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レキオ島唄アッチャー

キジムナーを考える、番外編

 玉城政美著『琉球歌謡論』を読んでいたら、次のような記述に出会った。

 「木の精を押し退ける」

例えば神女が唱える「ウムイ」のなかに「木の精を押し退ける」という歌謡がある。

<家屋を新築するために伐り出した木材は、そのままではまだ自然状態であり、木の精が入っている。その活動を抑えるためには、それを払う儀礼が必要になる。呪言によって木の精を払うときに次のような言葉を用いる。

30 木の しーん うしのぐる      木の精を押し退ける

31 かねー しーん うしはれる     金の精を押し払う

(『南島歌謡大成「沖縄篇上』ウムイ201 >

 

 「木の精を祓う」

 <《この家庭の中座の桁に鼓を下げておいて、たくさんの神女が神言を唱えたら、木の精を脱がしてください。》ここでは、鼓が、まだ柱に居残っている「木の精」を払い除ける機能を果たすための一助となっている。神女が唱える言葉とともに用いら
れて呪術的な機能を果たす。

82 こん とのうちの       此の殿内の内の

83 まなかざの          真中座の

84 なかげたに          中桁に

85 よるや            夜は

86 なりぶ さげたてて      鳴り呼ぶを下げ立てて

87 いちの やじく        五のヤジクが

88 ななの やじく        七のヤジクが

89 うちそろうて         打ち揃って

90 いちくち           五口

91 ななくち           七口

92 あまんごと          アマミ言を

93 よまびらば           誦みましたら

94 きいの せいん        木の精も

95 かねの せいん        金の精も

96 のがれ たぼれ        脱がして下さい

(『南島歌謡大成「沖縄篇上」ウムイ105』>

 

 ここで歌われている「木の精」もやはり、キジムナーのことと考えてよいのだろう。ただし、ここでは「木の精が家の神」になるのではなく、木材に入っている木の精が「押し退ける」対象となっている。

一方では、木の精が「家の神」になるとされ、他方では、木の精の活動を抑えるため「押し退ける」という正反対のことが歌われている。これもキジムナーの両義的性格の反映だろうか。
  終わり


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キジムナーを考える。その10

 「木の精が家の神になる」
 赤嶺政信氏は、八重山のキジムナーは建築儀礼において非常に重要な役割
を果たしていることが、キジムナーの性格を考える上で見過ごせない問題を持つ
として、『キジイムナー考』では次のような見解を展開する。
 それは、八重山の床の間で祀られる家の神は家屋の材料となった樹木の精
霊が転化したものであること、すなわち、「木の精が家の神になる」ということで
ある。

 八重山の家の神の変遷を見ると、次のような仮説を導き出すことができるという。
 <八重山の床の間で祀られる家の神の正体は、両義的性格が馴化(注・じゅん
か)された木や芽の精霊である。この家の神は中柱に宿るものであったが、家屋
の内部に床の間が設置されるようになったことを契機にして床の間の香炉をとお
しても拝まれるようになった。…次の段階として、床の間の香炉と中柱の関係が
忘却される一方で、中柱に対する信仰は残存し、さらに、床の間の香炉で祀られ
る神は、実態不明の家の神として拝まれるという現在のような状況を迎えること
になった(『キジムナー考』)。>
 注・馴化とは、生物が環境の変化に適応して生存していくこと
         笑っているキジムナー
 八重山を含む沖縄全体における木や芽の精霊に対する対処の仕方について整
理をすると、大別して、「木や芽の精霊を家屋に留め置く」と「家屋から退去させる」
という二つの類型に分けることができるという。
 <本書の結論として、樹木霊が馴化されて家の神になるという仮説を提示したが、
実は日本本土の建築儀礼についての神野善治の議論が、筆者の仮説とほぼ同じ
結論に達しているのは興味深い事実である。…
 「非常に祟りやすい樹木の精霊を家屋の守護神に転換する(祭り上げる)」という
のは、本稿の用語でいえば、「非常に祟りやすい樹木の精霊を馴化して家の神に
する」ことと同じであるのは明らかである(『キジムナー考』)。>

