レキオ島唄アッチャー

笑いを囃子にした「国頭サバクイ」、その2

 照屋林助著『てるりん自伝』に戻る。ここから笑いの囃子についての考察である。
 <しかしこのわざとらしい笑いの部分に着目すると、これはきれいに説明できます。木遣の仕事は危険な仕事だから、大いに用心しましょう。人が死んだり怪我したりするのは、神様の怒りにふれてそうなるんだから、まず神様をしずめましょう。神様は笑い声が大好きだから、みんなで笑いましょうと。だから木遣歌は笑わせるための歌になっているはずなんです。
 木遣をする人のまわりを、スルガーカンプーが走りまわります。スルガ―というのは、シュロの木の網目の繊維です。それをそのまま丸く輪切りにしたものを頭にすっぽりとかぶって、キージーファーという粗末なかんざしで刺し止めて、それを打ち振り打ち振りしておどけて見せるのがその役目です。カンプーは髪型の名ですが、漢の風俗からきたものという説もあります。それを頭にかぶって、赤ふんどし姿で、ヤーシグヮーという酒を入れた椰子の実を腰にぶらさげ、木遣の人たちに飲ませたり、団扇をもって扇いでやったり、わざと滑って転んで見せたり、おかしなことをしてまわりに笑い声を満ちあふれさせるための道化の役を演じるわけです。

 これは七月エイサーでも見られます。おおまじめにやっている部分があるかと思うと、そのまわりに笑わせ役のスルガーカンプーがいて、ひょうきんなことをやります。平安名のエイサーというものなんかは、まるごと道化で、全員スルガーカンプーです。これには一名滑稽踊りというサブタイトルがついていて、歌も振り付けも滑稽なものを、新作もふんだんに取り入れて構成してあります。わたしの作った歌も、ときどきうたわれているようです。
人は誰でも幸せになりたい、そのためには笑ったほうがいい、そういうわけで笑う行事をいろいろ作り出したんですね。戦争のあとも、こんな悲劇の島なんだけど、すぐに笑いが飛び出してきました。>
            
 宮古島の「ヨンシー」の動画
 「国頭サバクイ」関連の動画を「YouTube」で探していると、多良間島や宮古島の歌がアップされていた。先島にも伝わったようだ。といっても、多良間島や宮古島は平坦な島で山らしい山はない。材木も乏しい島なのに、木遣歌の「国頭サバクイ」の歌が伝わっているのは面白い。
 照屋林助さんの著書から紹介してきたが、林助さんといえば、戦後の沖縄で小那覇舞天とともに「生き残ったことをお祝いしよう」と呼びかけ、村々で歌い芸を演じた方だ。前川守康(前川守賢、ゲンちゃんの父親)と組んだ「ワタブーショー」(デブの意味)で人気を博した。
「パロディーや歌謡、洋楽などを盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って活躍。その芸風は後進の沖縄芸能・ミュージックシーンに多大な影響を与えた」(ウィキペディア)。
  「ワタブーショー」の動画があったので紹介する。映画「ウンタマギルー」のプロローグだという。
             
 林助さんが指摘されているように、沖縄民謡の囃子は、歌の歌詞とは切っても切り離せない民衆の思いが込められており、それぞれ意味合いがある。
 笑いをその芸の中に取り入れ、県民から愛された林助さんならではの興味深い考察だと思う。


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笑いを囃子にした「国頭サバクイ」,、その1

沖縄の木遣歌といえば「国頭(クンジャン)サバクイ節」が有名である。「サバクイ」(捌吏)とは、間切(いまの町村)の上級役人を指す。この曲は、沖縄民謡の中でも独特のリズムと旋律で、人気がある。踊りも滑稽で、お祭りなど様々の機会に踊られる。
 独特といえば、歌の中の囃子は、他に類を見ないほどユニークである。といっても、その意味を深く考えたこともなかった。たまたま照屋林助著『てるりん自伝』を読んでいると、この曲の囃子についての指摘があった。それは民謡のなかの「笑い」についてのべたくだりであるが、なるほどと思わされた。著書のなかから、その部分だけを紹介する。
 <歌になった笑いもあります。「国頭サバクイ」という木遣歌の中に笑いが組み込まれているんです。これは、木曳き式のときに材木を引っ張る人たちを励ます歌ですが、その歌の中に、「イーヒヒヒヒーヒー、アハハハーハー」という囃子の部分があります。これは笑いを音楽化したものです。「国頭サバクイ」は古典として専門家によって一度きれいに編みなおされているので、なまなましく笑うんじゃなく、「イーヒヒヒヒーヒー、アハハハーハー」ときれいに音楽化してうたわれています。>

