レキオ島唄アッチャー

恵みの台風

 台風6号は沖縄にとって「恵みの台風」となった。
 なにしろ今年は空梅雨で、ほとんどまともな雨が降らないまま、もう梅雨明けになるのではないかと県民みんなが心配していた。ダム貯水率は44%にまで落ち込んでいた。
 今回の台風6号は、15日に台湾から八重山に進み、16日は沖縄本島へと直撃コースで進んできた。といっても、暴風域はなく、速度も速い。
 16日午前に少し雨風が強くなったが、お昼ごろには台風の目に入ったかな、と思うほど、無風になり青空も広がった。台風の目ならもう一度、風雨が強くなるけれど、今回は吹き返しもまったくなし。その後も空は晴れたまま。まさに台風一過だった。
 肝心の雨は、離島や北部で過去最高や6月として過去最高など、大雨が降り注いだ。それも、ダムがたくさんある水源地の山原地方で多く降った。大雨による被害はごく一部にとどまり、農家にとっても待望の雨となった。ダムの貯水率も急激に回復している。17日現在で67%ほど。18日の月曜日から24日の日曜日まで週間天気予想は雨マークが入っていて、これからも降雨が期待できそうだ。ただし、6月23日の慰霊の日は例年梅雨明けとなっていたが、今年の梅雨明けは少し遅れそうだ。
 今回の台風には、みなさん「恵みの雨」と異口同音にのべている。
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 実は、15日夜は今年初のビアガーデンに行く予定していたが、雨予想だったのでキャンセルした。だが、16日は午後から晴れあがったので、急きょ出かけた。心地よいビアガーデンだった。


















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感動のふーみ55歳バースデイライブ

 フォークユニット「F&Y」でいつもライブをしているふーみさんの55歳のbirthdayLiveが5月31日、「ななまかい」であった。
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 ステージのバックには「㈷55歳だヨGOGOフーミじいじい」のカラフルな横幕が飾られた。昨年お孫さんが二人生まれたので、もう「じいじい」。横幕はツレの手作り作品である。
    今回は、当初ふーみさん単独の「Mrジョークマン」ライブの予定だった。ちょうどこの日がふーみさんの55歳の誕生日なので、birthdayLiveとして、「F&Y」の相方、良明さんやバイオリンの国吉さっちゃん、ベースの国分さんを招いて豪華なi顔ぶれのライブとなった。
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 それだけでなく、バンドといえばドラムが欠かせないと、なんと電子ドラムまで持ち込んだのにはビックリだった。
 前半は、かぐや姫のナンバーを中心に歌った。ななまかいライブにはこの2年ほど通っているが、バイオリンの登場は初めて。ベースのリズムも入ると、「神田川」「夢一夜」など雰囲気は変わり、いっそう聴きごたえがある。
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   後半では、奥さんのユッコさんも、マドンナナンバーなど歌い、みんな立ち上がって踊らずにはいられない。
 「F&Y」Liveのときは、良明さんが半分くらい歌うけれど、本日はふーみの単独Liveなので他のメンバーはあくまでサポート。ふーみさん一人で歌い続ける。
  ドラムを叩きながら歌う時は、ツレ曰く。「もうドラマーズハイになっているね」。それにしても、ギター、三線からドラム、音響まで何でもこなすオールマイティーの歌い手である。
 アンコールでは、噂に聞いていたがまだライブで聴いたことがなかった井上陽水の「傘がない」を歌ってくれた。最高だった。

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 birthdaysongも自分で歌い、お祝いセレモニーに入ると、手作りのバナナケーキが贈られた。続いてファンのみなさんから数え切れないほどのプレゼントが贈られた。奥さんからは、想い出の写真をプリントした世界に一つだけのTシャツがプレゼントされた。「こんな写真どこにあったの?」とふーみさんも驚くサプライズのお祝いだった。
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    ツレが用意したのは「誕生日おめでとう」のタスキとお菓子袋。まるで選挙のようにたすき掛けで客席を回って挨拶をしていた。
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 ふーみ大好きな女性たちと記念撮影。素敵なライブにみんな感激し、happyな笑顔である。


