京太郎の芸、馬舞者、鳥刺し舞、その32021-01-14 Thu 16:38
トゥイサシメー (鳥刺し舞) この動画は創作太鼓集団による鳥刺し舞である やはり、その内容を池宮氏の訳文で抜粋してみる(池宮著『沖縄の游行芸』)。
最後に残る問題として、「高平良万歳」の「道行口説」(くどぅち)「万歳かふす節」「おほんしゃり節」「さいんする節」の4曲は、実際のチョンダラーの芸能であるかどうかということである。 以上で紹介を終わる。泡瀬で伝承された京太郎の芸能は、実際に見たことがない。「YouTube」にアップされているので、それで楽しめるのは幸いである。 スポンサーサイト
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京太郎の芸、馬舞者、鳥刺し舞、その22021-01-09 Sat 22:31
このブログで「念仏歌とエイサーの系譜」を紹介した際、池宮正治著「沖縄の人形芝居」『沖縄の游行芸』でいろいろ学ばせてもらった。そのなかに、「馬舞者」や「鳥刺し舞」の論考があった。そこから少し紹介させていただく。 ンマメーサー(馬舞者) 柳田国男氏が「新たな島地の産」として、沖縄で生まれた芸能のようにのべていることは、不思議である。大和の春駒と同類の芸であることを知らないはずはない。もしかしたら、唱える詞章の内容のことを指して「島地の産」と言ったのではないだろうか。
由来は春駒か <獅子舞と同様、予祝のために正月の門付け芸のひとつであった。正月に各戸を回り、馬の形をしたものを持ったり、また、これにまたがったりして歌い踊ることや、それによって金銭などを受け取る芸人を指した。… |
京太郎の芸、馬舞者(んまめしゃ)、鳥刺し、その12021-01-03 Sun 22:34
京太郎の芸、馬舞者(んまめしゃ)、鳥刺し
琉球古典音楽のなかに「高平良万歳(たかでーらまんざい)」がある。琉球古典芸能の組踊「万歳敵討」(まんざいてちうち)の中から、抜粋舞踊を独立させた舞踊曲である。 「万歳敵討」は、踊奉行・田里朝直(たさとちょうちょく)の作品で、1756年の尚穆王(しょうぼくおう)が中国皇帝から国王として認証を受ける冊封(さっぽう)の時に上演された組踊である。 高平良御鎖(たかでーらうざし)が、名馬を手に入れられなかったことを恨んで大謝名の比屋(おおじゃなのひや)を闇討ちにした。その息子、謝名の子(じゃなのし)が、弟の慶雲と2人で敵討ちのため、旅芸人の万歳(京太郎)に姿を変える。小湾浜(こわんはま)で浜遊びをしている高平良御鎖の前で芸能を披露しながら、隙を見て父の敵を討ち果たす物語である。 「高平良万歳」は、「道行口説」(くどぅち)「万歳かふす節」「おほんしゃり節」「さいんする節」の4曲からなる。 「道行口説」は、棒と杖とに太刀を仕組んで、早く敵に巡り合わせて下さいと願う。「万歳かふす節」は、家々を巡りめでたい言葉を述べ門付けをしながら敵を探す様子を歌う。「おほんしゃり節」はとても滑稽な歌詞である。 「お隣の耳が切れ、鼻も切れ、目のただれた、首の廻りの毛の剥げた鼠に、不格好な太い頸筋を噛まれて、飛びあがって叫んでいたが、ぐうのねも出ないで、じっと捕り押さえられたとさ」。これは、面白い、可笑しい、ありえないことを言って、相手を油断させる。仇討物ならではの内容である。 最後の「さいんする節」は、万歳(京太郎)姿となっている息子2人が、高平良御鎖の前で馬舞いや獅子舞を披露して盛り上げる。 これまで、「馬舞者」(んまめしゃ)のことがよくわからなかった。この曲を練習してから、京太郎の芸に馬舞者があることを知り、興味を持った。 ![]() チョンダラーの人形踊りを披露する高校生ら(「琉球新報」紙面から) この曲の歌詞を見ておきたい。 「京の小太郎が作たんばい 尻ほげ破れ手籠尾すげて 板片目貫き乗り来る みいははとしいつゃうん つやうん つやうん やんざいかふすや馬舞者(んまめしゃ) がいじ舞うた 獅子舞うた かにある物御目掛けため をかしゃばかり シタリガ ツヤウンツヤウン ヤーツヤウンツヤウン」 歌意 「京の京太郎が作った、しりの抜け破れたザルに紐を付けて、板切れに穴を貫き通して、馬のように乗って来た。みははと、ちやうんちやうんと舌打ちして、行脚講者(小法師)は馬舞いをする奴だ。獅子舞しだ。こんなものをお目に掛けてしまった。ただただ可笑しさばかりである」(『由絃会教本の解説 うたの心』から)。 ここで京太郎(チョンダラー)が出て来るので、チョンダラーについて少し説明する。 京太郎の人形芝居や芸能は、京都から渡来した人が教えた、もしくは京の小太郎という名前の人が創作したと伝えられる。大和由来であることは確かである。 首里の行脚(あんにゃ)村に住み、門付け芸人でもあり、祝福芸、人形芝居、念仏踊りなど芸能を携えて沖縄の各地を行脚していた人たちを京太郎と呼ばれた。葬式があると近隣の村々まで出かけたので、ニンプチャー(念仏者)とも呼ばれた。 京太郎の芸は舞台芸能となり、沖縄市泡瀬や宜野座村に伝わり、現在も保存されている。 <泡瀬の京太郎は、…胸前に縦に太鼓を付け、両手に撥を持った太鼓打ち一人、腰に馬の頭部の形をしたものを付け、その手綱を握った馬舞者【うまめーさー】と呼ばれる者二人、陣笠をかぶった舞い手が一〇人ほどと、三線を演奏しながら歌う歌三線で構成される。演目は「早口説【はやくどち】」「扇子の舞」「御知行【うちじょう】」「馬舞者」「鳥刺し舞」である。 早口説は、舞い手たちが登場するときの演目である。歌三線にのせて、舞い手や馬舞者、太鼓打ちが、登場する。歌三線が歌詞の一節を歌うと、次に舞い手たちが同じ一節を歌う。これを、繰り返しながら行進してくる。歌詞に「京太郎姿に、うちやすり」とあり、自分たちは京太郎の演じ手になっていると歌っている。 扇子の舞は、太鼓打ちが太鼓を打ちながら歌い、舞い手は右手に扇子を持ち、囃子詞を歌いながら踊る。歌詞に「お祝いの万歳」など祝福の意味の言葉が含まれている。御知行も、太鼓打ちが歌い、舞い手が右手に陣笠を持って踊る。歌詞に「御知行は一万石」など、知行地の収穫の豊かさを升で量って祝うという意味の言葉がある。 馬舞者は、馬頭を付けた二人が、万歳【まんざい】のように、交互に抑揚をつけてせりふをやりとりするものである。鳥刺し舞は、竹棹の先に鳥もちを付けて、それを投げ上げて小鳥を捕獲した鳥刺しの様子を踊るものである。(文化庁「国指定文化財等データベース」)> |
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