 赤嶺氏は、樹木霊が馴化されて家の神になるという結論を導き出している。
 この赤嶺氏の『キジムナー考』について、神野善治・武蔵野美術大学教授は、
以下のような感想をのべている。
 <多様な性格が語られるなかで特筆されるのは、本書がキジムナーの本性が「木
の精」だとする指摘だ。ガジュマルなどの老木に住み、人間を助けて富を与える。特
に家を造るのを手伝って山から材木を運ぶ要素を取り上げ、人間が縁を切ると野山
に住んで悪さをする妖怪になると伝えている点に注目する。
 本書の後半では、従来キジムナーに類する妖怪談がないとされていた八重山諸島
に同様の観念があったことが示される。それは家の新築時の儀式に「中柱」にしばら
れ、まつられる「ユイピトゥガナシ(結人がなし)」などと呼ばれる木の精霊だ。具体的
には木の棒に茅(かや)を束ねただけのもの。家を造るには、樹木を切り倒して柱と
し、刈ってきた茅で屋根をふく。いまだ野生の自然のまま危険な状態にある木や茅
の精霊をなだめ(馴(じゅん)化(か)して)まつられたのが、新築の「家の神」なのだと
いうことを発見するのである。この例から逆に沖縄本島のキジムナーの性格が照射
される展開には、謎解きの醍醐味(だいごみ)を感じさせてくれる。(「琉球新報」2018
年12月2日付)>
 
 これまでキジムナーについてあまり詳しく調べたことはなかった。赤嶺氏によると、
キジムナーは山の神であり、材木を運び、家造りを手伝ったりするばかりか、八重山
では、床の間で祀られる家の神は家屋の材料となった樹木の精霊が転化したもので
あるという。「木の精が家の神になる」というキジムナー論は、初めて知ることができた。
とても興味深い論考である。このキジムナーについての論考をより多くの人に知って
いただければと思い、勝手に紹介した。


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キジムナーを考える、その9

 樹木の精霊家の神
 赤嶺政信氏の見解に戻る。
 山から木を運ぶ手伝いをするキジムナーの性格について、注目する赤嶺氏は、
その理由として、これからみていく「八重山のキジムナー」の存在がある指摘して
いる。
 赤嶺氏が注目したいのはこれまで沖縄のキジムナーとの関係では看過されて
きた小童の説話が八重山地域には存在すること。それが、ユイピトゥガナシであ
るという。
 以下の二つの事例はその要旨である。

事例1 (西表島粗納)
 昔、西表島の租納部落に貧しい若者がいた。赤子の時に両親を失い、養われた
お爺さんにもきらわれて家を追い出された。若者は泣きながら山奥を歩きまわり、
泣き疲れて洞穴かと思われる大木の虚(注・うろ。内部が空になっているところ)
にたどりつき眠った。ふとどこからか声がする。
 「若者よ悲しんではいけない。元気を出して懸命に働けば、きっと幸福になれる。
これからすぐお前が生まれた屋敷に帰って見るがよい」。ハッと若者は起き上がり、
山をかけ下りて、自分の屋敷にいった。屋敷は掃き清められ、真中に大きな大黒
柱が一つ立っている。これはただごとではないぞと物陰に隠れて様子を見ていると、
たくさんの小人がエッサ、 コラサと材木を運んで来る。若者がつけていくと、山奥へ
入り、昨夜宿を借りたあの大木の虚へ入っていく。彼は木の梢を見上げると、それ
はジンピカレーという木(和名、ヤソバルアワブキ) であった。その一枝を折り屋敷へ
引き返すと立派な家ができあり、村の人達が集まって落成式の準備をしていた。
 
