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レキオ島唄アッチャー

京太郎の芸、馬舞者、鳥刺し舞、その3

  トゥイサシメー (鳥刺し舞)
  次にトゥイサシメー (鳥刺し舞)を見ておきたい。
 <鳥刺し(とりさし)は、鳥黐などを使用して鳥類を捕獲する行為、およびそれを生業とする人。古くから職業として成立しており、イソップ童話やモーツァルトのオペラ『魔笛』などにも登場する。また、狩猟の仕草を踊りや舞にした伝統文化が鳥刺舞、鳥刺し踊りなど各地に存在する。(ウィキペディア)>
 オペラ「魔笛」に登場する鳥刺しと同じものが沖縄の芸能にあることに、ちょっと意外性を感じた。
  
  

  この動画は創作太鼓集団による鳥刺し舞である

 やはり、その内容を池宮氏の訳文で抜粋してみる(池宮著『沖縄の游行芸』)。
「さん鳥刺しを 見なさいな…棒を 竿を 持ってて おっ捕りたい(のだがそれを)クヌ 見なさいな …二日目には 檜の木の枝に 唐鳩が 坐ってている …狙う 狙える …たしかに射刺して さん鳥刺しの …おっ捕りた それ 見なさいな …三日目には 深山押し分けて 見れば 梅の小枝に 鶯がとまている …たしかに射刺せ…四日目には 夜鷹小烏 小松の小枝 烏が止っている…小松の下に 雀が止っている お前 烏と言うと 雀と言って 京太郎と同じ よこしま物言いして 捕り損っての 見なさいな
 刺し損っての 見なさいな 十年では 十六反 …九年では 六反歩 黄金も銀も 宝も積んだ それが渡しの アー忘れた」
 池宮氏は、これは「舞」というより「狂言」としている。 
<もはやこれは舞いであるより、狂言といったほうがよいほど、滑稽な物真似を中心にしたものである。会話を除いたトゥイサシメーの骨子の部分は、柳田氏が「鳥刺し舞の一曲は明白に大倭から携へたものである。自分は曽て何かの書で、其詞を見たやうに思ふが、どうしても今之を見出して比較することが出来ぬ」(前掲書「序」)と指摘されたように、本土渡来の詞章であることは間違いない(池宮正治著『沖縄の人形芝居』)。>
 柳田氏も池宮氏も、鳥刺し舞の詞章は、大和からの渡来であると認めている。

 

 最後に残る問題として、「高平良万歳」の「道行口説」(くどぅち)「万歳かふす節」「おほんしゃり節」「さいんする節」の4曲は、実際のチョンダラーの芸能であるかどうかということである。
「道行口説」は、組踊の物語にそって創作されたものだとする分かる。それ以外の3曲はどうなのか。池宮正治氏は次のようにのべている。
 <組踊および舞踊に見られる三曲の振り付けは、チョンダラー芸能ではないように思われるが、詞章の方はあるいは関係があるのではないだろうか。祝言らしきもの、チョンダラー自らをヤユしたもの、滑稽などが見られるし、意味が正確に把握できないことも、あるいは伝承によったからで、チョンダラー詞章のうちの万才系詞章の共通の特徴と言えるかも知れない。「沖縄の人形芝居」>
 踊りはともかく、歌の内容、詞章はチョンダラー芸能と関係があるのではないかと見ている。田里朝直が創作したのなら、「道行口説」のように、整然として理解しやすいものになっているのではないか。チョンダラーによって伝承された詞章を採録して使っているから、意味がよく分からないところがあるのではないか。自分で歌っていても、とても意外性のある展開で、面白く、頭韻、脚韻をふんだ歌詞はテンポが良い。組踊のための創作の感じがしない。
 ただ、宮良当壮氏の『沖縄の人形芝居』に収められている詞章には、組踊で使われている歌はないので、確かなことはよく分からない。

 

 以上で紹介を終わる。泡瀬で伝承された京太郎の芸能は、実際に見たことがない。「YouTube」にアップされているので、それで楽しめるのは幸いである。


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京太郎の芸、馬舞者、鳥刺し舞、その2

 このブログで「念仏歌とエイサーの系譜」を紹介した際、池宮正治著「沖縄の人形芝居」『沖縄の游行芸』でいろいろ学ばせてもらった。そのなかに、「馬舞者」や「鳥刺し舞」の論考があった。そこから少し紹介させていただく。 

