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レキオ島唄アッチャー

高田渡「生活の柄」には原曲があった

  フォーク歌手の高田渡が歌ってヒットした「生活の柄」は、高田の作詞作曲と思っている人がいる。ユーチューブにアップされた動画を見ると、そのように書いている例がある。
 作詞は、沖縄を代表する詩人、山之口獏であり、その代表的な詩である。
 「歩き疲れて夜空と陸の隙間に潜り込んで 草に埋もれて寝たのです ところかまわず寝たのです 」と歌いだす。「浮浪者のままでは眠れない」と歌われるように、放浪者の心情が歌われている。そこには飄々とした雰囲気があるけれど、とても切ない哀しみを秘めている。この詩と旋律がとてもマッチしていて、この詩の世界が見事に表現されている。
 高田は亡くなったが、ユーチューブ動画へのコメントを見ても、いまだに魅了されるファンが多いことがわかる。
 ところが、この曲は、高田のオリジナルではない。原曲があるという。動画へのコメントで、原曲が存在することが書かれていて、初めて知った。
   
 1930年代頃、アメリカでカントリー・ミュージックを歌いヒットした「カーターファミリー」が歌っている。兄弟と妻の3人編成のバンドだった。1960年代のアメリカでのフォークリバイバルに影響を与えたといわれる。
   
 かれらのナンバーのなかの「when i'm gone」が原曲である。「私が去っても」というような意味らしい。
 幸い、ユーチューブにアップされている。聞いてみると、メロディーはそっくりである。しかも、「生活の柄」のなかの「歩き 疲れては 草に埋もれて寝たのです」という部分も原曲通りである。
  もしかしたら、「when i'm gone」もオリジナルではなく、古い伝統的な音楽の原曲があるのかもしれない。
 山之口獏の詩と驚くほどぴったりと合っている。よくぞ、高田渡がこの曲に目をつけ、歌詞を載せたものだと感心する。
 「when  i'm gone」は、ユーチューブで見ると、「生活の柄」だけでなく、ほかの歌詞を載せて歌っている方もいる。
 この詩と旋律がぴったり合って、山之口獏の世界を表現している点では、「生活の柄」がもっともすぐれていると思う。
 そいう点では、高田渡のオリジナル曲とは言えないが、高田渡編曲というだけでない、卓越した創作力の産物といえるのではないだろうか。
   





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韓国で歌われる「てぃんさぐの花(鳳仙花)」

  犠牲者と皆さまとわれわれ生き残った同胞たちが歌うことすら禁じられたティンサグの花~「風仙花」」の調べを霊にささげますーーこれは沖縄の人の言葉ではない。それは「てぃんさぐぬ花」が禁じられていたことはないからだ。
 では誰の言葉なのか。1995年6月23日、糸満市摩文仁の全戦没者刻銘碑「平和の礎」が建立された除幕の日、在日本大韓民国民団(民団)沖縄地方本部のジョン・テギョン団長(当時)の挨拶の一部である(琉球新報2020年8月20日石原昌家氏「沈黙に向き合うー沖縄戦聞き取り47年」)。
 「てぃんさぐぬ花」と言えば、沖縄を代表する教訓歌であり、県民愛唱歌である。「てぃんさぐぬ花」は鳳仙花のこと。その花で女性が爪を染めたという。「てぃんさぐの花は爪を染める。親のいうことは心に染めなさい」という歌詞で始まる。
 なぜ在日韓国人の方がこの歌が禁じられたというのか、不思議に思って読んだ。
韓国・朝鮮に同じ題名の歌があるのだろうか。ネットで検索してみると、やはり同名の歌があった。聞くところによると、韓国でも、鳳仙花で爪を染めるという風習があるという。
 沖縄でも、同じ題名の歌が韓国・朝鮮にあったことを知る人は少ないだろう。
 いま図書館の閉館になっており、資料を見ることができない。この曲についてブログなどで書かれている方が何人もいらっしゃる。これらの文章を参考にして、この曲について紹介しておきたい。
      