 村の人は若者を大黒柱のそばに案内した。若者が見れば、それはジンピカレー
であった。若者は、手にもったジンピカレーの枝を打ち振り大声で落成式の祝いご
とを唱えながら大黒柱の周りを何回も回り、村の人たちも唱和した。
 それ以来だれも若者を馬鹿にする者はいなくなった。小人の話を伝え聞いた村人
たちは誰いうとなくジンピカレーにユピトゥンガナシ(寄人加那志) の名をつけ、柱
立て(建築の初め)の儀式にはかならず大黒柱の先きにユピトゥンガナシをかける
ようになった。

事例2(竹富島)
 昔、ある村に真面目で正直な男がいた。家は貧しいが親に孝行を尽くしていた。
立派な家を建てたいという希望を持ち、 一人で山中に入り柱、桁、垂木等の材木
を伐り倒した。自分一人では材木を持ち出せないので、伐り倒した材木に自分の
手印を入れ、人夫を頼んで運ぶまでは、山の神と結人加那志(ユシーゥンガナシ)
で私の材木を見守って下さいと、材木を山かずらで結び印し、家に帰って来た。
翌日朝、早起きして庭先に出たところ、山奥にあったはずの材木が自分の手形の
ままに門前にある。材木が庭先まで届けられたのは神のおかげ、結人加那志のお
かげだと感謝し、立派な家屋を建て、結人加那志を新築家屋にお招きした。それか
ら以後、竹富島では、新築落成の時には結人加那志の儀式がとり行なわれるよう
になった。
 
 この二つの説話はいずれも、大木の虚を住処とするユイピトゥガナシという小人が
いて、山から材木を運ぶなど家造りの手伝いをする存在である。
 <このユイピトゥガナシ譚がキジムナー譚の類話としてとりあげられたのはかつて
一度もない。しかし、これまで山から材木を運び家造りの手伝いをするキジムナーを
沖縄本島、宮古、奄美と確認してきた我々としては、八重山のユイピトゥガナシをキ
ジムナーの一類型として見なさないわけにはいかないのである。…八重山のキジム
ナーは建築儀礼において非常に重要な役割を果たしている。そのことが実は、キジ
ムナーの性格を考える上で看過できない問題になってくるのであり、これまで山から
木を運び出すキジムナーの性格に注目してきた所以なのである(「キジムナーをめ
ぐる若干の問題」)>。


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キジムナーを考える、その8

 屋敷と樹とキジムナー
 キジムナーが、「東北地方で伝えられているザシキワラシと共通した性格を有
する」と先にのべた。吉崎明彦氏は「キジムナーにしてもザシキワラシにしても、
屋敷の中、もしくはすぐそばに居て家の盛衰に深く関わっているという点が非常
に興味深い。さらに発想を展開させるならば、彼らを屋敷神として見なすことも可
能だということだ。人間がこの屋敷神を裏切る行為を働くことによって、人間はしっ
ぺ返しを食らうことになるということだ」(「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」)。
 吉崎氏は、屋敷のそばのガジュマルの木に住むキジムナーは、「屋敷神」の性
格をもつものであるとする。

 樹木の精霊と家の神
 赤嶺政信氏の見解に戻る。
山から木を運ぶ手伝いをするキジムナーの性格について、注目する赤嶺氏は、
その理由として、これからみていく「八重山のキジムナー」の存在がある指摘して
いる。
赤嶺氏が注目したいのはこれまで沖縄のキジムナーとの関係では看過されてき
た小童の説話が八重山地域には存在すること。それが、ユイピトゥガナシである
という。