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15年ぶりの高知帰郷(下)

 反戦詩人の歌碑と墓を訪ねる

16日は、ホテルで自転車を借りて、早朝から市内を巡った。といっても長く住んでいた地元だから知っているところが多い。向かったのは、高知城の西側にある城西公園。かつて勤めていた役所の側の刑務所跡に造られた公園である。訪ねたのは反戦詩人、槇村浩「間島パルチザンの歌」の歌碑。道路脇の石碑がたくさん建立されている一角にあった。
 日本軍の朝鮮・中国侵略への間島(現在の中国延辺朝鮮族自治州)民衆の抵抗を歌った叙事詩である。高知に居ながら朝鮮・中国の民衆に思いを馳せた国際的な連帯の心が込められた槇村の代表作である。立派な歌碑だった。

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             「間島パルチザンの歌」の歌碑

  自転車をさらに走らせ、上町5丁目から北に入り永福寺の側を通って、槇村浩のお墓を訪ねた。案内板があるけれど分からない。教会の角を入ると記されているが「ここには教会なんかないぞね」と歩いていたおばちゃん。仕方なくさらにおじさんに尋ねると、もう一人の
おじさんも立ち止まって、「その墓なら前にも訪ねてきた人がいたき、こっちだと思うよ」と案内してくれた。「教会は前にあったがもうなくなったがよ」。道理で見当たらないはずだ。


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 山道を少し登ったところに槇村浩(本名・吉田豊道)とその母のお墓があった。槇村の詩集には青春時代にとても感銘を受けた。彼の全集を読むと、少年時代から広い国際的な視野をもっていたことがわかる。その詩作はいまなお多くの人々に愛されている。

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 お墓の近く、井口町には母方の祖父の家があり、夏休みなどよく遊びに来たことだった。ついでにお祖父さんの家に回ると、いまは誰も住んでいないが昔のままで残されていた。この家で過ごした
60年前の想い出が甦った。


 「自由は土佐の山間より」
 午後は、桟橋通
4丁目にある「高知市立自由民権記念館」に向かった。入口にある石碑には「自由は土佐の山間より」と刻まれている。65歳以上は観覧無料となる。
 憲法を作り国会を開こう、言論や集会が自由な世の中にしようと訴えた日本で最初の民主主義運動――自由民権運動は、土佐の人々が大きな役割を果たし、全国にその火が広がった。

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 常設展示室では、自由民権運動の歩みを文書資料、文献、写真、風刺画などを使って詳細に紹介している。この運動を担った人物では、これまであまり聞いたことがない人々も多数展示されており、いかに多彩な人々がその輪に加わり活動したのか、すそ野の広がりを感じる。中には郷里の佐川町出身者も
2人いた。

 一つだけ気になったのは、幕末維新とは区別して、自由民権運動に限定して展示しているため、たとえばジョン万次郎はまったく視野の外に置かれていることだ。でも、アメリカンデモクラシーを最初に日本と土佐に伝えたのは、アメリカなどで10年過ごして帰国した万次郎である。土佐の自由民権の思想的な源流には、デモクラシーを伝えた万次郎が位置する のではないかということ。万次郎が伝えたデモクラシーは、明治維新では実現しなかった。自由民権運動こそ、そのデモクラシーの思想と政治制度を日本で実現させる運動となったといえるだろう。

 万次郎といえば、高知では、幕末維新の偉人がたくさんいて人気度はあまり高くない。高知駅前には、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の3人が土佐の偉人として銅像が並んで建てられている。観光客目当てというだけの少しグロテスクな像だ。万次郎の人気は45番目くらいらしい。でも、高知でも近年、評価は高まってきているようだ。

 

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夜は、大学時代の友だちら4人が居酒屋に集まってくれた。意外だったのは、友だちの一人とイギリスドラマにはまるという共通の話題で盛り上がったこと。イギリスドラマでは、「刑事フォイル」「刑事モース~オックスフォード事件簿」「名探偵ポワロ」「シャーロック」などが放送された。なかでも「刑事フォイル」は最高の刑事ドラマである。第2次世界大戦の始まりから終戦までを時代背景として、軍需工場に動員された女性、ナチスに共感する貴族など様々な人々の戦争への関わり、アメリカ人や在英の「敵国」ドイツ人、イタリア人の関わりなどを通して、戦時下イギリス社会の諸相が見事に描かれている。主人公のフォイルをはじめ登場人物のキャラクターも魅力的である。フォイルの人間味あふれる人柄や不当な圧力には屈しない気骨ある人間像にも魅かれる。

