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レキオ島唄アッチャー

安慶名城址を訪れる

 うるま市具志川にある安慶名(あげな)城址は、なかなかいいグスクだと聞いて
いたがまだ行ったことがなかった。ドライブに出たさい、立ち寄ってみた。
 現在は公園として整備され、安慶名闘牛場があり、沖縄戦の犠牲者全員の名
前を刻名した慰霊碑が建立されている。
 闘牛場の南側、岩山の上に石を積み上げた城壁がそそり立っている。石灰
岩の断崖と傾斜を巧みに利用して築かれたグスクである。沖縄の各地のグスク
を見たけれど、こんな光景は初めてである。城の北を流れる天願川が「大川」と
も呼ばれていたので安慶名城は「大川城」とも呼ばれていた。
  安慶名大川按司一世が1453年に改築城したが、もともとは1360年頃に旧城主
が築いたそうである。琉球で3つの小国が対立した三山時代から、安慶名大川
按司がこの城を拠点に三代にわたり中部地域を支配したそうだ。
 安慶名城と安慶名大川按司にどのような由来があるのだろう。
        安慶名城跡
 <西暦1322年(1374年ともされる)怕尼芝(ハニジ)に亡ぼされた仲昔今帰仁按
司の地方へ四散した子孫の一人は、遠く美里間切伊覇村(楚南村ともいう)に逃
げ、伊覇村の女を妻にして、8男一女をもうけ、中南部地区の各城主に成功した。
そのうち8男が初代伊覇按司である。安慶名大川城の築城は今より600年前であ
ろう。初代伊覇按司具志川地域更に勝連地域まで支配下に入れて按司を支配
する世之主への欲望があった。そのために血縁である天願按司を先ず支配下に
おいた。そして沖縄唯一の長い川天願川を背に田場平野を見下ろす安慶名お嶽
に城を築き、5男を配し、初代安慶名大川按司とした。(『具志川市誌』)>
              DSC_5480.jpg
 その安慶名按司の支配も、第二尚氏の尚真王の時代に終焉する。
 <安慶名城の3代目の頃になると、中山王(ちゅうざんおう)は尚真王(しょうしんお
う)の時代で、各地の按司を首里に集め、中央集権国家を造ろうとしていましたが、
安慶名按司の勢力は具志川、あるいは中部一帯に広がっており、首里に呼び寄せよ
うとしても聞き入れませんでした。中山軍は、仕方なく安慶名城を攻めることにしまし
たが、勢力のある安慶名城でしたので、なかなか落城させることが難しかったようです。
そこで、調べてみるとこの城には水がないことがわかったので、水攻めすることにしま
した。しかし安慶名按司も考えたもので、米で馬を浴びせ、遠くから見ると水浴びをさ
せているように見せかけたのです。中山軍はあきらめましたが結局水がないことがわ
かり、安慶名城は落城する結果となりました。(「うるま市の伝統文化」=うるま市役所
HPから)

 尚真王は、各地に割拠していた按司を武装解除して、首里に集めて中央集権国家
をつくったことは有名である。それに抵抗して滅ぼされた按司がいたことは、この安慶
名城址を訪ねたことで知ることができた。


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首里城御内原を見る

 首里城正殿の東側「御内原」(うーちばる)と呼ばれる地域は、国王とその家族、それらに仕える多くの女官たちが暮らす男子禁制の場だった。これまで整備が進められていたが、2月1日からの有料開放に先立ち、無料開放が行われたので見に行ってみた。
正殿と御庭(うなー)一体が政治や外交を中心とした公的な空間であるのにたいし、裏側の御内原は私的な空間であり、そこへの出入りは厳しく管理されていたという。
      御内原の図 

 国王や王妃・王母のプライベートゾーンの黄金御殿(くがにうどぅん)、国王が寝起きする二階御殿(にーけーうどぅん)、女官たちの詰所である女官居室、王の即位の儀を行う世誇殿(よほこりでん)、国王が亡くなった時、一時的に霊柩を安置する寝廟殿(しんびょうでん)、王家の料理をつくる寄満(ゆいんち)、浴場と考えられる湯屋(ゆや)、宝物を保管していた金蔵(かねぐら)など、城内生活に関連する建物があったという。
 王府時代の御内原が復元されたのかと、勝手に思い込んでいたが、私的な空間であるだけに資料が乏しく、不明な建物も存在しているとのこと。
       DSC_5103.jpg  
                     写真は御内原に上がる手前にある右液門
  淑順門(しゅくじゅんもん)をくぐり御内原に入った。正殿の裏側は後之御庭(くしぬうなー)と呼ばれる広い庭になっている。新エリアオープンを記念して、庭では伝統芸能特別公演が行われていた。
 世誇殿に入ってみたが、建物の外観はできているが、内部はガランとして何もない空間だった。資料もなくて復元は難しいのだろう。
      世誇殿
                   世誇殿内部

 その東側には「御内原ノマモノ内ノ御嶽(うたき)」と呼ばれる拝所があった。こんな場所にも御願するところがあるのは興味深い。
             御嶽

 白銀門と呼ばれる門をくぐると、東のアザナと呼ばれる物見台に出る。その手前に寝廟殿があったというが、建物もまだない。
 東のアザナは、標高約140㍍あり首里城で最も高い物見台である。360度展望が素晴らしい。遠く久高島から、首里と那覇の街を一望し、瀬長島や慶良間諸島、読谷方面を望むことができる。でもこの日は、暖かくて空気がもやっていて、残念ながら遠くは霞んでいた。
              東のアザナから眺め 

                      東のアザナから正殿を見る 
                    首里城正殿を裏側から見る
 70歳以上の県民は無料で首里城正殿から御内原まで見学できるそうなので、そのうちもう一度行ってみたい。

        知念岬、久高を望む
      遠くに知念半島が見える

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