レキオ島唄アッチャー

「海ヤカラ」をめぐる伝承、その2

 「海ヤカラ」に歌われた女性の家系は、いまも継承され、思わぬ方がその末裔であることを知った。
 「週刊レキオ 島ネタchosa班」(201617日付)には次の記述がある。
ちなみに、「海やからー」に恋した娘とは、現在の仲間門中宗家で、ラジオパーソナリティー・玉城美香さんのお母さんの実家だということも判明!>
 美香さんは、毎日ラジオで声が流れる人気パーソナリティーで、糸満市在住でもある。歌に出てくる美女が実家の先祖にあたるとはビックリ。
 沖縄では、歴史上の人物や歌に登場する人たちも、その子孫が身近に存在することがしばしばである。その事はこのブログでも「歴史がいまも生きている沖縄」と題して書いたことがある。
                       117.jpg 
                                 糸満の白銀堂 

 「海ヤカラ」の歌の舞台となった糸満市真栄里の「ドンドンガマ」
がある場所は、いま「ロンドン杜公園」となっている。この「ロンドン」と名付けられていることをめぐって、いろんな噂話が飛び交っている。
 外国8が漂着してガマに住み着いた、イギリス人なので「ロンドンガマ」と呼ばれた。8人の男だからエイトマンと呼ばれ、それが訛って「糸満」という地名になった。糸満の人は、イギリス人の血が混じっているので美人が多い……。
 これらの話しは、とても信じがたい。
 イギリスなど外国人が琉球に漂着した場合、ただちに王府に連絡がいって対応することになっていた。外国人への対応は、王府にとって重要な外交問題であるからだ。糸満市大度海岸に上陸したジョン万次郎の場合でも明らかだ(このブログで何度かアップしている)。もし漂着が事実なら公的な記録が残っているはず。外国人が8人も集団で上陸して住み着いて、王府が何も知らなかったということはありえないだろう。しかし、寡聞にしてそんな記録の存在は聞いたことがない。


 エイトマンから「糸満」の名前になったというのも出来過ぎた話ではないか。発音が似ているから生まれた語呂合わせの感じがする。糸満の地名の由来はもっと別にあるはずだ。糸満といえば漁師、「海人(ウミンチュ)」の土地だった。
「魚を取る人」を意味する「イヲトリアマベ」が「イユ・トゥイ・アマミ」「イトウマン」そして「イトマン」に変化したとする説、「魚の集まる所」と意味の「イジュマル」が「イチュマン」「イトマン」に変化したとする説などがあります>


 琉球朝日放送「地デジカ地名辞典」は、糸満の地名はこのように魚と関係があるとする。漢字の「糸満」は18世紀の書物に初めて登場したそうである。こちらの方がより説得力がある。

 
糸満に美人が多いのは事実らしい。でもイギリス人の漂着が史実でなければ、イギリス人との混血というのはありえない話しとなる。
 ではなぜ「ロンドン杜公園」などという名称があるのだろうか。同「週刊レキオ」が調査結果について書いている。

           136.jpg     
                                                糸満港の旧正月風景
 糸満市の担当者に「
4号ロンドン杜公園はイギリスのロンドンと関わりがあるのか」と尋ねたところ「それは全く違うと思いますね」と教育委員会生涯学習課・主幹兼文化振興係長の加島由美子さんはあっさりと否定したという。加島さんは、「ロンドン杜公園」という名称の背景には、先に書いた「海ヤカラ」と村の美女とのロマンスの伝承があり、「海ヤカラ」の俗謡の1節に、「誰がし名付きたが、ドンロンぬガマや 真栄里美童ぬ 忍び所」とあると紹介している
 ここでは「ドンドン」ではなく「ドンロン」と記している。
「ロンドン」説について、「糸満市史」では次のように記述されているそうだ。
「ロンドンガマ」なのか、「ドンドンガマ」なのか、実際の歌では呼称に差異が生じている。糸満では地域によって、だ行とら行を混同する傾向にあるそうで、はやしやすいのは「ロンドン」よりも「ドンロン」だったのだろうと解釈しています。
「ドンドンガマ」がいつの間にかゴロが似ているので「ロンドンガマ」に変化したのではないかとのことだ

以上、「週刊レキオ 島ネタchosa班」(201617日付)から紹介した。

 つまり、ロンドンの名前の由来としてイギリス人の漂着ということは、史実としてはまったく確認されていないことである。「ドンドンガマ」「ドンロンガマ」がいつの間にか「ロンドンガマ」に変化し、「ロンドン」の語感からイギリスを連想し、いつのまにかイギリス人の漂着説が生れた一種の都市伝説ではないだろうか。私はそんな風に思えてならない。




スポンサーサイト
島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

「海ヤカラ」をめぐる伝承、その1

「海ヤカラ」をめぐる伝承

  

 糸満市を舞台にした民謡に「海ヤカラ」がある。なかなか面白い男女の恋模様が歌われている。

 「ヤカラ(輩)」とは、強い者、働き者という意味がある。海に生きる強い者、海の勇者を意味する。
    
1、誰(タ)がし名付(ナヂ)きたが ドンドンぬガマや
  遊(アシ)び 美童(ミヤラビ)ぬ 忍(シヌ)び所(ドクル)
  ※海ヤカラ ドンドン スーリ エイスーリ(以下囃子は省略)
 〔誰が名付けたか、ドンドン(洞窟)は、毛遊びの若者達が、忍んで来る処〕

2、ドンドンガマ通(カユ)てぃ 忍でぃ来(チ)ゃさ我(ワ)んね
  出(イン)ぢみそりヤカラ 語てぃ遊ば
 〔ドンドン洞窟に通い、忍んで来たよ、私の為に出てきておくれ勇者よ
 語り遊ぼう〕

3、海ヤカラに惚(フ)りてぃ 食(カ)むる物(ムヌ)食(カ)まん
  道端に泊(トゥ)まてぃ 親(ウヤ)ぬ哀(アワ)り
〔海の勇者に惚れて、食べる物も無く、道端に泊まり、親は哀れに思うだろう〕

