FC2ブログ

レキオ島唄アッチャー

アルテで「パーマ屋ゆんた」を歌う

   毎月恒例のアルテミュージックファクトリーが10日夜開かれた。今月のテーマは「感」。みなさん、「感謝」「感情」「感性」など、「感」にかかわりのあるテーマで演奏された。
 今月も、自分に関わりのあるものだけを紹介する。
 越智さんは、トランペットで「フィーリング」を演奏。ツレがピアノでコラボした。
 
         DSC_4814.jpg
  私は、風邪をひいて前日まで出演を心配していたが、この日はとても気分がよくなり出かけた。
 ビギンが歌った「パーマ屋ゆんた」をツレのピアノ伴奏で歌ってみた。内地に進学や就職で旅立つ前、髪をカットしてもらいにきた娘さんに店のおかみさんが話しかける歌詞になっている。とても男性が作ったとは思えない細やかな感性にあふれる歌詞に感心して選んだ。本番になると上手くは歌えない。
 
    スナップショット 2 (2018-11-11 13-51)
 ツレは、ピアノ弾き語りで、カッチーニ作曲、平原綾香作詞の「アヴェマリア」を歌った。平原綾香の歌うクラシック曲にすっかりはまっているようだ。
 
           DSC_4819.jpg
   ピアノソロでは、シューマンの「トロイメライ」を演奏した。覚えたばかりとは思えない落ち着いた演奏だったのではないか。
  エントリーは多くはなかったが、久しぶりの方の演奏もあり、イタリアからの留学生の飛び入りもあり、楽しい演奏会だった。
            IMG_5753.jpg
 主宰者の越智さんいわく。「アルテ・ファクトリーもイタリアの方、韓国、中国からの方も見えて、最近は国際的になってきたのではないか」。
 出演者が多彩になると、音楽もバラエティーに富んで、いっそう楽しくなるのは嬉しいことだ。

スポンサーサイト
音楽 | コメント:0 | トラックバック:0 |

八重山と宮古の民謡の交流、その3

「八重山とうがに」と呼ぶ地区も


伊良部島では「とうがに」を「八重山とうがに」と呼ぶ地区があるらしい。

三隅治雄解説書『沖縄音楽総覧(宮古民俗芸能謡篇)』の中に、伊良部トーガニについて次のように記されているという。

<『…現行の「とうがに」を聞くと、その旋律が八重山地方の「とばらま」(省略)に似ていて、それとの関連が一方に考えられます。

伊良部島の佐和田地方ではこの「とうがに」を「八重山とうがに」などと呼んでいるそうです。』(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>


 三隅解説書でも、「とうがに」の旋律が「トゥバラーマ」と似ているとし、伊良部島佐和田では「八重山とうがに」と呼ぶとのべている。なぜ「八重山とうがに」と呼ぶのだろうか。それだけでトゥバラーマと関係があるといえるのだろうか、不思議である。

新崎氏は「これ等、伝承から推測する限り伊良部トーガニは八重山のトゥバラーマと何等からの関連があるような気がしてならない」として、再度、喜舎場永珣著『八重山民謡誌』に記載されている次のような伝承を紹介している。


 <○…この歌謡は、登野城村の故金城長保氏の祖先が黒島首里大屋子職時代に、
公物宰領役として、上沖の際、宮古島八重干瀬で座礁、難破したところを島民ならびに宮古蔵元に救けられ、手厚い介抱をうけたうえ、新造船を与えられて帰省したが、途中、ふたたび疾風にあい、西表島西南にある中神島(ナカノオン)に漂着した。(中略)

○…(省略)この歌は今から167年前頃の作である事は推測される。この歌は黒島首里大屋子が宮古に滞在中に、島の女と恋愛していたが、いよいよ別れの際に即興詩となってあふれ出た歌だと伝えられる。それは囃子に「湧川の親ガマ主」と宮古語を謡っているのでもわかる。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>

<これ等、双方の資料を総合してみると、先に述べた佐和田地方に伝わる「八重山トーガニ」(伊良部トーガニ)は八重山のトゥバラーマとの関連が深く、おそらく、黒島首里大屋子湧川氏が離別の際、その悲しみを即興で謡った歌、「昔トゥバラ―マ」のメロディーが、その地方に流布し、それが何時しか、トーガニ風の発想で現在歌われている「伊良部トーガニ」へ衣更えし発展していったのではないかと推察される。(同書)>

新崎氏は、こうした伝承からすると、八重山のトゥバラーマは宮古から伝わったという「亀川正東氏の随想『音楽異聞』の説は、むしろ、逆ではなかろうか」とのべている。

 

              
      

喜舎場氏が採取した伝承を読むと、首里王府に出かけた際の八重山、宮古など島人の交流や船の遭難、漂流で、滞在した際の交流などを通してお互いに民謡を歌いあい、交換する機会がたびたびあったことがわかる。

