアノ弾き語りで洋楽ナンバーを歌った。多彩な能力をもっているのに驚く。
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 新田さんも、いつもはギターなのに、今回はピアノ弾き語りを披露した。
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 ツレは、ピアノ独奏で「ベートーベンのソナチネ・ト長調」を演奏した。クラッシックも演奏したいというこだわりがある。
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 清美さんは、宇都宮さんのピアノ伴奏で「what a wonderfuru world」を歌った。
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ピアノソロの宇都宮さんは、与儀さんのギターとからみ、即興で演奏した。即興でこんな演奏ができるなんて凄い。
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 もう曲目紹介だけで終わった。次回は「咲」がテーマ。これはいろんな曲がありそうだ。
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バレンタインチョコレート頂きました

 バレンタインデーを前に、もうチョコレートを頂きました。
 一つは、ツレから手作りチョコレートを早々と頂いた。手作りチョコを貰うのは初体験。ツレは最近、スィーツ作りにハマっているので、チョコも手作りにしたようだ。
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 形は不格好だけれどお味はとっても美味しかった。マロングラッセ入りもあるが、こちらも手作りしている。
 肩の痛みを抱えながらのスィーツ作り。身体をいたわりながら、楽しんでほしい。
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 13日は夜、恒例のアルテミュージックファクトリーがある。今月は「土」がテーマ。あまり音楽的なテーマではないが、どんな曲が演奏されるのだろうか。楽しんできたい。 

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八重瀬公園でカンヒザクラ咲く

 お天気がよいので、八重瀬町の桜の名所、八重瀬公園にカンヒザクラを見に行った。
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 先週日曜に桜まつりがあったようだけれど、今年は桜の咲くのが遅いので、ほとんど咲いていなかっただろう。那覇市内でもやっとほろこびてきた。
 沖縄のカンヒザクラは寒いところから咲き始める。北から南に桜前線は下りてくる。
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 公園には車で展望の良いところまで登った。でも桜並木はまだ蕾が多い。咲いている木があるがまだ少ない。それでも、ピンクの花びらが美しい。ミツバチが飛んできている。メジロはまだ見えない。
 歩いていると、一つの木にピンクと白の紅白の花がついているのがあった。でも、カンヒザクラではあまり珍しくないという。
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 おじさんが一人、桜を見に来ていた。「もう咲いているかと思って来たのに、咲いてないね。もう咲かないよ」という。いやいや、これから咲くでしょうと思った。でも、「蕾がついてないから、もう咲かないよ」ということらしい。それではあまりに寂しい。どうなることか。

 近くに、大きなトックリキワタの樹が立っている。幹にツタがからまっている。
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 見上げると、野球ボールくらいある実がたくさんついていた。春にこの実が割れると、なかから綿が出てくる。
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 同じ公園の道路沿いに、コスモスが咲いていた。こちらは満開である。
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 桜とコスモスが同時jに楽しめる不思議さよ。沖縄ならではである。

ここには組踊(くみうどぅい)「組踊身替忠女ゆかりの地」の石碑がある。この組踊は、田里朝直の作品である。田里は、組踊を創作した玉城朝薫、政治犯で処刑された平敷屋朝敏の後に続く人で、この2人と合わせて「組踊御三家」と呼ばれている。
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 組踊は、この地の八重瀬按司が、糸数按司に夜討ちをかけられ、亡くなる。その時逃れた若按司が、仇を討つというストーリーである。
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 かつてはこの地に、八重瀬城があった。 この組踊は、伝説をもとに作られたのだろう。
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八重山芸能と舞踊、その6

 八重山舞踊と沖縄古典舞踊の対比
 これまで、八重山舞踊が、どのように沖縄本島の琉球式舞踊の伝来と影響を受けたのか、という側面を中心に見てきた。だが、琉球舞踊の影響を受けたとしても、それは「単なる模倣」ではなく「充分に咀嚼消化、八重山独自の芸能に仕上げている」(森田孫栄著『八重山芸能文化論』)とされる。