4、成(ナ)てぃん成らりらん ぬちんぬかりらん
  如何(イチャ)さびが里前(サトメ) 後ぬ事や

 〔どうすることもできず、抜けることもできず、どうしてくれますか
愛しい貴方よ〕

5、海ヤカラに惚(フ)りて 夜(ユ)ぬ明(ア)きせ知らん
  如何(イチャ)し親(ウヤ)加那志(ガナシ)御返事(クヒジ)さびが
 〔海輩に惚れて、夜が明けるまで一緒に居た、どうやって親に報告しよう

6、我(ワ)んや海ヤカラ 無蔵(ンゾ)や恋(クイ)ヤカラ
  二人(フタイ)押(ウ)し連(チ)りて 親(ウヤ)に語ら
 〔我は海の勇者、愛しき君は恋の勇者、二人揃って、親に話そう〕


  歌詞は手元にある工工四(楽譜)から、歌意は沖縄県広報誌「美ら島沖縄」「民謡とわらべうたでめぐる ふるさと唄紀行」から紹介した。
      

   園田青年会のエイサー「海ヤカラ」
この曲には次のような伝承がある。以下県広報誌から。

<明るく華やかなこの曲は、歌詞を替えて大衆芝居の挿入歌として使われたり、久米島町兼城の獅子舞や各地のエイサーなどに幅広く使われています。

 「海やから」は、海のつわものや英雄を意味し、船頭や船乗り、魚捕りの名人を指しています。

この唄には、糸満市真栄里(まえさと)に今も残る洞窟「ドンドンガマ」の伝説が付随しています。昔、魚捕りのうまいよそ者の青年が、真栄里部落のドンドンガマをねぐらに漁をして暮らしていました。その青年(海やから)に部落の美しいと評判の娘が惚れこみ、洞窟で夜な夜なあい引きを重ねていました。おもしろくないのは同じ部落の青年たち。娘を奪われた嫉妬のあまり、海やからを亡き者にしようと暴力を振るったり、海で溺れさせようとします。しかし海やからは強く、たくらみはことごとく失敗。最後の手段として、恋仲を皮肉をこめて唄うことしかできませんでした。その唄が「海やから」だとされています。>

 村の美女がよそ者に惚れて、それを嫉んだ村の若者がはやし立てるという民謡は、「汀間当(ティーマトゥ)」をはじめいくつもある。その一つである。




島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

変容する琉球民謡、番外編。「古見ぬ浦ぬブナレーマ」

 「古見ぬ浦ぬブナレーマ」と「無情の月」

 

 八重山民謡の「古見ぬ浦ぬブナレーマ」を先日、ラジオで初めて聞いた。その出だしの前奏と歌い始めを聞いたとき、「これは、本島民謡の『無情の月』とそっくりだ!」と直感した。勿論、細部は異なるし、囃子なども八重山民謡らしいので、趣はかなれ異なるかもしれない。しかし、「無情の月」の出だしは、他の民謡とは違う特色があるので、これだけ似ているとなれば、歌詞を変えた替え歌ではないとしても、「古見ぬ浦ぬブナレーマ」が本島民謡に影響を与えたのかもしれない。
  そんなことで、二つの曲を紹介して比べてみたい。

 この「無情の月」は、知名定男が歌った「おぼろ月」、普久原朝喜作曲の「あこがれの唄」とそっくりである。

 

「古見ぬ浦ぬブナレーマ」

 まずは「古見ぬ浦ぬブナレーマ」を當山善堂著『精選八重山古典民謡集』から紹介する。
 古見は西表島にある。18世紀半ばの古見は、人口700人以上を数える大きい村だったそうである

1、古見ぬ浦ぬ シタリヤゥイサ ぶなれーま ヒヤシタリ イラヤゥイユバナヲル
2、美与底ぬ(以下囃子略) 女童

3、うりぅじぅんぬ なるだる 若夏(バガナチゥ)どぅ 行くだる
4、自分(ナラ)―上納布(カナイ) 取り持ち 十尋布(トゥイルヌヌ)抱き持ち

5、前ぬ浜 走(パ)り下(ウ)れー 寄合浜(ユライパマ)跳(トウ)ばしゃ来(キー)

6、自分(ナラ)舟ば 押しゅ下(ラ)し 艫高(トゥムダカ)ば 引(ヒ)ちゅ下(ラ)し

7 自分―上納布 取り載せー 十尋布抱き乗せー

8、大石垣(ウフイシャギゥ)走り行き 親島(ウヤジゥマ)ん 飛ばしゃ来

9、如何どぅ何処 舟着き 美崎前どぅ 舟着き

10、何処どぅ何処 宿取りぅ 蔵ぬ前どぅ 宿取りぅ

11、調び座ん 行り入り 長蔵ん 入り入り

12、調ぎ主ん しぅされーて 纏み主ん 奉いしー

13、大蔵ぬ 戻りぅんや 沖縄町屋ん 入り入り

14、びぅー折り土瓶 祖母土産 まーらんぷぞー 祖父土産

         
         大底朝要さんの歌う「古見ぬ浦ぬぶなれーま~とーすい」

 この曲は、西表島の古見から、人頭税で織った布を上納するために、石垣島に渡る様子を描いている。

「♪古見村のブナレーマは美与底(ミヨシク、古見の異称)の乙女だった 初夏になったので 貢ぎ布を取り持って 前の浜に走り下りて 自分の舟を押し出して 貢ぎ布を取り載せて 蔵元のある石垣島に走り下り 役人様のいる親島に飛ばしてき」(要約)

織った布を石垣島に舟で運び、海岸の仮小屋で泊まり、蔵元へ納めた。「この間、役人にたいしての世話役を強制的にさせられて帰るという習慣であった」と伝えられる(喜舎場永珣著『八重山の古謡』)。