ただし、黒島首里大屋子の湧川氏が、滞在中に恋仲となった女性との別れの悲しみを歌った「昔トゥバラーマ」が流布したという伝承は、まだとても信じられない。

というのは、何よりも伊良部トーガニは、別れの悲しみを歌った曲ではないからだ。

 伊良部トーガニは、宮古島にいる男性が伊良部島の愛する女性に逢いに行く内容の曲である。歌詞では「伊良部島との間には休む瀬があればよいのに」「小さな舟で瀬を渡り、水巣で舟を休めおいで下さい」「板戸は音高いので、音の鳴らないムシロの戸を下ろして待っていて下さい」と歌っている。歌詞が時代とともに変化するのは常識だが、この歌詞は、これだけ物語としてまとまっていて、他の歌詞から加工してできた歌の内容ではない。歌詞をすべて作り直して別の歌詞にした替え歌はあるが、この曲の場合は、旋律と歌詞がよくマッチしていて、とても替え歌とも思えない。

  「伊良部トーガニは即興的な叙情歌で、推定500600年前に伊良部島の歌の名手トーガニ(唐金)が歌ったものとされ、後世の歌い手が編曲した」。「伊良部トーガニまつり実行委員会」はホームページでこのように説明している。


 島で干ばつが続いたため、唄の上手いトーガニが雨乞いの唄を習うために、八重山へ赴き、帰りを待つ娘さんが生き神になったという伝説もあるそうだ(「美ら島物語」HP「沖縄の島唄めぐり 恋ししまうたの風 第10回 伊良部トーガニ」)。
 八重山に雨乞いの歌を習いに行くという習慣があったとは、驚きである。とても興味深い話である。
 


沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

八重山と宮古の民謡の交流、その2

八重山と宮古の民謡を交換?

八重山と宮古の民謡の旋律の類似点について、新崎善仁氏は、喜舎場永珣著『八重山民謡誌』に記載されている伝承を次のように紹介している。

「八重山の古老の伝承によると、那覇での公用がすむと、先島の人々は集まって、各島の民謡を歌って慰安会を催した。そこで八重山民謡のアガロウザ節を宮古人へ伝授したのに対して宮古からは、トゥガニゾーサーの歌を交換的に口伝したという。」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)

首里王府に公用で出張した役人の慰安会で、八重山と宮古の民謡を交換したという伝承は興味深い。
 私が通っている八重山民謡サークルの先生からも、「あがろうざ節を宮古の人にあげて、宮古から別の曲をもらったらしいですよ」と聞いたことがあった。この喜舎場氏の著作が根拠になっているのかもしれない。喜舎場氏は、「あがろうざ」は、大宜味信智の作としている(『八重山民謡誌』)。「おそらくユンタの子守歌を節歌へ改作したものであろう」(仲宗根幸市編著『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)。つまり大宜味氏のオリジナル曲ではなく、ユンタとして歌われていた曲を、三線で演奏し歌えるように工工四(楽譜)に編曲したということだろう。

             

「あがろうざ」と「東里真中」は同名異曲

仲宗根氏は、八重山の「あがろうざ」と宮古島にある「東里真中」(あがりざとぅんなか)という子守歌は「同名異曲」とする。次のように解説している。

<「あがろうざ」とは石垣島では東の村里(登野城ではないか)とみられている。

ところで、宮古に「東里真中」という子守歌があり、歌の内容、旋律も両地の歌は似ている。八重山の人はおらが島がルーツといい、宮古では自分たちのところがルーツと主張している。歌詞に「とぅぬすく」が出てくるので、八重山の人たちは「登野城」と解釈し、宮古の人たちは「己ぬ城」(自分の屋敷内)と考えている。

どちらがルーツで古いかは未解明だが、八重山の歌は子守歌のユンタから発展し節歌となって洗練され、宮古のあやぐは素朴でより情緒的な感じを受ける。二つの歌とも抒情性豊かな美しい旋律が魅力である>

仲宗根氏は、ルーツについて判断せず、「どう関連しているかが究明の課題となろう」とのべている。        


            
 注目される「九年母木」の歌詞 

どちらの曲がルーツであるのかを判断するのに、なにより重要なのは歌詞に出てくる「九年母木(くにぶんぎ=ミカンの木)」だと思う。「あがろーざ節」では、「九年母木ぬ下なか 香さん木ぬ下なか 子守りゃ達ぬ揃る寄てぃ」と歌う。「ミカンの木の下に守姉が集まっている」という歌意である。それはたんなる情景描写に過ぎない。歌全体の中でミカンの木は特にたいした意味を持たない。
 しかし、宮古の「東里真中」は異なる。次のような歌意である。