 以下の二つの事例はその要旨である。
事例1 (西表島粗納)
 昔、西表島の租納部落に貧しい若者がいた。赤子の時に両親を失い、養われた
お爺さんにもきらわれて家を追い出された。若者は泣きながら山奥を歩きまわり、
泣き疲れて洞穴かと思われる大木の虚(注・うろ。内部が空になっているところ)
にたどりつき眠った。ふとどこからか声がする。
 「若者よ悲しんではいけない。元気を出して懸命に働けば、きっと幸福になれる。
これからすぐお前が生まれた屋敷に帰って見るがよい」。ハッと若者は起き上がり、
山をかけ下りて、自分の屋敷にいった。屋敷は掃き清められ、真中に大きな大黒
柱が一つ立っている。これはただごとではないぞと物陰に隠れて様子を見ていると、
たくさんの小人がエッサ、 コラサと材木を運んで来る。若者がつけていくと、山奥へ
入り、昨夜宿を借りたあの大木の虚へ入っていく。彼は木の梢を見上げると、それ
はジンピカレーという木(和名、ヤソバルアワブキ) であった。その一枝を折り屋敷へ
引き返すと立派な家ができあり、村の人達が集まって落成式の準備をしていた。村
の人は若者を大黒柱のそばに案内した。若者が見れば、それはジンピカレーであっ
た。若者は、手にもったジンピカレーの枝を打ち振り大声で落成式の祝いごとを唱
えながら大黒柱の周りを何回も回り、村の人たちも唱和した。
 それ以来だれも若者を馬鹿にする者はいなくなった。小人の話を伝え聞いた村人
たちは誰いうとなくジンピカレーにユピトゥンガナシ(寄人加那志) の名をつけ、柱立
て(建築の初め)の儀式にはかならず大黒柱の先きにユピトゥンガナシをかけるよう
になった。

事例2(竹富島)
 昔、ある村に真面目で正直な男がいた。家は貧しいが親に孝行を尽くしていた。立
派な家を建てたいという希望を持ち、 一人で山中に入り柱、桁、垂木等の材木を伐
り倒した。自分一人では材木を持ち出せないので、伐り倒した材木に自分の手印を
入れ、人夫を頼んで運ぶまでは、山の神と結人加那志(ユシーゥンガナシ)で私の材
木を見守って下さいと、材木を山かずらで結び印し、家に帰って来た。翌日朝、早起
きして庭先に出たところ、山奥にあったはずの材木が自分の手形のままに門前
にある。材木が庭先まで届けられたのは神のおかげ、結人加那志のおかげだと感謝
し、立派な家屋を建て、結人加那志を新築家屋にお招きした。それから以後、竹富島
では、新築落成の時には結人加那志の儀式がとり行なわれるようになった。
 
 この二つの説話はいずれも、大木の虚を住処とするユイピトゥガナシという小人が
いて、山から材木を運ぶなど家造りの手伝いをする存在である。
 <このユイピーゥガナシ譚がキジムナー譚の類話としてとりあげられたのはかつて
一度もない。しかし、これまで山から材木を運び家造りの手伝いをするキジムナーを
沖縄本島、宮古、奄美と確認してきた我々としては、八重山のユイピーゥガナシをキ
ジムナーの一類型として見なさないわけにはいかないのである。…八重山のキジム
ナーは建築儀礼において非常に重要な役割を果たしている。そのことが実は、キジ
ムナーの性格を考える上で看過できない問題になってくるのであり、これまで山から
木を運び出すキジムナーの性格に注目してきた所以なのである(「キジムナーをめぐ
る若干の問題」)>。


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キジムナーを考える、その7

 「山の神」キジムナー
 キジムナーについて考えるとき、大きな手がかりとなるのは「山の神」というキ
ーワードだろう、と吉崎明彦氏は次のように指摘している。
 <辻雄二はキジムナーが赤い髪の毛を持っていることなどから、そこに神性
を見いだしている。たとえば、沖縄県池間島のウパルズの神は人間が赤色の
物を着けて通ると機嫌を損ねるという例を挙げて、これにキジムナーとの関連
性を想像する。
 辻の掲げた、渡嘉敷の民話においては、キジムナーとアカガミという名の神と
の会話がある。そこで説明書きとして、「アカガミはキジムナーよりも格が上」と
いう記載がある(「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」)>。
     
 『大宜味の昔話』に記載されるキジムナー(ブナガヤ)ははっきりと山の神と明
記されているという。以下はその要旨である。
 昔、謝名城村の根神であるお婆さんが山へ薪を拾いに行った。そこで身長が
1㍍にみたない赤毛者と出会った。山の御神らしい。戻るに戻れない。「今日は
この山に薪取りに来た。一度で薪が沢山とれるところを教えてください。無事に
帰してください。」とお願いした。するとその赤毛者は消えてしまった。いた場所を
確かめると、そこには大きな蟹が一匹いて、初めてこれはブナガヤだとわかった。
仕方なく山を下りようとすると、沢山の薪がある場所に出くわし、無事家に帰り着
いた。(昭和五十四年採話)
     