 織りあげた布を検査する際に、役人が職権をカサにきて、目を付けた女性を自分のものにするという、横暴が絶えなかった。

 

 「無情の月」

 まずは「無情の月」から見てみたい。この曲は、旋律は普久原朝喜さんの「あこがれの唄」とほぼ同じである。歌詞の内容は、同じ普久原作「無情の唄」ととても主題と構図がに似ている。

 「無情の月」の歌詞と歌意を紹介する。
♪千里陸道や 思れ自由なゆい 一里船道や 自由ぬならん
 千里の道も陸路であれば行こうと思えば行ける。でも海を隔てた船路は、一里であっても自由に行けない
♪我肝ひしひしと 干瀬打ちゅる波や 情思無蔵が 思みど増しゅる
  私の心をひしひしと干瀬を打つ波は 愛した貴女への思いが強くなる
♪貫ちたみて置ちょて 知らさなや里に 玉切りて居てど 袖ぬ涙 
 彼のために「貫花」を作ったことを知らせたい。でも貫花は悲しいことに切れてしまった、袖に涙するばかりだ。

♪我身に幸しぬ 光ねんあしが 無情に照る月や 光りまさて
  私自身に幸せの光はないのであるが 無情に照る月は光強くなって

    
      玉城一美さんが歌う「無情の月」。この番組の1曲目に流れている


 思いあった二人が引き裂かれ、彼ははるか遠くにいて結ばれない。悲恋の曲である。なぜ引き裂かれたのかは描かれていない。

 そういえば、普久原朝喜さんの名曲「無情の唄」と発想がとても似ている。愛し合う男女が引き裂かれ、女性は故郷に、男性は海を隔てた遠くにいる。思いあってもままならない恋路である、朝夕袖を濡らし暮らす辛さよ、一人月に向かって泣いている。「浮世 無情なむん」と繰り返す。
 こんな内容だ。表立って、戦争のことは出ていないが、実は出征して引き裂かれた男女を歌っているそうだ。「秘められた非戦の歌」といわれる。
 「無情の月」も、愛し合う二人が、海を隔てた引き裂かれた悲運と離れても慕う心を歌っている。「袖を濡らす」「月に向かって泣く」というのも同じである。


 「あこがれの唄」
 「無情の月」と旋律がそっくりな「あこがれの唄」は、悲恋の歌ではなく、戦争のあと、日本と引き裂かれた沖縄の現実が歌われている。

 普久原朝喜作詞・作曲の「あこがれの唄」の歌詞と歌意を紹介する。

     
        知名定男さんが歌う「あこがれの唄」
行ちぶさや大和 住みぶさや都 あさましや沖縄 変わいはてぃてぃ
 変わいはてぃてぃ
 行ってみたいな大和 住んでみたいな都 哀れな沖縄 変わり果ててしまって

大和世に変てぃ アメリカ世なてぃん ぬがし我が生活(くらし)
 楽んならん 楽んならん
 日本統治の世に変わって アメリカの世になっても どうして私たちの暮らしは楽にならないのだろうか

戦場ぬ後や かにんちりなさや 見るん聞く物や 涙びけい 涙びけい
 戦場の後は こんなにも情けないものか 見るもの聞くもの 涙がでるばかり
自由に我ん渡す 舟はらちたぼり 若さある内に 急じ行かな 急じ行かな
 自由に私を乗せてくれる 舟を走らせて下さい 急いで行かなければ

 
 戦争で廃虚と化した沖縄で、米軍支配のもとで生きる人々の苦難と哀れな姿、そんな現実からの救いを求める心情が込められた歌である。

他にもそっくりな曲がある。

      
        知名定男さんが歌う「おぼろ月」。この番組の3曲目に流されている
 知名定男作詞編曲による「おぼろ月」。この曲は、別れた彼女への愛しい思いを歌う。契りまで交わしていたのに去って行った女性を恨む歌詞である。

 盛和子さんの歌う「母の志情(シナサキ)」も同じ旋律である。それだけこの曲のメロディーが愛されているということなのだろう。
 終わり              文責・沢村昭洋


島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

変容する琉球民謡、番外編。大田名節

 伊平屋島の大田名節
 八重山の「大田節」について調べていると、伊平屋島にある「大田名節」という曲が、少し似ていることに気付いた。曲名も一字違いである。ただし、どちらかが原歌でどちらかが替歌というほどではない。曲の入り方は似ている。後半は、「大田節」よりも高音を使っているが、曲調はなんとなく似ている。八重山と伊平屋島では、遠く離れているから、似ているとすれば偶然の一致だろうか。
 
 歌詞を見ると、八重山の「大田節」とはまるっきり違う。伊平屋島の「大田名節」は、「シマ褒め」「村褒め」の歌詞である。
 インターネットの「美ら島物語」サイトの「恋し しまうたの風」で、現地で住民の方に実際にこの曲について伺ったことが書かれていたので、紹介する。
 <「大田名節」は、“伊平屋島で最初に人が住んだ”と言われる田名集落に伝わる古い歌で、作詞作曲者、できた年代はわかりません。
 島の方は、「600~1,000年くらい前の歌ではないかなぁ」とおっしゃいます。「田名の人たちにとって、『大田名節』が古い歌であるということが誇りなのですよ」と仰るのは今回コーディネーターとしてお世話になった嘉手納知子さん。>



    

 「大田名節」歌詞と大意
1、だんじゅとよまりる 大田名の島や
  後岳やくさて め森前なち
2、田名屋のんどぬち 黄金燈籠さぎて
  あまぬ明がりば みるくゆがふ
3、念頭平松ぬ 枝持ちぬ美さ
  田名ぬ乙女の 身持ち美さ
 (大意)
1、広く知られている大田名の島は
  後岳を後ろにして め森を前にしている
2、田名の祝女殿内にある黄金燈籠をさげて
  それに火が灯され明るくなれば 弥勒果報だ
3、念頭平松は枝ぶりが美しい
  田名の乙女は身持ちが美しい
 (「レファレンス協同データーベース」から)