自分の庭にミカンの木を植える。ミカンの木が生長して、人の丈ほどになり、花を咲かせ、実をつければ、守姉の仲間が集まって、ミカンの玉を剥いて遊ぼう、私がお守りしてあげたら、ミカンの木のように、香り高い木のように、島中、国中にとどろく偉い人になりなさいと歌う。

「守姉が自分の子守した子どもの成長、又は立身出世を願う心情を蜜柑の木の植栽から成木期になるまで渾身を込めて栽培し育てた過程になぞらえて歌われる子守歌」(真栄里孟編著『宮古古典民謡工工四』)。
 ミカンの木の成長と子どもの健やかな成長が重ね合わされており、ミカンの木はこの曲のキーワードのような意味を持つ。ミカンの木を軸にして、曲全体に論理的な一貫性がある。つまり、どこかの曲を元歌として、歌詞を少し変えたり、継ぎ接ぎした曲ではありえない内容である。

以上の理由で、私は宮古の「東里真中」が元歌であると考える。ただし、「東里真中」と「あがろーざ」は、歌詞は共通性があるけれど、演奏を聴いても、前奏からまるで違うし、旋律を聴いてもあまり似た感じがしない。不思議である。

両曲のどちらが元歌なのかは、もはやあまり意味がない。「あがろーざ」は八重山民謡のなかでも、私は大好きな曲である。旋律も素晴らしいし、子どもの健やかな成長と、学問をしっかり身につけて、立派な人になってくださいと願う歌詞の表現は、「東里真中」を超えるものがあるのではないだろうか。





沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

八重山と宮古の民謡の交流、その1

 八重山諸島と宮古諸島は、いずれも民謡の宝庫である。味わいは少し異なるが、それぞれ名曲があり、愛されている。
  八重山の名曲といえば「トゥパラーマ」がまず頭に浮かぶ。ところが、この曲は宮古のアヤグに影響を受けたという話を聞いて少し驚いた。逆に八重山から宮古島に伝わった民謡の伝承もある。宮古島と八重山の民謡はお互いにどのように影響を及ぼしたのか、その伝承の事例を少しだけ探ってみた。

 

「トゥバラーマ」が宮古から伝わったという説の有力な根拠として、その趣旨がかつて新聞記事で掲載されたことがある。新崎善仁著『八重山民謡の考察』(1992年出版)の中で「トゥバラーマの歴史的原点」について考察した論考があり、その中で紹介されている。


 「トゥバラーマ」は宮古から伝わった?

 新崎氏によれば、先年(掲載時期は不明)、「琉球新報」随想欄に、琉球大学教授亀川正東氏の「音楽異聞」が掲載された。新崎氏の記憶によれば、次のように記されていたという。

 「八重山民謡と言えば、今でこそ、琉球のティピカル(注・代表的)なものとして内外にひろく宣伝され、愛唱されているが、その反面、宮古民謡はさほどかえりみられない状態である。しかし、厳密にいうと、八重山民謡の多くの曲の原形は、宮古民謡にさかのぼり、その例えをトゥバラーマや、アガローザーに採って、前者は宮古トゥガニー、後者は、アガリザトンナカをアレンジしたものである。」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)

            
 この記事が掲載された当時、「八重山の民謡界に大きな波紋を投げかけ一時騒がれたことがある。あれから、すでに
20年の歳月を経ていますが今もって、宮古の民謡界の中には、その当時の説を鵜呑みにしておられる方がおられることは、八重山民謡界の将来に悔いを遺すことにもなりかねないと思い、今一度、その歴史的背景を明確にする必要があるのではないかと思う」(同書)。新崎氏はこう記している。

 亀川氏が何を根拠にして、八重山の「トゥバラーマ」や「あがろうざ」が宮古民謡をアレンジしたものと断定したのかは、残念ながら不明である。八重山民謡の中に宮古民謡を採り入れた曲がいくつもあることは確かである。私もこのブログで、「あがろうざ」や「でんさ節」は宮古民謡が原曲ではないかと推理したことがある。ただ、「トゥバラーマ」の場合は、どうも宮古民謡の香りがあまりしないので、にわかに信じられない思いである。

 
 新崎氏は、亀山説に次のように異論を唱えている。

<若し、仮に「音楽異聞」のお説のとおり、八重山民謡の多くの曲の原形が、宮古民謡をアレンジしたものであるならば、少なくとも、八重山民謡のどこかに宮古的な香りと、持ち味が感じられなければならない。しかし、八重山民謡「トゥバラーマ」や「あがろーざ」のメロディーや、曲想からは、微塵も宮古的なものは感じられない。八重山民謡は、あくまでも八重山という豊かな自然と風土の中で醸し出された大陸的な感じがする。