 ンマメーサー(馬舞者)
 <「ンマメーサー」とは馬を舞わしめる者の意。『京太郎の歌』の「馬舞者」には、「但三人仮面を被り馬の木像(首より上だけ)下腹に結びつけ手綱を採りて乗馬の姿勢で左の歌にて競馬の有様を演ず、中なる者を師の分、左と右なる両人を弟子分と知るべし」(注・原文はカタカナ)とあって、そのありさまがよくわかる。「板切目貫き」とあるように、春駒風の駒形を腰にくくりつけて、中之寺が叱り役(大夫)で、脇の二人がおどけ(才蔵〉をやるのである。その様子は『京太郎の歌』が詳しい。
  旧暦正月20日の那覇市辻のジュリ馬、八重山の狂言「早便(ばちかい)」とも縁をひくものだ。

  故柳田国男氏は『沖縄の人形芝居』の序で「馬の舞の一篇は、新なる島地の産では無いかと思ふ」と述べておられるように、本土から渡来したことを予想せしめるものの多いチョンダラー芸能の中で、この「馬舞者」は、彼らが南島で獲得したものであろう。駒形の芸能はともかくとしても、詞章はさすがにユニークで、庶民的な口語体のもつ軽快さ、面白い技法、たとえば頭韻、脚韻、繰り返しなどを駆使して、奇想天外に展開する。
 そのことばの醸すおかしみを狙ったものであろう。春駒と笑い、そしてチョンダラー芸能者の派手なコスチュームと、やはり万才系詞章と見てよかろう。意味は悍馬(注・かんば、あばれ馬)を乗り廻わしてとうとう通堂(那覇港)に来て、そこで唐から帰る使者を迎えるようにとれるが関心はそこにあったのではなく、ことばの掛け合い、おどけの面白さにあったのだろうと思う。(池宮正治著「沖縄の人形芝居」)>
   

  柳田国男氏が「新たな島地の産」として、沖縄で生まれた芸能のようにのべていることは、不思議である。大和の春駒と同類の芸であることを知らないはずはない。もしかしたら、唱える詞章の内容のことを指して「島地の産」と言ったのではないだろうか。
 池宮氏も、「馬舞者」は、彼らが「南島で獲得したもの」とのべているが、やはり、「詞章はさすがにユニーク」とのべている。
 琉球で演じるにあたり、詞章は琉球にふさわしい内容に変えたのではないだろうか。
 

 馬舞者の歌の内容
 ンマメーサー(馬舞者)の内容を見てみたい。池宮氏が述べいるように、あばれ馬を乗り廻わしてとうとう通堂(那覇港)に来て、そこで唐から帰る使者を迎える様子がうたわれているようだ。
 戦前、首里アンニャ村のチョンダラーから、人形芝居などの詞章を直接採録した宮良当壮氏の『沖縄の人形芝居』から、池宮氏の訳文で抜粋してみる(池宮著『沖縄の游行芸』)。
 「馬よ それ ドードー 確かに着いたぞ…あんなに遠い島尻 喜屋武の崎(まで)…後足跳ね上げて 前足を上立たして 垣花 搔き廻らして 渡地 渡り越して 通堂の崎へ振り巡らして なんとか 那覇の町へ 諸脚踏み込んで…馬に乗って通るのは 首里京太郎 相応な者…唐の御船加那志は 久米の後に飛び出給いて 御出給いて 拝まれ給いて王舅親方 唐からの御誂物は 茶鍋(?)黒金(鉄) 磨きたてた(?)急須(ちょか) 
 唐徳利…甘ったるくしてある 梅干 砂糖小で ございました」
 確かに、詞章は沖縄ならではの内容になっている。

     

  由来は春駒か
 では、「馬舞者」は大和の春駒に由来するとみられるのだろうか。
 改めて春駒とはなにか、確認しておく。
 <張り子や練り物で馬の頭の形に作ったものに竹にさして胴とし、その端に車をつけた玩具。子供がこれにまたがって遊ぶ。
1、 門付け芸の一正月に各戸を回り、馬の首の形をしたものを持ったり、また、これにまたがったりして歌う踊るもの。(goo辞書)>
 また駒形とは<1、将棋の駒の形をしたもの。
2、祭事などに使う、馬の頭や尾の作り物で、胸・腰につけて乗馬を装うもの。(同)>
 