 さらに、奄美大島のケンムンについて、次のように指摘している。
 <奄美大島のケンムンが神と非常に深い関係を持って書かれていることはこの
考えに説得力を与える。ケンムンを作ったのはテンゴの神、すなわち山の神であ
る「天狗」であるということを考えると、キジムナーもまた、山にすむ神性な存在だっ
たと考えられるのだ「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」>。
     
 吉崎明彦氏も、キジムナーが「山にすむ神性な存在だった」とのべている。
 ただし、吉崎氏はキジムナーには二種類いると見る。
<どうやらキジムナーには二種類いるようである。すなわち、屋敷のそばのガジュ
マルの木に住むキジムナーと、山から海へと移動しキジムナー火を発生させるキジ
ムナーである。(同論文)>
 
 ここで話は脱線する。
 わが郷里の高知県には、シバテンという河童に似た仮想の生き物がいる。芝天
狗とも呼ばれる。
 シバテンは、子どもくらいの身長で、全身が毛深いらしい。人間を見ると「おんちゃ
ん相撲とろう」と声をかけて挑んでくることで知られる。力が強くて、相撲の相手をす
ると、化かされて一晩中相撲をとり続けることになるらしい。シバテンと相撲をとって
いるつもりでも、騙されて棒に抱きついたり藁束をねじ伏せていることもあるという。
 だが、県民に親しまれて、「しばてん音頭」や「しばてん踊り」がある。


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キジムナーを考える、その6

 奄美のケンムン
 奄美ではケンムンが沖縄のキジムナーと多くの共通点を持っているという。
 赤嶺氏はここでも山との関わりをもつケンムンの性格に注目している。
 名越左源太が書いた『南島雑話』のケンムンの記事を引用する。
 水塊(カワタロ、山ワロ)好て相撲をとる。適々(たまたま)其形をみる人すくなし。
且(かつ)て人にあだをなさず。却(かえっ)て樵夫(きこり)に随(したがい)、木を負
て加勢すと云。必ず人家をみれば逃去。
 <ここにも、樵夫の手伝いをして木を運ぶケンムンの姿がある。ところで、この記
事には、ケンムンはかつては人間に好意的なことをしたが、現在(名越左源太がこ
の記事を書いた幕末)では人間に害を及ぼす存在になってしまったことが示唆され
ている(赤嶺政信著「キジムナーをめぐる若干の問題」)>。
     奄美のケンムン   
             奄美の「水蝹〔けんもん」

 福田晃氏によると、ケンムンの由来譚には四つのタイプあるとされ、その一つに、
次の説話がある。その要旨を紹介する。
 昔 、大工の棟梁がいたが独身だった。美人を見染めて求婚した。その条件として立
派な家を一日で建築してほしいという。困った男は藁人形を二千人作ってまじない
をして、息を吹きかけてみたら人間になった。一日で注文通りの家を完成し、二人は
夫婦になった。数年経て、妻が「自分はこの世の者ではない。天人である。人間である
あなたと暮らすことはできない」と言った。棟梁も「自分も人間ではないテンゴの神であ
る」と言った。二千人に息を吹きかけるとみんなケンムンになった。
 この由来譚では、ケンムンの起源は大工の家造りの手伝いをした藁人形にある。そ
れが、沖縄のキジムナーや宮古のマズムンが山から木を運び、家造りの手伝いをす
るというモチーフと「無関係であるはずはない」とのべている(同論文)。
      