 民謡の発生から開花までの歴史的過程を辿ってみると、それぞれの異なった土壌からは、決して同質な文化は育たない。しかるに、宮古民謡の原形は、あくまでも、宮古の土壌が遺したアヤグが、その基本的な形であり、八重山民謡は、八重山の風土の中で育ったアヨー、ユンタ、ジラバから発展している。

 このように、両民謡はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺産であって、そのため、その価値は高く評価される。
            

次に、本題の伊良部トゥガニーについてふれてみよう。伊良部トゥガニーの旋律を聞いてみると、確かに、部分的には、トゥバラーマに似ているところもあるが、しかし、その旋律やリズムを分析検討してみると、前奏、間奏の部分は、むしろ、トゥバラーマのメロディーよりも、デンサ節の旋律の部分に変化をつけ、ところどころに、トゥバラーマのメロディーに似た旋律を採り入れた感がする。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>


 伊良部トーガニとトゥバラーマの旋律は、部分的には似ているところもあるが、全体としては似ているとは見ていない。私の印象では、部分的にもあまり似た感じがしない。

 両曲は、八重山と宮古を代表する名曲であり、新崎氏が指摘するように「両民謡はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺産」であるということに共感する。


沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

「かいされー」の元歌は八重山の「しゅうら節」、その4

琉球旋法の起源とその特異性

 新崎氏は、さらに沖縄独自な特殊な旋法「琉球旋法(または琉旋法)」の起源に就いて考察をしている。
 かつて、文部省派遣のある音楽指導員が夏期音楽講習の際、述べたことが記憶に残っているそうだ。
 <「沖縄の琉旋法の音階は本土の雅楽の中にある律旋法の音階や、陽旋法(田舎節)、陰旋法(都節)等の音階、それに、支那(中国)大陸における呂旋法の音階の構成とは全く異なり、沖縄独特な旋法のような感じがする。その理由は、琉旋法の音階の中には、西洋音楽では昔から人間の充たされぬ心を表わす音として最も忌み嫌われている「ヘ音、ロ音」(ファ、シ)の増4度の音程、即ち、「悪魔の音程」を沖縄の民謡の中では好んで使われているから珍しい。」と話しておられたことが、印象に強く残っている。…

 「ファ、シ」の増4度の音程が、人間の充たされぬ気持ちを表現する音程とするならば沖縄の過去の歴史の中にそれを求める土壌がなければ生まれなかったであろうと考えられるからである。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>

             

 そう言われれば、「ファ・シ」は半音のためか、なにか不安定な感じがする音である。

なぜ琉球音階が、忌み嫌われている「ファ、シ」の哀音で作られているのか。沖縄の人々がなぜ心の表現として、「ファ、シ」の哀音を求めたのか。そこには、それを生みだした歴史的な土壌がある、と新崎氏は見ている。

<思い当たる節がある。即ち、1609年慶長14年(尚寧時代)に島津藩の侵攻を受けた歴史がある。

 史実によると、その当時の沖縄の社会は戦乱のあけくれで、人々はその渦中に巻き込まれ不安と失望で動揺し、日々苦悩の日を送っていたと言う。…おそらく、慶長の琉球入の後の廃退した社会環境の中で心の叫びとしてこの哀調を帯びた琉旋法のメロディーが、謡われるようになったのではないかと推考される。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>

<おそらく、当時の沖縄の社会は混乱にあけくれて、かかる不安動揺の世相の中では、…人々は、ただ日々の苦悩と忍従を強いられ、自らのみじめさを哀み、「ファ、シ」の音で心を癒していたにちがいないと思われてならない。(同書)>

<かかる不安な社会情勢の中では、音楽にしても到底、希望に満ちた明るい音は求められるものでなく自ら哀調をおびた「ファ、シ」の音階の歌を口づさみたくなるのも当然のことと言えよう。(同書)>

沖縄独特の音階には、王府時代からの沖縄が歩んできた歴史と社会的な背景があるという指摘は、とても興味深い。

(終わり)
 



沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

「かいされー」の元歌は八重山の「しゅうら節」、その3

 八重山民謡の音階と特色

  八重山民謡は「多彩な謡法と幅広い音階を兼ね備えたものが多く、しかも、変化に富んだメロディーが多い」と新崎善仁氏はその魅力の秘密を語っている。沖縄本島の民謡は、「レ・ラ」抜きの沖縄音階の曲が多いけれど、八重山の場合は3つの音階が使われているという。
 新崎氏は「八重山民謡の旋法を分類してみると、概ね、次の旋法、即ち、律旋法、呂旋法、それに琉球旋法からできていることがわかる。この3つの旋法が、八重山民謡の基調をなしている」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)という。
 旋法とは、「音階が単に音を音高により昇順あるいは降順にならべたものであるのに対し、旋法は主音あるいは中心音、終止音、音域などの規定を含む。 旋法は特殊化した音階」(ウィキペディア)とされる。
 律音階は、ド・レ・ファ・ソ・ラ・ドの五つの音(ミ、シ抜き)からなり、「八重山音階」と呼ぶ人もいる。呂音階は、ド・レ・ミ・ソ・ラ・ドの5音からなり、半音(ファ・シ)がない。琉球音階は、ド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音で、「レ・ラ抜き」で「ファ・シ」の半音が入る。
 律、呂の旋法は、「遠く仏教伝来の際、朝鮮半島の百済から我が国に伝わってきた文化」だが、呂旋法は、本土の風土になじまなかったのか、いつしかその姿を消し、今では「律音階による旋律しか遺っていない」(同書)。
しかし、八重山地方には、「今なお、律、呂の旋法が民謡の基調をなしているのは大変面白い」「年代的に見ると古い民謡ほど、律、呂の旋法の痕跡を遺している」とのことである。

 例えば、「鷲ユンタ」を初め、「首里子ユンタ」「まへーらつユンタ」やその「トース」、等は律旋法の音階で構成されており、そのほか、「くいちゃ踊る」や「千鳥節」「世果報」「夜雨節」「高那節」「六調節」等々の節歌も律音階でできている、という。

 八重山の古謡(ユンタ・ジラバ)の中に律音階が多く残っているそうだ。

八重山には沖縄音階の「琉旋法」の民謡も多くあるが、三味線文化が沖縄本島から役人によって八重山に持ち込まれて発展した文化といわれる。

<琉球旋法は、おそらく、三味線が八重山に伝わり、琉歌体(8886)による三味線音楽の文化が、八重山の庶民の生活の中に定着して後に、琉球旋法による民謡も生まれたのだろうと推考される。その最も代表的なものが、与那国ションカネー、川平節、小浜節、黒島口説等がそれである(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>。

                  
 <このように八重山の民謡は、これ等文化の輻輳(注・ふくそう)したもので、音階的に分析してみれば律はもちろんのこと呂、琉と、3つの旋法による民謡が多いことがわかる。なかでも「ユンタ、ジラバ」謡法はまた格別で、それは庶民が生きるために、生みだしたと思われる特殊謡法で、即ち「囃し謡法(ユンタ)」「ウティナン、スサナン謡法」(ジラバ)等がある。その謡法が八重山民謡をより豊かに幅広い色彩のものに創りあげているのがわかる。それがひいては八重山をして「詩の国、歌の国」と評価された所以もその辺にあるのではないかと思う。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>


 本題から少し外れるが、ユンタ、ジラバの謡法について、まだよくわからないので新崎氏の解説を見ておきたい。

 <単的に言うと、ユンタは「囃し謡法」であり、ジラバは「ウティナン、スサナン」謡法ということができる。
 いずれの謡法とも交互謡いには違いないが、その内容が異なる。即ち、ユンタは曲の随所に囃しを入れての一パターンの交互謡いであるのに対し、ジラバは第一節、二節とも、おのおの異なったメロディーで構成され、しかも、謡法に変化を与えるため、一節、二節を交互に歌うところがユンタとは異なる。この謡法を地元では「ウティナン、スサナン」謡法と言っている>


   私が通う八重山民謡サークルでもいま、ユンタを歌っているところだ。三線を弾かず、
拍手だけで男女交互に歌うユンタの謡法は、沖縄本島にはない八重山ならではの魅力である。

 ジラバは、一節、二節とメロディーが少し異なり変化するので、難しさがある。
「これ等双方の謡法を適当に組み合わせて歌うことによって、長い労働の中でも飽きることなく、何時までも歌い続けることができるからであろう。その意味で、ユンタ、ジラバが労働歌と言われる所以もそこにあるのではないかと思う」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)とされる。



沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

2年ぶりに沖縄の産業まつり

 「うちなー発 世界にとどけ県産品」をテーマに沖縄の産業まつりが19日から3日間、奥武山公園で開かれた。昨年は台風で中止となったので二年ぶりの開催である。21日に出かけてみた。
        DSC_4708.jpg
   秋晴れの絶好のまつり日和だ。たくさんの人たちがつめかけていて、どこの出店もごった返していた。
 各地の味が楽しめる「ありんくりん市」を回る。すぐ目に入ってきたのが、厚切りハムとソーセージの店。さっそくハムを買ってみた。焼いているサングラスの人、なんか外人っぽい。ハムは食べごたえがあった。
  
