レキオ島唄アッチャー

南島に現れる仮面、仮装の神々、ムックジャー

 竹富島のサングルロウ
 アカマタやマユンガナシのような神事がない竹富島には「サングルロウ」という神が登場するという。
 <竹富島では、旧暦10月の種子取に行なわれる芸能の中に、シュロの皮でつくられたヒゲで顔全体をおおいかくしたサングルロウが登場する。種子取は稲作の豊穣予祝祭であり、顔をかくして出現するサングルロウは、古くは豊穣をもたらす来訪神だったのであろう(外間守善著『南島文学論』)。>

 これまで沖縄の先島ばかり見てきたが、沖縄本島にも草装神の登場する祭祀があるらしい。本部町伊野波のムックジャーだという。
 <沖縄本島北部やその周辺の離島にシヌグと呼ばれる神祭り(豊漁・豊穣予祝祭)があることは広く知られているが、本部町の伊野波では、そのシヌグ祭(旧暦7月末に7日間行なわれる)の中で、ムックジャーと呼ばれる秘儀が行なわれている。秘儀をムックジャーまたはムックジャー踊りといっているが、登場する来訪神もムックジャーといっている。ムックジャーとは、土地の方言で、もつれあう、もつれあっている者、という意味である。
 昔のムックジャーは、顔全体、体全体に草をまとっている草装神だったと古老たちは伝えている(外間守善著『南島文学論』)。>

 ムックジャーは、「たいへんみすぼらしい姿をした人間である」といういい伝えと、「村に幸福をもたらしてくれる神である」という二つのいい伝えがあって定まらないそうだ。外間氏は「二つのいい伝えはともに正しいと思う」とのべている。
 <異界からの来訪神は、荒海を渡り歩いて漂泊の旅をしてきたいわゆる「まれびと」である。やせ衰えるほどにやつれ、みすぼらしい風体であったと思う。それがたどりついた島や村に居ついて、漁撈や稲作に関する文化や技術を伝え、村の繁栄の力になったことで、いつのまにか、村人にあがめられる文化英雄(カルチュアヒーロー)となり、神格化されていったものと思われる。…
 シヌグという神祭りの体形的構造の中でムックジャーをとらえ直してみると、ムックジャーこそ、稲作を中心にした農耕文化をもたらした遠来の人であるわけで、だからこそ、つぎ当てのしたみすぼらしい風体であるわけだし、豊穣を象徴する「かまけわざ」(注・生産を象徴する性交模倣儀礼)を行なって、村人に繁栄をもたらすことのできる神にもなるわけである(外間守善著『南島文学論』)。>
 これらのついては、他にあまり資料が見当らないので、外間氏の著書から紹介した。


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「ジョン万次郎と西郷隆盛」テーマに講演

 沖縄ジョン万次郎会総会が5月20日、豊見城市社会福祉協議会ホールで開かれた。総会の後、守部喜雅氏(歴史作家)による「ジョン万次郎と西郷隆盛」と題した講演が行われた。

 守部氏は、クリスチャン新聞の編集部長を務めたジャーナリスト・作家である。講演は「日本の最初の国際人」であるジョン万次郎の精神性が世界に誇れるものであるとの視点から話された。講演の要旨は以下の通りである。

 西郷と万次郎は文政10年(1827)生まれで同じ年に生まれた。万次郎の子孫、中浜京さんは「万次郎が残してくれたものは隣人愛です」とのべているが、西郷も同じである。内村鑑三は、西郷の政治は二流だが、内面性は世界の誇れる、それは隣人愛であるとのべている。

 
  第
30代米大統領のクーリッジは、万次郎の帰国はアメリカ最初の大使を日本に送ったに等しい、彼がアメリカの姿を知らせたのでペリーは友好的な扱いを受けたとのべている。

 西郷は、万次郎が琉球から薩摩に連れて来られて島津斉彬と会った時はまだ会うのは難しかった。10数年後、久光により薩摩に招かれて航海術や海外情報など教えた際は、万次郎と会っていただろう。

 西郷は、1868年、鳥羽伏見の戦いを境に考え方が変わった。会津藩、庄内藩との戦いで、降伏した庄内藩主を2年間謹慎だけの「愛と許し」を実践した。日本の精神史になかったことである。