 「鳳仙花」という曲は、洪蘭坡(ホン・ナンパ)が作曲し、5年後に声楽家の金享俊(キム・ヒョンジュン)が歌詞を作ったという。
  <朝鮮近代音楽の父ともいえる洪蘭坡(ホン・ナンパ)は、作曲家・ヴァイオリニスト・音楽評論家・指揮者・文学者と多面的な活躍をした人ですが、そんな彼は1919年の3・1抗日独立運動を留学中の日本で聞き、居ても立ってもいられずに大切なヴァイオリンを質に入れてまでその独立運動を支援する活動を行ったのでした。ご承知の通りこの独立運動は実ることなく、また洪自身も学校を中退し帰国せざるをえない羽目になりました。
 その翌年、彼は短編小説集「処女魂」を発表しますが、その前書きに載せられた楽譜がこの曲でした。その時はヴァイオリン独奏曲で、題名も「哀愁」というものだったようですが、1926年に作曲者の友人・金享俊(キム・ヒャンジュン)が詩をつけ、現在知られている歌曲となりました。まるで演歌のような哀調あふれる旋律もそういわれてみるとヴァイオリンにぴったり。まさに挫折の只中にあった彼の心象風景でしょうか、胸を打つメロディです
(「梅丘歌曲会館『詩と音楽』 管理者:藤井宏行」から)。>
 
 歌は次のような歌詞である(「英語 韓国語トリリンガル♩楽習ブログ」から)。
 塀の下にたたずむ鳳仙花よ
 お前の姿が物寂しい
 長い長い夏の間に
 美しく咲いたとき
 可愛い娘さんたちが
 喜んでお前と遊んだものだ
 いつの間にか夏は過ぎ
 秋風ヒューヒュー吹いて
 美しい花々を
 残酷にも奪っていく
 花は落て老いたか
 お前の姿がもの悲しい

 北風寒雪 冷たい風に
 お前の姿形がなくなっても
 平和的な夢を見る
 お前の魂があるから
 うららかな春風に
 よみがえるのを願ってる

 ほかにもいろいろな歌詞が作られている。
 <詩は四季のうつろいを鳳仙花に寄せて歌っていますが、実は秋風吹いて以降の節は国を滅ぼされた民族の悲しみを、そして厳しい時代にも負けない不屈の魂を陰に表しています。
 この曲が広く知られ・歌われるようになったのは1941年、ソプラノ歌手の金天愛(キム・チョネ)が東京での新人音楽祭でのアンコールで歌い、翌年帰国してからも各地で歌い続けるようになってからだといいます。警察から歌唱禁止令が出たのもこの頃だといいますからブレイクしたのもこの頃なのでしょう(「梅丘歌曲会館『詩と音楽』 管理者:藤井宏行」から)。>
 作曲者の洪蘭坡は、太平洋戦争の開戦直前に若くしてこの世を去った。
 <日本の官憲は鳳仙花の歌詞に込められた抗日・祖国独立の隠喩を嗅ぎつけ、洪蘭坡を日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物と見なして日常的に監視し出した。その圧力に耐えかねた彼は1941年、43歳の若さで他界した。太平洋戦争開戦の3か月前だった。
  しかし、洪蘭坡を死においやった理由はこうした官憲の監視による精神的肉体的疲弊だけではなかったと考えられる。彼は日本軍国主義による朝鮮統治が頂点に達した時期に日本に強要されて数編の軍歌を作曲するとともに、京城放送管弦楽団の指揮者として「皇国精神にかえれ」、「愛馬進軍歌」、「太平洋行進曲」など日本の軍歌を指揮・演奏した。音楽活動を通じて朝鮮民族の痛恨と誇りを代弁しようとした彼にとって、こうした反民族的行為への服従がいかに耐えがたい残忍なものであったか、想像を絶する(「醍醐聰のブログ」から)>。