 『琉歌大觀 増補』(島袋盛敏、沖縄タイムス社、1978年)では、「大田名節」について次の記載がある。
 <大田名節(おほだなぶし)八首を掲載。語意・歌意・解説を収録。大田名節について「大田名節八首の中、六首までは田名村のめやらべたちの面影を伝えると共に、田名の地勢や風物をもあわせて歌い、ひいては伊平屋島全体の古代を思わせる歌曲である。」と説明している。>

 伊平屋島では、とても名高い曲で、「大田名節大会」が開かれている。YouTubeでアップされた大会の模様を見ると、子どもたちも演奏しており、伊平屋島ではこの曲がとても大切にされ、長く歌い継がれてきたことがわかる。

     
    RBCラジオ「民謡で今日拝なびら」2017年4月13日放送分
    4曲目に「大田節」が入っているので再録する   
 
 八重山の「大田節」と伊平屋島の「大田名節」の動画を比べて見てほしい。私的には、両者が似ているのは偶然の一致とは思えない。どちらが原歌かわからないし、どのようなルートで伝わったかもわからないが、両曲は共通の土台から生まれた民謡ではないかと思えて仕方ない。

 琉球弧の島々は、古い時代から「海の道」を通じて人と物、文化の交流が行われてきた。だから、離島から離島に芸能が伝わることもありえないことではない。民謡でも、奄美諸島の早弾き曲の「六調」が沖縄本島は飛び越して八重山に伝わっているのもその一例である。
 「大田名節」が「大田節」と似ているということは、それが「ダイサナジャー」とも似ていることになる。私の感想として、この3曲の土台には、互いに相通じるものが感じられる。

島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

変容する琉球民謡、番外編。ダイサナジャー

 ダイサナジャー
 「大田節」とそっくりな歌が「ダイサナジャー」である。「さなじ」は褌のことなので「だらしなくふんどしが垂れている人」というような意味である。そんなおじさんをからかう滑稽歌である。女性と男性が掛け合いで歌う。

1、(女)東方(アガリカタ)ウスメ 藁サナジかきて 目くす垂(タ)いかんて 
  芋練(ウムニイ)また前(メエ)なち
 イラヨ ダイサナジャー小(グヮ) ヘイヨ シューラーヨ
2、(女)くゎ缶々(クヮンクヮン)持っち 何処(マカ)んかい行(イ)めが
 (男)またん鯨(クジラ)ぐぬ 寄(ユ)てがまた居(ウ)ゆら (以下囃子は省略)
3、(女)あんまさみウスメ アチビうさがゆみ
 (男)あねるアチビ臭さぬ 誰(タル)がまた食(クワ)ゆが
4、(男)汝達(イッタア)がや我んね アマン小(グヮー)どやるい 
 ちんけーらし げーらし 尻(チビ)たっちゅう しみて
5、(女)尻肉(チビジシ)やぬぎて 何処かい参(メ)がウスメ
 (男)家賃小や取(ト)たい あぬひゃーまた前(メエ)かい
6、(男)ありが前に一夜(チュユル) くりが前に一夜 
 島戻る間(イェダ)や 白毛(シラギ)我ねかみて
7、(男)汝達(イッタ)トートー前小と 我達トートー前小と
 門中(イチムン)がやゆら あんすかまで似ちょる
8、(男)汝達がや我んね 餓鬼(ガチ)んでる云(イ)ゅしが 
 カラス小とかてて 芋ど我んね食らど
9、(女)うんじゅん頭(チブル)ん禿(ハ)ぎて あん光(ヒカ)い美(チュ)らさ 闇ぬ夜になてん
 心配(シワ)やまたねさみ
            
     ROKラジオ番組「ホーメルで今日は」から「ダイサナジャー」
 歌意
1、東の方のおじいさん 藁の褌をして 目脂(メヤニ)も垂れて 芋練り前にして
2、缶々を持ってどこへ行くのかい
 またも鯨の子 打ち揚げられているかも
3、具合が悪いのですか おじいさん 柔らかい飯を 上がりますか
 あんな柔らかい飯は臭くて 誰が食うか 
4、お前達が 私はヤドカリなのか 着物をひっくり返し返しして 
 尻を尖らさせて
5、尻の肉は脱臼して どちらへ行かれますか おじいさん
 家賃も貰ったし 彼女のまた前に
6、あれのところで一晩 これのところで一晩 故郷へ帰る頃には 
 白髪をいただいて
7、お前達の仏壇と 我々の仏壇とは 親戚なのか区別がつかないほど似ている 
8、お前達が 私は飢えた餓鬼だと言うが キビナゴ漬けと一緒に
 芋を私は食べたんだ
9、貴方の頭が禿て 立派に光って見事だ 闇夜になっても心配はいらないよ
  歌意は、滝原康盛著『琉球民謡解説集』をもとに、少し手を加えた。

 この歌詞の中で、「またクジラが打ち揚げられているかも」という不思議なカ所がある。かつて名護湾には、毎年「ピトゥ」(主にゴンドウクジラ属)の大群が押し寄せて、「ピトゥ漁」が盛んで、ピトゥを食べる習慣があった。
 歌詞の中で、缶を持って拾うのはクジラそのものではなく、クジラの糞だという説もある。
 マッコウクジラの腸の分泌物は、「龍涎香(りゅうんこう)」と呼ばれ、古来から貴重な香水の原料として利用されたという。この歌詞には、そんな沖縄ならではの背景があるようだ。
 女性とおじさんの掛け合いが面白い。
 
 5番の歌詞が分かりにくい。「尻肉やぬぎて」を滝原氏は「尻の肉は脱臼して」を訳している。肉が「脱臼して」とはどういうことか。島唄の解説をアップしているサイト「たる―の島唄まじめな研究」では「尻の肉は脱げて」と訳している。
 この後の部分で「何処へ行かれます」とおじいさんに問いかけると、「家賃も貰ったし 彼女のまた前に」と応えている。おじいさんの風体を表しているとすれば、ふんどし姿のおじいさんなので、ふんどしからお尻の肉を出して歩いている様子を歌っているではないだろうか。そんな理解をしてみた。
 この曲は、エイサーでもよく使われる。YouTubeを見ると、これで踊っている動画がいくつも出てくる。道化役の「チョンダラー」の踊りがこの曲にマッチしている。