 勝海舟と万次郎が行ったという200年の歴史ある東京のうなぎ屋を訪れた。万次郎は一人で来る時は、いつもうな重を半分残して土産にしてくれと言う。「ケチな人」と見られたが、実は橋の下に住む貧しい人々に与えていた。弱者につねに寄り添う人だった

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 西郷は聖書に出会い人生観が変わった。遭難した万次郎を助けたホイットフィールド船長は敬虔なクリスチャンだった。万次郎を学校に入れ、教会に連れて行き、聖書をプレゼントした。日本に帰る時、聖書を持っていなかったのは、キリスト教が禁止され迫害されていたから。万次郎が長崎で牢獄に入れられたのもキリシタンの疑いを持たれたから。

 下田市の了仙寺(りょうせんじ)に万次郎が親しい人に贈った扇子に英語で文字が書かれている。訳すると「私は聖書を読めたおかげで今日の光栄を受けた。神を歌い続けよ、永遠に」。彼の内面性が出ている。「隣人愛」を大切にし、それに生きた人だった。

 万次郎の晩年は寂しかったが、最後まで弱い人に寄り添う生き方をした。多くの偉人が出ているけれど、このような精神性を持った人を他に知らない、私たちも学びたい。

 西郷と万次郎を, 精神性という新たな視点からとらえた講演だった。

 

 


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南島に現れる仮面、仮装の神々、小浜島のダートゥーダー

 小浜島のダートゥーダー
 小浜島で旧暦8月の結願祭の時に行われる「ダートゥーダー」と呼ばれる芸能は、ひときわ変わったお面の芸である。
 「高い鼻の黒いお面、金太郎のような前掛けを着けた4人のダートゥーダーが『フッ』という声で飛んだり、組み体操のようなコミカルな動きをしたり、見る人を引きつけます。歌や動きの意味は謎の部分が多いそうです」(「琉球新報」2016年2月28日付)
 ダートゥーダーはしばらく途絶えていたけれど、2001年の結願祭で75年ぶりに復活した。その由来は意外である。
 「山岳信仰の修験道(山にこもった厳しい修行で悟りを開くことを目指す)を実践する修験者の遊行芸として、全国で邪を払い、福を招いてきたものが元です。それが島に伝わった」(同紙)。
       

 このダートゥーダーは、悪魔払い、厄払いの神で、草装、仮面神として出現したが、最近は草装をしていないという。
 <八重山各地に出現する草装、仮面神は、アカマタ・クロマタ神をはじめ、一般に稲作、粟作の豊穣に感謝し、予祝する来訪神であるが、小浜島、新城島のダートゥーダーだけは、豊穣予祝にかかわりのない厄払いの神として意識されているのは異色である(外間守善著『南島文学論』)>。

 まだ小浜島に行ったことがないので、この芸能の実演も見たことがない。でも、YouTubeでアップされている動画を見ると、これは八重山の祭祀、芸能とは異質な芸である。「豊穣予祝にかかわりのない」神というのも、大和の「修験者の遊行芸」にルーツがあるからなのだろう。それにしても、なぜこうした芸能が小浜島だけ伝わったのだろうか。かつて、島民に災いがあり、それを契機に厄払いの神として受け入れたのだろうか。

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アルテで「梅の香り」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーが12日夜開かれた。今月のテーマは「香」。新しい出演者や久しぶりの方も出て、充実した音楽会だった。
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 時間がないので自分達の写真だけアップする。
 私は、「梅の香り」を歌った。2度目だが、題名が合致するからあえて歌った。
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   ツレのピアノとのコラボで「ファムレウタ」も歌った。

 ツレは、越智さんのトランペットとピアノのコラボで「バラ色の人生」を演奏。ピアノ弾き語りで石川さゆりが歌った「朝花」を歌った。ピアノソロでは「ショパンワルツイ短調遺作」を演奏した。