               
            「国頭サバクイ」の動画。

 <ところが多良間島では同じ歌を、「多良間ヨンシー」と言っていますが、うたうことを中断して、実際に笑うんです。「ヨイシーヨイシー…」というかけ声の後に、ワッハハッハッハッと地声でもって笑います。おかしな格好でおどけて笑って、見物衆を笑わせて、大爆笑になったところで、また、「スイティン、ジャナシヌ…」と次の歌に入って行きます。これを聞くと、なるほど、笑うことが非常に重要な目的なんだなということがわかります。
 「国頭サバクイ」そのものは民謡研究家たちによってかなり詳しく研究されていますが、「イーヒヒヒヒーヒ」という部分については、まったく触れられていません。昔からの民謡の人も古典の人も、囃子には大した意味はないというのが定説のようで、研究といっても、本歌詞のところだけ取り上げてその意味を解釈するのがほとんどですが、わたしの考えでは、それでは核心に触れられません。
 「国頭サバクイ」は、国頭山中から切り出した材木を首里まで運ぶという歌詞がついてますが、その歌詞は地方によっては、別の文句にすげ替えたり、作り変えたりします。何でもかんでも、とにかくおもしろいトピックをうたうようにして、みんなをもっと喜ばせようというわけで、いろんな歌詞が入ってくるのです。中には、木遣とは関係のない恋愛の唄になっているものさえあります。歌詞だけが重要だという見方をしていると、それが木遣歌としてうたわれる理由がわからなくなります。>
        
                 「多良間ヨンシー」の動画

 ここで「国頭サバクイ節」の歌詞をあげておきたい。
♪サー首里天加那志(シュイティンジャナシ)ぬ ヨイシーヨイシー 
 サー御材木(ウゼムク)だやびる 
 (首里の国王様の御用達の材木だよ)
 サーハイユエーハーラーラー サーハイガヨイシー サーイショショショーショ 
 イーイヒヒヒーヒ アーアハハハーハ
♪サー国頭サバクイ ヨイシーヨイシー サー御嶽(ウタキ)の前(メー)から
 (国頭の番所のお役人の指図で 拝所の前から)
♪サー名護山樫木(カシヂ)ヨイシーヨイシー サー重(ンブ)さぬ引からん
 (名護山の樫の木は重いので引けない)
♪サー御万人(ウマンチュ)間切(マヂリ)やヨイシーヨイシー 
 サーみな肝揃(チムスル)とてぃ
 (万人の間切のみんなで心を一つにそろえて)
            
    動画は「国頭サバクイ~笑いと恐怖」について語る林助さん
  首里王府の御用達の材木を、沖縄北部の山中から役人の指図のもとに、村の住民らが総がかりで運ぶ様子がうかがえる。やんばるの広大な森から材木を伐り出し、角材などに加工して船に積み、与那原の港まで運搬し、そこからさらに首里王府まで運んだという。
 とくに材木の切りだしと搬出は、危険を伴う重労働である。駆り出された住民が、力を合わせて行う共同作業には、歌が欠かせなかったのだろう。 

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世界へ響け! 三線大演奏会で弾いてきた

 世界に広がる沖縄県系人が一堂に集う「第6回世界のウチナーンチュ大会」が26日から30日まで開かれた。最終日の30日午前、世界各国の三線演奏者が集い沖縄の伝統文化の音色を発信しようと「うまんちゅ三線大演奏会」が、沖縄セルラースタジアムで開かれたので、参加した。6000人がいっせいに三線を弾こうと参加の募集があったので申し込んでいた。
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 会場に9時過ぎに着くと、たくさんの三線愛好者がつめかけて来ていた。三線を教える研究所や各地のサークルなどグループでの参加が多い。私のような個人の参加も結構いる。アルテの三線仲間である比嘉さんも、「国際通りであったパレードを見てとても感激したので、参加することにしたんですよ」と話していた。
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 会場はグラウンドで演奏するのかと思っていたら、入場は観客席の方だった。こちらなら椅子の準備もいらないからよい。
 「チンダミ(調弦)は四です。Cです」と合図があった。自分で調弦して練習していると、そばにきたおじさんが「中弦を少し下げてください」と言う。調弦を見て回る役割をしている方だった。調弦が終わると、さあ、演奏である。
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 スタンドの一番前の席には、この三線大演奏会を呼びかけた人間国宝の照喜名朝一さんや同じく西江喜春さんはじめ琉球古典音楽の先生方が並んでいる。
 演奏曲目は、古典音楽の代表曲である「かぎやで風節」「安波節」、世界のうちなーんちゅに歌い継がれる教訓歌「てぃんさぐぬ花」の3曲である。
 野外でこれだけの大勢で弾けば、他人の音があまり聞こえないで、演奏がばらつくのではないかと心配になる。
 演奏開始の合図の赤棒が振り下ろされると、一斉に三線が奏でられた。数千人の合奏なのに、見事に合っているではないか。心配は杞憂であった。数千の三線の奏でる大音色と歌声がスタンドの屋根に響きわたった。
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 同じ曲を3度、4度と演奏した。「てぃんさぐぬ花」の後に急きょ、「安里屋ユンタ」を弾こうとなった。合わせて4曲を演奏した。 
 