     
 
 原歌の「大田節」とは、歌詞はまったく別物である。ただ、「大田節」が片禿げ頭の男を面白おかしく歌っているのに対して、「ダイサナジャー」はだらしないふんどし姿のオヤジをからかった曲なので、両者とも滑稽歌と見れば、少し共通項があるかのではないか。もしかしたら、「大田節」の曲調が滑稽歌に適していると思って、「ダイサナジャー」の歌詞が生れたのかもしれない。これは私の勝手な想像である。

島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

変容する琉球民謡、番外編。大田節

 変容する琉球民謡―八重山から本島へ、番外編

大田節とダイサナジャー  
 先日、ラジオを聴いていたら、八重山古典民謡の「大田(ウフダ)節」が流れてきた。「これはよく聞く曲だ」とすぐ思い当たる曲が頭に浮かんだ。「ダイサナジャー」である。解説の上原直彦氏は「この曲は、エイサーでもよく使われる」と話していた。八重山民謡をサークルで学んでいるが、この曲はまだやっていない。たぶん将来もやらないままですみそうだ。

 工工四(楽譜)を見て弾いてみた。なるほど「ダイサナジャー」によく似ている。なにより、囃子がそっくりだ。「ダイサナジャー」よりもこちらの方が素朴である。「ダイサナジャー」は、もっと手を加えて、曲も少し長くなっている。なるほど、エイサーで使えるようだ。
 まだこの曲で踊るエイサーは見たことがない。YouTubeで検索するといくつか沖縄県内各地の青年会のエイサーがアップされている。道化役のチョンダラーが、赤い褌を「アカサナジャー」を長く垂らして踊っている。
 といっても、八重山の元歌と見られる「大田節」はまったく、「ダイサナジャー」の歌詞とは内容が異なる。
 まず八重山の大田節から見てみたい。
       
     RBCラジオ「民謡で今日拝なびら」2017年4月13日放送、
     4曲目に大工哲弘さんの歌で流された。
 大田(ウフダ)節
1、大田屋(ウフダヤー)ぬ片禿(カタカムレー)ま ヤゥウネ 大田屋ぬ
 炭焼(スィンヤ)くぃかむりゃーヤゥウネ
 イラヤゥマーヌハイヤーシューラヤゥ
2、岳はずぃ道ば通いだす 網張(アンパアル)道ば通いだす(囃子省略)
3、誰(タル)がゆやんどぅ通いだる 何(ジリ)がつぃにゃんどぅ通いだる
4、崎枝(サキダ)くやーまぬゆやんどぅ 女童(ミヤラビ)ぬつぃにゃんどぅ
5、網張湊(アンパルミジュ)や潮(スー)や満(ン)ちゃ 
 湊(ミナト)まや潮や入りゃ
6、なゆばしどぅ渡(バダ)り行く 如何(イキャ)ばしどぅ越(ク)行く
7、やいとぅかいとぅ渡り行き やっとぅかっとぅ越や行く
8、くやーま家(ヤー)に入(ペー)り行き 女童家に移り行き
9、たんでぃとーどぅくやーま母(アブ) がーらとーどぅくやーま父(ビゲ)
10、くやーまにや 我(パヌ)ん呉(ヒー)り 女童や此(クリ)ん呉り
11、あねーりぅ片禿ぬ 彼(カ)ぬしゅくぬ 炭焼きぅ禿ぬ 
 此ぬしゅくぬ ならぬならぬ 片禿ま
12、仮屋ぬ姉(アンマ)ん なりどぅ見だ 3年ぬ姉ん なりどぅ見だ
13、太陽(ティダ)傘ん 差しどぅ見だ 裏付(ウラチゥ)きぅ
 足駄(アシゥザ)ん 踏みどぅ見だ
14、泡盛酒(アワムリゥザキ)ん 持ち来(ケ)ん 酒ぬ花ん 持ち来ん
15、あぬーりぅ泡盛酒 何しゅが 酒ぬ花や 如何(イキャ)しゅが
 何とぅしゃーんてん ならぬす ならぬ戻り 片禿ま

歌意
1、大田屋の片禿げ頭の男が 大田屋の炭焼き業の禿げ頭の男が
2、タキハジゥ道を通っていた訳は アンパアル道を通っていた理由は
3、誰を訪ねるために通っていたのか どの人のために通っていたのか
4、崎枝村のクヤーマに会うために 娘を訪ねるために通っていたのだ
5、アンパルの水路は潮が満ちていたので 小さな入り江は潮が満ちていたので
6、どうやって渡って行くのか いかにして越えて行くのか
7、辛うじて渡って行き やっとのことで越えて行った
8、クヤーマの家に入って行き 娘の家に移って行き
9、どうかお願いクヤーマの母御よ 心からお願いクヤーマの父御よ
10、クヤーマニを私にください 娘さんをこの私にください
11、あんな片禿げ頭ごときのおとこが炭焼きの禿げ頭ごときの奴が 
  駄目だ駄目だ 片禿げ頭の奴め
12、仮屋(在番の宿舎)の愛妾にもなったんだよ 3年間の愛妾務めもしたのだよ
13、日傘もさしたことがあるのだよ 裏付けの下駄も履いたことがあるのだよ
14、泡盛酒も持って来ました 酒の花も持って来ました
15、あんな泡盛酒にどれほどの価値があるのだろうか 酒の花に如何ほどの値打ちがあるというのだ 
  何としても無駄なことだよ  駄目だ帰れ片禿げ頭の奴め