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これは行き過ぎでは、図書館のコピーチェック

 先日、那覇市立図書館に行って、歌碑についての本のコピーをした。2ページ分、計3枚という少ないコピー量だ。書いていた申込書を職員に提出すると、コピーした内容をチェックするという。コピー不可の本なら本を見ればわかる。コピーした内容まで職員が見るというのは、市民のプライバシーの侵害に当たるのでは、と意見を述べた。すると、コピーは一人1部しかできないので、内容を見ないとチェックできないから見る必要があるという。
 著作権法を読むと31条では図書館の複写サービスは本の一部に限り一人1部複写できると確かに書いている。だが、30条では、私的使用のためのコピーはそういう制約はない。
 条文の解釈には、諸説あるようだが、31条は図書館側が複写して提供するサービスのことであり、利用者が自分で複写するコイン式のコピー機の場合は、30条の「私的使用」にあたるのではないか、ともされる。となれば、一人1部の制限はないことになる。
 ネットで図書館のコピーについての事例を検索すると、図書館職員がコピーした内容を厳しくチェックする自治体もある。だが、たとえそういう制限があるにしても、コピー内容までチェックするのは多忙な職員にとっても負担になるので、チェックまでしないところも多い。私がこれまで利用してきた各地の図書館は、コピーの内容までチェックする自治体はなかった。同じ那覇市の図書館でも、以前はそこまでチェックすることはしていなかった。県外の自治体では、もうコピーの申込書そのものを廃止しているところもあるらしい。
 「本を借りてコンビニなどでコピー―すればいいのではないか」ともいう。だが、貸し出しできない図書のコピーも必要な場合がある。
 著作権法で著作者の権利を保護するために制限を課すのはやむをえないとは思う。ただ、市民がおこなったコピーの内容までチェックするとなると、なかには何をコピーしたのか内容まで知られたくないと思う人もいる。コピー内容をすべて見るとなれば、まるで監視されているようで、市民のプライバシーの侵害につながる恐れがある。著作権法を無視しろというのではないが、市民のプライバシーを守るための配慮も必要ではないだろうか。
 今回のケースでは、図書館側には著作権法の杓子定規な解釈しか頭になく、市民の人権はまったく念頭にないというところに問題があるように思う。
 図書館職員も人出不足で忙しい上に、コピー内容のチェックまでやらされるのでは負担が大きいだろう。コピー利用者に、「一人1部」という制約があることを目立つように掲示して周知すれば、行き過ぎたチェックまでする必要はないのではないか。その方が、職員にとっても利用者にとってもプラスになると思うがいかがだろうか。
 
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南島に現れる仮面、仮装の神々、アンガマ

 八重山各地のアンガマ
 八重山では、旧盆に、祖先を表わすとウシュマイとンミーの仮面を付けた二人を先頭に踊り手らが家々を訪ねて歌、踊りを披露するアンガマが有名である。これはアカマタのような秘祭ではない。
 盆アンガマは、盆と祖先神にかかわりをもつもので、「豊穣予祝のための節アンガマとは機能が異なる」という(外間守善著『南島文学論』)。
<アンガマには2系統あり、ひとつは八重山の治者階級であった石垣島四ヶ字の士族で行われていたもので、もうひとつはその他の離島や農村部落で行われていたものである。

                       
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                      石垣島のアンガマ(2010年、青年ふるさとエイサー祭から)
 石垣島四ヶ字のアンガマは、後生(あの世)から来た精霊の集団が仮面などで仮装している。その中で特にユーモラスな好人物的面をかぶった翁(ウシュマイ)と媼(ンミ)が中心で、そのほかは花子(ファーマー)と呼ばれ翁と媼の子や孫にあたる。ソーロンの三晩、ご一行は所望される家々を巡り演技を披露。道を練り歩きながら三線、笛、太鼓を奏でる。…
 離島のアンガマはウシュマイやンミは登場しないが、後生からきたとされる集団が、家々をまわり、踊りや歌などの芸能を披露して祖先を供養するのは同様。竹富島では、絣の着物姿で頭巾・クバ笠で顔を隠した女性たちや、三線・笛・太鼓を奏でる島の地謡が家々を巡り、先祖供養の芸能を披露する。各家で最後に巻踊り(円陣舞踊の一種)を踊り、やがて曲調が「六調節」に変わり乱舞でしめることが多い(「やいまねっと」HPから)>。