 「親日派」の烙印を押されて
 洪蘭坡は、死後60年以上もたって「親日」の烙印を押されることになった。
 <2004年、盧武鉉政権下で「日帝強占下反民族行為真相究明に関する特別法」が成立し、翌年「親日反民族行為真相究明委員会」が発足、親日派の公式名簿が作成された。そのなかに洪蘭坡が含まれていたのである。1937年の収監中に「転向」した蘭坡が、その後天皇を称える歌を作曲したというのが理由である。…蘭坡の子孫が裁判に訴え、有利な判決が下ったこともあって2009年、真相究明委員会の最終名簿1005名のなかから、とりあえず蘭坡の名は消えた。(「外国語・映画・歌・詩&日曜大工&地元学&麻雀」から)>

 こうした「親日派」のレッテルについては、韓国内でも異論があるという。
 <洪蘭坡 は日本による統治が最悪の状況に至った当時、日本に強要された数編の軍歌も作曲した。現在は独立した国である大韓民国で心穏やかに日々を過ごしているわれわれが、あたかも批評や論評でも加えるかのように、洪蘭坡に対して『親日派』のレッテルを貼っていいものだろうか。(『朝鮮日報』は本年{2008年}5月1日、「醍醐聰のブログから)>
 日本でも、戦前戦中時に、軍国主義教育のもとで戦争協力を当然と信じていた人や抵抗しながらも過酷な弾圧のもとで心ならずも「転向」して協力した人たちがいた。問題は、戦後、その過去を反省して反戦平和、民主主義の発展のために尽くすか、それとも過去に真剣な反省をしないまままた世の流れにのって活動するのかである。
 日本でも例えば、古関裕而は、国民を戦争に駆り立てる軍歌をたくさん作り、戦後「戦犯」ともいわれたが、数多くのヒット曲を作り、いまNHK朝ドラ「エール」で持ち上げられている。「栄光の旗の下に」など自衛隊歌を何曲も作っている。戦争協力をどれほど真摯に反省したのだろうか。
 韓国・朝鮮の場合は、軍国日本という侵略者への協力であるだけに、その責任が厳しく問われることは当然であるかもしれない。
 洪蘭坡の場合、恐らくみずから進んで軍国日本に協力したのではないだろう。一口に協力と言っても、自己の利益のために進んで侵略者に協力した人と、弾圧や強要のもとで心ならずも協力した人と、同等の責任があるとはいえるだろうか。
 もし、彼が日本の敗戦後まで生きていたなら、強要されたとはいえ、協力したことを反省して、あらたな音楽家としての道を歩んでたのではないだろうか。


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「星影」って何?

分かっているようで、実は分かっていないことがある。「星影」がその一つだった。

八重山民謡に「八重山育ち」がある。八重山民謡の名曲を巧みに取り入れており、人気がある。

 「星影暗き夜半時 恋の細道 トゥバラーマ 切ない思いに身をこがす 君と二人で通うた小路 いまじゃいばらが もつれて咲くよ」と歌う。
     

 はて、「星影暗き」とはどういう意味だろう。星っていくら明るくても影ができるほどではない。「夜半時」とは、午前零時前後を指すそうだ。「星影が暗い」とは何だろう。そんなことを感じながら歌っていた。