                       DSC_4709.jpg 
  ツレのお気に入り、アガラサー。アツアツで黒糖が入っていて、とっても美味しい。他のアガラサーとは違う美味さ。
                   DSC_4720.jpg
    産業まつりの大きな魅力は、県内の名のある泡盛酒造所が勢揃いして、試飲をさせてくれること。
 うるま市の神村酒造は、なんと66度という与那国島の「どなん」を上回る度数の酒を出していた。度数が高いと泡盛と名乗れないらしい。舌に載せるだけで蒸発する感じ。これまで飲んだ種類で最高の強さだった。
                DSC_4716.jpg 
   久米仙では、樽で貯蔵した古酒(クース)を出していた。2001年貯蔵で43度ある。ほのかに樽の香りがしてなんかウィスキーに近いかも。
             DSC_4722.jpg
 瑞穂酒造は毎週のように工場の側を通る。泡盛の香りが付近一帯に漂っている。
 この店では、1990年蒸留44度の古酒を試飲させてくれた。
 当たり前のことだが、古酒といっても、貯蔵年数や酒造所によって、味わいがかなれ異なる。
         DSC_4726.jpg 
    糸満市のまさひろ酒造は、テレビコマーシャルで一升瓶の頭のせダンスで知られる。お店前では、一升瓶を載せてPRするおじさん。「私はテレビ出ていないよ」とのこと。まさひろ酒造の社員はみんな一升瓶ダンスができるのだろうか。

                DSC_4730.jpg  
 このほか、崎山酒造や久米島の久米仙、40余りの酒造所の泡盛をブレンドした商品などたくさんの泡盛を試飲させてもらった。試飲だけで酔いそう。
 嘉手納の6種類の唐揚げ、八重山のかまぼこ、沖ハムのハムなどお買い上げ。買った食べ物を肴にして、オリオンビールのブースで名護工場直送の生ビールをいただいた。これも産業まつりのお楽しみだ。
   




日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |

「かいされー」の元歌は八重山の「しゅうら節」、その2

 「しゅうら節」の音階の特徴

八重山民謡の「しゅうら節」のメロディーが、なぜ沖縄民謡「かいされー」へと発展したのか。新崎氏は「それには確かに音階の進行に魅力があったのではないか」と指摘する。
 <「しゅうら節」のメロディーを分析してみたところ、その音階は沖縄独特の文化といわれている琉旋法(ド、ミ、ファ、ソ、シ)の5音階のメロディーで構成されていることがわかる。とりわけ、「ファ」「シ」の音を主体としたメロディーの進行は一段と哀調を帯びたメロディーをかもしだし、しかも各小節の区切りをまとめあげ、さお終止符の音を「ファ」で余韻を残しているところにこの曲の魅力があるのではないかと思う。


          

 もともと、琉旋法の特徴は「ファ」「シ」音を主体とした音の進行ではあるが、特に「ファ」音の終止は人間のあきたりない偲いの余韻を秘めているように思えてならない。しかもメロディーの進行の中での短四度、短五度の音階の飛躍は若者の心をいやがうえにも捉え、詩情をかきたてるのであろう。それが、若者の間では、しらずしらずのうちに遊び唄(しゅうら節)になり、後には沖縄の情歌「かいされー」等のような古典的な叙情豊かな音楽に創り替えられたのではないかと考えられる。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>

新崎氏は「しゅうら節」「遊びしゅうら節」を五線譜に直して掲載してくれている。その音譜をピアノで弾いてみると、なるほど典型的な沖縄音階のメロディーとして響く。その秘密は、「レ・ラ」抜き、「ファ・シ」の音を主体としたメロディーの進行にあるようだ。

 

 なぜ八重山民謡が採り入れられたのか

 八重山民謡がどのように沖縄本島の古典音楽や民謡に採り入れられているのかについて、このブログでも「変容する琉球民謡」としてアップしてきた。

 新崎氏は、八重山民謡が沖縄本島に持ち込まれ沖縄化した事例を次のように挙げている。西表島の「真山節」が歌劇「伊江島ハンドゥー小」の主題曲「ハンドゥー小節」に、竹富島の「まざかい節」が沖縄の雑踊り貫花「武富節」(たきどぅん節)へ、「バナレーマぬ前ぬ渡」が琉球古典の「遊びションカネー」へ、石垣島白保の「しんだすり節」が喜歌劇「馬山川」と等々と数え挙げればきりがないとのべている。

 それにしても、沖縄芝居・歌劇の役者たちがこぞって、八重山民謡を採り入れアレンジしたのはなぜだろうか。新崎氏はその理由を次のようにのべている。

  <その一つは八重山民謡の中には、当時世にも悪税といわれていた人頭税の厳しい環境の中で耐え忍びながら生きてきた庶民の生きざまを謡ったものが多く、しかも物語りの風の歌が作者等の心を捉えたのだろう。また、今一つは八重山民謡には多彩な謡法と幅広い音階を兼ね備えたものが多く、しかも、変化に富んだメロディーが多い、恐らく、作者はそれに魅かれたのであろうと考えられる。言えることは、これら採り挙げられた題材はすべて当時の庶民生活に相応しい身近なものばかりで新鮮味に富んだ題材が多かったからであろうと考えられる。それにしても、当時の芝居役者等の感覚と発想の素晴らしさには只々頭が下がる思いがする。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>
 八重山民謡は、古典民謡と言われるように、王府時代の厳しい生活と労働の中から生み出された歌であり、多彩で変化にも富んでいる。沖縄本島の役者らにとっても、とても新鮮な刺激と感銘を受け、沖縄芝居・歌劇に相応しい題材として、採り入れられたことがわかる。