 
 西表島の節アンガマ
 西表島の祖納では、旧暦9月の節祭(三日間)に、節アンガマと呼ばれる芸能が行なわれる。
 <節祭(しち)とは年の節目を意味し、海の彼方より幸を迎え入れる行事です。毎年旧暦10月前後の己亥(つちのとい)の日から3日間、八重山諸島の西表島の祖納(そない)・干立(ほしだて)地区で行われ、豊作への感謝と五穀豊穣、健康と繁栄を祈願します。
 約500年前からの伝承と言われ、国の重要無形文化財にも指定されました。両地区とも福々しいお面の「ミリク様」という神様が登場することで有名です。
 祭りのメインは2日目の「世乞い(ゆーくい、神を迎える神事)」の日です。演舞、ミリク行列、狂言、棒術、獅子舞などの芸能が奉納され、沖から岸に向けてハーリー競漕が行われます。これは海の彼方から五穀豊穣がもたらされることの象徴とされています。
 干立地区では、「オホホ」がオホホーと奇声を発し、札束を見せびらかしながら滑稽な動きを見せます。「オホホ」は鼻の高い仮面に異国人風のブーツをはいた奇妙な格好をしていて、一説には、昔、島に流れ着いた外国人をモデルにしているのでは、とも言われています。両地区とも集落共同体を一体化させる祭りとして継承に努めています(旅行予約サイト「たびらい」HPから)>
          
 西表島の節祭では、布で顔を隠し、変装して舞う女性を「アンガマ」というそうだ。
 <此の祭事は農家では1年中での最も重き行事として、各島各村落でシチィ踊、爬龍船、マヤヌ神其他の催し物があって賑かである。西表島のシチィ祭のときは若い青年は爬龍船競争に全力を注ぎ、婦女子等は布で顔を隠くし頭上には編笠を被って変装した2婦人を中心に、村中の婦女子が取り囲んで舞い狂っている。この変装せる婦人を「アンガマ」と称している。これは或いは盆踊のアンガマが覆面変装せる所から、それに似ている点から、竹富や西表のアンガマが生れたのではなかろうかと思われる。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

 変装した女性を「フダティミ」と呼ぶらしい。
 「黒装束のフダチィミは2人。クバ笠を被り、手には扇子を持つ。フダチィミは、数ある沖縄の説祭りの中でも祖納の祭りだけに見られる。(「あみたろう徒然小箱」ブログから)
これはやはり来訪神ではないかとされる。
 <円陣踊りは海辺で行なっており、顔をかくして登場するフダチィミは、おそらく海の彼方からやってくる来訪神で、海神の変化だったであろう。その素性は知られていない。今では、来訪神としての神から芸能の神に変わっている(外間守善著『南島文学論』)。>

 祖納の節アンガマには由来伝承がある。
  <節アンガマ踊りは伝説によると、慶来慶田城(ケライケラグスク、西表島の酋長)の娘と日本々土から来た舟乗りで、祖納駐在員(鉄器を持って来て大平井戸=ウーヒラカー=を掘った人)とが恋仲となり、慶来慶田城の弟嫁のはからいで、男についてこっそり夜中船出して日本々土に渡ったが、5,6年後にまた夫婦で西表祖納に帰って来た。唱と踊りは、その時にもってきたものであると伝えている。唱はすべて七五調の国語でうたってある(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』)>。


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那覇ハーリーでライブが楽しむ

 那覇ハーリーが今年も5月3日から5日大勢の人々でにぎわった。 3日は、あいにくの雨で、中学校対抗ハーリーは、予選のタイムだけで順位を決めた。一般のハーリーは中止された。
 4日のライブがお目当てなので、この日に出かけた。4日は、前日とはうってかわり晴。日差しは暑いけれどなぜか爽やかな好天だった。
 午後5時からは、ジャズボーカルの安冨祖貴子さんのステージがあった。安冨祖さんの迫力あるジャズやブルースの歌声、ウッドベースの真境名陽一さん、ギターの知念嘉哉さんとの息の合った即興演奏は聴きごたえがあった。とくに、ウッドベースの音色に聞き惚れた。

   
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 舞台が西向きなので、日差しが眩しいのが気の毒なくらい。でも、そんなことは気にしないで、楽しく歌う安冨祖さん。ジャズの醍醐味を味わえた。
 このあと、オリオンビールのCМ曲をよく歌うmanamiさんが登場した。
 
   
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 最後はディアマンテス。いつの間にかの客席のイスだけでは足りなくて、回りにみなさん座り込む。お客さんも倍増していた。
 いきなりノリのよい「勝利のうた」から始まったので、たちまちステージ前からみなさん立ち上がった。立たないと全然見えない。