 思いついて「星影」とは何か、調べてみた。辞書類はいずれも「星の光」「星明り」と説明している。「星の影」などという説明はどこにもない。

 ちなみに「月影」を辞書で調べてみると、やはり「月の光」「月明り」と出てくる。ただ、月の場合は「月の影」ともいう。こちらは説明に「影」が登場する。

 満月の場合、薄い月影ができることはあると思う。

それにしても、星の光や星明りなら、なんで「星に影」をつけるのだろうか。

単純な星明りというよりも、ロマンティックな表現ではある。そのせいか、歌謡曲にはよく使われている。


 千昌夫の「星影のワルツ」、小畑実が歌い、ちあきなおみがカバーしてヒットした「星影の小径」など。
 ついでに、歌詞を見てみた。

 「星影のワルツ」は、「別れることは辛いけど…別れに星影のワルツを歌おう」「今夜も星が降るようだ」と歌われている。これは、「星が降るようだ」というので、「星の光」「星明り」の意味で使っている。当たり前であるが。

 「星影の小径」の歌詞は、「さまよいましょう 星影の小径」「たたずみましょう 星影の小径」と歌う。とくにその意味を示す歌詞ではない。

 

 「星影」とは、とても繊細は表現である。もしかして日本だけの表現かもしれない。「星影」の英語訳は「starlight」となっている。「starlight」の日本語訳もまた「星の光」「星明り」であり、「影」の要素は見当たらない。

 「星影」は日常の会話としてはほとんど使われない。「古語辞典」を見ると、「星影」の言葉はないので、近代になってつくられた表現ではないか。「星の光」「星明り」より「星影」の方が、詩的な表現であることは確かである。


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感動呼んだ還暦ピアノリサイタル

 2月28日は妻の還暦。記念に開いた「還暦ピアノリサイタル」は、新型肺炎騒ぎの中でもたくさんの方が来てくれ、とても盛り上がった。
 幕開けの「かぎやで風節」は、ライブ仲間である「糸満カラーズ」の皆さんが赤Tシャツ姿で踊ってくれた。
私は三線で地謡をつとめた。華やかな幕開けとなった。
     還暦、かぎやで風1
 開会と乾杯の挨拶で、病気に悩まされながらピアノと出会い、ピアノが生き甲斐となり歩んできた姿を紹介して、支えてくれた皆さんに感謝を述べた。
             挨拶
 一部は、ショパンの「ロマンス」からピアノ弾き語り「愛の讃歌」まで演奏した。
         還暦リサイタル、比嘉2 (3) 
 バースデイセレモニーでは、ケーキに続いてたくさんのお花やプレゼントが贈られ、感激した。
 ライブ仲間である「糸満カラーズ」の皆さんが余興として、民謡の「安里屋ユンタ」、GSバンド「SSカンパニー」のCDにのせて「芭蕉布」「想い出の渚」を踊ると、場内からも指笛が飛び交い大盛り上がりとなった。
           還暦、birthdayceremony (2) 安里屋ユンタ1 (2)
 二部では、シューマンの「トロイメライ」をはじめ5曲を演奏した。中でもベートーベンのピアノソナタ「悲愴」第一楽章は、圧巻だった。「スゴイ!」「感激した」との声が相次いだ。
       
 まるでベートーベンの魂が乗移ったかのようだった。この曲が演奏者に力を与えるのだろうか。
 アンコールの声に応えて「命の理由」を弾き語りで歌った。
              
 最後は恒例のカチャーシー。予定していた奏者が、あまりに進行が早くて間に合わなくなった。急きょ、YouTubeの「唐船どーい」の動画を音源として流し、舞い踊った。
           カチャーシー1 


 県外からも7名が来てくれ、県内は今帰仁、金武、読谷など遠くからも来てくれ、感謝にたえない。
 私の八重山民謡サークルの先生と部長も来てくれた。「とっても感動しました」と喜んでくれた。
 県外の方も、高い旅費をかけて来てくれたが、「来た甲斐があった」「感激した」といってくれ、嬉しかった。
 みなさん、異口同音に「こんな還暦リサイタルは見たことがない」「とっても楽しかった」「素晴らしい」と楽しんでくれた。
 なんと、F&Yのふーみさんがお祝いに駆けつけてくれた。
          ふーみと共に
 人生に一度しかない還暦。みなさんに祝っていただき、感謝あるのみである。
  