 吉崎明彦氏も、奄美のケンムンと沖縄のキジムナーは共通性があると次のように
のべている。
 <ケンムンとキジムナーには少なからず共通する項目があるといえる。
まず、赤い髪を持つこと、子供の姿であること、人間に近い場所にいること、魚の目
玉が好物であるという木の精として扱われていること、そして、ケンムン火という火
を発することなどである。さらに、ケンムンに悪さをした人間が、ケンムンに目玉を抜
き取られたという話もある。これらを見るだけでも、ケンムンとキジムナーがかなり近
い関係にあることは容易に想像できよう>。
 ただし、「ケンムンにはキジムナーにはない確固とした由来譚と、キジムナー以上
に豊富なバリエーションの説話が存在している」ことに違いを見出している(「キジム
ナー― 説話と由来を巡る考察」)。
 それに、奄美のケンムンは、本土の河童に似たところがあるらしい。沖縄では、河
童の話は聞いたことがない。


 


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キジムナーを考える、その5


 宮古のキジムナー

 宮古島、奄美諸島にも同類の説話があるという。
 宮古にはキジムナーという言葉はないけれど、マズムン、マズムヌとかインガ
マヤラブ、インガマヤラウという妖怪がキジムナーに比定できるという。
 ここでは、三つの説話を紹介している。以下はその要旨である。
 伊良部の人がマズムン(魔物)と友だちになり海に漁に行くが、マズムンの住処
を焼く。 八重山に移り住んだマズムンに誘われ、八重山に行った男がみやげ箱
をもらい、帰る船の中で箱を開けると、マラリヤの菌が飛び来間島の人はみな死
んだ。
 この説話のモチーフは、キジムナ-譚でおなじみのものという。
 上野村新里の説話は、津波の後、知らずにマジムンの集まるところに村をつくっ
た。村人がマズムンのところへ行って、「家を建てる材木を運んできてれたら、ごち
そうをする」と言うと家の近くまで材木を運んだ。屋根にあがって鳥の鳴きまねをす
ると材木を置いて逃げていった。

 城辺町西中にも同様の事例がある。
 カタイラ・マーガ(人間)が家を建てようと、インガマ・ヤラブ(魔物)にヤラブの木を
切ってもらう。二、三日して「木も集まり、茅も苅っている」と言って、インガマ・ヤラブ
に家を造らせ、祝いのとき鶏のまねをすると逃げていった。
「このように、マズムンやインガマヤラブが沖縄本島地域のキジムナー同様に、材木
を運んだり、家造りを手伝ったりする存在であることが確認できる」(赤嶺政信著「キ
ジムナーをめぐる若干の問題」)。
 宮古島には、キジムナーはいないともいわれるが、赤嶺氏が指摘する通り、名称
が異なるだけで、マズムンやインガマヤラブはキジムナーと同様の存在であること
がわかる。

 吉崎明彦氏は、先に紹介した伊良部のマジムン譚について次のことを指摘している。
 <ここで注目しなければならないのは、人間がマジムンを裏切った結果、マラリヤ
などの病がもたらされるという、その共同体自体を壊滅に追い込むという非常にシビ
アな結末を迎えている点である。その他のキジムナー譚においては、キジムナーを
裏切った人間一人だけが犠牲になり、しかもそれは盲目になったり、財産を失ったり
という程度であった。八重山諸島では戦後までマラリアが風土病として猛威を振るっ
ており、数多くの人々の命を奪ってきた。それ故に疫病をもたらすのが悪霊であると
いう考えが出てきたと考えられる。
 マラリヤが身近な脅威として存在していたここの地域において、その災因として、
疫病をもたらすという「凶暴化したマジムン」を想定していることは注目すべき点で
(あ)ろう(「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」)>。


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キジムナーを考える、その4

 大宜味村の「ぶながやの里」宣言

 大宜味のぶながや譚が出たので、少し横道に入る。
 沖縄県大宜味村は、1998年、村制施行90周年記念事業の一環として「ぶながや」
による村おこしを企画しぶながやキャラクターを決定、「ぶながやの里大宜味村」
を宣言した。宣言の一部を引用する。
     