 石垣島の四箇村(石垣市の登野城、大川、石垣、新川)に住む片禿げ頭の男が、崎枝村のクヤーマ女に恋して、両親を訪ねて「娘さんをください」と懇願するがきっぱりと断られる物語の歌である。
 両親は、「片禿げ頭の、炭焼きごとき男に駄目だ」ときっぱりと拒否する。興味深いのは、その理由としてあげている娘についての話である。娘は、首里王府から派遣されている在番の役人の愛妾を3年間務めた、百姓には縁の遠い「日傘も差した、裏付き下駄も履いた」と自慢する。

 在番役人や八重山蔵元(首里王府の出先官庁)から遠隔地や離島に派遣される役人は、単身赴任が原則だったので、地元の美人を選んで賄い女(現地妻)とすることが慣例化されていた。この歌の在番の愛妾も同じような立場だったのだろう。
 賄い女は、赴任中は夫婦同然に子どもも生み、家族として暮らしながら、役人は任期が終わると妻子を残して帰り、戻ることはない。役人に目をつけられると嫌でも無理矢理、賄い女にされる。そんな辛い悲しい運命にある。

 八重山民謡には、権威をかさにきた役人の横暴や賄い女の哀れを歌った曲が数々ある。一方で、役人が帰る時、土地をもらえるなど「恩典」もあったという。でもそれは賄い女という存在の本質的なものではないと思う。両親は自慢するが、愛妾だったクヤーマが幸せに暮らしているとはとても思えない。
 この歌は片禿げ頭の男をからかう一種の滑稽歌のようだ。
 クヤーマの両親は、片禿げ頭の男が気に入らない。だから役人の愛妾だったことを自慢するというよりも、「役人の相手に選ばれるほどの娘だから、お前にはやれない」と断るための理由にしたのではないか。そんな感じがする。

島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

笑いを囃子にした「国頭サバクイ」、その2

 照屋林助著『てるりん自伝』に戻る。ここから笑いの囃子についての考察である。
 <しかしこのわざとらしい笑いの部分に着目すると、これはきれいに説明できます。木遣の仕事は危険な仕事だから、大いに用心しましょう。人が死んだり怪我したりするのは、神様の怒りにふれてそうなるんだから、まず神様をしずめましょう。神様は笑い声が大好きだから、みんなで笑いましょうと。だから木遣歌は笑わせるための歌になっているはずなんです。
 木遣をする人のまわりを、スルガーカンプーが走りまわります。スルガ―というのは、シュロの木の網目の繊維です。それをそのまま丸く輪切りにしたものを頭にすっぽりとかぶって、キージーファーという粗末なかんざしで刺し止めて、それを打ち振り打ち振りしておどけて見せるのがその役目です。カンプーは髪型の名ですが、漢の風俗からきたものという説もあります。それを頭にかぶって、赤ふんどし姿で、ヤーシグヮーという酒を入れた椰子の実を腰にぶらさげ、木遣の人たちに飲ませたり、団扇をもって扇いでやったり、わざと滑って転んで見せたり、おかしなことをしてまわりに笑い声を満ちあふれさせるための道化の役を演じるわけです。

 これは七月エイサーでも見られます。おおまじめにやっている部分があるかと思うと、そのまわりに笑わせ役のスルガーカンプーがいて、ひょうきんなことをやります。平安名のエイサーというものなんかは、まるごと道化で、全員スルガーカンプーです。これには一名滑稽踊りというサブタイトルがついていて、歌も振り付けも滑稽なものを、新作もふんだんに取り入れて構成してあります。わたしの作った歌も、ときどきうたわれているようです。
人は誰でも幸せになりたい、そのためには笑ったほうがいい、そういうわけで笑う行事をいろいろ作り出したんですね。戦争のあとも、こんな悲劇の島なんだけど、すぐに笑いが飛び出してきました。>
            
 宮古島の「ヨンシー」の動画
 「国頭サバクイ」関連の動画を「YouTube」で探していると、多良間島や宮古島の歌がアップされていた。先島にも伝わったようだ。といっても、多良間島や宮古島は平坦な島で山らしい山はない。材木も乏しい島なのに、木遣歌の「国頭サバクイ」の歌が伝わっているのは面白い。
 照屋林助さんの著書から紹介してきたが、林助さんといえば、戦後の沖縄で小那覇舞天とともに「生き残ったことをお祝いしよう」と呼びかけ、村々で歌い芸を演じた方だ。前川守康(前川守賢、ゲンちゃんの父親)と組んだ「ワタブーショー」(デブの意味)で人気を博した。
「パロディーや歌謡、洋楽などを盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って活躍。その芸風は後進の沖縄芸能・ミュージックシーンに多大な影響を与えた」(ウィキペディア)。
  「ワタブーショー」の動画があったので紹介する。映画「ウンタマギルー」のプロローグだという。
             
 林助さんが指摘されているように、沖縄民謡の囃子は、歌の歌詞とは切っても切り離せない民衆の思いが込められており、それぞれ意味合いがある。
 笑いをその芸の中に取り入れ、県民から愛された林助さんならではの興味深い考察だと思う。


島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

笑いを囃子にした「国頭サバクイ」,、その1

沖縄の木遣歌といえば「国頭(クンジャン)サバクイ節」が有名である。「サバクイ」(捌吏)とは、間切(いまの町村)の上級役人を指す。この曲は、沖縄民謡の中でも独特のリズムと旋律で、人気がある。踊りも滑稽で、お祭りなど様々の機会に踊られる。
 独特といえば、歌の中の囃子は、他に類を見ないほどユニークである。といっても、その意味を深く考えたこともなかった。たまたま照屋林助著『てるりん自伝』を読んでいると、この曲の囃子についての指摘があった。それは民謡のなかの「笑い」についてのべたくだりであるが、なるほどと思わされた。著書のなかから、その部分だけを紹介する。
 <歌になった笑いもあります。「国頭サバクイ」という木遣歌の中に笑いが組み込まれているんです。これは、木曳き式のときに材木を引っ張る人たちを励ます歌ですが、その歌の中に、「イーヒヒヒヒーヒー、アハハハーハー」という囃子の部分があります。これは笑いを音楽化したものです。「国頭サバクイ」は古典として専門家によって一度きれいに編みなおされているので、なまなましく笑うんじゃなく、「イーヒヒヒヒーヒー、アハハハーハー」ときれいに音楽化してうたわれています。>