 参加者のなかには、あきらかに外国から来た人もいた。
 参加者の演奏レベルはまちまちだ。まだ曲を覚えきれないで、工工四(楽譜)を見ながら演奏する人もいる。
 でも、ベテランも素人も心ひとつにこれだけの人が演奏する機会は例がない。今回が初めてである。みなさん、大演奏会に大満足の様子である。
 世界のウチナーチュ大会は5年に1度だから、次は5年後までないだろう。おそらく、これだけの人が一斉三線演奏するのはギネスブック認定ものだが、今回は認定の申請はしていないようだ。でも、世界で例のない大演奏会だったことは間違いない。
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アルテで「島人ぬ宝」を歌う

 毎月恒例の「アルテ・ミュージック・ファクトリー」が15日夜、開かれた。今月のテーマは「晴」。エントリーは10組と少なかったけれど、飛リ入りがあり、聴きごたえのある音楽会となった。
 南亭こったいの落語は「船徳」。大阪で開かれた社会人落語選手権で披露した演目を話した。昨年は決勝10組に残ったが、今年は残念ながら11位だったとか。 来年は是非、決勝めざして頑張ってほしい。
 今回のファクトリーは、長くアルテに勤めて、ファクトリーのお世話もされた八重山唄者のソノさんが、出産のため一時、故郷に帰るので、しばしのお別れの会になった。同じ歌三線をやってきた方々は是非みんな三線を弾こうという呼びかけもあり、この日は5人が三線を披露する近年にないファクトリーとなった。
 そのトップバッターが比嘉さん。八重山の「月ぬ美しゃ節」を歌った。歌い初めた時間にまだソノさんは見えていなかった。その後、見えたので、「ソノさんに聞いてほしい」ともう一度、演奏した。味わいのある歌だ。
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 三線続きで、玉那覇さんが「ナークニー(宮古根)」を歌った。伸びやかな声がとてもよく出ていたと思う。
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 カオル&タカは、今回はオリジナルではなく、パフィーの「マザー」を歌った。先月は途中、エレキの電源がトラブルを起こしたが今回は見事リベンジした。
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 タカ&カオル(ギター)&りえ(ボーカル)の初めてのユニットは「ラビング・ユー」 を歌った。
 越智さんは、今回珍しくギターアンサンブルが出ないので、ソロで映画音楽「鉄道員」など演奏した。ソロ演奏も大いにやってほしい。
 私は、ソノさんとの一時のお別れなので八重山民謡を歌いたい気もあったが、ツレのピアノ伴奏でbeginの「島人ぬ宝」を歌った。歌詞の中に「空」が出て「輝く星も」と歌われるので「晴」のテーマと合っているからだ。
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 ボブ・ディランのノーベル文学賞が話題だが、石垣島出身のbeginの比嘉栄昌の数々の楽曲は、沖縄に生きる人々の日常の暮らしと歩み、胆心(ちむぐくる)を掬い取ったその歌詞は、見事な現代詩である。民謡にしても島唄ポップスにしても、歌の常とう句をちりばめたような歌詞が多いなか、beginの歌は抜きんでている。だから、県民にとても愛されている。私的には、沖縄を代表する詩人、「沖縄のボブ・ディラン」だと思う。
 肝心の演奏は、みなさんから手拍子もいただき、楽しく演奏で来た、と思ったが最後に落とし穴が待っていた。最後のフレーズをもう一度繰り返す練習をしていたのに、本番ではうっかり忘れて、エンディングに入ってしまった。ピアノとずれてしまい、慌ててもう一度、最後の「それが島人ぬ宝」と繰り返し歌い終えた。やはり、ライブはコワイ。