    
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   「三線片手に」「ヘイ!二才達」などヒット曲を次々に歌い、もう会場は盛り上がりっぱなし。アンコールの「シェリトリンド」で最高潮となった。すべての曲がラテンのリズムで高揚する。沖縄にはラテンがあっているとつくづくと思った。
 安冨祖さんやディアマンテスのような素晴らしいアーティストのライブが無料で楽しめるなんて、オリオンのお蔭だ。 
 帰ってきて朝起きると、サングラスがなくなっていることに気づいた。夜ははずしてポケットに入れていたので、会場か帰りのタクシーで落としたのかもしれない。もうサングラスなしでは過ごせないので買い求めた。

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ジョン万次郎上陸記念碑が動画に

 糸満市大渡浜海岸に建立されたジョン万次郎上陸記念碑がYouTubeにアップされたので紹介する。   
  
 
  音楽は、三田りょうさんが歌う「ジョン万次郎のうた~忘れもしない肝心~」である。
 とてもよくできた記念碑だと思うので、是非一度現地で見ていただきたい。
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南島に現れる仮面、仮装の神々、川平のマユンガナシ

石垣島川平のマユンガナシ

石垣島の川平では、旧暦9月の節祭(5日間)の初日に、マユンガナシ(真世加那志)と呼ばれる来訪神が出現する。節祭は豊年の予祝祭である。

<川平村の年中行事の中でも「節祭(シチィ)」は村の最も重大な行事である。その節祭の中も「まやぬ神」(注・マユンガナシ)の行事は其の生命線ともいうべきもの。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>。

「マユンガナシ」とはどのような神であるのか。

<川平のマユンガナシは、顔を手拭でかくし、クバ笠をかぶり、クバ蓑をまとい、マヤ棒と呼ばれる六尺棒をたずさえて現われる。これまた来訪神の典型的な扮装である。二神一組で各戸を訪問し、来年の豊穣を予祝し、家族の無病息災、牛馬の繁盛を約していく。(外間守善著『南島文学論』)>

 

    

「マユンガナシ」はもともと、石垣島裏地区の農村“川平、仲筋、桴海、野底、伊原間、平久保”の地域で行われていた。「明治20年以降村村の人口の移動がはげしかったので行事が中止となり消滅してしまった。現在は川平だけに残されている行事である」(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』)。

 石垣島の村々に豊年をさずけ、生活の安定を与えるために来訪するニライの使者は、真世ん加那志とニール人(ピトウ、注・アカマター神)の二つの神事がある。

 <ニール人は旧暦6月、穂刈(プーリイ、豊年祭)の二日目「来年の豊年予祝祭」の夕暮に神の座敷、ナビンドーから出て、村に現われ家家を祝福してまわるが、真世ん加那志は旧暦7月、9月の戊・戌の日からはじまる節祭の夜遅く村の家家を祝福してまわる。(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』)>

 

マユンガナシの由来伝送

川平地域の「マヤヌ神」(注・マユンガナシ)の由来伝承は、「上の村と下の村の伝承」があり、必ずしも一致していないという。

<この「マヤヌ神」のことをまた「真世加那志(まゆんがなし)」とも尊称する。この「真世加那志」は「まーゆんがなしー」とも言い、「マヤの世(ゆう)加那志」の転訛である。マヤの国はニライカナイの思想と等しく、「ニーラン」の楽土即ち理想郷である。そこから来訪される神のことで、「根来(ニーラン)」からの遠来神である。この「真世(まーゆん)」は「マヤの世(ゆー)」の転訛で、「マヤ」から「マユ」になり、「マァ世(ゆ)」に再転している。即ちニロー神のことを「大世持(うふゆむちい)」「広世持(ぴるゆむちい)」の神と言うのと全く同様に、この神は「真世持(まーゆむちい)」の神という。これ等の「大世(うふゆう)」「広世(ぴるゆう)」「真世(まーゆう)」はすべて対語となっている(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)。>

 