他のドラマも含めて、ハリウッド的な作り方とはまったく真逆の落ち着いて深みのあるドラマ作りは、イギリスならではである。友だちは、ノーベル文学賞をもらったカズオ・イシグロ氏の小説『日の名残り』とその映画の魅力のとりこになったそうで、勧められた。読みたいと思いながらまだ未読であり、さっそく帰りの高松空港で文庫本を買い求めて読み終えた。帰ってから、レンタルビデオ店で映画も借りて見た。本も映画も、執事が主人公という地味な設定なのに、作家の日本人ならではの繊細な感性による表現とイギリスならではの歴史や社会背景が相まって、見ごたえある人間ドラマとなっていて、ぐいぐいと引き込まれた。



 こうして、
3日間にわたり、ご無沙汰していた人たち、懐かしい同級生、友人たちと過ごせた時間はかけがえのないものである。忘れられない記憶となる。年齢を重なると、もう再び会えないかもしれない。人生にとって貴重な再会と別れになった。この時期に、思い切って帰省したことがとても有意義だったと痛感する。

帰省中は、ホテルでなぜか毎朝、5時半ぐらいに目が覚めた。気分が高まっていたのだろうか。帰りは午前810分の高速バスを予約していたが、早く起きたので8時まで待つ必要がない。バスターミナルで710分発の朝1便に変更してもらい、予定より早く高松空港に着いた。

高松といえば讃岐うどんが名物。1140分発の飛行機では昼飯も食べられないだろうと思い、少し早いが握り寿司付のうどんをいただいた。やはり讃岐ならではの美味さだ。
 この時期、那覇行きの飛行機は修学旅行生で毎日満席だという。旅行前に、ANAマイレージ会員になり、シルバー割引を利用して帰ろうと考えた。でも、これは空席がある場合だけ利用できる制度だ。たいがい空席はあるだろうが、もしも満席だったら、11便だから、旅行計画が破たんすることになる。その一抹の不安があったので、通常の早割、株主優待割引で少し安く航空券を購入していた。高松空港では、3つの中学校の修学旅行生が長蛇の列を作っていた。もしシルバー割に頼っていたなら、乗れない、帰れないということになっていただろう。胸をなでおろした。

飛行機に搭乗すると、わが早割航空券はプレミア席となっていた。ゆったりとくつろげる。おまけに、なんと昼食のお弁当まで出てくるではないか。五目寿司と煮物などの二段重ねで美味しそう。つい1時間余り前にうどんを食べたばかりなのに、このお弁当もまるで別腹のように見事たいらげた。

こうして45日の高知帰省の旅は終わった。懐かしい想い出満載の旅だった。宴席をもうけてくれた友人、車に乗せて案内してくれた元同僚、そのほかお会いできたすべての方々に「ニフェーデービル」(ありがとう)と伝えたい。沖縄にも来る機会があれば是非、お出でいただきたい。お返しのおもてなしをしたいと思った。

終わり 

                 


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15年ぶりの高知帰郷(中)

 ジョン万次郎資料館に向かう

 高知への帰省中は、行った日だけ雨がポツポツ降る悪天候だったが、翌日から空は晴れ好天候に恵まれた。気温も25度を超え暑い。でも朝は1617度くらいで、冷やっとするところが沖縄と違う。

15日も早く目覚めて、820分発のJRで宿毛に向かう。途中窪川からは土佐くろしお鉄道の路線となる。宿毛は、かつて高校卒業後、公務員として6年間働いた想い出深い土地である。56年前に赴任した時は、鉄道は窪川止まり。そこからまだ舗装もしていない道路をバスで4時間以上揺られて着く。高知県の西南部の遠隔の地だった。かつて佐川町から6時間ほどかかったのがいまは2時間17分で着く。隔世の感がある。