 熊本から子ども連れで見え、ライブをしていた川原さんも出演。オリジナルらしい「藍の海」をピアノ弾き語りで歌った。透明感のある歌声だった。
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 飛び入りでヨッシーさんが久しぶりに出て来て、得意のブルースを歌い、聴かせた。
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 ソノさんは、ピアノのしのさんのオリジナル曲「凪」を歌った。なかなか素敵な曲と歌声だった。
 ゆみこ&きぬえ(オカリナ)&ふーみん(リコーダー)&越智(ギター)は、「見上げてごらん夜の星を」を合奏した。
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 ツレは、ピアノ独奏でショパンの「ロマンス」を演奏した。9月に20歳で亡くなった愛猫(人間だと100歳)への追悼の気持ちで選んだ曲。とても思いがこもった演奏だったと思う。
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 和田さんはギター独奏でクラシック曲を演奏した。プログラムではビラロボスの曲となっている。少しラテンの香りがしたのはそのせいだろうか。
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 きぬえさん、ソノさんは歌三線で「上り口説(ぬぶいくどぅち)」を演奏した。1月に独奏したときは上手く弾けなかったからと、再挑戦。見事にリベンジした。お馴染みの曲なので知っている人みんな一緒に歌った。
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 ソノさんは、長くアルテにかかわってきて、しばらくのお別れになるのでその気持ちを歌詞にした「とぅばらーま」と「まみとーま」を続けて歌った。さすがに素晴らしい歌声と三線だった.ぜひまた沖縄に帰ってきてほしいものだ。
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 越智さんのトランペット、ツレのピアノ伴奏で「太陽がいっぱい」を演奏した。テーマにピッタリの曲だった。
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 ふーみんさんは、ジャズフルートで「リパブリック讃歌」を演奏。フルートを習いだしてまだ日が浅いのに、楽しい演奏だった。
 東明さんは、ギター独奏で「ローレライ」など演奏した。
 りえさんは宮城さんのギターにのせて、ボサノバ「トリステ」を歌った。ボサノバは歌もギターのコードも独特で、難しそうだが、よくリズムに乗った歌と演奏だった。
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 改めて、とても充実した演奏会だったと思う。
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地域福祉まつりで「まふぇーらつ節」を歌う

 私が通っている八重山古典民謡同好会のある老人福祉センターのお祭りが、金、土曜日に開かれ、みんなで「まふぇーらつ節・とーすい・夜雨節」を演奏した。
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 この日はあいにくの雨。福祉センターは駐車場が狭いので、車を置いてモノレールで行った。これに乗るのは、10年ぶりくらいか。
 天候が悪いにもかかわらず、会場にはたくさんのお年寄りらが集まっていた。
 日頃、お稽古している歌三線、舞踊、琉球箏、詩吟、レク体操、太鼓・三板(さんば)、コーラス、社交ダンスなど多彩な演目が披露された。
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 センター職員らでつくる「笑福座劇団」は、芝居「ダンパチ屋」を演じて笑わせた。
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 八重山古典民謡同好会は、13名が出演した。「まふぇーらつ・とーすい」は、男女交互で歌う。八重山では、こういう交互で歌う曲が多い。この曲は、父母と死別し、引き取られた先で冷遇される女性の悲話を歌った曲である。「とーすい」は、本歌「まふぇーらつ」に続けて歌う。2曲を通じて彼女の悲劇の物語が展開される。「夜雨節」は、夜の間に降る雨は農作物の成長を促し「豊年の前兆」とされる。五穀豊穣の願いが込められている曲だ。
  演奏は、みなさんの頑張りで上々の出来だったようだ。終わった後、聴衆から「八重山民謡はいいね」と言う声が聞かれたのは嬉しい。残念ながら写真はありません。 

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石垣のとぅばらーま大会で今村さんが最優秀

 八重山の名曲「とぅばらーま」を競演する2016年度とぅばらーま大会(石垣市主催)が13日夜、石垣市民会館大ホールで開かれ、島内外から23人が出場した。「八重山毎日新聞」によると、最優秀賞に今村尚貴さん(32)=石垣市石垣=、優秀賞に玉代勢秀尚さん(33)=同=と宮城圭さん(29)=新栄町=、努力賞に黒島章子さん(38)=新川=、奨励賞に西原佑香さん(16)=大浜=が選ばれた。
 大会は、1947年から開いており、旧暦8月の13日の月夜に開かれる。ことしは野外ではなく悪天候のため、屋内で開催された。
  ことしはテープ審査を含む49人の挑戦者の中から、関西代表や予選を通過した16歳から78歳までの歌い手が出場した。 
 YouTubeで大会の模様がアップされていたので、そのなかの今村さんの歌唱の動画を紹介する。
              