               
            「国頭サバクイ」の動画。

 <ところが多良間島では同じ歌を、「多良間ヨンシー」と言っていますが、うたうことを中断して、実際に笑うんです。「ヨイシーヨイシー…」というかけ声の後に、ワッハハッハッハッと地声でもって笑います。おかしな格好でおどけて笑って、見物衆を笑わせて、大爆笑になったところで、また、「スイティン、ジャナシヌ…」と次の歌に入って行きます。これを聞くと、なるほど、笑うことが非常に重要な目的なんだなということがわかります。
 「国頭サバクイ」そのものは民謡研究家たちによってかなり詳しく研究されていますが、「イーヒヒヒヒーヒ」という部分については、まったく触れられていません。昔からの民謡の人も古典の人も、囃子には大した意味はないというのが定説のようで、研究といっても、本歌詞のところだけ取り上げてその意味を解釈するのがほとんどですが、わたしの考えでは、それでは核心に触れられません。
 「国頭サバクイ」は、国頭山中から切り出した材木を首里まで運ぶという歌詞がついてますが、その歌詞は地方によっては、別の文句にすげ替えたり、作り変えたりします。何でもかんでも、とにかくおもしろいトピックをうたうようにして、みんなをもっと喜ばせようというわけで、いろんな歌詞が入ってくるのです。中には、木遣とは関係のない恋愛の唄になっているものさえあります。歌詞だけが重要だという見方をしていると、それが木遣歌としてうたわれる理由がわからなくなります。>
        
                 「多良間ヨンシー」の動画

 ここで「国頭サバクイ節」の歌詞をあげておきたい。
♪サー首里天加那志(シュイティンジャナシ)ぬ ヨイシーヨイシー 
 サー御材木(ウゼムク)だやびる 
 (首里の国王様の御用達の材木だよ)
 サーハイユエーハーラーラー サーハイガヨイシー サーイショショショーショ 
 イーイヒヒヒーヒ アーアハハハーハ
♪サー国頭サバクイ ヨイシーヨイシー サー御嶽(ウタキ)の前(メー)から
 (国頭の番所のお役人の指図で 拝所の前から)
♪サー名護山樫木(カシヂ)ヨイシーヨイシー サー重(ンブ)さぬ引からん
 (名護山の樫の木は重いので引けない)
♪サー御万人(ウマンチュ)間切(マヂリ)やヨイシーヨイシー 
 サーみな肝揃(チムスル)とてぃ
 (万人の間切のみんなで心を一つにそろえて)
            
    動画は「国頭サバクイ~笑いと恐怖」について語る林助さん
  首里王府の御用達の材木を、沖縄北部の山中から役人の指図のもとに、村の住民らが総がかりで運ぶ様子がうかがえる。やんばるの広大な森から材木を伐り出し、角材などに加工して船に積み、与那原の港まで運搬し、そこからさらに首里王府まで運んだという。
 とくに材木の切りだしと搬出は、危険を伴う重労働である。駆り出された住民が、力を合わせて行う共同作業には、歌が欠かせなかったのだろう。 

島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

世界へ響け! 三線大演奏会で弾いてきた

 世界に広がる沖縄県系人が一堂に集う「第6回世界のウチナーンチュ大会」が26日から30日まで開かれた。最終日の30日午前、世界各国の三線演奏者が集い沖縄の伝統文化の音色を発信しようと「うまんちゅ三線大演奏会」が、沖縄セルラースタジアムで開かれたので、参加した。6000人がいっせいに三線を弾こうと参加の募集があったので申し込んでいた。
                    IMG_3412.jpg
 会場に9時過ぎに着くと、たくさんの三線愛好者がつめかけて来ていた。三線を教える研究所や各地のサークルなどグループでの参加が多い。私のような個人の参加も結構いる。アルテの三線仲間である比嘉さんも、「国際通りであったパレードを見てとても感激したので、参加することにしたんですよ」と話していた。
                      IMG_3413.jpg
 会場はグラウンドで演奏するのかと思っていたら、入場は観客席の方だった。こちらなら椅子の準備もいらないからよい。
 「チンダミ(調弦)は四です。Cです」と合図があった。自分で調弦して練習していると、そばにきたおじさんが「中弦を少し下げてください」と言う。調弦を見て回る役割をしている方だった。調弦が終わると、さあ、演奏である。
                     IMG_3416.jpg
 スタンドの一番前の席には、この三線大演奏会を呼びかけた人間国宝の照喜名朝一さんや同じく西江喜春さんはじめ琉球古典音楽の先生方が並んでいる。
 演奏曲目は、古典音楽の代表曲である「かぎやで風節」「安波節」、世界のうちなーんちゅに歌い継がれる教訓歌「てぃんさぐぬ花」の3曲である。
 野外でこれだけの大勢で弾けば、他人の音があまり聞こえないで、演奏がばらつくのではないかと心配になる。
 演奏開始の合図の赤棒が振り下ろされると、一斉に三線が奏でられた。数千人の合奏なのに、見事に合っているではないか。心配は杞憂であった。数千の三線の奏でる大音色と歌声がスタンドの屋根に響きわたった。
                    IMG_3417.jpg
 同じ曲を3度、4度と演奏した。「てぃんさぐぬ花」の後に急きょ、「安里屋ユンタ」を弾こうとなった。合わせて4曲を演奏した。 
 