宿毛在住のAさんが、中村駅まで迎えに来てくれた。というのも、土佐清水市にあるジョン万次郎資料館を見たいという希望に応えてくれ、中村から清水に回るためだ。
 車は、四万十川と仲筋川の二つの川の間の堤防を走る。沖縄では絶対に見られない光景。風情がある。40分ほどでジョン万資料館に到着した。清水市はさすがに、行く先々に万次郎の文字が躍っている。清水の生んだ偉人として万次郎をとても誇りとしていることがよくわかる。

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       ジョン万次郎資料館

万次郎は、この清水市中浜で漁師の次男として生まれた。市内養老に資料館があり、足摺岬には万次郎像が建立されている。資料館はこの4月にリニューアルオープンしたばかり。とてもしゃれた外観である。
 展示室は、少年期ゾーン(中浜時代)、青年期ゾーン(アメリカ時代)、壮年期ゾーン(幕末維新時代)に分けて展示されている。とても詳細に万次郎の生い立ちと歩み、その功績が展示され、万次郎の人物と事績がよくわかる。この2月に沖縄の糸満市大渡海岸に上陸記念碑が建立されたことも紹介されている。

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  ここから生地の中浜に向かう。いまも漁師町である。万次郎の生家が復元されている。集落の中央部に車を止めると、案内板があった。車の通れない細い路地を150㍍ほど歩く。
 生家は当時のままに復元されていた。家々の軒を連ねるこの集落を見ると、こういう環境の中で少年期を過ごし、その後数奇な運命をたどる人間・万次郎がより身近になった気がする。

 宿毛市内を回って、中村駅まで車で送ってもらった。宿毛市内は鉄道の駅ができたのでその周辺に新しく店舗が集中し、旧市街地は寂れていっている。もう昔の面影はほとんど残っていない。かすかに、よくオートバイを修理したバイク店だけは記憶通りだった。

 旅行前に、宿毛・土佐清水回りはレンタカーで行く計画を立てていた。でもいくら高速道路が伸びていても、慣れない道を往復で6時間ほど運転すると、あまりにも負担が大きい。それに宿毛勤務当時は、窪川以西の鉄道は夢の夢だった。開通した鉄道にも乗ってみたい。Aさんに相談すると、鉄道で来れば車で案内すると快く承諾してくれた。Aさんには苦労をかけたが、お陰で快適に西南部を回り、かつての職場の動向やAさんはじめ知り合いの方々の近況など詳しく聞くことができた。Aさんに感謝、感謝である。

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  高知市に帰ってくると、その夜は宿毛時代の職場の同僚だった2人と会った。 50年ぶりくらいだ。「よく高知に帰ってきてくれましたねえ」と何度も再会を喜んでくれた。話し出すと青春の宿毛時代の想い出に話しは尽きない。

 2人は、お土産だと言ってわが郷里、佐川町の銘酒、司牡丹が出しているそば焼酎をプレゼントしてくれた。高知で思いがけない贈り物だった。帰ってから早速味見をしてみると、そばの独特の香りがあり、これまで接したことのない焼酎の味だった。高知では、昔はお酒といえば清酒ばかりだったが、いまは焼酎が人気らしい。カツオのたたきもたっぷり食べた。

 これからもお互いに元気で長生きしようと誓いあい別れた。

 


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15年ぶりの高知帰郷(上)

沖縄に移住してまだ一度も郷里の高知県に帰っていなかった。その間に叔父2人、叔母2人が亡くなっていた。事情があり帰れなかった。今回、ようやく墓参りを兼ねて15年ぶりに帰郷した。2018513日から17日までである。

 沖縄に移住した当時は、那覇―高知直行の航空路線があったけれど、廃止になりいまは、高松か松山空港に飛んで、高知に回るしかない。「高松空港がいいよ」という人の声もあり、高松空港にした。

 当初、「13日に帰るなら、すぐ友だちを集めるよ」と声をかけていただいたが、高知到着の時間が遅いので断念した。高松からレンタカーで帰るのが時間的には早いが、高速道路を夕方から夜にかけて2時間以上も運転するのは疲れる。若ければよいがもう無理は禁物。JRがいいかな、と思った。だが、所要時間は50年前とたいして変わらない。高速バスの方が早くて安いことがわかり、バスにした。