 <19歳の時から14回連続で出場し、ようやく頂点を勝ち取った今村さんは「とてもうれしい。支えてくれた両親や家族に感謝の気持ちでいっぱい。ずっと挑戦し続けて悔しい思いをしてきたが、向き合う機会もたくさんできた」と涙ぐみ、「これからもどんどん歌い、最優秀賞者の名に恥じないように歌を磨いていきたい」と意欲を語った。「八重山毎日新聞」14日付>
 一度、聞きに行ってみたいが、なかなか行けそうにない。せめて動画で見ておきたい。今村さんの歌声はさすがに惚れ惚れする。
  最年少の女性の声が素晴らしいのでアップする。
       
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「慰霊の日」、平和の民謡を歌ってみた

6月23日は沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされ、沖縄戦から71年目の「慰霊の日」。沖縄では休日となり朝から夜まで糸満市の「平和の礎」や「魂魄の塔」などにたくさんの県民が行き、戦没者を追悼し、恒久平和への誓いを新たにした。
 わが家では、自宅でテレビで流される追悼式を見ながら、午後零時、1分間の黙とうをささげた。
 黙祷を始めると同時に、那覇港から碇泊中の船舶がいっせいに霧笛を1分間鳴らした。例年以上に霧笛がよく聞えた。沖縄中が哀悼を意を表していることが実感された。
 この日はラジオでも各番組で、平和の歌が聞こえてきた。民謡長寿番組「民謡で今日拝なびら(みんようでちゅううがなびら)」では、平和を願う民謡特集だった。
 私も歌三線の練習をするのに、「戦世と平和の民謡」をいくつか歌った。「命口説(ぬちくどぅち)」「屋嘉節」「二見情話」「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」など。
 
    
  動画は、知名定男さんの復帰ライブの映像だが、初めは幕が締められているので歌三線だけが流れる。暫くすると幕が開き知名さんの歌う姿が出てくるので、お待ちいただきたい。
 今年の「慰霊の日」は、元海兵隊員による残虐・非道は事件があったばかりなので、米軍基地があるために、凶悪な犯罪が繰り返され、基地が撤去されない限り沖縄の戦後は終わらないという思いを新たにした。                                      
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「ファムレウタ」の動画をアップ

 先日、アルテミュージックファクトリーで、ツレのピアノとのコラボで演奏した「ファムレウタ」がYouTubeにアップされたので、わがブログでも紹介したい。
              
 これまで三線仲間と合奏することはあったが、ピアノとのコラボは初めてだった。三線のチンダミ(調弦)はしっかりやったはずなのに、動画で見ると少し音が低い感じだ。ピアノとの演奏では、チンダミはピアノの音程に合わせないといけないですね。
  歌いがいのあるよい曲です。
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73歳トゥシビー祝いの歌詞をいただく

  先日、私の73歳トゥシビー祝い「歌会・音楽会」のさい、八重山民謡の唱者の杉田園さんから、トゥシビーを祝う歌の歌詞をいただいた。
 前のブログでも書いたけれど、園さんが弟子のトゥシビーの祝いに行くので研究所の練習を休むと伝えると、師匠がその場で、さらさらと紙に歌をしたためてくれたそうだ。このような歌がスラスラと出てくることは、さすが大先生だと驚いた。トゥシビーを祝い、さらなる長寿を祈念する見事な歌詞である。素晴らしい歌詞なので私の一存で紹介したい。
「6,70までや なみなみぬ御祝 米(ユニ)とかじまやーぬ 御願さびら」
「今年申年や 生年ぬ御祝 いつん若々とぅ 百歳までぃん」
「年ば取りりょたで思むな 今ぬ世や今から 島唄ばいじり 長命い給り デンサー」
                   大工琉歌