 参加者のなかには、あきらかに外国から来た人もいた。
 参加者の演奏レベルはまちまちだ。まだ曲を覚えきれないで、工工四(楽譜)を見ながら演奏する人もいる。
 でも、ベテランも素人も心ひとつにこれだけの人が演奏する機会は例がない。今回が初めてである。みなさん、大演奏会に大満足の様子である。
 世界のウチナーチュ大会は5年に1度だから、次は5年後までないだろう。おそらく、これだけの人が一斉三線演奏するのはギネスブック認定ものだが、今回は認定の申請はしていないようだ。でも、世界で例のない大演奏会だったことは間違いない。
島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |

アルテで「島人ぬ宝」を歌う

 毎月恒例の「アルテ・ミュージック・ファクトリー」が15日夜、開かれた。今月のテーマは「晴」。エントリーは10組と少なかったけれど、飛リ入りがあり、聴きごたえのある音楽会となった。
 南亭こったいの落語は「船徳」。大阪で開かれた社会人落語選手権で披露した演目を話した。昨年は決勝10組に残ったが、今年は残念ながら11位だったとか。 来年は是非、決勝めざして頑張ってほしい。
 今回のファクトリーは、長くアルテに勤めて、ファクトリーのお世話もされた八重山唄者のソノさんが、出産のため一時、故郷に帰るので、しばしのお別れの会になった。同じ歌三線をやってきた方々は是非みんな三線を弾こうという呼びかけもあり、この日は5人が三線を披露する近年にないファクトリーとなった。
 そのトップバッターが比嘉さん。八重山の「月ぬ美しゃ節」を歌った。歌い初めた時間にまだソノさんは見えていなかった。その後、見えたので、「ソノさんに聞いてほしい」ともう一度、演奏した。味わいのある歌だ。
               IMG_3251.jpg
 三線続きで、玉那覇さんが「ナークニー(宮古根)」を歌った。伸びやかな声がとてもよく出ていたと思う。
                IMG_3253.jpg
 カオル&タカは、今回はオリジナルではなく、パフィーの「マザー」を歌った。先月は途中、エレキの電源がトラブルを起こしたが今回は見事リベンジした。
                  IMG_3255.jpg
 タカ&カオル(ギター)&りえ(ボーカル)の初めてのユニットは「ラビング・ユー」 を歌った。
 越智さんは、今回珍しくギターアンサンブルが出ないので、ソロで映画音楽「鉄道員」など演奏した。ソロ演奏も大いにやってほしい。
 私は、ソノさんとの一時のお別れなので八重山民謡を歌いたい気もあったが、ツレのピアノ伴奏でbeginの「島人ぬ宝」を歌った。歌詞の中に「空」が出て「輝く星も」と歌われるので「晴」のテーマと合っているからだ。
                 IMG_3266.jpg
 ボブ・ディランのノーベル文学賞が話題だが、石垣島出身のbeginの比嘉栄昌の数々の楽曲は、沖縄に生きる人々の日常の暮らしと歩み、胆心(ちむぐくる)を掬い取ったその歌詞は、見事な現代詩である。民謡にしても島唄ポップスにしても、歌の常とう句をちりばめたような歌詞が多いなか、beginの歌は抜きんでている。だから、県民にとても愛されている。私的には、沖縄を代表する詩人、「沖縄のボブ・ディラン」だと思う。
 肝心の演奏は、みなさんから手拍子もいただき、楽しく演奏で来た、と思ったが最後に落とし穴が待っていた。最後のフレーズをもう一度繰り返す練習をしていたのに、本番ではうっかり忘れて、エンディングに入ってしまった。ピアノとずれてしまい、慌ててもう一度、最後の「それが島人ぬ宝」と繰り返し歌い終えた。やはり、ライブはコワイ。

 熊本から子ども連れで見え、ライブをしていた川原さんも出演。オリジナルらしい「藍の海」をピアノ弾き語りで歌った。透明感のある歌声だった。
                   IMG_3268.jpg
 飛び入りでヨッシーさんが久しぶりに出て来て、得意のブルースを歌い、聴かせた。
                 IMG_3267.jpg

 ソノさんは、ピアノのしのさんのオリジナル曲「凪」を歌った。なかなか素敵な曲と歌声だった。
 ゆみこ&きぬえ(オカリナ)&ふーみん(リコーダー)&越智(ギター)は、「見上げてごらん夜の星を」を合奏した。
                IMG_3275.jpg
 ツレは、ピアノ独奏でショパンの「ロマンス」を演奏した。9月に20歳で亡くなった愛猫(人間だと100歳)への追悼の気持ちで選んだ曲。とても思いがこもった演奏だったと思う。
                 IMG_3279.jpg
 和田さんはギター独奏でクラシック曲を演奏した。プログラムではビラロボスの曲となっている。少しラテンの香りがしたのはそのせいだろうか。
                  IMG_3280.jpg
 きぬえさん、ソノさんは歌三線で「上り口説(ぬぶいくどぅち)」を演奏した。1月に独奏したときは上手く弾けなかったからと、再挑戦。見事にリベンジした。お馴染みの曲なので知っている人みんな一緒に歌った。
                   IMG_3282.jpg
 ソノさんは、長くアルテにかかわってきて、しばらくのお別れになるのでその気持ちを歌詞にした「とぅばらーま」と「まみとーま」を続けて歌った。さすがに素晴らしい歌声と三線だった.ぜひまた沖縄に帰ってきてほしいものだ。
                   IMG_3273.jpg
 越智さんのトランペット、ツレのピアノ伴奏で「太陽がいっぱい」を演奏した。テーマにピッタリの曲だった。
                  IMG_3286.jpg
 ふーみんさんは、ジャズフルートで「リパブリック讃歌」を演奏。フルートを習いだしてまだ日が浅いのに、楽しい演奏だった。
 東明さんは、ギター独奏で「ローレライ」など演奏した。
 りえさんは宮城さんのギターにのせて、ボサノバ「トリステ」を歌った。ボサノバは歌もギターのコードも独特で、難しそうだが、よくリズムに乗った歌と演奏だった。
                   IMG_3289.jpg
 改めて、とても充実した演奏会だったと思う。
島唄 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |次のページ>>