 今回は是非、三線を聴いてもらいたいと思い、荷物になるけれど持参した。会いたい友だち、親戚が多いので、お土産も半端なく多くなり、運ぶのが一苦労だった。心配した三線を入れるケースは、ハードケースでなくソフトケースでも、空港で専用ケースに入れてくれるから安心だった。 

那覇からの空の旅は、本州に近づくと少し揺れたがたいしたことなく到着した。リムジンバスがすぐ出発して、乗り換えの「ゆめタウン高松」に到着すると、予約した高知行きの黒潮エキスプレス号は一便早いバスに乗れることになった。急きょ予約を変更していただき、一時間早く乗車できた。

 私が高知を離れた1973年には、高速道路は整備されていなかった。四国の高速道路を走るのは初めてだ。高松から川之江を経て高知市に向かって進むと、深い山々が連なり、「四国は山国」という思いを新たにする。高い山のない沖縄から来るので余計そのように感じるのだろう。

 駅前に予約したホテルは小さな宿だが、大浴場がありさっそく汗を流した。沖縄では湯船に入ることがないので、疲れが取れる。この後も毎日、大浴場のお世話になった。シャワー生活の沖縄から来ると、余計にその有難味を感じる。

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                高知駅前
 
14日は、予約していたレンタカーで、生まれ育った佐川町に向かい、墓参りをした。従兄弟が掃除から墓参り用のお花その他すべて準備してくれていた。墓参りが終わった後、従兄弟の家で三線を弾き3曲歌ってみた。

 私が三線を弾くたびに思い出すのは父のこと。父は、旧満州(中国東北部)の鞍山製鉄所で働いていて、戦後引き揚げてきた。弟や同じ部落の若者たちと「たまる楽団」というバンドを結成して、演奏していた。父は私が3歳の時、30歳で病死した。だから父の記憶は、外の遊んでいると「直ぐ帰っておいで」と呼ばれて帰ると、父が亡くなったと家族が枕元に集まって嘆き悲しんでいるところだった。それが最も古い記憶である。生前の姿は覚えがない。

 「お父さんは弟や隣のWさん(元町長を務めた)ら部落の青年と楽団を作っていたきね。何の楽器を演奏したか覚えちゃあせんが、Wさんはハーモニカが上手かったねえ。」(年上の男性従兄弟)、「たまる楽団の演奏で、あたしは踊っていたがよ」(年上の女性従兄弟)という。戦後の楽しみがない田舎で楽団は評判になり、他の部落にも出かけて演奏したという。

「音楽もやけんど、お父さんは絵がこじゃんと上手かったきね。なんにも見ないで、軍艦の絵なんかをサラサラと描いていた。そんでも、癇癪持ちでね。僕がなんぞ気に入らんことをした時に、もう癇癪を起してねえ、せっかく描いた絵をビリビリと破ったこともあったがよ。絵が残っていればええけんど、もうどこちゃーないね」とも話していた。
 出征兵士の無事を願って作られた千人針に、父が虎の絵を描いたものだけが父の絵の遺品として残されている。癇癪持ちだった性格は初めて聞いた。私の音楽好きは父のDNAを継いでいるかもしれないが、幸い癇癪持ちは私も妹も受け継いでいない。
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       高知駅前に建つ右から中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の銅像
       (ちょっとグロテスク)

レンタカーで高知市に向かい叔母の家に寄った。わが家は、父が早く死んだので、母の兄弟である2人の叔父が父親代わりのように面倒を見てくれた。お世話になりながら、ほとんどお返しはできないまま、亡くなった。葬儀に帰れなかったことを詫び、冥福を祈って仏壇に手を合わせた。