 <沖縄古典舞踊の場合は、王府の式典芸能として最高の技巧を凝らして創り上げられたものだけに、絢爛と輝く華やかさ、求心的緊迫感をもっており、型のきまる瞬間の媚態とも思える官能さが、象徴的に、特定の人間を対象にした芸風であることを物語っている。
 八重山の芸能は、神との係り合いの次元で生じたものであって、あくまで敬虔深く、さす手ひく手はすがすがと簡潔に踊られますが、馴れぬ者の目には、なにかもの足りぬようにうつるらしい(森田孫栄著『八重山芸能文化論』)。>
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                       那覇市民会館の芸能祭から(記事とは關係ありません)
 「八重山舞踊の我々を引きつけるものは、矛盾しない意味に於て、洗練された素朴なものの美であったと思う。沖縄本島の舞踊は、宮廷風な優雅さをねらって、繊細に繊細にと洗練されて行ったのに対し、八重山のは、優雅な踊を素朴に受け取って、それをそのまゝ飾りなしに磨いて行ったものと見られる」(本田安治著『芸能の島八重山』、森田孫栄著『八重山芸能文化論』から)。

 舞踊の種類ごとに、八重山舞踊と琉球古典舞踊を対比すると次のような相違がある。
 
男踊
 立構えは八文字に立たず、マタ割りもしない。足拍子は、腰落しをした市井のママ、腿を斜横へ張りつつ上げ拍子を踏む沖縄風と異り、腰落しを成し、元へ戻りながら脛(スネ)の中程に上げてから拍子を踏む。扇子扱いも当てるメリハリを付けないのびやかな型付けになっている。

女踊
 立構えは、ナヨリを抑え、始動も、左足を右方へひねりつつガマクを入れて体を斜へ向ける沖縄風に対し、立構えた左足を後方へ引き、腰落しをしながら正先へ出る。ツキは、左足を正へ出すと共に少し左足を膝に落としつつ腰落しに移り、前方へ伸び立つように上体を直していく。

面使い
 沖縄風が手の所作する方向と面の方向は原則的に反対の態であるのに対し、八重山の場合は、手振り、面の方向など体躯全体は、常に同一線上にある。
 
 八重山舞踊の場合、雑踊りを除き、男舞い・女舞いともに旧藩時代、士族層が一般生活で用いた衣装がその基準になっている。
 本島の曲線的萎(ナエ)装束に対し、八重山はあくまで直線的な稜(カド)をきわだたせた強(コワ)装束の系譜を踏襲してきた在り方からしても、八重山人の美意識の一端は窺えるように思う(森田孫栄著『八重山芸能文化論』)。
 
 こうした八重山舞踊と琉球古典舞踊との違いを頭に入れておけば、次から八重山舞踊を見る際には大いに参考になるだろう。 
 

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元気なお年寄りが歌い踊る地域福祉まつり

 那覇市の近くの老人福祉センターで、地域福祉まつりが開かれた。
 あいにくの雨模様の天気だったが、センターでいつも楽しんでいる歌三線や日舞、琉舞、民踊、フラダンス、大正琴、社交ダンス、太鼓、ギター、カラオケ、詩吟や太極拳、スポーツ吹き矢などの練習の成果の披露や地域の幼保、学校、老人施設などからもたくさんの演舞が披露された。
 なかには、日舞からフラダンスまで舞踊のほとんどの演目と歌三線、大正琴、太鼓、太極拳まで出演するスーパーウーマンもいらっしゃる。
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 初日には来賓として城間幹子那覇市長が出席し祝辞をのべられた。市長本人が来られたことに、みなさんとても喜んでいた。
 センターに通う90歳以上の高齢者はなんと18人を数える。最高齢の96歳が4人もいる。「あやかりたいね」というのが、大方の思いである。
 私がお世話になっている民謡三線同好会は、2日目の午後、出演した。「歌ぬ道」「汗水節」の2曲を演奏した。聞いているお年寄りたちはみんな民謡は大好きだから、人気がある。手拍子もいただいた。
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 「歌ぬ道」は、「♪歌てぃ語やびら 御万人の肝に 歌の節々に 心くみて」と歌う。「歌い語ろう 多くのみなさんの心に 歌の節々に 心を込めて歌おう」というような歌意である。
 「汗水節」は、勤労の尊さを歌った名曲である。
 30人ほどの仲間のみなさんが心ひとつに歌った。終わった後、「民謡とてもよかったですね」「『歌ぬ道』という曲、感動しましたよ」など感想が寄せられた。
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 最後はみんなでカチャーシーを踊った。「みんなでカチャーシーを踊って 健康 地域の繁栄 申年祝いさびら」。
 こんな言葉がプログラムにあった。祭りに参加された方々の気持ちがここに込められているように感じた。
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