 八重山民謡の音楽的な特徴については、次回にもう少し詳しく見てみたい。

 

 



沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

「かいされー」の元歌は八重山の「しゅうら節」、その1

「かいされー」の元歌は八重山の「しゅうら節」
ー「変容する琉球民謡」続編ー

 沖縄民謡の名曲に「かいされー」がある。早いテンポとゆっくりしたテンポの二通りある。この曲は、もともと八重山民謡の「しゅうら節」だという話を最近聞いた。
 
 新崎善仁著「沖縄の民謡『かいされー』とその素性を探る」という論文を読む機会があった(『八重山民謡の考察』)。新崎氏は「かいされー」のメロディーが、どこか八重山民謡の「赤馬節」のチラシに登場してくる「しゅうら節」によく似ているという。
 「赤馬節」は、八重山では祝儀歌、舞踊曲として、最初に演奏する習慣がある。曲名の由来として、その昔、赤毛の名馬がいてその噂が首里王府にまで聞こえ、国王に献上することになり、別れの時に作られたというエピソードがある。でもいまは別の歌詞で歌われる。
 私が通っている八重山民謡サークルでも、毎回、最初に「赤馬節・しゅうら節」とセットで演奏するので、馴染んでいる曲である。「しゅうら節」は八重山では嫁をめとる際の教訓的な歌として祝宴の座開きのおめでたい歌「赤馬節」とセットして弾かれることが多いという。
 いつもお祝いの歌として演奏するので、情歌の「かいされー」と似ているとは、まったく想像しなかった。「しゅうら節」は本調子、「かいされー」は三下げの調弦で歌うので余計、印象が異なっているのかもしれない。でも、実際は深い関連があるという。
 「しゅうら節」と「かいされー」との関係については、すでに普久原恒勇編の『沖縄の民謡』の中で指摘し、解説されているという。新崎氏の引用から紹介する。


           

 <『その歌(注・「かいされー」)は一名「じんとよー節小」といって、沖縄本島では昔から「遊び唄」として広くみんなから親しまれてきた歌である。歌詞は一定のものではなく、その時、その場に応じて即興で歌うことを建て前とし、正しくは「かいしゃ」という八重山の方言の「美しい」という意味であるが、いつのまにか沖縄方言になまって「かいされー」と呼ぶようになったということである。元歌は人間は美しいだけでいいというものではない。また、美しいからといって美しさだけにほれてはいけないよ。もっと大事なものは心だよ、と美人であることを鼻にかけた女を皮肉っている歌である。この歌のよさは即興で歌われるだけに風刺に富んだところにあるといわれている。

  その曲そのものは八重山民謡「赤馬節」の「チラシ」に出てくる「しゅうら節」であるが、そのメロディーが、いつのまにか沖縄本  島に持ち込まれアレンジされて「遊び唄」の代表的な歌として定着し、今では、強いて八重山民謡だ!とはきめつけられない程、沖縄化し、本島での遊び唄になっている。』
(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>

           
 新崎氏の指摘を読んで、初めはどうも似ている気がしなかった。だが改めて、「しゅうら節」と「かいされー」を比較し、三線で演奏してみると、なるほど、メロディーラインはよく似ている。「かいされー」は、ゆっくりした演奏では、とても味わいある情歌である。一方、早いテンポでは、「ナークニー(宮古根)」「本部ナークニー」とセットで演奏される「遊び唄」である。かつて、若者らが野原に集い遊んだという「毛遊び(もーあしび)」では、歌三線に欠かせない曲だったという。

 「かいされー大会」も開かれている。南城市の大里城址公園で922日にあったばかりだ。南城市を詠んだ琉歌を「かいされー」の曲調にのせて歌三線を奏で競う大会である。南城市とどんなかかわりがあるのかは知らない。
 「かいされー」を歌う人も、元歌は八重山民謡だと知る人は少ないのではないだろうか。

 

 竹富島の「遊びしゅうら節」

 八重山の「しゅうら節」にも、「遊びしゅうら節」(竹富島)という曲があるという。新崎氏は次のようにのべている。

 <竹富島の喜宝院の住職上勢頭同子氏の話によれば、竹富島ではその昔、教訓歌「しゅうら節」のメロディーがあまりにも叙情的であったためか当時の若者等はその哀調帯びた旋律に魅せられ、いつしかそのメロディーが若者の偲いを秘めた替え唄(遊び唄)として定着し、大正の頃までさかんに謡われていたという。島ではその歌を「遊びしゅうら節」と呼んでいたという。