 小中学校の同級生と50数年ぶりの再会

 夜は、小中学校の同級生が集まってくれるので、JRで高知市からもう一度佐川町に向かった。西佐川駅で降りる。JRに乗るのも、西佐川駅で降りるのも、40数年ぶりではないか。この駅は、子どもの時、昭和天皇が四国巡幸で高知県にも来るとのことで、母親に連れられて行った記憶がある。ネットで見ると昭和251950)年3月だという。たぶん、列車で通過するだけで、動員されたのだろう。小学校に入る直前だった。なぜか記憶に刻まれている。

 同級生が車で迎えてくれた。居酒屋には男3人女2人が集まってくれた。ほとんどは中学、高校卒業以来50数年ぶりの再会だ。隣に座ったY君は「君が貸してくれた『地底旅行』(ジュール・ヴェルヌ作)を読んで衝撃をうけたことを覚えている」と。もうすっかり忘れていたことだ。おまけに「あの時こんな歌を歌ってくれたよね」と言って、歌を口ずさむではないか。そんな歌は聴いたことも歌った記憶もない。完全に記憶喪失である。それにしてもよくぞそこまで記憶しているものだと驚愕した。

 居酒屋のスタッフに「沖縄から来ているので三線を弾いていいか」と同級生が聞くと、「いいですよ」とのOKが出た。「十九の春」「安里屋ユンタ」「南国土佐を後にして」を演奏した。かなれ知っている人もいて、いっしょに歌ったり、囃子を入れてくれて、楽しく歌えた。


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これは行き過ぎでは、図書館のコピーチェック

 先日、那覇市立図書館に行って、歌碑についての本のコピーをした。2ページ分、計3枚という少ないコピー量だ。書いていた申込書を職員に提出すると、コピーした内容をチェックするという。コピー不可の本なら本を見ればわかる。コピーした内容まで職員が見るというのは、市民のプライバシーの侵害に当たるのでは、と意見を述べた。すると、コピーは一人1部しかできないので、内容を見ないとチェックできないから見る必要があるという。
 著作権法を読むと31条では図書館の複写サービスは本の一部に限り一人1部複写できると確かに書いている。だが、30条では、私的使用のためのコピーはそういう制約はない。
 条文の解釈には、諸説あるようだが、31条は図書館側が複写して提供するサービスのことであり、利用者が自分で複写するコイン式のコピー機の場合は、30条の「私的使用」にあたるのではないか、ともされる。となれば、一人1部の制限はないことになる。
 ネットで図書館のコピーについての事例を検索すると、図書館職員がコピーした内容を厳しくチェックする自治体もある。だが、たとえそういう制限があるにしても、コピー内容までチェックするのは多忙な職員にとっても負担になるので、チェックまでしないところも多い。私がこれまで利用してきた各地の図書館は、コピーの内容までチェックする自治体はなかった。同じ那覇市の図書館でも、以前はそこまでチェックすることはしていなかった。県外の自治体では、もうコピーの申込書そのものを廃止しているところもあるらしい。
 「本を借りてコンビニなどでコピー―すればいいのではないか」ともいう。だが、貸し出しできない図書のコピーも必要な場合がある。
 著作権法で著作者の権利を保護するために制限を課すのはやむをえないとは思う。ただ、市民がおこなったコピーの内容までチェックするとなると、なかには何をコピーしたのか内容まで知られたくないと思う人もいる。コピー内容をすべて見るとなれば、まるで監視されているようで、市民のプライバシーの侵害につながる恐れがある。著作権法を無視しろというのではないが、市民のプライバシーを守るための配慮も必要ではないだろうか。
 今回のケースでは、図書館側には著作権法の杓子定規な解釈しか頭になく、市民の人権はまったく念頭にないというところに問題があるように思う。
 図書館職員も人出不足で忙しい上に、コピー内容のチェックまでやらされるのでは負担が大きいだろう。コピー利用者に、「一人1部」という制約があることを目立つように掲示して周知すれば、行き過ぎたチェックまでする必要はないのではないか。その方が、職員にとっても利用者にとってもプラスになると思うがいかがだろうか。
 
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在沖縄高知県民の会新年会に初参加

 沖縄に在住する高知県人でつくる在沖縄高知県民の会から、新年会へのお誘いがあり、24日、初めて参加した。
 場所は、那覇市久茂地の「おでんおふくろ」。那覇市内はじめ中部や糸満からの参加を含め8人が集った。