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アルテで「あがろうざ節」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが2カ月ぶりに9日夜、開かれた。
 首里城が全焼して最初のファクトリーだった。アルテは、首里城の城下にある。火災はちょうど首里城祭の期間中で、首里で古式行列に参加するため、練習や準備をしていた方もいた。みなさん、沖縄の心のよりどころと言われた首里城を失った悲しみと、再建に向け力を合わせることに触れた方が多かった。
 今回のテーマは「抱」だった。
 私は八重山民謡の「あがろうざ節」を歌った。子守歌だから、子どもを抱いてあやす情景が歌われている。
 「あがろうざ」は、「東里」という地名に由来する。石垣の中心部の登野城で、ミカンの木の下に子守りの姉さんたちが集い子守りをしている。腕が痛むけれど、頑張っている。しっかり学問をして、立派な大人になってくださいね、と願う気持ちが歌われている。
             
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  もう7年余り出ているのに、いまだに三線が満足に弾けないとは?
 同じ三線仲間のTさんは「宮古根(ナークニー)」を歌った。味わいのある三線と歌。さすが年季が違う。
 ツレは、ピアノ弾き語りで「花(中孝介)」を歌った。ピアノソロでは、シューマンの「トロイメライ」を演奏した。もしかしたら、これまで聞いたこの曲では一番の演奏だったかもしれない。
          
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 ファクトリ―はこれまで、エントリー料は一人5分以内500円、短い曲なら複数も可能だった。それが、一人1曲500円に変更されたため、以前は2曲、3曲演奏していた方も1曲に絞った。少し寂しさがある。
 来月のテーマは「追」。さてどんな曲目があるだろうか。

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アルテで「月ぬかいしゃ節」を歌う

 毎月恒例の「アルテミュージックファクトリー」が14日夜あった。
 今回は、知人女性二人が初めて来てくれた。最後まで楽しんでいただいたようだ。
 テーマ「酔」にそってみなさん演奏した。
 越智さんは、トランペットで「舟唄」を演奏し、ツレがピアノでした。
                
9月ファクトリー1
      
 私は、テーマにそって「酒」のつく民謡を考えたが、うまく歌えない。
 14日夜は、前日が旧暦8月15日で「中秋の名月」、実際の月齢は14日夜が満月だ。月の美しさを歌ったツレのピアノとのコラボ で「月ぬかいしゃ節」を歌った。
 三線はミス続きだったが、ツレのピアノに救われた。

             アルテ「酔」「月ぬかいしゃ節」 
  ツレは、ピアノ弾き語りで「スイートメモリーズ」、ピアノソロで「ワルツレント」を演奏した。落ちついた演奏で聴かせたのではないか。
 


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シニアピアノ音楽会でピアノとコラボ

 8月16日夜、アルテ・ウォーバAホールで、「シニア世代のピアノ音楽会」が開かれた。もう始まってから3年を過ぎた。
  ツレが、お知らせ告知を新聞に掲載してもらっているため、毎回新しい参加者が来てくれる。演奏はしないで聴くだけの方もいるが、嬉しいことだ。
        
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 今回は、ツレのピアノとのコラボで「芭蕉布」「オジー自慢のオリオンビール」の2曲を1部と2部に分けて演奏した。
     
シニアピアノ音楽会2 (2019-08-16 23-28) (2)
 「オジー自慢」では、みなさん手拍子をしてくれて、三線は上手くないが盛り上がった。
 ツレは、1部ではバッハの「インベンション1番、9番」、2部では「渚のアデリーヌ」を演奏した。ここのピアノに、常連のKさんが「セバス」と名前を付けているそうだ。セバスチャン・バッハからつけた愛称である。不思議にピアノの響きがバッハ演奏には向いているようだ。心地よく響いていた。
    