 祝福芸としての「春駒(祝福芸)」は、もともと宮中に由来するという。
 <正月に馬の作り物を携えて民家を訪れて回った門付(かどづけ)の祝福芸。江戸時代も中ごろに存在が明らかになるが、宮中の正月祝賀の一つで、白駒を見て邪気を祓(はら)う「白馬節会(あおうまのせちえ)」にちなむものとの説がある。現存するものはごくわずかである。
 佐渡島に残る民俗芸能ハリゴマには男春駒と女春駒があるが、男春駒は馬頭の作り物を腹部につけ、女春駒は小型の馬頭を手に持つという違いがある。双方とも男性が面をつけてはでな衣装を着て太鼓打ちの歌によって踊り、踊り手、地方(じかた)、付添い(米など祝儀を集める)の3人1組で門付して回った。
 群馬県利根(とね)郡の一部では青年行事となって残るが、女春駒の型をとる。養蚕地帯で馬をもって蚕の守護神とした伝承によるという。岐阜県の白川郷も養蚕地帯で女春駒が七福神と連れ立って家々を巡る。山梨県甲州市一ノ瀬高橋では小(こ)正月の道祖神祭りにホニホロ式(馬のひながたを人の胴を囲むようにつけて、馬に乗ったような形になること)の春駒を出す。春駒は『門出新春駒』のように江戸歌舞伎(かぶき)の変化(へんげ)舞踊にも取り込まれたが、沖縄では昔の辻遊廓(つじゆうかく)の旧正月に女たちが「ジュリウマ」といって馬頭の切出しを腹部につけ集団で踊る。
 沖縄でも男芸の「チョンダラー」の「馬舞者(うまめえさあ)」が明治期に芝居に取り込まれ、民俗芸能として残っている。八重山(やえやま)では馬乗(うまぬしゃー)という。また、馬頭の作り物に棒をつけてまたがって遊ぶ玩具(がんぐ)も春駒といった。(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説。[西角井正大]>

 <獅子舞と同様、予祝のために正月の門付け芸のひとつであった。正月に各戸を回り、馬の形をしたものを持ったり、また、これにまたがったりして歌い踊ることや、それによって金銭などを受け取る芸人を指した。…
 由来は、白い馬(駒)を見て邪鬼を祓う平安時代の宮中の正月行事「白馬節会(あおうまのせちえ)」(陰暦正月7日に左右の馬寮から白馬を紫宸殿※の庭に引き出し、展覧する宴)にちなんだものと言われる。…
胴に馬の頭や尾をつけて、三味線や太鼓で囃し祝い唄を唄い踊る。春駒踊りは民俗芸能として新潟県佐渡地方・山梨県甲州市塩山一之瀬高橋などに伝承されている。養蚕の神ともされる。…
 沖縄のじゅり馬:春の到来を寿祝(ことほ)ぐ予祝の芸能。(ウィキペディア「春駒 門付」から)>
注・※ししんでん。平安京内裏 (だいり) の正殿。 

 これらの解説はいずれも、由来は「宮中の正月祝賀」としている。春駒踊りは、全国の各地に伝承されていて、沖縄のチョンダラーの「馬舞者」や辻遊郭の「ジュリウマ」も春駒の一つであるとされる。

 YouTubeに佐渡島に残る民俗芸能ハリゴマの動画がアップされている。初めて見た。男春駒と女春駒があるが、女春駒は小型の馬頭を手に持っているが、男春駒は馬頭の作り物を腹部につけている。沖縄の馬舞者や辻のジュリウマとソックリである。

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 ジュリウマは、毎年旧暦一月二十日の行事「二十日正月」に行われている。数年前に見た時に、「これは大和由来の芸能だろう」と直感した。沖縄らしい民俗的な要素はまったく感じられないからだ。春駒と沖縄のチョンダラーの馬舞者、辻のジュリウマがいずれも同じ由来のものであることが明らかではないだろうか。


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京太郎の芸、馬舞者(んまめしゃ)、鳥刺し、その1  

  京太郎の芸、馬舞者(んまめしゃ)、鳥刺し

 琉球古典音楽のなかに「高平良万歳(たかでーらまんざい)」がある。琉球古典芸能の組踊「万歳敵討」(まんざいてちうち)の中から、抜粋舞踊を独立させた舞踊曲である。
 「万歳敵討」は、踊奉行・田里朝直(たさとちょうちょく)の作品で、1756年の尚穆王(しょうぼくおう)が中国皇帝から国王として認証を受ける冊封(さっぽう)の時に上演された組踊である。  高平良御鎖(たかでーらうざし)が、名馬を手に入れられなかったことを恨んで大謝名の比屋(おおじゃなのひや)を闇討ちにした。その息子、謝名の子(じゃなのし)が、弟の慶雲と2人で敵討ちのため、旅芸人の万歳(京太郎)に姿を変える。小湾浜(こわんはま)で浜遊びをしている高平良御鎖の前で芸能を披露しながら、隙を見て父の敵を討ち果たす物語である。