              高知県民の会新年会、おでんおふくろ
   沖縄に来た時期は、私より早い人もいれば、遅い人もいる。高知の出身地も東は安芸から西は旧大方までさまざまだった。
 初めてお会いする方々ばかりだが、同郷ということから話しはすぐに盛り上がる。
 ジョン万次郎上陸記念碑の建立に尽力された糸満市在住の和田達雄さんも参加し、記念碑の写真や万次郎についての資料を持参して紹介された。みなさん「記念碑を見に行きたい」と異口同音におっしゃっていた。
      高知県民の会新年会
           
 郷里には、まったく帰っていないので、懐かしい思いで一杯だった。
 写真は「在沖高知県民の会」Facebookから勝手に拝借した。呼びかけてくれたハリエコアイさんに感謝したい。
 


 
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「花と食のフェスティバル2018」に行ってきた

 今年も「花と食のフェスティバル2018」が奥武山公園セルラースタジアム那覇周辺で開かれたので行って来た。
 いつも一番寒い時期に開かれる。今日は日中少し日差しがあり、あまり寒くなかった。
    写真は寂しそうだが、たくさんお客さんが見えた。
  
                            
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 JAが中心になっているので、まずは野菜、果物の直売がお目当て。レタス、紅じゃが、セロリ、ブロッコリー、ホウレン草を買い求めた。まだこれから会場を見て回るので、野菜を預かってもらった。このサービスがいい。
 写真のようにセロリの株が大きい。これで200円くらい。いま野菜が高い時、沖縄は一番野菜が豊富なシーズンなので格安で買えるので嬉しい。

                          
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 たくさんの出店があり、どこでも試食ができる。インフルエンザ対策のため、マスクしていったが、さすがに食べたい試食品が多いので、ほとんどマスクを外して食べ回った。一番おいしかったのは、南風原町のミニトマト。楕円形のトマトでとても甘く、トマトらしい味わいだ。
   写真は残念ながらない。

                       
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 泡盛酒造所の店では、車なので試飲はできなかった。ただ、スーパーで売っている泡盛が昨年秋から急に一斉に値上がりしたのでその理由を尋ねてみた。なんと酒造所では値上げしていない。酒税法が改正になったわけでもない。大手スーパーは泡盛を安く仕入れて安く売っていたが、酒小売店はそんなに安く仕入れできないので店頭価格で差があり、小売店から悲鳴が上がっていた。自民党がそのアンバランスを是正するようにさせたので、スーパーの泡盛価格が一斉に値上げしたということらしい。小売店の気持ちはよくわかるが、財布にはひびく。
       
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 回っていると、おばあちゃんが椅子に座っている。これは本物ではなくて、伊計島名物の人形の「東江おばあ」。「写真をどうぞ撮ってください」の呼びかけに応えて、ツレも撮った。どうみても血の通ったおばあちゃんに見える。 

 いつも必ず寄るのが、お肉を販売する「まーさん市場」。今回は、手前で女性スタッフが「まーさん市場に{いいね}を押せば200円引きの割引券をあげます」というので、ツレがスマホから「いいね」を押して割引券をいただいた。
 ツレはさっそく、鶏肉の味付けパック3袋GETした。おきなわ和牛の切り落とし(300g)もお安く買えた。
   鮮魚市場のお店では、天ぷらが人気。お魚、もずく、パセリの三種の天ぷらがあり、列ができていた。三種のミックスを買い求めた。
 早速、帰ってから夕食で、炒めた味付け鶏もも肉、天ぷらを美味しくいただいた。

                    
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 食べ物だけしか買っていないが、お花もたくさん出ていた。色彩が鮮やかだ。
 沖縄は、カンヒザクラが那覇市内でも咲き始めた。梅もコスモスも咲いている。寒い時こそ、花だよりのシーズンでもある。 









 






 