ぶながやの里宣言碑
     大宜味村HPから
 <私たちの大宜味村の森や川には、今ではここにしか生息しなくなった「ぶながや」
が棲んでいる。「ぶながや」は、平和と自然を愛し、森や川の恵みを巧みに利用し、
時折私たちにその姿を見せてくれる不思議な生き物である。第二次世界大戦以前
は、沖縄のほとんどの村々で暮らしていた「ぶながや」たちは、激しい戦禍と基地被
害、戦後復興の近代化に耐えきれず、かつてのふるさとを離れ、20世紀最後の安
住の地を求め、豊かな自然と人々の肝清らさにひかれ、大宜味村に命を永らえる
ようになったという、希少種族である。>

 ぶながやは、平和と自然を愛する生き物で、大宜味村に「安住の地」を求めて棲ん
でいるという。村は「ぶながや」たちと生きてきたことに誇りを持っている。
 ぶながやについて、次のような特徴づけがされている(大宜味村HPから)。
・大宜味にぶながやの物語があるのは文化が豊かだから。
・妖精が活躍できるのは、森や川、美しい海があって、自然が豊かであること。
・ぶながやは心優しい村民一人ひとりの中に存在している。
  (東京工業大学名誉教授 阿部統先生の基調講演から)

 ここでは、キジムナーが「一方では家に富をもたらし、他方では人間に残忍な仕返し
をする」という両義的な性格にはふれていない。村おこしのマスコット的な存在だか
ら当然のことではあるが。


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キジムナーを考える、その3

 現象を説明する手立てとしてキジムナー話
 キジムナーと仲良くなり、それとうまくつき合っている間はその家は富み栄える
が、キジムナーを追放した家は衰退するという説話は、「東北地方で伝えられて
いるザシキワラシと共通した性格を有する」という。
 そうした盛衰をたどった家が、現実に存在したとすれば、本当にキジムナーの仕
業といえるのだろうか。
 <現実に生じているプロセスは、ある家が成金になった、没落した、あるいはあ
る家に眼病の者が絶えなかった等の現象が先にあって、それを不思議に思った
周囲の人々が、それを説明する手立てとしてキジムナーの話を語り出したと理解
すべきはずである。(『キジムナー考』)>
 キジムナーを追放したから災いを招いたというよりも、不幸な現象が先にあって、
それを説明する手立てとしてキジムナー話が語られるようになったという。キジム
ナー話が成立する実際のプロセスは、その通りかもしれない。
 このような説明は、いまでも不幸に見舞われた時、「それは〇〇の祟りだ」という
話を聞くことがある。それは、やはり不幸が先にあってそれを説明する手立てとして
「祟り」話が生み出されたと見るのが合理的解釈だろう。
     ブナガヤ 大宜味村観光ナビ 

        ぶながや(「大宜味村観光ナビ」から)

 山から木を運ぶキジムナー
 本題に戻る。キジムナーの存在と性格を理解するうえで、重要なポイントとして、
山から材木を運び、あるいは家造りを手伝うというキジムナーの説話がある。
 大宜味村の二つの事例を要旨で紹介する。
 大宜味村謝名城のある家の主人は、ぶながやあ(キジムナーの呼名)が来ると食
ひ物をやってなつけた。ぶながやあは大力だから大きな木を擔(かつ)いで行って、
庭の真中に投げ出した。走るのが早く、その姿は人に見えなかった。しまいには、
ぶながやあと離れるのを望み、柱ごとに、まじなひに、タコをかけて置いたら逃げ
ていきその後来なくなった。(折口信夫)
 注・キジムナーの嫌いなものは、タコ、ニワトリ、熱い鍋蓋、屁。キジムナーと縁を
切るにはこれらのものを使うか、キジムナーの宿っている木を焼いたり、釘を打ち込
んだりすると良いという(参考・赤嶺論文)。