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  みなさん、とても楽しんでピアノを演奏している。それぞれに特色がある。ピアノ演奏のレベルの違いに関係なく、ピアノが大好きという方々にとって、この音楽会はかけがいのない演奏と交流の場になっている。


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アルテで「物知り節」を歌う

 毎月恒例のアルテミュージックファクトリーが10日夜開かれた。今月のテーマは「優」だった。
 私は、「物知り節」を歌った。「物知り」とは、博学という意味ではなく、人生の教訓のこと。教訓歌である。
 世の中は渡るのは容易ではない、誠の道をはずしていけないと歌う。
    
スナップショット 1 (2019-08-11 15-33) (2)
 3番の歌詞で、情より他に頼るものはない、と歌う。
 「情」は「優」に通じるという勝手な解釈でこの曲にした。
 歌ってみるとやっぱり難しい!
   
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   ツレは、ピアノ弾き語りで「オーシャンブルー」、ピアノソロで「渚のアデリーヌ」を演奏した。聞きごたえのある演奏だったのではないか。
  みなさん、テーマに沿った多彩な演奏で、楽しい音楽会だった。
   


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アルテで「屋嘉節」を歌う

  毎月恒例のアルテミュージックファクトリーが13日夜開かれた。
 今回のテーマは「和」。先月は「冷」だったので2カ月で「令和」となるらしい。
 今月は、エントリーだけで20組あり、飛び入りで5人くらい出た。
 越智さんは、トラペットで「瀬戸の花嫁」を演奏し、ツレがピアノでコラボした。
    
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  私は「屋嘉節」を歌った。沖縄戦の捕虜が収容された屋嘉捕虜収容所で作り歌われ
れた曲だ。平和の島唄だからテーマにあっている。7年前にこのアルテミュージック
ファクトリーに初めて出た時歌った想い出のある曲である。
    
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  続けて「オジー自慢のオリオンビール」も弾いた。三線はでたらめだったが、なぜ
かチョンダラー(京太郎)の姿をしたか男性が踊り出て盛り上げてくれた。

                  
チョンダラー 
         この写真は友人が撮影したものを使わせていただいた。

  ツレはピアノ弾き語りで「Wの悲劇」、 ピアノソロで「トロイメライ」を演奏した。
 
      
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   初めての参加者や久しぶりの方も多く、盛り沢山の演奏。3時間半に及ぶ楽しい
音楽会となった。






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アルテで「アンマ形見の一番着物」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが8日夜開かれた。今回は、ツ
レがピアノでつながった方が何人も出てくれ、同じくツレがお誘いしていたコミュ
ニティFMのフォーク番組のパーソナリティーをしているМさんが初めて参加し
てくれて、内容豊かな音楽会となった。
          
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  今回のテーマは「冷」だった。みなさん、冷たさが感じられる選曲で演奏した。
 Oさんは、トランペットで「津軽海峡冬景色」を演奏し、ツレがピアノでコラボ
した。
 三線仲間のTさんは、「泊り舟」という曲を演奏した。初めて聞く曲だが、 大濱信光
作詞、宮良長包作曲で、昔はよく歌われたそうだ。民謡ではないが、とても哀愁のあ
る曲だった。
 FMラジオに出ているМさんは、ギター弾き語りで「あの人の手紙」「神田川」
を歌った。また続けて出てほしい。
 私は、「アンマ形見の一番着物」を歌った。お母さんが昔、糸を紡ぎ織った藍染
の上等な着物。袖を広げると母の匂いが胸に染みる。真心こめておった情の着物は
美しい。買おうと思っても買えない。またとない形見の着物である。
 こんな内容の歌詞である。テーマとは関係ないが、「冷たい時は着物を着るでし
ょう」というこじつけで歌ってみた。

   
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 ツレは、ピアノソロでショパンの「ノクターン嬰ハ短調遺作」を演奏した。音色が
美しく情感のこもった演奏だった。
   
   
 YouTubeにアップされているので紹介する。

 
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