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整骨院で腰痛を治す

 昨年からたびたび腰痛が起きるようになった。若い時代は、同僚が腰痛に悩まされていても、まったく無縁の健康体だった。それが、昨年2月、重いものを持ち上げる作業をしたことをきっかけに、腰痛が出るようになった。
 昨年10月くらいからは、たいしたことをしていなくても、1カ月に1回は再発するようになった。知人のKさんが、「知っている整骨院がありますよ」と言ってくれたが、張り薬を腰に張るなどして何日かすれば治るので行かなかった。
 年が明け新年会に出た際、慣れない椅子に座っていただけでまた腰痛になったので、こうれはもうくせになっているので、なんとかしなくてはと思った。
 ネットで見てみると、腰痛がくせになるということはなく、治ったと思ってもまた痛くなるのは、腰が悪くなっているからだと整骨院の方が解説していた。これを見て、もう整骨院に行くしかないと思って、Kさんに知り合いの整骨院のことを聞くと、Kさんがすぐ予約を取ってくれた。

 市内牧志にあるN整骨院に行った。先生は見るなり「背骨がゆがんでいますね。筋肉もこわばっています。でも治療すれば治りますよ」と言ってくれた。
 背骨がゆがんでいると、背骨で重力を分散する力が弱くなり、結果、周辺の筋肉へ負担をかけ、筋肉に疲労がたまり、炎症を起こし、腰痛が発生する。さらに長期化すると、骨や軟骨にまで影響を及ぼし、骨や軟骨の変形が起こし椎間板ヘルニアが発症する(「diamond男の健康」)という。
 整骨院で何回か治療をしてもらうと、ゆがみが直ってきているとのこと。3,4回通ったところで、昨年腰痛の引き金になった草刈り・清掃の作業があったので、また再発しないか少し不安があった。ところが、作業中少し無理な姿勢をとることがあったけれど、まったく腰痛は起こらなかった。やっぱり腰がよくなっているのだと実感した。
 腰痛の原因は、姿勢の悪さからくるそうだ。先生は私が待合室で待っている姿を見ても「やはり姿勢がよくないですね」とおっしゃる。長年の知らず知らずのうちに悪い姿勢がくせになっているのだろう。
 先生が「よくなりましたよ」と判断してくれるまで通うことにしよう。

 腰痛以外にも、寝ている時に足のふくらはぎがつることが多発し、どうしようもない痛さだった。それも治療を始めて以来、起きていない。マッサージなどの効果だろう。
 加えて、整骨院は保険適用となるので、とっても割安な医療費というのも年金暮らしには大助かりである。
 知り合いの整骨院を紹介してくれたKさんに感謝したい。当初は嫌がっていた私に通院を強くすすめてくれツレにも感謝したい。


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連日の誕生祝いに感謝


 1月8日は70何回目かの誕生日だった。今年は、予想もしていないお祝いが続き、感謝感謝である。
 7日は自宅で家族で誕生日祝いの食事をして、ツレから上等財布のプレゼントをいただいた。
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     前日に祝っていただいたのは、8日はアルテ新年会が赤田カフェであったから。
 ところがアルテでもchikaさんの粋なはなからいで、1月生まれの方3人の誕生祝いをしていただいた。
  この日は初めてお会いする方たちも多数参加していたのに、みなさんに祝っていただき望外の喜びである。
  得意のギターやピアノの演奏、それにあわせて歌い、楽しい新年会だった。

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 10日は毎月恒例となっているフォークユニット「F&Y」のななまかいライブがあった。
 新年初ライブで、常連さんをはじめたくさんのお客さんで大盛り上がりだった。

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     こちらでも、F&YとSSカンパニーの常連のみなさんが、サプライズで誕生祝いをしてくれた。ケーキだけでなく、泡盛や大吟醸の日本酒までプレゼントをいただいた。
 この日は私の他にも2人、誕生日の人がいて、F&Yが3人のため「happybirthday」を歌って祝ってくれた。
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  70歳を過ぎても盛大に誕生祝をしてくれるなんて、沖縄の人たちの優しさ、あたたかさに心から感激した。
 ライブで青春時代の歌を私より若い世代の人たちといっしょに楽しむことは、気持ちを若く保つ上でとっても大事なことだと思う。音楽を通じて、たくさんの人たちと出会い、交流し、楽しい時間を共有することは、とても素晴らしいことだ。今年も大いに楽しみたい。


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