 歌詞を私流に勝手に意訳すると次のような意味になる。
                 
「61の還暦,73のトゥシビーまでは、なみなみのお祝いをし 88の米寿と97の風車(カジマヤー)のお祝いまで お願いします」
「今年は申年で生年をお祝いする いつまでも若々しく100歳まで元気で長生きしよう」
「年をとったと思うなよ この世はまだ今からだよ 島唄を楽しみ 長寿をいただく」
 園さんは、この歌詞を「デンサー節」にのせて歌ってくれた。
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 園さんは、私と私たち夫婦の名前を織り込んで、次の歌を詠んでくれた。名前の入った歌詞を作っていただくなんて、考えられなかったこと。こんな幸せなことはない。
 「○○夫妻や 夫婦の鏡 いつ世までぃん 一路あり給り」
 「沖縄の島唄 島ぬ情 ○○さんぬ唄や 沖縄と共に」
                 杉田作歌詞

 この歌詞を八重山を代表する抒情歌「トゥパラーマ」にのせて歌ってくれた。素晴らしいトゥパラーマだった。
 八重山民謡の「デンサ節」や「トゥパラーマ」は、それぞれ自分の好きな歌詞をのせて歌う。自分の想いを込めた歌を作って歌う。八重山民謡ならではの面白さと奥深さがある。
 思いもよらない琉歌、歌詞のプレゼントをいただいた。こんな歌でトゥシビーを祝って頂くなんて、島唄を愛する者としてとても幸せなことである。

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宮古民謡「御船の主」をめぐって、その2

 御船の親の御嶽
 宮古島市上野(旧上野村)字新里に「御船の親の御嶽」(ウウニヌシュウヌウタキ)という拝所がある。御嶽の由来を説明板から紹介する。
 「宮古島旧記」に「野崎真佐利南の島より連れ帰りし事」と題する記事がある。御船の親は船頭として琉球へ上がり、帰途逆風にあって南のアフラ島に漂着した。水主、野崎真佐利は島の女に取合って夫婦の契を結び、島の風俗を女から教えられたが、御船の親は殺された。真佐利は女の協力によって島を脱出し、御船の親の首を新里まで持ち帰ることができた。
  この御嶽は持ち帰った首を納めたミヤーカ墓の跡である。
 
 アフラ島とは、台湾の東の洋上に浮かぶ小さな「緑島(火焼島)」を指すとのことだが、緑島には同様な伝承はないという。
 緑島を地図で見てみると、確かに台湾から東に少し離れた洋上に小さな孤島がある。宮古島、八重山から船が流されると、漂着するような位置関係にあるので、そんな伝承があるのもうなずける。
 さて、「御船の親」の工工四(楽譜)を見て三線で弾いてみると、たしかに「デンサー節」と曲調は似ている。といっても、デンサー節の前半部分と似ているが、後半部分はちょっと違うようだ。
 それに「デンサー節」は八重山民謡でももっとも典型的な教訓歌である。でも、この「御船の親」は教訓歌ではない。古い伝承によると亡き夫を偲ぶ歌詞である。
 あまりにも歌詞が違うので、似て非なる曲ということかもしれない。民謡が島から島へ、村から村へ、人から人へ伝わる場合、旋律と歌詞が少しずつ変化をとげてゆくが、多少は似た部分が残るのが普通である。
 なかには、八重山から沖縄本島に伝った民謡のように、旋律だけ使って、歌詞をまるっきり替えて歌っている例もある。
 もし仮に、「御船の主」と「デンサー節」が同じ元歌から出ているとすれば、宮古島の「御船の主」は歌の由来となる伝承があるので、この曲が替え歌とは考えにくい。
                
 
 「デンサー節」は、西表島上原村の与人を勤めていた宮良親雲上里賢が当時、村の風俗が乱れていたため教訓歌をつくり流行らせたという(仲宗根幸市著『琉球列島島うた紀行』から)。こちらも由来のある曲である。ただし、士族が教訓歌を作る場合、旋律から新たに創作するよりも、教訓を詠んだ琉歌をすでに知っている歌の旋律にのせて歌うことが手っ取り早い。
 民謡のなかで、民衆の日々の暮らしや労働のなかで心の中から湧き出る思いを歌った曲や実際にあった出来事をテーマとする叙事的な曲は、歌詞と旋律は密接なつながりをもつけれど、教訓歌の場合は、歌詞と旋律は一体性がなくてよい。好きな旋律にのせればよいだけだ。
 そう考えれば、八重山のデンサー節も、すでにあった旋律をもとにアレンジを加えて作詞・編曲して作ったこともありうることではある。
 はたしてデンサー節は「御船の主」を元歌としているのか、それとも曲調が似ているのは偶然の産物なのか、真相はよくわからない。
 幸い、YouTubeに両曲ともアップされているので、それを紹介しておきたい。それぞれの歌の内容や魅力を味わうことにしたい。

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