注目されるのは、「由来の伝来の中には『ニロー神』の由来伝承に何等か類似しているところもあり、研究を要する重要な問題である」と喜舎場氏は指摘していることである。

<ことにこの部落の「ニランタ大親神」(注・旧暦二月カタビの日に迎える)との関係は特に重要であろう。この「ニランタ大親」は「ニライ」の国から来訪される神であることから「ニランタ大親」と尊称しているが、私はこの「ニランタ大親」と「真世加那志」とは同一神ではないかと考えている。これ等の神々は等しく遠来神であり、ともにその祝詞を宣り終ってお帰りなるという行事の次第から考えると同類神である。いずれにせよこれ等の神々は豊年を招く農業神であり、今日もなおその行事が盛大に取り行われているのである(同書)。>


喜舎場氏は、すでに別の論考で次のように指摘していた。
 <この「ニランタ大親」のことを部落では「真世神」と尊称し、「まーゆーがん」とか「まーゆんがなしい」などとうやまう。「マヤヌ神」はあくまでその別名である(同書)。>

ともに遠来神、農業神であり、「同一神」「同類神」ではないかという推察は興味深い。


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南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその3。禁止令

アカマタに王府から禁止令が出された

アカマタ祭祀に対して、首里王府は禁止令を出して抑圧しようとした。八重山民謡の「赤また―節」の歌詞は、アカマター・クロマターが訪れる島の豊年祭には、遊び楽しむのが昔からの古い習慣だから、どうぞ許してくださいと役人に懇願する。さらにお許しだから、今年の豊年、来年の豊年を祈願して踊り遊ぼう。これからも「心が変わらないで下さい」と懇願する内容である。

<このような「神遊び」ともいうべき神行事に対する禁止示達令は当時の首里王庁から度々出されていた。ところが部落民達のその行事に対する執着は異常なほどに強く、一向にその禁止令は利き目が無かった。勿論のこと部落民等の嘆願があったことは当然であるが、もしこれを権力で弾圧すればするほど農耕に逆効果をもたらし兼ねなかった。そこで首里政庁においても遂にこの八重山諸島における「神遊び」を容認せざるを得なくなった。その時の古文書なども今日のこっている。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

アカマタ―禁止令は、農民の歌い踊る楽しみを奪うだけではない。もし、豊年の祈願の祭りができないために不作、凶作に見舞われれば、重い人頭税の納税に困窮し、はては飢餓にも見舞われる恐れがある。農民が異常なほどこの行事に執着したのは、そんな事情があるからだろう。

 

「ニールピトゥ」はニライ・カナイの人

アカマタ神は、「ニロー神」「ニール神」と呼ばれるのはなぜだろうか。そこにはどのような意味があるのだろうか。

<この「アカマター神」の名称もまた小浜島では「ニロー神」と呼ぶが、石垣地方では「ニール神(ピトウ)」とよぶ。勿論全身草や蔓などで仮装して来訪する神である。すなわち賓客(神)である。宮良村では「ニール神」または「ニーロ―神」と尊称し、以前は今日のように「アカマター」などとは俗称しなかった。この「ニールピトゥ」は「根の国」「底の国」の人の意で、沖縄本島地方における「ニライカナイ」の神を意味していよう。…

川平部落では旧暦「2月タカビ」の日に、「ニランタ大親」をスクジ御嶽で迎える儀式がある。この儀式はこの1年間風干の災害がなく、五穀豊穣であることを祈願する儀式であるが、その際の祝詞の一節に、

「授けられるなら、天の大世をどうぞお恵み下さい。二ラン底・タラースクの世をばお願いします。…」

という文句がある。この祝詞中の「天の大世」も「二ラン底世」も豊年太平の世を意味する文句である。


 この「ニランタ大親」は、
2月タカビの日にこの島に来訪され、豊年の神として島の守護神となられ、9月の節祭(しいち)りの第5日目にまた「ニーランの国」へお帰りになられるが、その別離にはそれこそ盛大な儀式が催される。この「ニランタ大親」のことを部落では「真世神」と尊称し、「まーゆーがん」とか「まーゆんがなしい」などとうやまう。「マヤヌ神」はあくまでその別名である。…

このように八重山地方においては、神が遠く(根の国)から来訪するという信仰習俗がある。竹富島などの場合には、各戸を訪問するという形態はとらないが、その他の「アカマター神」の神事や「マヤヌ神」の神事などでは、いずれも神がおのれの身を粉飾し、各戸を訪問するという形態をとり、しかも豊年の神としての同じような性格をもって訪れてくるのである。そこには何んらかの類似性があり、またその名称上においても同様であるが、極めて興味深いものがある(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)。>


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