 「高平良万歳」は、「道行口説」(くどぅち)「万歳かふす節」「おほんしゃり節」「さいんする節」の4曲からなる。  「道行口説」は、棒と杖とに太刀を仕組んで、早く敵に巡り合わせて下さいと願う。「万歳かふす節」は、家々を巡りめでたい言葉を述べ門付けをしながら敵を探す様子を歌う。「おほんしゃり節」はとても滑稽な歌詞である。 「お隣の耳が切れ、鼻も切れ、目のただれた、首の廻りの毛の剥げた鼠に、不格好な太い頸筋を噛まれて、飛びあがって叫んでいたが、ぐうのねも出ないで、じっと捕り押さえられたとさ」。これは、面白い、可笑しい、ありえないことを言って、相手を油断させる。仇討物ならではの内容である。
 最後の「さいんする節」は、万歳(京太郎)姿となっている息子2人が、高平良御鎖の前で馬舞いや獅子舞を披露して盛り上げる。  これまで、「馬舞者」(んまめしゃ)のことがよくわからなかった。この曲を練習してから、京太郎の芸に馬舞者があることを知り、興味を持った。
         
チョンダラーの人形踊り
         
  チョンダラーの人形踊りを披露する高校生ら(「琉球新報」紙面から)
 この曲の歌詞を見ておきたい。
 「京の小太郎が作たんばい 尻ほげ破れ手籠尾すげて 板片目貫き乗り来る みいははとしいつゃうん つやうん つやうん やんざいかふすや馬舞者(んまめしゃ) がいじ舞うた 獅子舞うた かにある物御目掛けため をかしゃばかり  シタリガ ツヤウンツヤウン ヤーツヤウンツヤウン」
 歌意  「京の京太郎が作った、しりの抜け破れたザルに紐を付けて、板切れに穴を貫き通して、馬のように乗って来た。みははと、ちやうんちやうんと舌打ちして、行脚講者(小法師)は馬舞いをする奴だ。獅子舞しだ。こんなものをお目に掛けてしまった。ただただ可笑しさばかりである」(『由絃会教本の解説 うたの心』から)。
 ここで京太郎(チョンダラー)が出て来るので、チョンダラーについて少し説明する。 京太郎の人形芝居や芸能は、京都から渡来した人が教えた、もしくは京の小太郎という名前の人が創作したと伝えられる。大和由来であることは確かである。  首里の行脚(あんにゃ)村に住み、門付け芸人でもあり、祝福芸、人形芝居、念仏踊りなど芸能を携えて沖縄の各地を行脚していた人たちを京太郎と呼ばれた。葬式があると近隣の村々まで出かけたので、ニンプチャー(念仏者)とも呼ばれた。

 京太郎の芸は舞台芸能となり、沖縄市泡瀬や宜野座村に伝わり、現在も保存されている。
 <泡瀬の京太郎は、…胸前に縦に太鼓を付け、両手に撥を持った太鼓打ち一人、腰に馬の頭部の形をしたものを付け、その手綱を握った馬舞者【うまめーさー】と呼ばれる者二人、陣笠をかぶった舞い手が一〇人ほどと、三線を演奏しながら歌う歌三線で構成される。演目は「早口説【はやくどち】」「扇子の舞」「御知行【うちじょう】」「馬舞者」「鳥刺し舞」である。
 
 早口説は、舞い手たちが登場するときの演目である。歌三線にのせて、舞い手や馬舞者、太鼓打ちが、登場する。歌三線が歌詞の一節を歌うと、次に舞い手たちが同じ一節を歌う。これを、繰り返しながら行進してくる。歌詞に「京太郎姿に、うちやすり」とあり、自分たちは京太郎の演じ手になっていると歌っている。
 
 扇子の舞は、太鼓打ちが太鼓を打ちながら歌い、舞い手は右手に扇子を持ち、囃子詞を歌いながら踊る。歌詞に「お祝いの万歳」など祝福の意味の言葉が含まれている。御知行も、太鼓打ちが歌い、舞い手が右手に陣笠を持って踊る。歌詞に「御知行は一万石」など、知行地の収穫の豊かさを升で量って祝うという意味の言葉がある。
 馬舞者は、馬頭を付けた二人が、万歳【まんざい】のように、交互に抑揚をつけてせりふをやりとりするものである。鳥刺し舞は、竹棹の先に鳥もちを付けて、それを投げ上げて小鳥を捕獲した鳥刺しの様子を踊るものである。(文化庁「国指定文化財等データベース」)>  

         
        


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