  あくまで私見ではあるが、普久原恒勇氏編の『沖縄の民謡』の中に記されている「かいされー」の解説と竹富の「遊びしゅうら節」の内容等を比較検討してみると、その「遊びしゅうら節」がひょっとしたら沖縄本島に「遊び歌」として、持ち込まれた情歌「かいされー」歌へと発展したのではないかとも考えられる。なぜならばその理由(わけ)は「かいされー」という言葉のもち意味が「遊びしゅうら節」の句の中にある「美さんでぃ、美さにふりるな」という歌詞の「美さんでぃ」の言葉が沖縄方言になまって「かいされー」と発音されたのではないかと推測されるからである。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>


 新崎氏は結論として次のようにのべている。

 <「しゅうら節」は、元々、嫁をとる際の教訓的な歌として八重山では祝宴の席で「赤馬節」のチラシの音曲として広く親しまれてきた歌であるが、その哀調帯びたメロディーが若者の心を捉えたのかいつのまにか遊び唄として若者の間に流行り、それが沖縄本島に持ち込まれた今では八重山民謡とはいえない程、古典的な沖縄の情歌「かいされー」に大きく様変わりしているのに目を見張るものがある。(同書)>

 沖縄民謡に「シューラー節」という曲がある。「ヤッチャー小(グヮ)」のチラシとして速弾きで続けて演奏される。八重山民謡の「しゅうら節」とは、まったく旋律も歌詞も異なり、同名異曲であるらしい。


沖縄の民謡 | コメント:0 | トラックバック:0 |

アルテで「やいま~まるまぶんさん節」を歌う

 毎月恒例の「アルテミュージックファクトリー」が13日夜開かれた。今月のテーマは「酒」。久しぶりの参加の方が何人もいて、終わりはこれも久し振りに11時だった。今回も自分にかかわるものと、久しぶりの方のみ紹介する。
 越智さんはトランペットで「酒とバラの日々」を演奏し、ツレがピアノでコラボした。
  比嘉さんは、カレッジフォークの「フォー・セインツ」が歌った「この街で」を歌った。何カ月ぶりの登場だろうか。
                            IMG_5680.jpg
 徳門さんはピアノ独奏で「森へ行きましょう」を演奏した。元気な姿を見れて嬉しい。
        IMG_5682.jpg   
 私は、ミヤギマモルさんの代表曲「やいま」と八重山民謡「まるまぶんさん節」を歌った。「やいま」は故郷をしのぶ曲なので、てっきり石垣島から沖縄本島か本土に出て、八重山をしのぶ曲だと思っていた。でも八重山出身の友人が言うには、「あの曲は、彼の父親が教員で離島に赴任していて作った歌ですよ」というのでちょっと意外だった。曲中に「月の浜辺で泡盛飲みながら…」と出てくるのでテーマにあっている。
                    
  ついでに「夜の明けるまで歌った島唄よ」と出てくるので、「まるまぶんさん節」を続けて歌った。この曲は、西表島の祖納湾に浮かぶ小島の情景を歌っている。盆山のような小島を夕暮に眺めると、風向きを知り白サギが来る。祖納の入り江の標木の上には海鵜が魚を捕ろうと構えている。離れの水路を渡り帰ってくる舟を見ると、舟人の掛け声と櫓をこぐ音が勇壮である。

 ツレはピアノ弾き語りで、テレビのCМで流れた「ウィスキーがお好きでしょ」を歌った。雰囲気がよく出ていたのではないか。
             
    カオル&タカは二人そろっての演奏は1年ぶりくらいだろう。みなみらんぼうの「ウィスキーの小瓶」を演奏した。カッコイイ演奏で楽しませた。
        IMG_5697.jpg 
   ツレはピアノ独奏でメンデルスゾーンの「舟歌」を演奏した。
 由美子さんも1年ぶりくらいか。オカリナで「白いブランコ」を演奏。越智さんがギターでサポートした。
  伊波さんは、ボーカルの女性をお誘いして初めて出演し「芭蕉布」を歌い、自分も「銀色の道」を歌った。
                    IMG_5700.jpg
   イタリアから沖縄芸大に来ている留学生の男性は、ギターで「アルハンブラの宮殿」「ベサメムーチュ」を演奏した。見事な演奏で「ブラボー!」の声が飛んだ。
      IMG_5693.jpg     
    みなさん、テーマにそってギター独奏、ギター弾き語りからピアノ独奏、ピアノ伴奏による独唱、ボイスパーカッションまでとっても充実した演奏会だった。       

 
音楽 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |次のページ>>