 大宜味間切高里村の主人がブナガ(木の精)と友人となり、毎晩訪ねて来た。優遇
してやったので、材木を運んだり、家や道具を作る手伝いをした。後にはブナガとの
交際がいやになった。手を切ろうと思って、タコを用意して投げつけた。ブナガは驚い
て逃げた。それからこの家を訪ねなかった(佐喜美興英)。
 山から材木を運ぶというキジムナーの話は、かなり古い時代からあったようで、『琉
球神道記』にも次の記載があるという。
 「又山神、時有テ出コト、國人間見ル也。希有トモセズ。國上ニシテ船板ヲ曳ニ。山険
阻ニシテ、人力儘ヌ。山神ヲ頼ム。即出デ、次郎・五郎卜云、両リノ小僕ヲ下知シテ曳
シム。両人棒ヲ以、材ヲ遣。」
  この話で、人間に依頼されて山から木を運び出す次郎・五郎と呼ばれる小僕(山
神)が、今日のキジムナーの系譜に連なるものであることは疑い得ないという(赤嶺政
信著「キジムナーをめぐる若干の問題」)。
 「キジムナー ― 説話と由来を巡る考察」の論考を発表している吉崎明彦氏も、キ
ジムナーは「山の神」であるという柳田国男の指摘を「重要な点を突いている」と注目
する。
 柳田は以下のようにのべていた。
 <沖縄ではきじむんというのが山の神であるが、人間と友達になって海に魚釣りに
行くことを好む、きじむんと同行して釣りをすると、特に多くの獲物があり、しかも彼は
ただ魚の眼だけを捕って、他は持って行かぬから、たいそうつがふがよいといふ話も
ありました(「キジムナーをめぐる若干の問題」)>。


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キジムナーを考える、その2

 なぜキジムナーを追放するのか
 キジムナーと仲良くなり、それとうまくつき合っている間はその家は富み栄えるが、
キジムナーを追放した家は何らかの災いを被り、衰退することになるという説話
がたくさんある。
 キジムナーと仲良くなり富み栄えていたのに、なぜ追放するのか。
 宜野湾間切新城村中泊の事例では、<キジムナーと仲良くして一緒に漁に行
き、その結果富を得た家が, キジムナーと縁を切ったために没落し、一方ではキ
ジムナーの移住先の家が金持ちになったということが語られている。佐喜美興英
の言葉を借りれば、キジムナ-はまさに「富を司る」存在なのである。(赤嶺政信
「キジムナーをめぐる若干の問題」)>

 この説話では、キジムナ-と絶縁するのは金持ちになったことを他人に妬まれ他
人がキジムナーの住処を焼いたことが契磯になっている。この種の話は、赤嶺氏
の知る限りはこの一例しかない。圧倒的に多いのは、本人が望んで絶縁するタイ
プであるという。
 絶縁する理由は、明確に語られることがないか、あるとしても「キジムナーとの
付き合いが煩わしくなったから」という程度のもの。それだけの理由で追放したと
いうのには、「どうも釈然としないものが残る」と赤嶺氏は言う。その上で、推論と
して「キジムナーのもつ両義的な性格と関係があるのだろう」という見通しをのべ
ている。
     
 キジムナーの両義的性格とは
 キジムナ-の両義性とはなにか。「一方では家に富をもたらす存在でありながら、
他方では、人間に非常に残忍な仕返しをする」ということである。
キジムナーが富をもたらしたり、逆に不幸をもたらすという両義的な性格は、どの
ようにして生み出されたのだろうか。赤嶺氏は次のようにのべている。
 <かつて人々は、自然の中で樹木と親しみ、自ら山に分け入って樹木を伐り出
し、それを家屋や船の資材として利用してきた。そのような時代が長きにわたって
続いてきたのであり、キジムナーの話は、そのような長きにわたる自然との緊張
関係の中から生み出されたものであっただろう。人々は自然の恵みに感謝しつつ、
一方ではその自然のもつ恐るべき側面に関しても常に自覚的であったはずで、そ
のことが、木の精やキジムナーに対する両義的観念を生みだし、支えてきたものと
思われる(『キジムナー考』)。>
 自然は、人々に恵みをもたらす一方で、恐るべき災いをもたらすこともある。そん
な「自然との緊張関係」のなかで、キジムナーの両義的観念が生れたのではない
かとみている。



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